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福永武彦
風のかたみ/長編(1968)初出:「婦人之友」('66 1月〜'67 12月) 

風のかたみ (河出文庫)

跡もなき波行くふねにあらねども 風ぞむかしのかたみなりける

私は姫君のためには死んでもいいと固く決心しました。(中略) 姫君のお心が蔵人の少将にあるとしても、私の想いは少将よりももっと深い筈です。ただ、それをどうしたら分ってもらえるか。この屋敷の中では私たちだけです。ここには姫君と私とを隔てる身分の垣根といったものはありません。私は姫君に私という者を見てもらいたいのです。本当の為合(しあわ)せを、二人してつかみたいのです。

 
「私は昔、病床にあった頃、国史大系本で今昔を愛読したが、寝食を忘れるほど面白かったという一語に尽きる」

 平安時代末期に成った説話集「今昔物語」に題材を取った王朝ロマン小説です。今昔物語に素材を求めた文学作品には、芥川龍之介の「鼻」、「羅生門」や谷崎潤一郎の「少将滋幹(しげもと)の母」などがあり、「風のかたみ」もそうした系列に位置づけられます。福永さんは「今昔物語」の愛読者であっただけではなく、1200もの説話を集成したこの説話集の中から155篇を選んだ現代語訳も残していて(ちくま文庫 '91年初版)、自身の言葉によると「風のかたみ」は、合計19話もの説話が素材となったりヒントを与えたりしているとのこと。
 
 主人公の若者、大伴の次郎信親(のぶちか)は信濃の国の大領の次男で、文武両道に親しんで育ち、とくに笛の腕前に秀でていた。次郎は都で自身の活路を見出そうと縁続きの中納言を頼って京に上った。中納言家には、次郎が幼い頃に慕っていた亡き叔母の忘れ形見である荻姫がいた。荻姫との語らいを通じて、次郎の荻姫へのあこがれは恋慕の情へと高まるが、一方入内することになった荻姫は蔵人(くろうど)の少将、安麻呂への愛に思い悩み、今一度安麻呂との逢瀬の計らいを次郎に頼み、文を託した。
  
待つらむと契りしほどを忘れずば 身の朽ちぬまの逢ふこともがな

次郎に面会した安麻呂は、苦悩しつつも入内する荻姫への想いを諦め、荻姫への別れの返歌を書いた。

水茎のはかなき跡をしるべにて 朽ちたる舟のゆくへかなしも

 次郎はそれを以下のように書き換え、安麻呂との逢瀬の場所と偽り、荻姫を清水の山奥の無人の屋敷に連れて行った。しかし必死の次郎の願いも安麻呂を想う荻姫の心には届かなかった。

  思ひ川逢ふせも知らぬながれ木の 身は朽ちぬともこがれ渡らむ

 以上は、荻姫、次郎、安麻呂をめぐる愛の様相を中心にストーリーを紹介しましたが、荻姫を恋するもう一人の男で盗賊集団の首領、不動丸や、次郎が荻姫を愛しているのを知りながら彼を慕う笛師の娘、楓(かえで)らも平安朝を舞台にした悲恋の物語に興趣を添えています。また陰陽道の妖術を操る法師、智円は主要登場人物の中で唯一、愛の連関図から離れた狂言回し的存在として重要な役割を担っています。作品の冒頭で、次郎が供(とも)の者とはぐれ、荒野の中に建つ今にも崩れ落ちそうな古い六角堂で一夜を過ごした際に、智円が次郎に告げた言葉が、この物語の基調を定めていました。

「あなたさまの頼る者はただあなたさまの御身一つでございます。人を頼り遊ばすな。人は遂に天涯孤独、生きるも死ぬもただあなたさま次第でございます。」

 女性向けの雑誌に連載された作品ということもあり、福永作品には珍しく娯楽的要素の濃い恋愛小説となっていて、福永さん得意のミステリー小説風の展開もあったりして楽しめます。ただ、「孤独を本質とする人間のありかた」、「愛の不可能性」いう福永作品の底に流れている根本の思想は、この作品でも顕著に表れています。


(映画)風のかたみ '96
(監・脚)高山由紀子 (演)岩下志麻、坂上忍、高橋かおり、峰岸徹 (音)東儀秀樹

 監督の高山さんにとっては、この作品が初監督作品となっています。映画化にあたり、原作と異なっている部分がかなりあって、たとえば陰陽道の法師が女(岩下志麻)となっていてその果たす役割も原作とは異なっている点、笛師の娘、楓が登場しないこと(これは残念)、とりわけラストを含む全体的な構成が異なっていて、映画を観て原作を推量することはちょっと無理があります。
 原作を離れた映画として観た場合、まず映像が美しいこと、それに次郎の吹く横笛の音が重要な役割を果たしているこの作品において、雅楽の演奏家、作曲家として著名な東儀秀樹作曲の音楽が効果的に使われていることが評価できます。反面、陰陽道の女法師の果たす役割が原作と比べ大きくなっている分、次郎と荻姫の印象が弱くなっている点は否めません。
 

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