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1. 著者が語った1Q84の創作意図 |
1)エルサレム賞受賞スピーチ('09年2/15)
- 【創作意図A】
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私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。
2)BOOK1、BOOK2出版後のインタビュー(読売新聞 '09年6/16〜6/18掲載)より
- 【創作意図B】
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オウム事件は現代社会における「倫理」とは何かという、大きな問題をわれわれに突きつけた。
絶対に正しい意見、行動はこれだと、社会的倫理を一面的にとらえるのが非常に困難な時代だ。罪を犯す人と犯さない人とを隔てる壁は我々が考えているより薄い。仮説の中に現実があり、現実の中に仮説がある。体制の中に反体制があり、反体制の中に体制がある。そのような現代社会のシステム全体を小説にしたかった。
- 【創作意図C】
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この時代の世相全体を立体的に描く僕なりの「総合小説」を書きたかった。純文学というジャンルを超えて、様々なアプローチをとり、たくさん引き出しを確保して、今ある時代の空気の中に、人間の生命を埋め込めればと思った。
- 【創作意図D】
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10歳で出会って離れ離れになった30歳の男女が、互いを探し求める話にしよう、そんな単純な話をできるだけ長く複雑にしてやろうと。2006年に書き始めた時点で頭にあったのはそれだけ。
3)BOOK3発表時のインタビュー(毎日新聞 '09年9/17掲載)より
- 【創作意図E】
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僕が本当に描きたいのは物語の持つ善き力です。オウムのように閉じられた狭いサークルの中で人々を呪縛するのは物語の悪しき力です。それは人々を引き込み、間違った方向に導いてしまう。小説家がやろうとしているのは、もっと広い意味での物語を人々に提供し、その中で精神的な揺さぶりをかけることです。何が間違いなのかを示すことです。僕はそうした物語の善き力を信じている。
- 【創作意図F】
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僕が長い小説を書きたいのは物語の環を大きくし、少しでも多くの人に働きかけたいからです。はっきり言えば、原理主義やリージョナリズムに対抗できるだけの物語を書かなければいけないと思います。それにはまず「リトル・ピープルとは何か」を見定めなくてはならない。それが僕のやっている作業です。
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2.検証 |
【創作意図A】個々の精神が持つ威厳さを表出し光を当てる
- 天吾、青豆、そしてBOOK3では牛河の過去・現在の描写を通して、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの要素を持った小説を書くという目的、さらにはその結果として、二人の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てるという目的は達成されていると考えます。
【創作意図B】現代社会における倫理とシステム全体を描く
- 「1Q84」で提示され、物語に深く関わっている主要なシステムとして以下が挙げられます。
・『さきがけ』:深田父娘、リトル・ピープル、坊主頭とポニーテール、牛河
・NHK :川奈父子
・『証人会』 :青豆と家族
・柳屋敷 :老婦人、タマル、青豆
・出版社 :小松、天吾
・療養所 :天吾の父、安達クミ他の看護師
・1Q84世界全体
オウム事件が「1Q84」執筆の直接の契機となったことは間違いなく、本書における『さきがけ』は物語を推進させる最も重要な因子ですが、創作意図にある「システム全体」とは、『さきがけ』にとどまらず、それを含む1Q84世界全体を指し示していると考えられます。
世界(システム)における倫理の問題について『さきがけ』のリーダーが青豆に語った言葉を以下に示します。
この世には絶対的な善もなければ、絶対的な悪もない。善悪とは静止し固定されたものではなく、常に場所や立場を入れ替え続けるものだ。ひとつの善は次の瞬間には悪に転換するかもしれない。逆もある。ドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」の中で描いたのもそのような世界の有様だ。重要なのは、動き回る善と悪とのバランスを維持しておくことだ。どちらかに傾き過ぎると、現実のモラルを維持することがむずかしくなる。そう、均衡そのものが善なのだ。(BOOK2 p244)
ここで提示された命題が「1Q84」全体の主要なテーマではないかと考えていますが、命題に対応する具体的な事象についての記述が「1Q84」全体を通じて十分にはなされていないのではないかと思います。 たとえば、リトル・ピープルが善悪を超越した存在であるとしても、彼らや彼らがコントロールする『さきがけ』の善なり悪なりが具体的な形として描かれていない印象を受けます。
【創作意図C】世相全体を立体的に描いた総合小説
- 検討に当たって、村上さんの考える「総合小説」とは何かを見極める必要があります。
以下は柴田さんの東大での翻訳の講義に村上さんがゲストとして招かれた際の発言です。
僕が「カラマーゾフの兄弟」みたいな小説を書きたいと言ったのは、一種の総合小説、19世紀的な総合小説という文脈で言っています。総合小説は何かというと、定義が難しいんですが、いろいろな世界観、いろいろなパースペクティブをひとつの中に詰め込んでそれらを絡み合わせることによって、何か新しい世界観が浮かび上がってくる、それが総合小説だと僕は考えています。ということは、パースペクティブをいくつか分けるためには、人称の変化というのはどうしても必要になってくるんですね。 「翻訳教室」(2006)/柴田元幸
パースペクティブ(perspective)とは、視点、(物の)見方の意味です。村上さんは、総合小説の典型として「カラマーゾフの兄弟」を念頭に置いていたようです。創作意図Bで引用したリーダーの言葉の内容とも関連し、総合小説という見地から「1Q84」は、「カラマーゾフの兄弟」の高みに向かっての途上にあると考えられます。
【創作意図D】青豆と天吾が互いを探し求める
- 青豆と天吾の純愛はBOOK3において完璧に成就し、恋愛小説として文句なしに完結しました。たとえ当初の計画通りBOOK2で完結し、二人の再会が疑問符のままだったとしても、"互いを探し求める"という創作意図は十分提示されたと言えます。
【創作意図E】物語の持つ善き力により読者の精神を揺さぶる
- 読者の精神を揺さぶる善き力を持った物語の典型として提示されたのが作中で引用された「平家物語」、「アフリカの日々」、「サハリン島」などであり、ドストエフスキー、ディッケンズ、プルーストなどであると思います。さらに1Q84世界での「空気さなぎ」であり、さらに「1Q84」をそこに加えることができると思います。
【創作意図F】「リトル・ピープルとは何か」を見定めなくてはならない
- 村上さんは、BOOK3では牛河を探偵役として物語の前面に出し、第三者の視点で錯綜した物語の整理・収束を図ったのではないかと考えられますが、彼を橋渡しとして天吾と青豆の再会を果たせたものの、「リトル・ピープルとは何か」に結びつく新たな事実は開示されていないと思います。
リトル・ピープルがどういうものか、善か悪か、それは分らないけれど、それはある場合には悪しき物語を作り出す力を持つものです。深い森の中にいるリトル・ピープルは善悪を超えていると思うけれども、森から出てきて人々にかかわることによって、ある場合には負のパワーを持つのかもしれません。 毎日新聞インタビュー '09年9/17掲載
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3.まとめ |
- 検証のまとめ
結果として、現代社会における倫理とシステム全体を描くという創作意図に対し、命題は提示されていますが、読者を納得させる具体的な事実として十分に表現されていないのではないかという印象を受けました。さらに、物語全体の鍵を握るリトル・ピープルについては観念が先行し、彼らの真のパワーが最後まで発揮されずにいるということが、新たな深い森への物語を要請する根拠となるのではないかと思います。 検討結果を表にまとめてみました。評価はあくまで主観的なものです。
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創作
意図 |
要点 |
BOOK1
BOOK2
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BOOK3 |
全体の
完結度 |
A |
個々の精神が持つ威厳さを表出し光を当てる |
◎ |
○ |
◎ |
B |
現代社会における倫理とシステム全体を描く |
△ |
△ |
△ |
C |
世相全体を立体的に描いた総合小説 |
○ |
△ |
○ |
D |
青豆と天吾が互いを探し求める |
◎ |
◎ |
◎ |
E |
物語の持つ善き力により読者の精神を揺さぶる |
◎ |
◎ |
◎ |
F |
「リトル・ピープルとは何か」を見定める |
△ |
△ |
△ |
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◎:意図が十分達成されている ○:まあまあ △:やや不十分
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- さらに深い物語の森には何があるのか
- 以上の検討から、物語が継承される余地は十分残されていると判断されます。さらに、継承される物語ではシステムあるいはリトル・ピープルが象徴するものがもたらす負(あるいは正)の側面の具体的な事象の提示と、彼らの本質に対する見解(あるいはその暗示)が示されるのではないかと考えられます。
BOOK3までの事実関係から、継承される新たな物語の前提条件として以下が想定されます。
- 青豆が宿した子は、ふかえり同様、パシヴァの能力を持った女の子である。
:天吾が療養所で見た空気さなぎの中の10歳の青豆は、実は10年後の青豆の娘のドウタではなかったか。
- 天吾はリーダー同様、レシヴァとしての能力を有する。
:父の言葉「あんたの母親は空白と交わってあんたを産んだ」(BOOK2
p183)を文字通り解釈すると、天吾は青豆の子と同じ様に、一種の処女懐胎により産まれた可能性を示唆していると考えられます。
- 二人が脱出した世界は、現実の1984世界ではなかった。
:看板のエッソ・タイガーの向きが元の1984世界とは逆になっていた。
- 天吾の書きかけの小説が新たな世界においても重要な役割を果たす。
:ふかえりが天吾に送ったメッセージ「リトル・ピープルから害を受けないでいるにはリトル・ピープルの持たないものを見つけなくてはならない」(BOOK1
p536)とは天吾の小説(物語)を示しているのではないか。
また、この物語が、「カラマーゾフの兄弟」や「失われた時を求めて」に倣(なら)い、村上さんのライフワークとなる大長編の総合小説へと発展する可能性も大いにあり得ると思います。そうした観点から見ると、BOOK3は読者への説明責任を果たすためだけでなく、著者がさらに深い物語の森に踏み込むにあたり、物語へのスタンスを自分自身に明確にするために必要な準備作業としての側面もあったのではないかと考えられます。
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