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福永武彦
彼方の美 (1980) 


彼方の美 (中央公論社)

美術に関し、とても造詣の深い福永さんが画集などへ寄稿したものを集めて編集。( )内は、執筆年。
彼方の美 ― 17世紀オランダ絵画序説(1975)
モローとルドン ― 暗示の美学(1972)
・エドゥアルト・ムンクと愛の神話(1975)
・金冬心の横顔(1976)
・熊谷守一の書(1973)
・東山魁夷の風景(1974)
・岡鹿之助の藝術 または秩序と静粛(1977)
・川上澄生の青春 または世界の涯(1978)
 


彼方の美 ― 17世紀オランダ絵画序説   
(1976年12月、講談社刊『グランド世界美術15』「レンブラントと市民の絵画」)

'00年7月から9月にかけて、国立西洋美術館で"レンブラント、フェルメールとその時代"展が開催され、アムステルダム国立美術館所蔵の17世紀オランダ絵画が多数出展されました。フェルメールは"恋文"のみでしたが、レンブラントの肖像画は何点か出展され、なかでも"聖パウロに扮した自画像"は画家の内面を曝け出している様で、その迫力により他の絵を圧していたのが印象的でした。

17世紀オランダ絵画は旧教の宗教画の代りに、自然と日常的風俗の世界を画くことに専心したが、それは結局は魂を画くことに他ならなかった。そのことをフェルメールが(そして勿論レンブラントはより一層直接的に)明かに示してゐるように私は思ふのである。

福永さんは、プルーストの「失われた時を求めて」を通じて学生時代より"フェルメールは絶対だといふ先入観"を持っていたそうで、相当に思い入れがあったようです。ということでフェルメールの作品について述べている個所より引用してみました。 

「デルフトの眺望」、「小路」について
二つの作品とも、空と建物と人と道(または水)とが渾然と一体をなしてゐて、ハイデンを初めとする他の市街風景と較べれば、そこにフェルメール特有の何か別のものがある。
 プルーストの小説の登場人物の一人ベルゴットが、「デルフトの眺望」の中の「庇(ひさし)のついた黄色い小さな壁」を天上の秤の皿の上に乗せて、もう一方の皿の上に乗せた「自分の命」よりも大事であるやうに感じながら死んで行く時に、それは藝術の与へる恐るべき至福を描写したものと言へるだらう。 
 一体その魅力とは何だらうか。「眺望」では、前景に6人の人物(左端の一人は子供を抱いてゐる)がゐるし、「小路」では、一人の女は縫物をし、もう一人の女はバケツの上に身を屈め、二人の子供がおはじきか何かをして遊んでゐて、明かにそこに我々にとっての身近なもの、親密さ、がある。しかし人物たちの与える親密さと同じものが、空の雲にも、建物の壁にも、水の戯れにも、一様に漂つてゐる。それは人々が静かであるやうに、一種の快い沈黙の中に存在する。いや、画面の中のすべてのものは、声にならない声でこちらに話し掛けて来る。その声を発するのはフェルメール独特の色である。この色は光をたつぷり含んだ透明な色であつて、レンズが拡散した風景を凝縮するやうに、あらゆる光を色彩の中に凝縮しているやうに思はれる。

デルフトの眺望
(1658−1660?)
   99×119cm
ハーグ マウリツホイス美術館蔵


小路
(1658−1660?)
54×44cm
アムステルダム国立美術館蔵
レンブラントの風景画が、黄昏の明暗を画くことによつて神秘的、幻想的であるのは当然だとしても、フェルメールの「デルフトの眺望」が同じく幻想的なのは何故だらうか。ここでも広く取られた空から夕べの光が(或は朝かもしれない、しかし私には壁のこの黄色は夕暮の「あつい光」にふさはしい)静かに降り注ぎ、明るい壁と暗い建物や樹や屋根との対照、影を落した川の水と前景の砂地との対照、そして空の雲の間にある玄妙な相違など、諧調といふ言葉にふさはしい静けさが画面の全体を包んでゐる。その静けさは光そのものであり、レンブラントの場合にはしばしば一方的に、非日常的に、作者の眼指として注がれたものが、ここでは全面的に微粒子となつて降りそそいでゐる。といふよりも光はひとりでに画面から滲み出て、そこに強固な別世界を、「彼方」を、形づくるのである。どんな細部も光を孕み、それに隣合つた部分と調和し、その眩暈的な悦びが次第にひろがつて画面の隅々までを支配し、更に額縁を越えて外へと溢れ出して行く。これをしも幻想的と呼ばなければ、何を幻想的と呼んだらいいだらうか。

フェルメールの室内画について
手紙を書いたり読んだりしてゐる娘といふ主題は、テル・ボルフにもあればメツーにもある。楽器を奏でてゐる女に至つては、ヤン・ステーンにもテル・ボルフにもウィッテにもある。恐らく手紙は男女間の愛を意味し、リュートには情熱とか恋とかを示す約束ごとが含まれてゐたのだらうが、フェルメールの場合にはペンの軋る音、紙の擦れる音、或はリュートの響きまでが聞こえてくるやうである。それは一つには画かれた人物の表情が、作者の熟知した人物であつたために、いかにも生彩があるといふ理由が考へられる。 フェルメールは、マルローによれば、幾人かの数少ないモデルしか使つてゐないが、手紙や楽器のみならず、他の絵に出て来る牛乳注しも、真珠の重さを量る秤も、レース編みの道具も、それらはただ一瞬のうちにモデルの魂を写し出すための小道具にすぎない。そのやうな小道具のまつたくない場合に、例へば「ターバンの少女」の場合に、この小さな画面は一個の無垢の魂をそつくり擬人化して、その生を永遠の持続たらしめるやうな印象を与える。

ターバンの少女
(1660−1665?)
47×40cm
ハーグ マウリツホイス美術館蔵

暗示の美学 ― モローとルドン   
(1973年 2月、中央公論社刊『グランド世界の名画13』「ムンクとルドン−世紀末の幻想−」)

モローとルドンは、個人的に大のお気に入りの画家であり、示唆に富んだ福永さんの考察は大変参考になります。

モローが内部に没入してゐたのに対して、ルドンは外なる自然、この眼に見えるものを愛してゐた。
 19世紀終りの世紀末に生きた詩人マルラメとヴェルレーヌ。二人の詩のあり方は対照的であったが、その美学的な面ではほぼ似たような立場に立っていた。それは、ものを暗示的に、音楽的に、つまりは神秘的にと言うことになるが、太陽の眩しい光線のもとにではなく、黄昏もしくは夜の微光のもとに見ようとする態度で、それはまた彼らの先輩であるボードレールの超感覚にその源を持つものであった。そして、ここでの主題は、このような超感覚、暗示、喚起、音楽、謎といった詩的な方法が、同時代の印象派から世紀末に至る時代の画家たちにどのように関係づけられるか点であり、福永さんは、モローとルドンを、その対象として取り上げています。
 論考の中から、それぞれの画家の作品について述べている個所を引用してみます。

モローのサロメについて
 モローは生涯独身を続け、女嫌ひを以て自任した。(中略)
 たとへモローが天性女性を憎んだとしても、そこには惹かれるが故に反発するといふアンビヴァランな感情が動いてゐたに違ひない。モローの女たちは、みな、悲しげな表情を持ち、笑ひもせず、泣きもせず、時間の中に凍りついてゐる。かうしたまるで仏像のやうな静けさを、モローが定着したいと思つてゐたことは疑ひ得ない。
 
 「私は手に触れたものも、眼に見たものも信じない。私は眼に見えないもの、感じたものだけを信じる。」
 「私の頭脳とか私の理性とか言つても、陽炎みたいなもので実在さへも怪しい。私の内部の感情だけが、永遠であり、議論の余地なく確実なもののやうに思はれる。」
 このモローの感想は、彼がその想像力を駆使するに当つて、無意識の領域に足を踏み入れてゐたことを示してゐるだらう。モローのサロメは、近代的な解釈とか、退廃的な情熱とか、装飾的な構図とかに発想を持つ以上に、もつと素直に彼自身の夢、或は彼の人生観を示すものだ。そのために死ぬことになつても悔いないやうな運命の女、死の眼指で自分を見つめる女、さうしたモデルをモローは現実ではなく神話や伝説の中から選び取つて、自分の感覚のままに、偶像崇拝的な愛情をこめて、描き出したのであらう。
 従つてモローの画面は、夜の中に光が滲み出るやうに、まさにヨハネの首が宙にあらはれるやうに画家によつて強調された明の部分と、不透明な暗の部分とから成る。恐らくはレンブラントから学んだのだらうが、人物はこれらの強調された部分にあつて、彼らの内部から発する白熱した光線によつて自らを照してゐる。そしてモローはかうした冷やかな女たちを、真珠貝の中で真珠が育つて行くやうに、彼の夢の中で育てたのである。

 
ルドンについて
 ルドンの描いた世界は、人をしてた易くそこに立ち入ることを拒否するやうに見える。動物だか植物だか見分けのつかない生物や、人間の顔だか花だか分らない不思議なものや、そして宙にただよふ首や、どこからともなく射してくる光、― それらは画家の見た夢の産物かもしれない。しかし、ルドンの人物達の悲しげな眼は、モローのそれと違つて、いつでも暖かくて人間的なのだ。山の向うから眠つてゐる女を見詰めてゐる一眼巨人の眼は、モローの「ガラテア」に於けるポリュペーモスの暗い眼とは違ふ。ありさうもないものたちを、「人間的に」生きさせる力が、晩年に近づくにつれて、ルドンの画面を快活にして行く。
 
 ルドンが晩年に、白と黒の世界から色彩の世界に移つたことは、まさに円熟といふ言葉にふさはしい。
「その後私は、絶えず自分を客観化しながら、あらゆる物ごとにより大きく眼を見開いて、我々の繰りひろげる人生は、また悦びをも顕示するものだといふことを知つた。もし芸術家の仕事が、彼の人生の歌、厳粛な悲しいメロディであるならば、私は色彩の中に陽気な調べを興へなければならなかつた。」
 かうして生まれた数々の肖像画、花々の静物、神話的主題などが、白と黒とによる描写とはまた違つた、神秘的な、豊かなハーモニイを奏でてゐるのは当然のことであらう。ルドンの芸術は白と黒とによつて、この世のものとは思はれぬ異次元の消息を伝へた。しかし、やがて色彩を得ることによつて、地上的冥府的なものは影をひそめ、天上の美を暗示するものとなつた、と言へるのではないだらうか。






ヘロデ王の前で踊るサロメ








キュクロプス(1895−1900)
板 油彩 64×51cm

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