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パウル・クレー(1879−1940) 

スイスのベルンで生まれた。音楽教師の父、声楽家の母という音楽的環境で育ったクレーは7歳でバイオリンを始め、11歳で補欠要員としてベルン市立管弦楽団に入った。21歳でミュンヘン美術学校に入学し、その後、絵画グループ"青騎士"のメンバーとなり新しい絵画運動に参画した。1906年にはピアニストのリリーと結婚、第1次世界大戦の勃発により1916年にドイツ軍に徴兵され、1919年に除隊、1920年にワイマールのバウハウスの教授として迎えられた。その後デュッセルドルフの美術学校に移ったが、1933年ナチスに職を追われ、ベルンに戻り創作を続けた。
 

ああ、いかにわたしが叫んだとて、いかなる天使が
はるかの高みからそれを聞こうぞ? よし天使の列序につらなるひとりが
不意にわたしを抱きしめることがあろうとも、わたしはその
より烈しい存在に焼かれてほろびるであろう。なぜなら美は
怖るべきものの始めにほかならぬのだから。
『ドゥイノの悲歌』より/リルケ(手塚富雄 訳)

彼のペンや筆は苦渋の痕を少しもとどめていない。しかし彼の作品の印象を即興的と言っては当らないだろう。それは、即興的であるように見せかけて作られた音楽、前奏曲とか練習曲とか夜想曲とかいったものと、どこかしら似通っている。つまりクレーの絵は音楽と似ているのである。
『芸術の慰め』/ 福永武彦

「色は、私を捉えた。自分のほうから色を捜し求めるまでもない。私にはよくわかる。色は、私を永遠に捉えたのだ。私と色とは一体だ ― 」
(1914年4月16日)

「この世にあって、私の目は非常に遠くまで見える。そして多くの場合、最も美しいものさえも透視する。そこで私は人から、彼には最も美しいものが見えないのだ、としばしば言われるのだ」
(1916年)
/ 『クレーの日記』より

若い頃にはオーケストラのヴァイオリン奏者でもあったクレーの色と形のハーモニーがとても好きです。

画像をクリックすると、拡大画像が見られます。概ね制作年順に掲載しています。

世捨て人の庵
(1918年)
18.4×25.9cm 麻布・水彩、グワッシュ
ベルン美術館


R荘
(1919年)
26.5×22cm 厚紙・油彩
バーゼル美術館

バッハのスタイルで
(1919年)
17.3×28.5cm 麻布・水彩とデッサン
ハーグ市立美術館

何度もバッハを弾くうち、私の目は、またさえてきた。いままで、これほど強烈にバッハを体験したことはない。驚くべき精神の凝集、なんという孤高にして究極の豊満!(1918年6月の日記より)

バイエルンのドン・ジョバンニ
(1919年)
22.5×21.3cm 紙・水彩
ニューヨーク、ソロモン・R・グッゲンハイム美術

「ドン・ジョバンニ」は、モーツアルトのオペラで、クレーはバッハとモーツァルトを特に好んでいたようです。
ドン・ジュアンの五重奏は、トリスタンの叙事詩的な動きにもまして、私たちの心に迫る。モーツァルトとバッハは、19世紀の音楽にもまして現代に近い。(1917年7月の日記より)


高いC音の勲章
(1921年)
32×23cm 紙・水彩、インク+ペン
ペンローズ・コレクション

言葉というものは、やはり神秘そのものと隔たること著しい。音と色彩にこそ秘義がひそんでいるのだ。(1918年5月の日記より)

ホフマン風の童話風景
(1921年)
35.4×26.3cm 紙・カラーリトグラフ
ベルン美術館

さえずり機械
(1922年)
41.5×30.5cm アングル紙・水彩、油彩
ニューヨーク、近代美術館

喜歌劇「船乗りシンドバッド」戦いのシーン
(1923年)
49.6×69.2cm 厚紙、紙・油彩、水彩、ワニス
ハンブルク美術館

 

黄色い鳥のいる風景
(1923年)
35.5×44cm 紙・水彩
個人蔵

風景の中の家々
(1924年)
43.5×52cm 麻布・水彩と油彩
シュテルネルセンス・ザムリンク財団

黄金の魚
(1925年)
49.6×69.2cm 厚紙、紙・油彩、水彩、ワニス
ハンブルク美術館

クレーには魚の登場する作品が多数あり、日記にも「水族館は楽しい」と書いています。

町の前に立つ子供たち
(1928年)
29.7×30.0cm 紙・油彩転写、水彩
ベルン美術館

本道と脇道
(1929年)
84×67cm 麻布・油彩
ケルン、ルートヴィッヒ美術館
頭も手も足もハートもある
(1930年)
41.5×29.0cm 綿布・水彩、ペン
ヴェストファーレン州立美術館

ポリフォニックにはめ込まれた白
(1930年)
33.3×24.5cm 紙・水彩、墨汁+ペン
ベルン美術館

ポリフォニーとは複数の声部から成る音楽のことで、狭義には対位法による音楽、広義には同時に複数の声部を重ねるあらゆる音楽を指します。

音楽と造形美術とは相通ずる、という考えが、ますます強く頭をもたげてくる。しかし、なぜ似ているのか ― これは分析できることではないが両者とも時間的なのは、一目瞭然。(1905年六月の日記より)

大天使
(1938年)
100.0×65.0cm 麻布・油彩
レンバッハハウス美術館

クレーは1913年から亡くなる年1940年までの間に、49点の天使像を制作していますが、このうちの33点が死の直前に描かれたものです。


哀れな天使
(1939年)
48.6×32.5cm 紙・水彩、テンペラ
スイス、個人蔵

クレーは、制作した一連の天使像に、次の一句を書きしるしています。

"Einst werde ich liegen im Nirgend
Bei einem Engel Irgend"

いつか わたしは いずことも知れぬところ
ある天使のもとに横たわるであろう


忘れっぽい天使
(1939年)
29.5×21.0cm 紙・鉛筆
ベルン美術館

鉛筆画による天使シリーズの中で最も有名な作品です。画像拡大ページには、この作品の他に「天使というよりむしろ鳥」、「泣いている天使」、「鈴をつけた天使」、「ミス・エンジェル」、「希望に満ちた天使」、「おませな天使」の鉛筆画を掲載しています。


美しい女庭師
(1939年)
95×70cm ジュート布・テンペラ、油彩
ベルン美術館

無題・静物
(1940年)
100.0×80.5cm 画布・油彩
スイス・個人蔵

クレーの遺作です。死を予感していたのか、死の前年(1939年)には1200点もの作品を制作しています。この年の6月29日に60歳で亡くなっています。

大切な仕事ののための時間さえ、もはや私にはわずかしか残されていない。制作のテンポは急速度に高まり、制作の範囲も拡がっている。私は、次々に生誕する私の子供たちに、ついていけない有様なのだ。(1939年12月、息子フェリックスに宛てた手紙より)

死と炎
(1940年)
46×44cm ジュート布・糊絵具、油彩
ベルン美術館

「死は厭(いと)わしいものではないと、ぼくはかねてから自分にいいきかせてきた。大切なのはこの世か、それとも来世か、はたしてだれにわかるだろう? この先、よい仕事をもう少しやり終えたら、ぼくはよろこんで死んでいく。」(クレーが息子フェリックスに語った言葉)

(参考資料)
  • 「クレー」/ 坂崎乙郎(美術出版社 '63初版)
  • 「クレーの日記」/ 南原実 訳(新潮社 '61年初版)
  • 「クレーの絵と音楽」/ ピエール・ブーレーズ(筑摩書房 '94年初版)
  • 「パウル・クレー 造形思考への道」/ W.ハフトマン(美術出版社 '82初版)
  • 「芸術の慰め」/ 福永武彦(講談社 '70年初版)
  • 「ドゥイノの悲歌」/ リルケ 手塚富雄 訳(岩波文庫 '57年初版)
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