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海外作品読書録(2021年)

Twitterに投稿した読書記事をまとめました(出版年降順)。

2021年読書録(国内作品)
2019年・2020年読書録(国内作品)
2019年・2020年読書録(海外作品)
○2021年に読んだ感銘深かった海外作品(発表年降順・再読除く)
ベケット氏最期の時間/マイルス・ベスリー
息吹/テッド・チャン
恋するアダム/イアン・マキューアン
消失の惑星/ジュリア・フィリップス
言語の七番目の機能/ローラン・ビネ
メッセージ/トーベ・ヤンソン
ブリーディングエッジ/トマス・ピンチョン
三体3部作/劉慈欣
フランス組曲/イレーヌ・ネミロフスキー
波/ヴァージニア・ウルフ


○読書録(出版年降順)
ベケット氏最期の時間(2020)/マイルス・ベスリー
ノーベル文学賞受賞から20年後の1989年、パリの老人養護施設で過ごすベケット最晩年の日々を描いた小説。 日常の描写と共に介護日誌や面談記録なども挿入されている。 ベケットの意識の流れに浮かぶジョイスとの交友、『ゴドー』のエピソードなど興味深い。

ジョイスの声がする。心があたたまる。 彼は、文章を書いているときでさえ、音楽を奏でていた。ピアノの下のペダルを、両足で踏み替えていた。ジョイスは曲を弾きながら、コーク訛りで歌ってみせる。 老いても甘やかな、テノールの響き。歌を歌うのは、友人たちのためだった。


グレゴワールと老書店主(2019)/マルク・ロジェ
本と無縁だった青年グレゴワールは老人介護施設で働き始め、入居者で元書店主の老人、ピキエに朗読を頼まれたのをきっかけにピキエに読書、朗読の喜びを学び、彼を人生の師として仰ぐようになる。 著者は著名な朗読家だそうで朗読愛に溢れています。
本書でグレゴワールが最初に老人に朗読した本はサリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」。 彼が朗読に熟達するにつれ聴衆が増え、施設入居者とその家族20人以上の朗読会に発展していく。 読まれたのはバリッコ「海の上のピアニスト」や、モーパッサン、ジャック・ロンドン、ユゴー他の小説・詩でした。

「本は君から他者につながる道だ。そして、君自身にいちばん近い他者とは君なのだから、君は自分につながるために本を読むのだ。自分から逃げるために本を読むのだとしても。一種の自力による他者性の獲得だな」 「『ライ麦畑』でぼくが経験したようなことですか?」


恋するアダム(2019)/イアン・マキューアン
平行世界を舞台に、AIの進化がもたらす悲喜劇を描いた著者の最新傑作長編。 チャーリーが購入したアンドロイド、アダムがチャーリーの恋人への愛を宣言、三角関係の行き着く先は? 明確な自我意識をもつアダムがハムレット的な憂鬱を抱く様子に親近感が湧いた。
「わたしの前にはなにもない。ただ自分を意識している存在です。存在しているのは幸運なことですが、ときには、それをどうすればいいのかもっとよく理解する必要があると思うこともあります。何のために存在しているのか。ぜんぜん意味がないような気がすることもあるんです」


息吹(2019)/テッド・チャン
前作「あなたの人生の物語」から17年ぶりのSF中短編集。 作品のテーマは、タイムトリップ、ロボット、神の意志、多世界など多彩、いずれも非凡なアイディアに充ちた秀作ぞろいです。 唯一の中編である AIのディジタル生物を育てる作品など、近い将来あり得そうだ。



消失の惑星(2019)/ジュリア・フィリップス
カムチャツカ半島を舞台にした全米図書賞候補作。 幼い姉妹が行方不明となってからの12ヶ月が、境遇の異なる女性達が関わる13のエピソードで描かれ、それぞれに事件が様々な形で影を落としている。 素晴らしい描写力。今年最も心に響いた物語だった。



Firelight(2018)/ル=グウィン
「ゲド戦記」の最終話となる掌編。 故郷の島の家でテナーと暮らすゲドは病み、夢うつつの中で子供の頃からの過去が想起されていき、走馬灯のように浮かぶ幻想の中でドラゴンが彼に呼びかけます「恐れるものなどなにもない」と。 詩的で感動的なエンディングです。
各巻の表紙(カラー)と本文中(モノクロ)のイラストは、この完全版のために新たにCharles Vessによって描かれています。 彼によれば、これらは、ル=グウィンとの4年間にわたるコラボレーションと友情から生まれたとのことです。

ル=グウィンの「ゲド戦記」全6巻と、著者の没後に発表されたアースシー世界を舞台とした最後の短篇 『Firelight』を収録した完全版が届きました。 Kindle版のほうが読みやすいけど、ゴージャスなハードカバーを手元に置きたかった。 992ページ、2kg超、厚さ7cmの質感、映え感が半端ないです。


ラスト・ストーリーズ(2018)/ウィリアム・トレヴァー
2016年に亡くなるまでの約10年間に著者が書きためた10短篇を収録。 短篇の名手と称されるだけあって、どの作品も切り口、語り口が見事です。 『嵐が丘』の反映が窺われる、切ない愛の変遷を描いた『冬の牧歌』などがとくに心に残りました。

メアリー・ベラは12歳で、9月には13歳の誕生日が控えていた。 散歩の途中に、彼は彼女に本を読んで聞かせた。本によっては彼女が朗読することもあった。いつかは夏が終わると思うと彼女は悲しくなった。彼は、夏は決して終わらないと言った。思い出せばいいのだから、と。
『冬の牧歌』より


ノマド(2018)/ジェシカ・ブルーダー
リーマンショック、住宅バブル崩壊などで家を手放し車上生活をするようになった高齢者たちに取材したレポート アマゾン倉庫や農場での低賃金労働、生活しやすい環境を求めて移動する現代の流浪の民(ノマド)の暮らしの厳しさ、連帯意識を知った。彼らのタフさには脱帽。

人間であるということは、たんなる生存を超えた何かを追い求めるということだ。食べるものや住む家と同じくらい、私たちには希望が必要なのだ。 そして、その希望が路上にはある。それは車の推進力が生む副産物だ。アメリカという国の大きさと同じだけ、大きなチャンスがあるという感覚だ。
Being human means yearning for more than subsistence. As much as food or shelter, we require hope. And there is hope on the road. It’s a by-product of forward momentum. A sense of opportunity, as wide as the country itself. Nomadland /Jessica Bruder


ハーバード大学のボブ・ディラン講義(2017)/リチャード・F・トーマス
古典文学の教授で、ディラン研究者の著者による講義録。 ディランが古代ローマ、ギリシャ時代の詩を巧みに自身の歌詞に取り入れるようになった2000年以降の曲についての解説が興味深かった。 この機会に21世紀のディランのアルバムを聴き込んでみたい。

ひとたびアイデアが浮かぶと、目にするもの、読むもの、味や匂い、すべてが間接的にそのアイデアに関わってくる。こうやって、ある作品は別のものに作り変えられるんだ。大切なのは、芸術を生み出すために何をするかではなく、芸術が人類のために何ができるかということだ。


NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる(2017)/フローレンス・ウィリアムズ
自然が脳や身体に及ぼす影響に関する各国での調査・研究を取材。 自然に接することによる認知機能や免疫力強化、森の香りや鳥のさえずりのリラックス効果など。 自然界のフラクタルパターンと脳の活性化の研究も興味深い。
樹木が発散するいい香りはフィトンチッドと呼ばれ、この芳香性揮発物質が免疫細胞を活性化させるという日本での研究が紹介されています。 市販されているヒノキのエッセンシャルオイルでも効果があるとのことで早速使い始めました。


カササギ殺人事件(2017)/アンソニー・ホロヴィッツ
当代の人気ミステリー作家が急死(自殺、他殺?)、さらに遺された新作原稿の肝心な結末部分が行方不明という2重の謎をめぐる大作。 クリスティーを筆頭とする古き良き時代のミステリーへのオマージュも含め、遊び心があってとても面白かった。

考えてみると奇妙な話ではないか。本でも、テレビでも、数えきれないほどの人間が殺されている。人を殺さない物語など、なかなか成立しえないほどに。わたしたちはなぜ、こんなにも人が殺される謎を求め、そういった物語に惹かれるのか ―


グレート・ギャツビーを追え(2017)/ジョン・グリシャム 村上春樹訳
プリンストン大学図書館に厳重保管されていたフィッツジェラルドの主要5作品の自筆原稿が強奪され、保険会社は新進の女性作家を疑惑の書店主に接近させる。 グリシャム本領のリーガル・サスペンスではなく、一般小説のノリで楽しめた。
5作の保険金総額2500万ドル(25億円)とは、さすがフィッツジェラルド。 サリンジャー”The Catcher in the Rye”の署名入り初版本の売値が10万ドルくらいとか稀覯本のトピック、作家の暮らしぶりの描写など興味深かった。 原題”Camino Island”はフロリダの保養地で、昨年続篇”Camino Winds”が出ている。


4321(2017)未翻訳/ポール・オースター
著者と同じ1947年に、ユダヤ系米国人として生まれたアーチーの青年期に至る成長過程を緻密に描いた大作。 ベトナム戦争、大学紛争、公民権運動など混迷の1960年代に青春を送った主人公が直面する葛藤や悩み(家族・恋愛・性・進路など)を追体験でき感銘深かった。
70代を迎えたオースターにとって集大成的な作品であり、彼が重視する偶然が人生に及ぼす作用の表現には、特異な小説構造が必要だったと思われます。 彼は作品に寄せる強い思いを語っています。
I feel I've waited my whole life to write this book. I've been building up to it all these years.

・・・今年(2017年)発表されたばかりの驚くべき大作4321もできるだけ早く訳したい。 866ページ、訳すと四百字換算で2000枚を超えそうなこの大作について、作者本人は、いままで書いてきた作品はすべてこの作品にたどり着くためだったと述べている。
「内面からの報告書」訳者あとがき・柴田元幸


人之彼岸(2017)/ハオ・ジン・ファン
AIに関するエッセイを含む著者の第二短編集。 エッセイでは人間を超えるAIは実現困難との見解を示していて、AIの最も大きな問題は「総合的認知能力」つまりは「常識」の欠如だという指摘が興味深い。 百年後の地球に帰還した宇宙船クルーがAIと対決する短篇が面白かった。"



ホープは突然現れる(2016)/クレア・ノース
人に記憶されない特殊体質のため泥棒稼業で生計を立て孤独に生きる女性、ホープが大流行の自己啓発アプリ「パーフェクション」の秘密に挑む世界幻想文学大賞受賞作。 ユーモアを交えた広範な雑知識が散りばめられている(だから750ページ)のも楽しい。

ホープは世界中を飛び回って盗み、逃げ、追う。 ニューヨーク、ロンドン、ドバイ、東京、ソウル、ベネチア・・・ 筆者はなかなかの日本通みたいだ。 “をかし、喜びを感じさせる、愛らしい、風情がある。清少納言が愛したいにしえの言葉。清少納言は日常にささやかな美を見つけては、胸を躍らせた。


ハオ・ジン・ファン短篇集(2016)
注目の中国女性作家によるSF・ファンタジー短篇集。 ヒューゴー賞を受賞した「北京 折りたたみの都市」は、人口・失業問題を解決するために建設された3つの空間に分割された折りたたみ式の都市(!)で暮す男の物語で、映画化されるようなので楽しみです。

"ある友人は言った。あれこれ聴いたが最後に残るのはやっぱりブラームスだ。最初は魅力に乏しいが、最後にみなが身をゆだねるのは往々にしてブラームスだ。"
宇宙人の侵略に挑む計画に加わるヴァイオリニストが主人公の「弦の調べ」からの引用だけど、僕もそんな気がしています。特に室内楽曲が好き。


ヴィネガー・ガール(2016)/アン・タイラー
著名作家がシェイクスピア劇を語り直すシリーズで、アン・タイラーが「じゃじゃ馬ならし」を人生の機微に触れた現代ドラマに仕立てています。 タイラーは「じゃじゃ馬ならし」が大嫌いだそうで(わかる)、原作を軽妙に翻案していて本家より楽しい。

インタビュー「アン・タイラーはシェイクスピアが大嫌い、だから書き直すことにした」より
「まったくクレイジーな物語です。人物のふるまいがとても不可解なので、何かほかの側面もあるのではと思わざるをえません。(中略)いったい何がどうなっているのか明らかにしてみましょう」(鈴木潤 訳)"
“It’s such a crazy story. People behave so inexplicably that you just know there’s another side to it. Someone’s exaggerating; somebody’s putting his own spin on things. Let’s just figure out what really happened.”


言語の七番目の機能(2015)/ローラン・ビネ
1980年、哲学者・批評家のロラン・バルトが交通事故で死亡。 これが国の安全保障に関わる文書が絡んだ謀殺だったとする記号学的変格サスペンス小説。 大統領の命で、警視と大学の記号論講師の二人は、仏・伊・米国を駆けて文書の行方と真相を追う。
面白かった。 複数のフランス文学賞を受賞し、30以上の言語に翻訳されたそうです。 フーコー、デリダ、ソレルス、クリステヴァ、アルチュセール、エーコなど、現代思想の錚々たる面々が実名で登場していて、戯画化された彼らの言動が可笑しい。 ここまで書いて本人や関係者からクレームなかったのかな。 書名はヤコブソンが『一般言語学』で提示した"言語の六つの機能"に依っています。


もののあはれ(2015)/ケン・リュウ
SF短篇集 著者は中国系アメリカ人作家で、日本人の宇宙船乗組員が主人公の表題作は芭蕉の句や唐代の詩が引用されるなど、東洋的無常観が感じられる。 収録作「アーク」は映画化されたけど、妖怪ハンターと妖狐の少女が出会う「良い狩りを」も映画で観てみたい。

「死のない人生は変化のない人生というのは、真実じゃない」キャシーは言った。「恋に落ち、愛を失うこともある。すべての恋愛と結婚に、すべての友情と気まぐれな出会いに、円弧(アーク)があるの。はじまりと終わりが。寿命が。死が」
円弧(アーク)


メッセージ/トーベ・ヤンソン自選短篇集(2014)
書き下ろし7篇を含むトーベ自身が編んだ31短篇を収録。 自画像的作品が多く含まれていて、ムーミンの作者の実像を垣間見ることができます。 愛すべき叔父たち、冒険好きの少女、画学生の頃、異性・同性のパートナー・・・北欧の自然描写も魅力です。

彼女はあらゆる種類の人間を描くことができた。滑稽な人、傷ついた人、・・・ そして愛情とユーモアが常に変わらず存在する。 短篇小説はムーミンシリーズのように集団を描いたものではなく、その多くが”二人”に光を当てている。そして何よりも”芸術”を主題にしている。
まえがき/フィリップ・テイル


赤いモレスキンの女(2014)/アントワーヌ・ローラン
パリに住む40代男女の粋でハートウォーミングな恋物語。 銀行を辞め本屋を開いたローランは、拾ったハンドバックの中にあった手帳を読んで見知らぬ持ち主に恋し、わずかな手がかりから彼女を探し始める。 本の話題が多いのも楽しめる小説です。

ローランが恋する彼女の書棚には、 "推理小説があり、スタンダール数冊、ウェルベック二冊、・・・14冊省略・・・、アポリネール全集、旧版のブルトン『ナジャ』、文庫本のマキャベリ『君主論』、ル・クレジオ数冊、シムノン十数冊、村上春樹三冊、谷口ジローのマンガ数冊。"


ブリーディング・エッジ(2013)/トマス・ピンチョン
今年邦訳が出た現代文学の巨人による最新長編。 舞台は2001年のニューヨーク、核となるのは9.11同時多発テロ。 元不正検査士で2児の母親でもあるマキシーンは、IT企業の不正送金の裏に潜む巨大な陰謀を嗅ぎつけ、仲間たちと協力して暴こうと奮闘する。
ハードボイルドとファミリードラマの要素を併せ持ち、多彩な登場人物たち、ウェブ上のVRサイト、9.11絡みの陰謀論などエンタメとしても楽しめる。 当時の世相を映し出す夥しい数のゲーム、TVドラマ、映画、音楽、時事ネタが小説中に散りばめられていて、ほとんどに適切な(注)が付いていてうれしい。

インターネットは自由の道具と言う娘、マキシーンへの父の言葉はピンチョンの本音か; 「自由と言っても、その基盤は制御だぞ。みんながつながって、誰一人、そこからさまよい出られない、もう二度とな。次の段階は、みんなを携帯電話でつなぐことで、そうなりゃ監視のウェブの完成だ。もう逃げられん。

ディープウェブ上にVRサイトを作ったルーカスがヒロインのマキシーンに向かって言う; 「アキラのネオ東京、攻殻機動隊、メタルギアソリッドの影響が強く出てる。メタルギアのコジマ・ヒデオは、僕らのサークルじゃ神(ゴッド)と呼ばれる


数学の大統一に挑む(2013)/エドワード・フレンケル
著者による公開講義「数学ミステリー白熱教室」の元本。講義内容をもっと詳しく知りたい人におすすめ。 ソ連で生まれ、ユダヤ系のため人種差別を受けながら研究を続け、アメリカに渡り大学教授となって最先端研究テーマに携わるまでの経緯も綴られている。
数学理論からその存在を予想された物質の最小粒子「クォーク」(当初3種)の名前は、ジェイムズ・ジョイスの小説「フィネガンズ・ウェイク」(1939)から取られたそうだ。
マーク大将のために三唱せよ、くっくっクオーク! なるほど彼はたいしょうな唱声ではなく 持物ときたらどれも当てにならなく (柳瀬尚紀 訳)
Three quarks for Muster Mark! Sure he has not got much of a bark And sure any he has it’s all beside the mark.


過ぎにし夏、マーズ・ヒルで(2010)/エリザベス・ハンド
ネビュラ賞、世界幻想文学大賞受賞の4作品を収録した選集。 少女が毎年夏に母と訪れるコミュニティで見出した神秘を描いた表題作、シェイクスピア『十二夜』をモチーフに舞台女優を目指すマディの青春を描いた「イリリア」が印象的でした。

わたしは生まれて初めて、劇場というウィルスに完全にさらされた。単に芝居を見るだけではなく、芝居の化学の一部になった。わたしたちはみな、ほとんど最初から気づいていた。わたしたちの『十二夜』はすばらしいものになると。
イリリア(2007)


ソーラー(2010)/イアン・マキューアン
ノーベル賞受賞科学者のビアードは、いけてない風貌で俗な欲望に無節操。 彼が関与した新しい太陽光発電のアイディアと離婚危機にある5番目の妻と愛人を巡るドタバタ劇。 おもしろうてやがて悲しき・・だが希望も。 エネルギー問題の知見にも触れられて面白かった。



HHhH プラハ、1942年(2009)/ローラン・ビネ
ナチス保護領下のチェコ総督となった"金髪の野獣"ハイドリヒと、彼の暗殺の命を受けプラハに侵入した二人の兵士を描いた傑作。 ノンフィクション・ノベルの系譜だが、カポーティ「冷血」とは一線を画す”小説を書く小説”という叙述形式が成功している。




−三体 三部作-
三体(2008)/劉慈欣
アジア初のヒューゴー賞長篇部門受賞。 クラークの「幼年期の終わり」、セーガンの「コンタクト」を彷彿とさせる人類の命運を決する異星人との邂逅を描いたスケールの大きな三部作の第一部。 文革を端緒とした展開、ネット上のVRゲーム『三体』など秀逸な語り口で読ませます。

SFのワンダーは、ある世界を仮構したとき、現実世界では悪/闇とされるものを、正義/光へと(もしくはその逆)変えられることにある。わたしがこの三部作で書いているのも、ただそれだけのことでしかない。 劉慈欣(「三体」あとがき より)


三体U 黒暗森林(2008)/劉慈欣
異星人との接触を前にした人類が望みを託す"面壁計画"を中心に描かれる第二部は、作中でも言及されているアシモフのファウンデーション・シリーズ的なミステリー要素の濃い展開で、第一部を凌ぐスケールで迫る。 宇宙文明を支配するという理論「黒暗森林」が哀しすぎる。

「人間の命が最も重要で、国家と政府はいかなる個人に対しても、死を前提にした任務を強要できない。たしか『銀河英雄伝説』で、ヤン・ウェリーが次のように言ったはずです。『かかっているものは、たかだか国家の存亡だ。個人の自由と権利に比べれば、たいした価値のあるものじゃない』」


三体V 死神永生(2010)/劉 慈欣
三部作怒濤の完結編は、女性技術者が物語の導き役。 前2作同様、卓越したアイディアの数々と緻密な描写によるSF的リアリティ感とともに、本作では時間・空間スケールが全宇宙的に拡大していて目が眩むようだ。さらに驚きの宇宙的純愛も! 三部作中、一番好きだ。



十三の物語(2008)/スティーヴン・ミルハウザー
精緻きわまりない描写で、読み手に幻想的なイメージを喚起させるミルハウザー節は、彼の60代半ばに出されたこの短篇集でも健在です。 宮廷の細密細工師が手がける見えない王国、屋根裏部屋に引きこもる少女との闇のゲーム、失踪の痕跡を全く残さず消えた女性など。

「本の目的は、人を世界の外へ連れ出すことだ」と彼は言った。 僕にとって本はそれとは違う、本は僕の前に立ちはだかっているものを乗り越える助けになってくれるんだ、と僕は言い返したが、・・・  


フランス組曲(2004)/イレーヌ・ネミロフスキー
アウシュビッツで没した作者の遺作で、死後60年以上を経て出版され世界的ベストセラーとなった。 第二次大戦中、ドイツ軍侵攻のパリから脱出する人々、占領下の田舎町の住民とドイツ軍兵士の交流を描いた2部構成の大作で、文学的香気を持った傑作です。
この小説が戦争のさなかに書かれていた当時、ドイツの敗戦とフランスの解放はまだ見えていなかった。 作者の立場を考えると、フランス、ドイツのどちらにも偏らない客観性を保った描写は驚きです。 彼女の抱く無常感、諦念とともに作家としての透徹したまなざしを感じました。翻訳もとてもよかった。
小説「フランス組曲」を読むきっかけのひとつは、バッハのフランス組曲第1番アルマンドの復活レッスン中だったことだけど、本文中にはバッハの曲集への言及はありませんでした。 グールド他、数あるこの曲集の録音の中でも、ニコラーエワによる気品のある演奏がお手本です。"


ジュリエット(2004)/アリス・マンロー
ノーベル賞作家のマンローが73歳の時の短篇小説集で、彼女の傑出した物語構築力、描写力は本作でも健在だった。 8篇中3篇がジュリエットの半生を辿った三部作で、サスペンス風味の「罪」「トリック」や透視能力者の女性を描いた「パワー」も印象深かった。



ミッツ(1998)/シークリット・ヌーネス
ミッツはウルフ夫妻のペットだった雌のマーモセット(小型の猿)で、本作はウルフの信奉者である筆者が日記や書簡などの資料を元に、ミッツが夫婦の元で暮らした4年間を再現した小説です。 50代のヴァージニアと夫レナードの日常生活や執筆の様子の描写など興味深いです。

ヴァージニアは自分とミッツがいかに多くの共通点を持っているか冗談めかして語ったが、彼女の冗談は真実をついていた。神経質で繊細でびくびくしている二人の女性、両者は互いに、たゆみない好奇心を抱き合っていた。両者はともに、レナードに恋していた。


めぐりあう時間たち(1998)/マイケル・カニンガム
ピューリッツァー賞受賞作。 「ダロウェイ夫人」執筆中のウルフ、1949年のロサンゼルスで「ダロウェイ夫人」を読む若い主婦ローラ、現代のニューヨークで"ダロウェイ夫人"のニックネームを持つクラリッサ、時代を隔てた三人の女性が織りなす一日の時間を描いた傑作。

わたしたちはわたしたちの人生を生きるのだ、・・・ 慰めになるのはただ ― 思いもかけず、あらゆる予想を裏切って、わたしたちの人生がはじけるように開かれ、それまでに思い描いていたことすべてをわたしたちに与えてくれると思われる一時間が、ここに、或いはそこにあること。


海の上のピアニスト(1994)/アレッサンド・バリッコ
1900年に欧米航路の豪華客船で生まれ、一度も船を降りたことのない天才ピアニストの物語。 32年間も船にいた彼が、ある日突然ニューヨークで船から降りると言い出す。 一人芝居の脚本として書かれ、海外では数多く上演されているそうだ。舞台版も観てみたい。

さあ、わかっておくれ、友よ。わかっておくれ、できることなら/ 目に映る、あの広大な世界/ 恐ろしいほどの美しさ/ あまりに美しすぎて/ こわくなり、引き返しちまった/ また船の中に。そして、二度とは降りまい


マチルダはちいさな大天才(1988)/ロアルド・ダール
4歳で図書館の本を読みまくっていたマチルダが、超能力も駆使してダメ親や小学校の暴君女校長にお仕置きをする痛快ストーリー。 ダールの児童書では「チョコレート工場の秘密」と並ぶ傑作で、どちらもダール的な毒やシュールさがあって大人も楽しめます。
マチルダの愛読書はディケンズで、他に「ジェーン・エア」「高慢と偏見」「テス」「老人と海」「響きと怒り」「怒りの葡萄」「動物農場」なども読んでいる。子供向けでは「ナルニア国物語」やトールキンがよかったけど、面白さに欠けていると言っていて、これはダール自身が抱いた思いなのだろう。
"I liked The Lion, the Witch and the Wardrobe. I think Mr C.S.Lewis is a very good writer. But he has one failing. There are no funny bits in his books. There aren't many funny bits in Mr Tolkien either." Matilda said.


薔薇の名前(1980)/ウンベルト・エーコ
記号論学者エーコの処女長編小説 14世紀、北イタリアの修道院を訪れたベテラン修道士と若い見習い修道士が遭遇する連続殺人の謎を追った7日間 黙示録、迷宮図書館、神学論争、異端審問、禁断の書物・・・、碩学のエーコが創出した言葉の伽藍を彷徨いながら中世に浸った。

なぜならこれは、惨めな日常身辺の些事を取り扱う物語ではなく、あくまでも数々の書物の物語であって、(中略)、私たちはあの一句を唱えたくなるであろうから。「あらゆるもののうちに安らぎを求めたが、どこにも見出せなかった。ただ片隅で書物と共にいるときを除いては」


ジュリアとバズーカ(1970)/アンナ・カヴァン
著者の没後に出された短篇集で、幻想的な小品や私小説的な小篇など15編を収録。 ヘロイン常習者だったカヴァンの生涯は、深い孤独を抱えたジュリアのようにバズーカ(注射器)が不可欠だった。 「氷」に通ずるモノクローム、静謐な文章に惹かれます。

わたしが望むことといえば、ぐっすり眠ったままでいられるように、すべてのことが前と変わらぬままで進行すること、ただ虚空にあいた穴のような存在になること。ここでだろうがどこだろうが、可能な限り長く ― 望むらくは永久に ― 存在しないことだ。 「霧」
All I wanted then was for everything to go on as before, so that I could stay deeply asleep, and be no more than a hole in space, not here or anywhere at all, for as long as possible, preferably for ever.

氷(1967)/アンナ・カヴァン
世界は戦争と氷結化により破滅へと向かい、""私""は愛する少女を追って彷徨う。 白銀の髪を持つ少女はまさに雪の結晶のよう。 カフカ「城」「審判」、バラード「結晶世界」を想起させ、境目のない現実と妄想、終末感とともに氷雪による浸食のイメージが鮮烈な名作です。

氷は海にも山にも妨げられることなく、日一日と地球の曲面をひそやかに這い進んでくる。急ぎもせず、足踏みすることもなく、着実なペースで少しづつ前進し、わずかな痕跡も残さずに町々を消滅させ、燃えたぎる溶岩を噴出していた噴火口を埋めていく。


旱魃(かんばつ)世界(1965)/J.G.バラード
破滅三部作と呼ばれる「沈んだ世界」「結晶世界」と並ぶ「燃える世界」の完全版で、今年本邦初訳されました。 旱魃により崩壊していく世界で水を求めて海へ向かう人々を描いていて、終末感、退嬰感が濃厚でシュールなバラード美学に久しぶりに浸りました。

もし誰も書かなければ、わたしが書くつもりでいるのだが、最初の真のSF小説とは、健忘症の男が浜辺に寝ころび、錆びた自転車の車輪をながめながら、自分とそれとの関係のなかにある絶対的な本質をつかもうとする、そんな話になるはずだ。
J.G.バラード


ハプワース16、1924年(1965)/J.D.サリンジャー
本国では雑誌掲載のみだった9篇を収録 著者が発表した最後の作品「ハプワース」は、グラース家の長兄シーモアが7歳のとき家族に書いた手紙で、シーモアの超絶異能ぶりに唖然。 「ライ麦畑」以前に発表されたホールデンがらみの短篇6篇もファンには貴重。
シーモア少年は、プルーストを原書で読む恐るべき読書家だけど、ジェイン・オースティンを ”この比類なき天才女性作家”、”ぼくの大好きな天才女性” と手放しで賞賛しているのは、同じオースティン・ファンとしてうれしかった。 そのほか、ディケンズを”尊敬”、ブロンテ姉妹は ”魅力的”と書いています。


バベットの晩餐会(1958)/イサク・ディーネセン
映画『愛と哀しみの果て』(1985)の原作の記録文学「アフリカの日々」の著者による中篇 北欧の田舎町で暮らす姉妹の家にバベットが家政婦として雇われてから14年後、彼女の手料理による晩餐会が開かれる。 物語作家としての著者の本領が発揮された作品です。

「わたしはすぐれた芸術家なのです。すぐれた芸術家が貧しくなることなどないのです。すぐれた芸術家というものは、みなさんにはどうしてもお分かりいただけないものを持っているのです」


路上(オン・ザ・ロード)(1957)/ジャック・ケルアック
作家のサルは、友人のディーンと猛スピードで幾度もアメリカを横断、さらには南下してメキシコに至る。 自伝的小説で、ギンズバーグ、バロウズも仮名で登場。 再読し、今回も心揺さぶられた。 読み進むにつれ、ディーンの過剰さが切なく思えてくる。



ゴドーを待ちながら(1952)/サミュエル・ベケット
映画「ドライブ・マイ・カー」に「ゴドーを待ちながら」の舞台シーンが出てきて懐かしかった。 劇作家ベケットの代表作 その不条理性ゆえ、当初観客に受け入れられなかったのも理解できます。 一本の木が立つ田舎道で2人の浮浪者が、ゴドーをただ待ち続ける。

われわれが現在ここで何をなすべきか、考えねばならないのは、それだ。だが、さいわいなことに、われわれはそれを知っている。そうだ、この広大なる渾沌の中で明らかなことはただ一つ、すなわち、われわれはゴドーの来るのを待っているということだ。 そりゃそうだ。


キャッチャー・イン・ザ・ライ(1951)/J.D.サリンジャー 村上春樹訳
春樹訳で読むのは初めてだけど、やはり名作だ。 名門高校を退学処分となったホールデン少年が寮を飛び出して3日間余りの彷徨を描いています。 あらゆる欺瞞への拒否反応を示す彼が唯一心を許す妹のフィービーと会話する場面が好き。

何千人もの子どもたちがいるんだけど、ほかには誰もいない。(中略) で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうな子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。(中略) ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。
Thousands of little kids, and nobody's around - nobody big, I mean - except me. And I'm standing on the edge of some crazy cliff. What I have to do, I have to catch everybody if they start to go over the cliff -(中略)I'd just be the catcher in the rye and all.


十日間の不思議(1948)/エラリー・クイーン
架空の町ライツヴィルを舞台にした3作目で、今年出された新訳版です。 旧友に頼まれ町に赴いたエラリーが事件に遭遇。 中期の特徴である人間の心理面に重きが置かれていて、とてもよかった。 1作目の最高傑作「災厄の町」も新訳で読み返すつもりです。



災厄の町(1942)/エラリイ・クイーン
架空の地方都市ライツヴィルを舞台とする第1作で、名家を襲う災厄を未然に防ごうとするエラリイだったが・・ 再読。感銘を受けた記憶が蘇った。 本格推理の国名シリーズとは趣が異なり、事件に潜む人間ドラマと共に、エラリイの人間的な側面も描かれています。



アフリカの日々(1937)/イサク・ディネセン
デンマーク人の著者がアフリカ高地でコーヒー農園を経営した17年間を回想し、広大な自然と大地、そこで暮らす人々への熱い思いを綴った記録文学の名作。 今回再読して、農園との別れの日までの感動的なエピソードの数々と、その語り口のうまさに改めて脱帽した。

アフリカ高地の上空にあがると、雄大な景観がひろがる。光と色のおどろくべき調和と変化、日に照らされた緑の大地にかかる虹、高くそびえたつ巨大な雲の峰と荒れ狂う黒い嵐が、身のまわりを駆けすぎ、踊りまわる。

美しき仔鹿のルル登場: あのときのルルはやっと猫くらいの大きさで、静かで大きな紫色の眼をしていた。脚はあまりにも優雅に細いので、立ち座りするたびに、あんなに折りまげてもまた伸ばすことができるのだろうかとあやぶんだものだ。耳は絹のようで、このうえない表現力があった。

Lulu by that time was only as big as a cat, with large quiet purple eyes. She had such delicate legs that you feared they would not bear being folded up and unfolded again, as she lay down and rose up. Her ears were smooth as silk and exceedingly expressive.


波(1931)/ヴァージニア・ウルフ
子供時代を共有した男女各3人の幼年から老年までの独白と、夜明けから日没までの波の情景描写が交互に配置され、実験的かつ高い緊張度を持った詩的な文章で、ウルフ文学の極北とされる小説。 6人の中では、内気で繊細なロウダがウルフ自身に近い人物造形のようだ。

だけど、心の壁が薄くなる瞬間があるわ。いかなるものも吸い込まれずにはおかない瞬間が。私たちが、太陽も昇り沈みできるほどの、大きなしゃぼん玉をふくらませ、真昼の青さと真夜中の漆黒を身に帯びて、投げ放たれ、この場から、現在(いま)から、逃れていけそうに見える瞬間が。(ロウダの独白)

福永武彦は、大学生の頃からヴァージニア・ウルフに心酔し、処女長編「風土」の構想ノートには、ウルフの「波」により長く中断していた「風土」への情熱を甦らされたと綴っています。 "ヴァジニアウルフの「波」を讀みてわが「風土」への熱は著しく亢まりたり" 福永武彦電子全集2『小説風土』解題"

フランス文学科に籍を置いていたにも拘らず、私が最も憧れていた小説家はジェームズ・ジョイス、ヴァージニア・ウルフ、そしてウィリアム・フォークナーの三人だった。 大学を出てから小説を書き始めてみると、この三人の影響は私の中に深く沁み込んでいたようである。
福永武彦


自分だけの部屋(1929)/ヴァージニア・ウルフ
講演「女性と小説」の草稿を自身でまとめたもので、主旨は女性の創造活動に経済的自立と精神的独立が不可欠ということ。 ウルフが高く評価する作家としてジェイン・オースティン、エミリ・ブロンテと共にシェイクスピアを挙げているのが興味深かった。
ウルフはシェイクスピアを男女の精神を均等に用いていた両性具備の作家だったとしている。

自分の作品を完全に表現した人間が誰かいるとすれば、それはシェイクスピアでしょう。もし白熱光を発し、妨げるもののない精神があるとすれば、それはシェイクスピアの精神でしょう。


ダロウェイ夫人(1925)/ヴァージニア・ウルフ
"意識の流れ"の手法による代表作。 再読した印象は以前HPに記したのと同様だけど、今回はウルフ自身が登場する小説「めぐりあう時間たち」(再読)と「ミッツ」を続けて読み、彼女がずっと近しく感じられました。

なぜこれほど生を愛し、生を見つめたがるのか、誰も知らない。人生を紡ぎ出し、築き上げ、でも一瞬ごとに壊して新しく作りなおす。 みな生きることを愛してやまない。人々の眼差しに、その足取りの軽さ、重さ、心細さに、わたしの愛するものがある。


愛の砂漠(1925)/モーリアック 遠藤周作 訳
堀江敏幸さんのエッセイに誘われて読んだフランス文学の名作。 18歳の若者と高名な医師である彼の父が、町の有力者の愛人、マリアを愛してしまう。 繊細な心理描写が印象深かった。 父と息子、二人が抱く愛の渇望、心の葛藤に深く共感した。



城(1922・未完)/フランツ・カフカ
城から仕事を依頼された測量師のKが村に到着するが、城にたどり着けない。 Kは理不尽な状況に翻弄されるが、彼自身も結構いい加減なので、悲壮感より滑稽さが上回る。 登場人物たちの饒舌に辟易しつつ、"城"世界の不条理さ加減が我々の現実とかけ離れていない気がした。



ピーター・パンとウェンディ(1911)/ジェームズ・バリー
注釈付の本編に作者バリーの伝記、作品解説など盛りだくさんの充実本。 ディズニー・アニメを観て原作を知った気になっていたけど、原作は別次元の面白さだ。 "ピーターやティンカーベル、海賊フックの造形や物語と作者の生涯の関連など興味深かった。

子どもたちはみんな大人になります。おとなにならないのはひとりだけ。そのうちに子どもは、自分もいつか大人になることを知ります。 「ふたつ目の横丁を右。それから朝までまっすぐ」 ピーターが前にウェンディに教えた住所は、ネバーランドへ行く道でした。


秘密の花園(1909)/バーネット
両親が急死し、10歳のメアリはヨークシャーの屋敷に住む伯父の元に引きとられる。 秘密の花園の存在と屋敷の中で聞こえる泣き声に気づいた彼女は探索を開始。 児童文学の中でとくに好きな小説です。 可愛げなく誰にも媚びないメアリのキャラと自然描写が魅力です。

秘密の花園で、病弱なコリンが唱える自作の魔法の言葉; 太陽が輝いている―太陽が輝いている。これは魔法だ。花が育つ―根が動いている。魔法だ。生きていることが魔法だ―丈夫であることが魔法だ。魔法はぼくの中にある―魔法はぼくの中にある。ぼくの中に―ぼくの中にある。魔法はみなの中にある。
The sun is shining--the sun is shining. That is the Magic. The flowers are growing--the roots are stirring. That is the Magic. Being alive is the Magic--being strong is the Magic. The Magic is in me--the Magic is in me. It is in me--it is in me. It's in every one of us.


無垢の歌(1789)/ウィリアム・ブレイク
池澤夏樹・春菜父娘による訳詩集。童心の幸福感を歌った「無垢の歌」全19篇が春菜訳、無垢が失われた現実を歌った「経験の歌」より3篇が夏樹訳。 春菜さんの訳詩は柔らかで優しい。 春菜さんの詩心は、父、祖父(福永武彦)、祖母(原條あき子)という詩人の血脈を継いでいるのだろう。

笛を吹きながら丘をくだろう 心躍る歌を吹きながら 雲のすきまから、小さな子が見てる そんで笑ってぼくに言うんだ
「無垢の歌」より"はじめに"冒頭句・池澤春菜 訳
Piping down the valleys wild, Piping songs of pleasant glee, On a cloud I saw a child, And he laughing said to me:


みずうみ(1851)/シュトルム
互いに惹かれ合っていた幼なじみとの初恋、大人になってからの再会を叙情的で抑制のきいた筆致で描いた短篇で、繊細な自然の描写も印象深い。 シュトルムはドイツの作家ですが、大好きなオーストリアの作家、シュティフターの作品を久しぶりに読み返したくなりました。



カフカ短篇集 池内紀 編訳
数ページの掌編から50ページほどの中篇まで20篇を収録 池内さんのエッセイ「となりのカフカ」に触発され再読。 カフカが機械好き、新しもの好きだったことなどを知ると、「流刑地にて」他を新たな観点で読めたりします。 “私は橋だった”という変身ものの掌編には笑った。



白夜(1848)/ドストエフスキー
副題の「感傷的な小説(ある夢想家の思い出より)」が、この中篇を端的に表しているようです。 ペテルブルグの夜を舞台に、ロマンチストの青年と少女の出会いと純愛を描いた初期の作品で、”らしくない” (?)ドストエフスキーと出会えます。

僕は夢想家なんです。僕には現実の生活というものがわずかしかないので、今のようなこういう瞬間は極めて稀だと思います。だからこういう一瞬一瞬のことを夢想の中で何度も繰り返さずにはいられないんですよ。僕はあなたのことを一晩じゅう、丸々一週間、丸々一年間だって夢想し続けるでしょう。

ドストエフスキーは、最も熱心に読んだのだろうね。 ドストエフスキーの作品を読むと、時間という問題にしても、それまでの小説家とはまるで違った時間が流れていることに気がつく。つまり文学的時間というものは、もうドストエフスキー的な時間以外には考えられないんだね。
対談集より/福永武彦


わたしは誰でもない エミリ・ディキンスンの小さな詩集(2021)川名 澄 編訳
ディキンスンは19世紀アメリカの詩人 本書は彼女の1800篇近い詩からごく短い80篇を選び、見開きページに訳詩と原文を掲載 詩の主題はバラエティに富んでいて、生前はほとんど知られなかった詩人の心の軌跡が窺えます。

ひとつの心がこわれるのを止められるなら わたしが生きることは無駄ではない ひとつのいのちのうずきを軽くできるなら ひとつの痛みを鎮められるなら 弱っている一羽の駒鳥を もういちど巣に戻してやれるなら わたしが生きることは無駄ではない
If I can stop one Heart from breaking I shall not live in vain If I can ease Life the Aching Or cool one Pain Or help one fainting Robin Undo his Nest again I shall not live in vain


対訳 ディキンソン詩集 亀井俊介 訳
詩人はランプに火をともすだけ ー みずからは ー 消えていく ー 詩人は芯をかき立てる ー もし生命(いのち)の光が 太陽さながら、そこに宿るなら ー それぞれの時代はレンズとなって 押しひろげます 円周を ー
The Poets light but Lamps ― Themselves ― go out ― The Wicks they stimulate ― If vital Light Inhere as do the Suns ― Each Age a Lens Disseminating their Circumference


ワーニャ伯父さん(1899)/チェーホフ
退職した老教授が若い後妻を連れて、先妻との間の娘ソーニャと先妻の兄ワーニャが暮す田舎に帰郷する。 各々の思いが絡み合い展開するドラマ作りの巧さに感心した。 騒動の後、ソーニャは失意のワーニャを慰める; でも、仕方がないわ、生きていかなければ!



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