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彼方の美 ― 17世紀オランダ絵画序説 (1976年12月、講談社刊『グランド世界美術15』「レンブラントと市民の絵画」) '00年7月から9月にかけて、国立西洋美術館で"レンブラント、フェルメールとその時代"展が開催され、アムステルダム国立美術館所蔵の17世紀オランダ絵画が多数出展されました。フェルメールは"恋文"のみでしたが、レンブラントの肖像画は何点か出展され、なかでも"聖パウロに扮した自画像"は画家の内面を曝け出している様で、その迫力により他の絵を圧していたのが印象的でした。 17世紀オランダ絵画は旧教の宗教画の代りに、自然と日常的風俗の世界を画くことに専心したが、それは結局は魂を画くことに他ならなかった。そのことをフェルメールが(そして勿論レンブラントはより一層直接的に)明かに示してゐるように私は思ふのである。 |
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暗示の美学 ― モローとルドン (1973年 2月、中央公論社刊『グランド世界の名画13』「ムンクとルドン−世紀末の幻想−」) モローとルドンは、個人的に大のお気に入りの画家であり、示唆に富んだ福永さんの考察は大変参考になります。 モローが内部に没入してゐたのに対して、ルドンは外なる自然、この眼に見えるものを愛してゐた。 |
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19世紀終りの世紀末に生きた詩人マルラメとヴェルレーヌ。二人の詩のあり方は対照的であったが、その美学的な面ではほぼ似たような立場に立っていた。それは、ものを暗示的に、音楽的に、つまりは神秘的にと言うことになるが、太陽の眩しい光線のもとにではなく、黄昏もしくは夜の微光のもとに見ようとする態度で、それはまた彼らの先輩であるボードレールの超感覚にその源を持つものであった。そして、ここでの主題は、このような超感覚、暗示、喚起、音楽、謎といった詩的な方法が、同時代の印象派から世紀末に至る時代の画家たちにどのように関係づけられるか点であり、福永さんは、モローとルドンを、その対象として取り上げています。 論考の中から、それぞれの画家の作品について述べている個所を引用してみます。 |
モローのサロメについて モローは生涯独身を続け、女嫌ひを以て自任した。(中略) たとへモローが天性女性を憎んだとしても、そこには惹かれるが故に反発するといふアンビヴァランな感情が動いてゐたに違ひない。モローの女たちは、みな、悲しげな表情を持ち、笑ひもせず、泣きもせず、時間の中に凍りついてゐる。かうしたまるで仏像のやうな静けさを、モローが定着したいと思つてゐたことは疑ひ得ない。 「私は手に触れたものも、眼に見たものも信じない。私は眼に見えないもの、感じたものだけを信じる。」 「私の頭脳とか私の理性とか言つても、陽炎みたいなもので実在さへも怪しい。私の内部の感情だけが、永遠であり、議論の余地なく確実なもののやうに思はれる。」 このモローの感想は、彼がその想像力を駆使するに当つて、無意識の領域に足を踏み入れてゐたことを示してゐるだらう。モローのサロメは、近代的な解釈とか、退廃的な情熱とか、装飾的な構図とかに発想を持つ以上に、もつと素直に彼自身の夢、或は彼の人生観を示すものだ。そのために死ぬことになつても悔いないやうな運命の女、死の眼指で自分を見つめる女、さうしたモデルをモローは現実ではなく神話や伝説の中から選び取つて、自分の感覚のままに、偶像崇拝的な愛情をこめて、描き出したのであらう。 従つてモローの画面は、夜の中に光が滲み出るやうに、まさにヨハネの首が宙にあらはれるやうに画家によつて強調された明の部分と、不透明な暗の部分とから成る。恐らくはレンブラントから学んだのだらうが、人物はこれらの強調された部分にあつて、彼らの内部から発する白熱した光線によつて自らを照してゐる。そしてモローはかうした冷やかな女たちを、真珠貝の中で真珠が育つて行くやうに、彼の夢の中で育てたのである。 ルドンについて ルドンの描いた世界は、人をしてた易くそこに立ち入ることを拒否するやうに見える。動物だか植物だか見分けのつかない生物や、人間の顔だか花だか分らない不思議なものや、そして宙にただよふ首や、どこからともなく射してくる光、― それらは画家の見た夢の産物かもしれない。しかし、ルドンの人物達の悲しげな眼は、モローのそれと違つて、いつでも暖かくて人間的なのだ。山の向うから眠つてゐる女を見詰めてゐる一眼巨人の眼は、モローの「ガラテア」に於けるポリュペーモスの暗い眼とは違ふ。ありさうもないものたちを、「人間的に」生きさせる力が、晩年に近づくにつれて、ルドンの画面を快活にして行く。 ルドンが晩年に、白と黒の世界から色彩の世界に移つたことは、まさに円熟といふ言葉にふさはしい。 「その後私は、絶えず自分を客観化しながら、あらゆる物ごとにより大きく眼を見開いて、我々の繰りひろげる人生は、また悦びをも顕示するものだといふことを知つた。もし芸術家の仕事が、彼の人生の歌、厳粛な悲しいメロディであるならば、私は色彩の中に陽気な調べを興へなければならなかつた。」 かうして生まれた数々の肖像画、花々の静物、神話的主題などが、白と黒とによる描写とはまた違つた、神秘的な、豊かなハーモニイを奏でてゐるのは当然のことであらう。ルドンの芸術は白と黒とによつて、この世のものとは思はれぬ異次元の消息を伝へた。しかし、やがて色彩を得ることによつて、地上的冥府的なものは影をひそめ、天上の美を暗示するものとなつた、と言へるのではないだらうか。 |
ヘロデ王の前で踊るサロメ キュクロプス(1895−1900) 板 油彩 64×51cm |
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