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Anton Chekhov(1860 - 1904 )
アントン・チェーホフ
 

南ロシアの港町タガンローグに生まれた。厳格で狂信的な父親の下で苛酷な少年時代を送り、1879年にモスクワ大学医学部に入学した。在学の時からユーモア雑誌などに短篇を発表し家計を助けた。卒業の年に(24歳)最初の短篇集を出版し、27歳の時に最初の戯曲「イワーノフ」が初演された。作家活動と開業医を両立させ、戯曲の代表作品は晩年に執筆された。持病の肺結核で44歳で死亡。

 
町に出て時間が余ったら書店で本を一冊買い、その店に入ってちびちびと白いワインを舐めながらページを綴る。こういうのってすごく贅沢で気分の良いものである。チェーホフなんか読んでいると、情景的にすごく似合いそうである。
「ランゲルハンス島の午後」/ 村上春樹

「僕はただ真摯な気持で観客にこう言いたいだけなのだよ。『自分のことを考えてご覧なさい。生きるということが、どんなに大変で、退屈なことかが分ってもらえるでしょう』と。人びとがそれを理解したら、きっとこれまでと違った、よりよい生活を営むようになるでしょう。」
/ チェーホフの手紙より

 

1.The Cherry Orchard/桜の園(1903)
難易度:☆☆(『かもめ』、『三人姉妹』、『桜の園』、『ワーニャ伯父さん』他の戯曲(英訳)を収録)

 チェーホフ最後の戯曲。ラネーフスカヤ夫人が娘のアーニャとともにパリから領地の桜の園の屋敷に、屋敷を競売にかけるため戻って来る。没落貴族である夫人や、兄のガーエフは、自らの窮状を受容しているようで、農奴の息子で今は成金となっているロパーヒンの建設的な提案にも耳を貸さず、結局屋敷は競売に付され、領地の桜の木が切り倒される音が聞こえる中、彼らが屋敷を出て行くところで劇は終わっています。競売に競り勝ったのが、ロパーヒンであることが判明する場面から;

RANYEVSKAIA : [agitated] Well, what happened? Was there an auction? Speak, tell me!
LOPAKHIN : [embarrassed, fearing to betray his joy] The auction was over by four o'clock. ... We missed our train and had to wait until half-past nine. [With a deep sigh.] Ugh! My head's going round. ...
[Enter GAYEV; he carries some parcels in his right hand and wipes away his tears with his left.]
RANYEVSKAIA : Lionia, what happened? Well, Lionia? [Impatiently, with tears.] Tell me quickly, for God's sake! ...
GAYEV : [does not reply, but waves his hand at her, To FEERS, weeping] Here, take this ... it's some anchovies and Kerch herrings. ... I've had nothing to eat all day. ... What I've been through!
[Through the open door leading to the billiard room comes the sound of billiard balls in play and YASHA's voice saying : 'Seven and eighteen'. GAYEV's expression changes and he stops crying.]
 I'm dreadfully tired. Come, Feers, I want to change. [Goes and through the ballroom, FEERS following.]
PISHCHIK : What happened at the auction? Come, do tell us!
RANYEVSKAIA : Has the cherry orchard been sold?
LOPAKHIN : It has.
RANYEVSKAIA : Who bought it?
LOPAKHIN : I did.
                  [A pause.]
[RANYEVSKAIA is overcome; only the fact that she is standing beside a table and a chair prevents her from falling. VARIA takes a bundle of keys off her belt, throws them on the floor in the middle of the drawing-room and walks out.]
(FEERS : 老召使い VARIA : ラネーフスカヤ夫人の養女 YASHA : 若い召使い)

 チェーホフ晩年(といってもまだ43歳)のこの作品では事件というほどのイベントは競売くらいしか起こらないし、恋愛が破綻したり成就する訳でもなく、大団円を迎えることなく幕が下ります。言い換えればドストエフスキイ的な人物やトルストイ的な認識を持った人間が登場しません。にもかかわらず、見終わった後で、人間に対する認識が深まったように感じられるのがチェーホフ劇の魅力なのかも知れません。


(コミック・映画)桜の園

 吉田秋生の傑作コミックは、チェーホフの戯曲そのもののコミック版ではありません。舞台は桜に囲まれた女子高、桜華学園で、この学校では毎年桜の咲く時期の学校の創立祭に演劇部が『桜の園』を上演するのが伝統になっていた。このコミックでは、開幕のベルが鳴るまでの数日間の演劇部の生徒達の多感な青春模様を描いています。彼女達の日常も、『桜の園』の舞台同様、日常のささいな出来事の蓄積であるけど、そんな日常を通して彼女らのみずみずしい感性が伝わってきます。吉田さんの卓越した感性と、タッチの美しさが調和した作品です。

 '90年の中原俊監督による映画化作品は、キネマ旬報のベスト1を始めとして、この年の映画各賞を総なめにした優れた作品で、勿論吉田秋生さんの原作の良さによる面が大きいと思いますが、原作の持つ雰囲気を生かしながら集団劇であるこの作品をだれずにまとめた中原演出と、中島ひろ子、つみきみほ、白鳥靖代らの好演が光っています。個人的には、つみきみほが演じた杉山紀子のちょっと醒めたキャラクターが印象的でした。



2.Three Sisters/三人姉妹(1901)
難易度:☆☆(『かもめ』、『三人姉妹』、『桜の園』、『ワーニャ伯父さん』他の戯曲(英訳)を収録)

 中心人物である三姉妹は、今は亡き将軍の娘達で、長女オリガ(教師、独身)、次女マーシャ(教師である夫クルイギンとの結婚生活に幻滅感を抱いている)、末娘イリーナ(20歳、郵便局勤務、独身)で、彼らには兄弟であるアンドレイ(家族からは、中央の学者になることを嘱望されていたが、大成しなかった)がいる。
 彼女らは、地方での生活に倦怠感を抱いていて、以前暮らしていたモスクワでの生活を夢見ている。そんなおり、この町に軍隊が駐留し、沈滞した日常にも変化が訪れる。マーシャの不倫、イリーナの婚約、アンドレイの結婚と妻のナターシャの変貌などの出来事が起こるが、やがて軍隊が引き上げる時には、以前にも増して状況は悪くなっている。劇のラスト近く、去っていく軍楽隊を見送りながら、姉妹は、それでも未来への希望を捨てずに前向きに生きていこうとする。

MASHA : Oh, listen to that band! They're leaving us ... one of them's gone for good ... for ever! We're left alone ... to start our lives all over again. We must go on living ... we must go on living. ...
IRENA : [puts her head on OLGA's breast]. Some day people will know why such things happen, and what the purpose of all this suffering is. ... Then there won't be any more riddles. ... Meanwhile we must go on living ... and working. Yes, we must just go on working! Tomorrow I'll go away alone and teach in a school somewhere; I'll give my life to people who need it. ... It's autumn now, winter will soon be here, and the snow will cover everything ... but I'll go on working and working! ...
OLGA : [puts her arms round both her sisters]. How cheerfully and jauntily that band's playing - really I feel as if I wanted to live! Merciful God! The years will pass, and we shall all be gone for good and quite forgotten. ... Our faces and our voices will be forgotten and people won't even know that there were once three of us here. ... But our sufferings may mean happiness for the people who come after us. ... There'll be a time when peace and happiness reign in the world, and then we shall be remembered kindly and blessed. No, my dear sisters, life isn't finished for us yet! We're going to live! The band is playing so cheerfully and joyfully - maybe, if we wait a little longer, we shall find out why we live, why we suffer. ... Oh, if we only knew, if only we knew!

 あくまで前向きの姉妹の台詞のすぐあとで、彼女らを生まれた時から知っている医師のチェブトゥキンがつぶやく。「結局おんなじことさ!」 .... 舞台を観ている我々観客も、チェブトゥキン同様、"本当に彼女達の生活が変っていくのだろうか"という疑念をもたさせる幕切れですが、チェーホフ自身どちらの態度を支持するか明確にしていないので、観客ひとりひとりにどう受けとめるかの判断をゆだねられることになります。



(映画)Three Sisters/三人姉妹(1970) 
(監督)Laurence Olivier(ローレンス・オリヴィエ)、 (出演)Olga : Jeanne Watts, Masha : Joan Plowright, Irina : Louise Purnell

 シェイクスピア俳優として著名なローレンス・オリヴィエの監督作品で、かつて"20世紀のシェイクスピアはチェーホフだ"といわれたくらいなので、「ハムレット」や「ヘンリー5世」なども監督しているオリヴィエが、この作品を映画化する必然性はあったものと考えられます。彼自身は医者のチェブトゥキン役で出演しています。戯曲の忠実な映画化で、それも観客の視点がカメラになっただけといった徹底的なものです。従って、チェーホフの原作を理解するのには、格好の映画だと思います。役者は皆達者だし、特に結婚前は臆病な娘であったアンドレイの妻ナターシャが結婚後、徐々に変貌を遂げていく様子が映像化することにより鮮明となるようです。


(舞台)三人姉妹(1999.1.29 世田谷パブリック・シアター)
(演出)松本修、(出演)銀粉蝶、風吹ジュン、喜多島舞

 NHKの"芸術劇場"で放映されたもので、舞台を戦時中の日本の旭川に移しています。そのため細かな点では原作との差異はあるものの違和感はなく、基本的には忠実な舞台化と言っていいと思います。日本を舞台に翻案するのは、芝居が外国の絵空事としてではなく、身近なものとして鑑賞できるので好ましいと思います。
 こういう舞台の中継放送を観るたびに思うのは、やはり実際の劇場で観客として観るのと、TVを通して観るのとでは決定的に違うものがあるということです。芝居は、祝祭空間としての劇場で、役者と観客が一緒になって作り上げるものであって、この一体感がTVで観る場合には、極めて希薄であるということだと思います。このあたりを理解して、劇場中継放送を見ないと、単に"芝居ってつまらない"という感想にとどまり、劇場に足を運ぶという行為にまで、結びついていかないのではという感じがしています。

この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ、
それぞれ舞台に登場してはまた退場していく、
そしてそのあいだに一人一人がさまざまな役を演じる、
 
「お気に召すまま」/ シェイクスピア(小田島雄志 訳)


3.ワーニャ伯父さん(1900)
難易度:☆☆(『かもめ』、『三人姉妹』、『桜の園』、『ワーニャ伯父さん』他の戯曲(英訳)を収録)

 大学を退職した老教授のセラリアコフと若く美しい後妻のエレーナは、先妻の母、その息子のワーニャ、先妻の娘のソーニャが暮す田舎の屋敷に滞在しています。ワーニャ達は、教授の学問の成就のため長年の間、物心両面で多大な援助をし、そのことが彼らの生きがいともなっていました。
 ところが老教授は世事に疎い俗物であることを露呈、そしてワーニャ、ソーニャ、エレーナ、屋敷に出入りしている医師のアストロフはそれぞれ心に癒しがたい倦怠と鬱屈を抱えています。エレーナの夫に対する愛はとうに消え去り、ワーニャとアストロフはエレ-ナを愛していて、一方ソーニャはアストロフをずっと以前から想っていますが告白できずにいます。
 老教授の屋敷を売り払う提案に激怒したワーニャが起こした騒動をきっかけにして、教授夫妻は屋敷を去ることになります。いずれの愛も報われることはなく、夫妻が去ったあと、残された者たちには、いっそう重くのしかかる不毛な倦怠の日々が待ち受けているようですが、それでもソーニャは、「私たちは生きていかなければいけない、長く退屈な日々を忍耐強く生きていきましょうよ」とワーニャらに訴えかけます。

SONIA : Well, what can we do? We must go on living! [A pause.] We shall go on living, Uncle Vania. We shall live through a long, long succession of days and tedious evenings. We shall patiently suffer the trials which Fate imposes on us; we shall work for others, now and in our old age, and we shall have no rest. When our time comes we shall die submissively, and over there, beyond the grave, we shall say that we've suffered, that we've wept, that we've had a bitter life, and God will take pity on us. And then, Uncle dear, we shall both begin to know a life that is bright and beautiful, and lovely. We shall rejoice and look back at these troubles of ours with tender feelings, with a smile ― and we shall have rest. I believe it, Uncle, I believe it fervently, passionately....[Kneels before him and lays her head on his hands, in a tired voice.] We shall have rest!

 ソーニャの台詞は、「三人姉妹」のやはり最後の場面でのマーシャの同じ言葉 " We must go on living ..."に呼応しているようです。
 倦怠と鬱屈を胸の内に抱いた登場人物たちが舞台上を右往左往して、その結果さまざまな事が起こるが、終わってみると舞台上に残された者たちには、やはり以前と変わりない灰色の日々が待ち構えているだけ.... でも生ある限りは耐えて生きていかなければならない。
 結局これが昔も今も共通した人の生の実相なのかもしれないという思いは、年をとってくたびれてくると実感するところだけど、まだ若い人には共感しがたいところなのかもしれません。


(映画)Vanya on the 42nd Street/42丁目のワーニャ(1994)
(監)ルイ・マル (演)ウォーレス・ショーン、ジュリアン・ムーア、ブルック・スミス (音)ジョシュア・レッドマ

 この映画は、1989年演出家のアンドレ・グレゴリーが俳優を集め、ニューヨークの42丁目の廃館となったビクトリー劇場で上演未定のまま断続的に稽古を行っていた『ワーニャ伯父さん』の舞台の通し稽古をルイ・マルが1994年に映画化した作品で、撮影地は42丁目のニュー・アムステルダム劇場。
 この作品がルイ・マルにとって遺作となりました。観客は演出家とごく少数の知人のみで、幕間にはジュースを飲みながら談笑する風景も捉えられています。俳優達がくつろいでいる場面から切れ間なくそのまま劇に入っていく演出などうまいなという感じ。
 俳優はみな達者であり、切れのよい現代的な演出なので、チェーホフ劇を楽しめる人であれば満足できると思うし、チェーホフ劇を観た事のない人にも入門としておすすめです。
 劇の進行中には音楽は一切ありませんが、冒頭の出演者達がニューヨークの街を歩いているシーンとか幕間のシーンなど劇を離れた場面でバックに流れるのはモダンジャズ(ジョシュア・レッドマン、ブラッド・メルドーなどによる演奏)で、ルイ・マルの処女作『死刑台のエレベータ』のバックが、やはりマイルスらの演奏するクール・ジャズだったことを思い合わせて、感慨深いものがあります。


(次回紹介)チェーホフ短篇集

内容(「BOOK」データベースより)
ユーモラスな思春期男女の性の芽ばえ、曲折にとむ恋愛や結婚生活に揺れる微妙な心理を描いたチェーホフの魅力あふれる一冊選集。『芝居がはねて』『かわいいひと』『犬をつれた奥さん』など12篇を読みやすい日本語で贈る。
 

参考Webサイト・主要作品リスト
○ 関連出版リスト: 洋書和書
○ 参考資料
 ・アントン・チェーホフ(Wikipedia)
 ・チェーホフ (岩波新書)/浦 雅春
 ・チェーホフを楽しむために (新潮文庫) /阿刀田 高
 ・チェーホフ伝 (中公文庫)/アンリ・トロワイヤ
 ・チェーホフ、チェーホフ!/桜井 郁子
 ・私のチェーホフ/ 佐々木基一 講談社文芸文庫 
 ・チェーホフの世界/渡辺 聡子
 ・チェーホフの仕事部屋/ 池田健太郎 新潮選書 
 ・兄チェーホフ/ マリア・チェーホフ
 
○ 作品
(Plays/ 戯曲)
・The Seagull/ かもめ(1898)
Uncle Vania/ ワーニャ伯父さん(1900)
Three Sisters/ 三人姉妹(1901)
The Cherry Orchard/ 桜の園(1903)
 
(短篇)
・短篇集
 

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