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プラド美術館展
 
2002年3月5日―6月16日
国立西洋美術館 東京・上野
プラド美術館はスペインのマドリッドにあり、王室コレクションを中心に約3万点の絵画コレクションを誇る世界でも有数の国立美術館で、ゴヤ120作品、ベラスケス52作品、エル・グレコ30作品、ルーベンス83作品、ティッツアーノ36作品などを所蔵しています。中でもポピュラーなコレクションには、ベラスケスの「ラス・メニーナス(女官たち)」、フラ・アンジェリコの「受胎告知」、ボッスの「快楽の園」、ゴヤの「着衣のマハ」と「裸のマハ」などがあります。もちろんこういった超弩級の絵は門外不出なので、今回の展覧会には来ていませんでしたが、ゴヤの6作品を筆頭として、ベラスケス5作品、ティッツアーノ、ルーベンス、エル・グレコ、ティントレットがそれぞれ3作品出品されていました。リベーラ、スルバランの作品(各3作品)も印象に残りました。

春眠暁を覚えず、と諺(ことわざ)にいう。生活がさして苦しくない時には、生きるということもまた楽しいことである。例えば、まるまる三時間を美術作品の鑑賞に当てうるとすれば、それは眠りに優る営みであり、生に優る喜びである。
「プラド美術館の三時間」/エウヘーニオ・ドールス(ちくま学芸文庫 '97年初版)


画像をクリックすると、拡大画像が見られます。概ね、画家の生年順に紹介しています。
引用はすべて「プラド美術館の三時間」/エウヘーニオ・ドールス著 よりのものです。

ティツィアーノ 農園のキリスト 油彩、カンヴァス 68×62cm(1553年)
ヴェネツィア派最大の画家ティツィアーノ(1485頃−1576)は、ジャヴァンニ・ベリーニに師事しジョルジョーネの影響を大きく受けた。

わたしがティツィアーノの歓喜という時、さまざまな逸話を問題にしているのではない。彼の歓喜は、シェイクスピアの場合のように、彼の生命力の娘なのであり、それは生命力と同じように無数の方向をとりうるのである。

本作品は、もともと大きなカンヴァス画だったが、1566年にフェリペ2世の命により裁断された。

ティントレット 胸をはだける婦人 油彩、カンヴァス 61×55cm
ティントレット(1518−1594)はティツィアーノに師事、ティツィアーノ亡き後のヴェネツィア最大の画家であった。
 
一人の色彩画家が描きうる最も悲劇的なものは肖像画である。ティントレットが遺した肖像画群は、世界が誇るべき財宝のひとつである。

本作のモデルは、ヴェネツィアの著名な高級娼婦であるとみなされている。

エル・グレコ 聖アンナと聖ヨハネのいる聖家族 油彩、カンヴァス 107×69cm(1595−1600年)
エル・グレコ(1541−1614)はクレタ島に生まれ、ティツィアーノに学んだ。その後ローマを経てスペインのトレドに渡り、スペイン教会の庇護のもと、彼独特の宗教画を生み出した。

エル・グレコにおいては、パスカルのいう「理性の知らざる(心情の)道理」が勝利しているのである。動的なもの、陶酔と神秘、熱情の絶対優位が支配しているのである。エル・グレコの眼は異常だったといわれている・・・・・・いや、そうではなく、彼は酔っていたのだ。神の与える酒と薄明に酔っていたのだ。こうした時には、目に見える物はその重さを持っていない。この物が重さを失うことを、詩人たちは、精神化と呼ぶ ― いや呼んだ ― のである。

この絵では幼児キリストを抱く聖マリアとマリアの母である聖アンナ、キリストの傍らの聖ヨハネ、脇から見守っているマリアの夫であるヨセフが描かれている。

エル・グレコ 聖フランチェスコ 油彩、カンヴァス 160×103cm(1604−1614年)
聖フランチェスコは、1182年イタリア中部のアッシジに生まれた。彼が創設した「聖フランチェスコ会」は純潔、謙遜、服従および絶対の清貧を旨とし、伝道を行なった。
聖フランチェスコは一般に修道服姿で描かれ、この絵の髑髏(どくろ)のほかに、聖痕、百合の花、十字架像、子羊が描かれる。


ヤン・ブリューゲル(1世) 田舎の婚礼 油彩、カンヴァス 84×126cm
ヤン・ブリューゲル(1568−1625)はピーテル・ブリューゲルの次男で細密に群衆や動植物を描き込んだパノラマ的な風景画があり、また静物画では緻密な花の描写にも優れていたため、「花のブリューゲル」と呼ばれた。

ルーベンス ディアナの狩猟 油彩、カンヴァス 182×194cm
ルーベンス(1577−1640)は17世紀フランドルを代表する画家であり、若くしてイタリアのマントヴァの宮廷画家となり、大工房を率いて多くの作品を生み出した。

ルーベンス。何と贅沢な男であろうか! すでに穢(けが)れたしかも強力な独創性をもったこの男は、すべてのバロックの画家たちのように、すべてのロマン主義画家たちのように、絵画を音楽に近づけるだけでは満足しないのだ。彼は、絵画を演劇と化してしまったのである。

ディアナは狩猟の女神で、この作品ではニンフたちを引き連れたディアナの姿が描かれている。

リベーラ 悔悛のマグダラのマリア 油彩、カンヴァス 97×66cm
リベーラ(1591−1652)はスペインの画家で、当時スペインの支配下にあったナポリに行き、カラヴァッジオの影響を受けた宗教画を描いた。
マグダラのマリアは「ルカ福音書」によれば、イエスがシモンというパリサイ人から食事に招かれ、食卓についていた時、彼女は香油の入った壺を持ってイエスに近づき、涙で彼の足を濡らし、自分の髪で拭い、その足に接吻し、香油を塗った。この絵で描かれている頭蓋骨は、現世のはかなさを思い、死を瞑想するマグダラのマリアの典型的な持ち物のひとつである。

スルバラン 聖エウフェミア 油彩、カンヴァス 83×73cm(1636年頃)
スルバラン(1598−1664)は17世紀スペインを代表した画家で、多くの作品は修道院のために捧げられた。
聖エウフェミアは4世紀初頭に殉教したとされるギリシア教会の聖女で、異教の儀式への参列を拒んだため、鋸の刃を付けた車輪で身体を轢かれたり、獅子の檻(おり)、熊の穴に投じられても、その都度、奇蹟により護られ傷つくことがなかった。最後に剣で刺し貫かれ絶命した。描かれている鋸は、この殉教の伝説に由来するもので、勝利の棕櫚(しゅろ)を手にし、獅子あるいは熊が添えて描かれることもある。

ヴァン・ダイク 枢機卿ドン・フェルナンド親王 油彩、カンヴァス 107×106cm(1625-1628年)
ヴァン・ダイク(1599−1641)は早くからルーベンスの工房に加わった。ロンドン、イタリア、そして出身地のアントウェルペンで活躍し、後にイングランド王に宮廷画家として招かれた。とくに肖像画にすぐれ、イギリス絵画の伝統となる肖像画に大きな影響を与えた。

ベラスケス フェリペ4世 油彩、カンヴァス 57×44cm(1625-1628年)
ベラスケス(1599−1660)はスペインのセビーリャの生まれ。2度のイタリア旅行を除くそのほとんどの生涯を国王フェリペ4世の宮廷画家として過ごした。彼は西洋美術史上最高の肖像画家の一人とみなされている。この絵はフェリペ4世が22歳の頃の胸像である。

正午、中庸 ― ベラスケス
彫刻的・建築的なものへの傾きを持った絵画と、正に音楽もしくは詩に昇華せんとする絵画の中間に位置する絵画の中の絵画。



ベラスケス セバスティアン・デ・モーラ 油彩、カンヴァス 106×81cm(1643-1644年)
セバスティアン・デ・モーラは、宮廷に暮した道化の一人。

ベラスケスは世界の上に置かれた1枚のガラスのような存在である。

ガラスほど、その真実性ゆえに、尊重に値するものはない。しかしまた、ガラスほど、われわれに、果して実際に存在しているのだろうかという疑問を抱かせるものもないのである。
しかし、何人たりとも、ベラスケスに向って説教するといった愚行を自分に許す者はないであろう。ベラスケスは、あるがままの人間である。穏やかで、物に動ぜず、無頓着である。彼が創造した人物たちも、飛翔とか重さとかいった一切の心配事から解放され、あるがままの姿で、存在するがままに存在しているのである。


ベラスケス 貴紳の肖像 油彩、カンヴァス 40×36cm(1619−1622年)
モデルについて、ベラスケスの師にして岳父パチェーコではないかと言われているが、確定しているわけではない。

 ムリーリョ 善き羊飼い 油彩、カンヴァス 123×101cm(1655-1660年頃)
ムリーリョ(1618−1682)はスペインのセビーリャに生まれ、生涯のほとんどを同地で過ごした。
この絵に描かれた羊飼いの幼子は、人類を救い導くキリストをあらわしている。

ムリーリョ 無原罪の御宿り 油彩、カンヴァス 222×118cm(1670-1680年頃)
"無原罪の御宿り"とは救世主イエスの母マリアが、マリアの母アンナの胎内に宿った瞬間、神の恩寵により原罪から免(まぬが)れたというカトリックの教理のことで、ムリーリョはこのテーマで生涯に20点以上の絵を描いたとのこと。
 

 ゴヤ ドニャ・タデア・アリアス・デ・エンリケス 油彩、カンヴァス 191×106cm(1789年頃)
ゴヤ(1746−1828)は近代スペイン絵画最大の画家。
マドリードの王室タピスリー工場で原画を描き、ついで宮廷画家として成功した。

 

ゴヤ 日傘 油彩、カンヴァス 104×152cm(1777年)
この作品は、マドリード近郊に位置するエル・パルド宮の王太子夫妻(後のカルロス4世とマリア・ルイサ)の食堂を飾るタピスリーの原画(カルトン)として描かれた10点のうちの1点。

ゴヤ 巨人 油彩、カンヴァス 116×105cm(1808年頃)
エル・グレコの背後には無意識の女王である音楽が姿をのぞかせていたが、ゴヤの背後、しかもすぐ後には明らかに文学がある。歴史が、心理学が、民族主義が、生活描写主義が、風刺が、道徳が、ユーモアが・・・・・あるのである。

この巨人が何を意味しているのかについて、これまで多くの解釈が試みられているが、1808年に匿名で出版された「ピレネーの預言」という風刺詩を、本作品の有力な文学的源泉とする説が現在では広く受け入れられている。

ゴヤ 自画像 油彩、カンヴァス 46×35cm(1815年)
ゴヤ69歳頃の自画像。

ゴヤ ボルドーのミルク売り娘  油彩、カンヴァス 74×68cm(1825年−1827年頃)
ゴヤの晩年、80歳頃の作品で、朝の光の中を、ロバの背にゆられながら牛乳を売りにくる近隣の農家の少女が下から仰ぎ見るように描かれており、牛乳の容器が画面左下に確認できる。

(参考資料)
  • 「プラド美術館の三時間」/ エウヘーニオ・ドールス(ちくま学芸文庫 '97初版)
  • プラド美術館展カタログ
  • 西洋絵画史 WHO'S WHO/ 監修・諸川春樹(美術出版社 '96初版)

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