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ギュスターヴ・モロー(1826−1898)
Gustave Moreau 象徴主義

パリで生まれた。父は建築家、母は音楽家だった。8歳よりデッサンを描きはじめ、早熟な才能を示した。1846年国立美術学校に入学し、新古典派の流れをくむアカデミックな画家ピコに師事したが、その一方で、早くからロマン派の画家、とくに7歳年上のシャッセリオーに心酔し、1856年彼が37歳の若さで死去するまで深い感化を受けた。1857年−1859年にはイタリアに旅行し、ルネサンスの名画の数々を模写している。1892年に国立美術学校の教授となり、若い画家たちの個性を尊重し、それぞれの才能を伸ばすことに務め、ルオー、マティスなどの画家を育てた。72歳で癌のため死去。アトリエに残された油彩797点、水彩575点、デッサン7000点にのぼる膨大な作品を、建物とともに国家に遺贈し、1903年モロー美術館が開館、ルオーが初代館長となった。
 

夜のやうに光明のやうに涯(はてし)もない
幽明の深い合一のうちに
長いこだまの遠くから溶け合ふやうに、
匂と色と響きとは、かたみに歌ひ。
『万物照応』より/ボードレール(福永武彦 訳)


モローの女たちは、みな、やや悲しげな表情を持ち、笑いもせず泣きもせず、時間の中に凍りついている。こうしたまるで仏像のような静けさを、モローが定着したいと思っていたことは疑い得ない。
『彼方の美』/ 福永武彦


「私は手に触れたものも、眼に見たものも信じない。私は眼に見えないもの、感じたものだけを信じる」

「私の頭脳とか私の理性とか言っても、陽炎(かげろう)みたいなもので実在さえも怪しい。私の内部の感情だけが永遠であり、議論の余地なく確実なもののように思われる」
/ ギュスターヴ・モロー

画像をクリックすると、拡大画像が見られます。概ね制作年順に掲載しています。
  
オイディプスとスフィンクス
(1864年)
油彩、カンヴァス 205×104cm
ニューヨーク メトロポリタン美術館

スフィンクスを題材とした絵にも多くのヴァリエーションが残っています。

ここでは、スフィンクスは猛々しい『宿命の女』のヴァリエーションなのであり、青年オイディプスはむしろ『美しい無力』を代表するものでしかないのである。
/澁澤龍彦


オイディプスは、父であるテバイ王ライオスが、我が子に殺されるというアポロンの神託を恐れて、生まれたばかりで殺されかかるが家臣に助けられた。成長したオイディプスはテバイの町に行き、その途上知らずに父を殺してしまう。オイディプスは、怪物スフィンクスに問いかけられた謎を解き、スフィンクスは悔しさのあまり崖から飛び降り、自らの命を絶った。新王となったオイディプスは、何も知らずに実の母を后に迎えるが、やがて全てが明らかになったとき、自らの目を潰して町を去った。

オルフェウスの首を持つトラキアの娘
(1865年)
油彩、紙(板張り) 154×99.5cm
パリ オルセー美術館
 
オルフェウスは、ホメロス以前のギリシアにおける最大の詩人と称される神話上の人物で、竪琴の名手だった。森のニンフ、エウリュディケを妻としたが、ある日彼女は蛇にかまれ死んでしまう。妻を連れ戻す為、冥府に降りたオルフェウスは、地上に戻るまで、どんな事が起きても妻を振り返らないことを条件に、妻を連れて帰る許しを得たが、いま少しのときに、約束を破った為にエウリュディケは、永遠に失われてしまう。現世に戻ったオルフェウスは、冥府の秘儀を男たちにのみ伝えた為、トラキアの女達に怨まれ、殺されてしまう。屍体を八つ裂きにされ海に投げこまれたが、頭部と竪琴のみがレスポス島に流れついた。

レダ
(1865年)
油彩、カンヴァス 220cm×205cm
パリ ギュスターヴ・モロー美術館
 
主神であるユピテル(またはゼウス)は妻である女神ヘラの目を盗んで、人間の女性と交渉を持ったが、白鳥に変身したユピテルとレダとの交渉は、芸術家達の題材として多く取り上げられています。

ヘロデ王の前で踊るサロメ(1)
(1876年)
油彩、カンヴァス 92cm×60cm
パリ ギュスターヴ・モロー美術館
 
「刺青のサロメ」とも呼ばれる作品。福音書マタイ伝およびマルコ伝に語られている洗礼者ヨハネの斬首にまつわる挿話を題材としたもので、多くのヴァリエーションが制作されています。
 サロメは、ユダヤの王ヘロデの妻ヘロデアの連れ子で、洗礼者ヨハネを恨んでいたヘロデアは、王の誕生日にサロメに舞をまわせ、その褒美としてヨハネの首を所望させた。

ヘロデ王の前で踊るサロメ(2)
(1876年)
油彩、カンヴァス 144cm×103.5cm
ロサンゼルス アーマンド・ハマー美術館
 
サロメを題材としたヴァリエーションのひとつ。
 
モローの画面は、夜の中に光が滲み出るやうに、まさにヨハネの首が宙にあらはれるやうに画家によつて強調された明の部分と、不透明な暗の部分とから成る。恐らくはレンブラントから学んだのだらうが、人物はこれらの強調された部分にあつて、彼らの内部から発する白熱した光線によつて自らを照してゐる。そしてモローはかうした冷やかな女たちを、真珠貝の中で真珠が育つて行くやうに、彼の夢の中で育てたのである。
『彼方の美』/ 福永武彦


出現(1)
(1875年頃)
油彩、カンヴァス 143cm×60103cm
パリ ギュスターヴ・モロー美術館
 
サロメを描いた作品の中でも、中空に出現した洗礼者ヨハネの首と対峙するこの絵の構図は、モローの独創です。

出現(2)
(1876年)
水彩 105cm×72cm
パリ ルーヴル美術館
 
ヨハネの首が中空に出現する構図には、いくつかのヴァリエーションがありますが、これは水彩で描かれた作品です。


ナイル川に捨てられたモーゼ
(1878)
マサチューセッツ州 ケンブリッジ
ハーヴァード大学 フォッグ美術館
 
1878年のパリ万国博覧会にモローが出品した4点の作品のなかの1つ。背景にはエジプトの神殿やスフィンクスの石像が描き込まれています。


一角獣
(1885年)
油彩、カンヴァス 115cm×90cm
パリ ギュスターヴ・モロー美術館
 
1882年に一般公開されたパリのクリュニー美術館に所蔵されている有名な一角獣のタピスリーに刺激されて制作された作品であると推測されています。


トロヤ城壁のヘレネ
(1885年)
水彩 36.7cm×21.8cm
パリ ルーヴル美術館
 
トロイアの戦役に取材した作品で、戦死者達の積み重なる城壁の上に立つ傾国の美女ヘレナを描いています。


クレオパトラ
(1887年)
水彩 40cm×25cm
パリ ルーヴル美術館



ユピテルとセメレ
(1896年)
油彩、カンヴァス 213cm×118cm
パリ ギュスターヴ・モロー美術館
  
死の2年前に4ヶ月で描きあげたモロー晩年の最大の作品。
主神ユピテル(またはゼウス)は人間に姿を変えてテュロスの王女セメレのもとに通っていたが、妻の女神ヘラが嫉妬し、ユピテルの本性を確かめるようにと、セメレをそそのかした。セメレに懇願されたユピテルは、雷神としての本来の姿を現し、セメレは雷に撃たれて息絶える。

死せる詩人を運ぶケンタウロス
(制作年不詳)
水彩 29cm×22cm
パリ ギュスターヴ・モロー美術館
  
半人半獣のケンタウロスにかかえられた詩人オルフェウスの死を描いた作品です。

夕べの声々
(制作年不詳)
水彩 34cm×22cm
パリ ギュスターヴ・モロー美術館
  
色彩研究のための素描で、ゼウスの3人の娘達、アグライアー、エウプロシュネーそしてタレイアが描かれています。


自画像
(1850年)
油彩、カンヴァス 
パリ ギュスターヴ・モロー美術館

 

自画像
(制作年不詳)
油彩 カンヴァス 41cm×33cm
パリ ギュスターヴ・モロー美術館

 (参考資料)
 
 ・モロー関連出版リスト(Amazon)

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