HOME l  PROFILE l 海外作家国内作家 l ジャズ l ピアノ音楽 l ポップス他 l 現代音楽 l 美術館映画 l 散歩 l 雑記TWITTER
シェイクスピア(2) マクベス/ Macbeth
マクベスは人の命のはかなさを燃える蝋燭(ろうそく)にたとえたのだけれど、命の蝋燭は、ことによると先端部分が太く、下るにしたがってぐっと細くなっているのかもしれない。
東京シック・ブルース』/ 芦原すなお

作品紹介
映画「マクベス」('71・米)
映画「蜘蛛巣城」('57・日)

シェイクスピアTOPへはこちら


Macbeth/マクベス(1605-6)作品紹介

『ハムレット』『リア王』『オセロ』と並ぶシェイクスピア四大悲劇のひとつです。シェイクスピアの作品の中では短い戯曲ですが、そのドラマティックな展開には息つくひまがありません。ヴェルディのオペラ化作品も傑作です。

○あらすじ
スコットランドの勇将マクベスは、荒野で出会った三人の魔女からやがて自分が王になると予言されたことから野望を抱きはじめ、野心家の妻の後押しもあり、ついに主君ダンカン王を自分の城で暗殺する。危険を感じたマルコムとドナルベーンのふたりの王子たちはイングランドとアイルランドに逃亡する。
また、将来のスコットランド王になるのは自分ではなくバンクォーの子孫であるという魔女の予言におびえたマクベスはバンクォーも殺害する。危険を感じた貴族マクダフの逃亡を知ったマクベスは残されたマクダフの妻子をも殺してしまう。
 マクベス夫人は罪の意識から次第に精神を病み死んでしまう。マクベスは、魔女の「マクベスは女の腹から産まれたものの手にかかって死ぬことはない」「バーナムの森が城に向かって動いてこない限りは誰もマクベスを負かせない」という予言を頼りにしていたが、草木でカモフラージュしたイングランド軍に加勢されたマルコムやマクダフに城を攻められ、帝王切開により生まれたマクダフの剣に弊(たお)され、王位はマルコムに継承される。


○見どころ

開幕一番、荒野の場面で3人の魔女が登場し「いいは悪いで、悪いはいい」と言う場面。「きれいは汚(きたな)い、汚いはきれい」という訳もありますが、なにやら哲学的で、そしてマクベスの運命を翻弄することになる魔女の詭弁を暗示しているようです。(第1幕第1場);

魔女1
いつまた3人、会うことに? 
雷、稲妻、雨の中?
魔女2
どさくさ騒ぎがおさまって、戦(いくさ)に勝って負けたとき。
魔女3
つまり太陽が沈む前。
魔女1
おちあう場所は?
魔女2
あの荒野。
魔女3
そこで会うのさ、マクベスに。
魔女1
今すぐ行くよ、お化け猫。
魔女2
ヒキガエルかい。
魔女3
いま行くよ。
3人
いいは悪いで悪いはいい、濁った空飛んでいこう。

When shall we three meet again?
In thunder, lightning, or in rain?

When the hurlyburly's done, When the battle's lost and won.

That will be ere the set of sun.

Where the place?

Upon the heath.

There to neet with Macbeth.

I come, Graymalkin.

Paddock calls.

Anon!

Fair is foul, and foul is fair. Hover through the fog and filthy air.




魔女の予言どおりダンカン王より戦功としてコーダーの領主に任ぜられたマクベスの心境を吐露した場面。"どうなろうとかまうものか、どんな荒れ狂う嵐の日にも時間はたつのだ" が有名。(第1幕第3場);
マクベス(傍白)
運がおれを王にするなら運にまかせればいい、
おれが手をくだすことはない。
バンクォー
新しい栄誉は新しい衣服と同じだ、
着なれるまではなかなか身につかぬものだ。
マクベス(傍白)
どうなろうとかまうものか、
どんな荒れ狂う嵐の日にも時間はたつのだ。
 
Macbeth(Aside)
If chance will have me King, why, chance may crown me,
Without my stir.
Banquo
New honors come upon him,
Like our strange garments, cleave not to their mold
But with the aid of use.
Macbeth(Aside)
Come what come may ,
Time and the hour runs through the roughest day.

自分の城に王を迎えて、暗殺の決断に逡巡するマクベスの内面を示す台詞。夫人の後押しがなかったらマクベスには事を起こす勇気などなかったことがわかります。(第1幕第7場);
マクベス
やってしまえばすべてやってしまったことになるなら、
早くやってしまうにかぎる。暗殺という綱で
いっさいをすくいとれるなら、息の根をとめれば
それでうまく片がつくものなら、この一撃が
すべてであり、すべてを終らせるものであり、
この世で、時の浅瀬のこちら側で、万事解決するなら、
そうならあの世のことなどだれがかまうものか。
だがこういうことはつねにこの世で裁きがある、
血なまぐさい悪事をやってみせれば必ずそれは
やってみせたものにはね返ってくる。公平無私の
正義の神は、毒酒を用意したものの唇に
その杯を押しつけるのだ。
 
Macbeth
If it were done when 'tis done, then 'twere well
It were done quickly. If th' assassination
Could trammel up the consequence, and catch,
With his surcease, success; that but this blow
Might be the be-all and the end-all―here,
But here, upon this bank and shoal of time,
We'd jump the life to come. But in these cases
We still have judgement here; that we but teach
Bloody instructions, which, being taught, return
To plague th' inventor; this even-handed justice
Commends th' ingredients of our poisoned chalice
To our own lips.


王を寝室で殺害したマクベスは、「もはやお前には眠りはない」という幻聴を聞く有名な場面です。ただ無心に眠ることができるということは実は大いなる幸福なんですね。(第2幕第2場)
マクベス
叫び声が聞こえたようだった、「もう眠りはない、
マクベスはは眠りを殺した」 ― あの無心の眠り、
心労のもつれた絹糸をときほぐしてくれる眠り、
その日その日の生の終焉、つらい労働のあとの水浴(ゆあみ)、
傷ついた心の霊薬、大自然が用意した最大のごちそう、
人生の饗宴における最高の滋養 ―
 
Macbeth
Me thought I heard a voice cry, "Sleep no more!
Macbeth does murder sleep" ―the innocent sleep,
Sleep that knits up the raveled sleave of care,
The death of each day's life, sore labor's bath,
Balm of hurt minds, great nature's second course,
Chief nourisher in life's feast ―


夫人の死の報せを聞いて、マクベスがつぶやく有名な台詞から。「人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ、...」という意味の台詞は他の戯曲にもあって、シェイクスピアの人生観を端的に示していると想像されます。(第5幕第5場);
明日、また明日、また明日と、時は
小きざみな足どりで一日一日を歩み、
ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく、
昨日という日はすべて愚かな人間が塵(ちり)と化す
死への道を照らしてきた。消えろ、消えろ、
つかの間の燈火(ともしび)! 人生は歩きまわる影法師、
あわれな役者だ、舞台の上でおおげさにみえをきっても
出場が終われば消えてしまう。白痴のしゃべる
物語だ、わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、
意味はなに一つありはしない。
 
Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow
Creeps in this petty pace from day to day,
To the last syllable of recorded time;
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle!
Life's but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage
And then is heard no more. It is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury
Signifying nothing.


(映画)マクベス '71年/米
(監)ロマン・ポランスキー、(演)マクベス: ジョン・フィンチ、マクベス夫人: フランチェスカ・アニス

 ポランスキーにとって、1969年に妻のシャロン・テートをマンソン・ファミリーに惨殺された後の最初の監督作品であり、撮影中に「もっと血だ。シャロンの流した血はこんなものじゃなかった」と叫んだとも伝えられていて、おっかなびっくり観ましたが、それらがこの血なまぐさい暗殺劇にかなった演出であると納得できたので、不快感は抱きませんでした。原作に沿った演出ですが、台詞を抑制し、映像により劇的場面を描写してみせたポランスキーの表現力はたいしたものです。『テス』でも感銘を受けた風景描写も印象的でした。
 役者ではマクベスを演じたジョン・フィンチがとてもよかった。マクベスの野心、逡巡、不信、孤独、恐怖が、現代人のそれとして感得できました。フランチェスカ・アニスが演じるマクベス夫人も、マクベスをもしのぐ野心と、その後の良心の呵責との分裂による破滅が、その可憐さゆえに際立っていました。


(映画)蜘蛛巣城 '57年/日
(監)黒澤明 (演)三船敏郎、山田五十鈴、 志村喬、千秋実

 黒澤明46歳の時の白黒作品ですが、舞台を日本の戦国時代に移しただけの翻案になっていないのがさすが。武将鷲津(三船敏郎)の妻、浅茅(山田五十鈴)と森の妖婆の演技、メーキャップに能の様式を取り入れ、鷲津の"動"と対比させ画面の緊張感を高めています。三船敏郎の存在感ある演技もすごい。
 森の中を、霧中の荒野を疾走する騎馬、迫ってくる森、そしてラストの鷲津が矢を浴びるシーン、と映像的に特筆すべき見どころがあり、すばらしい演技陣と合わせ、モノクロ画面による劇的表現の可能性のひとつの到達点を示した作品だと思います。
 荒野に築城された蜘蛛巣城も末世的なこの謀反劇にふさわしいものですが、実際には富士山の2号目附近に造 られたとのことです。

(映画)マクベス '48年/米
(監)オーソン・ウェルズ、(演)マクベス: オーソン・ウェルズ、マクベス夫人: ジャネット・ノーラン

 オーソン・ウェルズの演出は、必ずしも原作にとらわれないものですが、ポランスキーに比べ、より舞台劇的な演出となっています。そしてモノクロ画面は暗く沈み、重苦しい物語をますます暗くしているようです。オーソン・ウェルズの一人舞台の感があり、一貫して悲壮感の勝(まさ)ったその演技は、この映画の色調にふさわしいもの。終盤の「明日、また明日、また明日と、時は小きざみな足どりで一日一日を歩み....」からラストまで、ひとりで運命に立ち向かうマクベスの孤独を際立たせた演出が印象的でした。


シェイクスピアTOPへ
HOME l  PROFILE l 海外作家 | 国内作家 l ジャズ l ピアノ音楽 l ポップス他 l 現代音楽 l 美術館 l 映画 l 散歩 l 雑記 l TWITTER