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福永武彦
草の花 (1954)
 
   
新潮文庫

人はみな草のごとく、その光栄はみな草の花の如し。
「ペテロ前書、第1章、24」


藤木、と僕は心の中で呼び掛けた。藤木、君は僕を愛してはくれなかった。そして君の妹は、僕を愛してはくれなかった。僕は一人きりで死ぬだろう......。

以下の4つのパートより構成されています。
 ・
 ・第1の手帳
 ・第2の手帳
 ・
 
作品についての作者自身のコメント(言及)を、参考に付けました。
 ・作者のコメント
    
青春を扱った文学の名作であり、福永作品の根本テーマである "孤独者としての人間にとって愛することの可能性" についての物語、とも言えると思います。




自分の内部にあるありとあらゆるもの、理性も感情も知識も情熱も、すべてが燃え滾(たぎ)って充ち溢れるようなもの、それが生きることだ。
 
"私"は、肺結核の治療の為、滞在していた東京郊外のサナトリウムで汐見と知り合う。汐見の病状は相当進行した状態で、彼は当時としては、非常に危険と考えられていた肺葉の摘出手術を自ら希望していた。手術の当日、私は、汐見から2冊のノートを託される。ノートには、彼が18歳のときと24歳のときの2つの愛をめぐる回想が記されていた。
 
・汐見茂思のプロフィール:30歳。"私"と同じ大学の言語学科を卒業後、イタリア関係の文化団体に勤務、召集され軍隊生活で健康を損ねた。復員してしばらく働いているうちに、取り返しがつかぬほどに健康が悪化し、サナトリウムに入った。サナトリウムでは自殺未遂を起こしたことがあり、その後に洗礼を受けていた。

・汐見の心象風景:サナトリウムでは、"あらゆる患者が、死と、死の影とに怯えている中に、汐見ひとりは何ものにも束縛されず自由であるかのように見えた。" その精神の剛毅に打たれた"私"の問いかけに、彼は「僕の精神が生きている限りは、僕という人格は僕のものだよ。」と答えている。
また、彼は言う。「自分の内部にあるありとあらゆるもの、理性も感情も知識も情熱も、すべてが燃え滾(たぎ)って充ち溢れるようなもの、それが生きることだ。考えてみると、僕はもう久しくそうした恍惚感を感じない、幻暈(げんうん)のような恍惚感、とむかし僕は呼んでいたがね。つまりそういうことがなくなってから、僕はもう死んでいたも同然なのだ、今更、肉体の死なんかに何の意味もないさ。」

・2冊のノートについて:未来への希望が持てない状況に置かれている汐見は、眼を過去に向けることにより、昔生きた足跡を、もう一度歩き、そうすることによって、今、もう一度生きようと願った。彼が可能な限り人を愛した18歳の時の春と、24歳の時の秋の2つの場合についてノートの上に再現し、当時解けなかった愛するということの謎について考えようとした。
 
第一の手帳

彼も孤独であり、僕も孤独であり、しかも僕等は愛し合うことが出来なかった。
 
18歳の春、汐見は旧制高校の弓術部の合宿に参加した。汐見は下級生の藤木にプラトニックな愛情を抱いていたが、彼の性急な告白に藤木は、彼にとって汐見の愛が重荷であり、「自分には愛することの責任を持つことが出来ない。」と拒否する。そして汐見の愛を受け入れぬまま、彼は2年後に敗血症で死んだ。
 
・藤木忍のプロフィール:当時、汐見より1年下の17歳。恐らくは亡くなった彼の父親似の冷たい整った目鼻立ち。成績優秀、受動的な性格といえるが、"藤木は一度きめたことを考え直すような人間ではなかった"という強い面も併せ持っていた。母、妹の千枝子と暮らしていた。

・藤木への愛の行方:汐見の潔癖さは、藤木に対する愛を純粋に魂の希求によるものであると自らに思い込ませようとしているようだ。
本当の友情というのは、相手の魂が深い谷底の泉のように、その人間の内部で眠っている、その泉を見つけ出してやることだ、それを汲み取ることだ。それは普通に、理解するという言葉の表すものとはまったく別の、もっと神秘的な、魂の共鳴のようなものだ。僕は藤木にそれを求めているんだ、それが本当の友情だと思うんだ。

彼は、藤木に対しても同様のことを話している。
― 愛するということは世界を創り変えてしまうんだ。もし君が愛したら、 ・・・・・・いいかい、その時には人間の経験を絶したイデアの世界に僕等の魂が飛翔して行くんだ、時間もなく、空間もなく、そこには永遠の悦びがあるんだ・・・・・・。
―汐見さんの好きなプラトーン・・・・・。
―分らないかなあ。
―分りません。

汐見は藤木への愛が必ずしも魂だけのものでないことに気づき始めていて、それを否定するために徒(いたずら)に観念としての愛の中へ自らを追い込んでいるようだ。藤木はそのあたりを察しているようでもあるし、また汐見が自分を理想化することに対する負担に耐えられないこともあり、汐見から離れるようになっていく。
―いつでも汐見さんが、そんな、真剣すぎるような気持ちで僕のことを考えているのかと思うと、僕はとても息苦しくなる。僕は一人きり、そっとしておいてほしいんです。

汐見はサナトリウムで過去を振り返り、年若くして死んでしまった藤木を想って手帳に記す。
僕の死と共に藤木は二度目の死を死ぬだろう。しかしそれまでは、僕の死までは、― 藤木は僕と共にあり、快い音楽のように、僕の魂の中に鳴りひびいているだろう。音楽として印象づけられた人生、それはたとえ短くとも、類(たぐ)いない価値をもつものではないだろうか。

・先輩春日さんの意見:汐見の弓術部の先輩である春日さんの孤独と愛に関する意見には、作者の考えが投影されているようであり、参考になると思うので、要点を引用してみます。

孤独とは;真の孤独というものは、もう何によっても傷つけられることのないぎりぎりのもの、どんな苦しい愛にでも耐えられるものだと思うね。それは魂の力強い、積極的な状態だと思う。

愛することと孤独について;愛することの靱(つよ)さと孤独の靱さとは正比例しないのさ。相手をより強く愛している方が、かえって自分の愛に満足できないで相手から傷つけられてしまうことが多いのだ。しかしそれでも、たとえ傷ついても、常に相手より靱く愛する立場に立つべきなのだ。人から愛されるということは、生ぬるい日向(ひなた)水に涵(ひた)っているようなもので、そこには何の孤独もないのだ。靱く人を愛することは自分の孤独を賭けることだ。たとえ傷つく懼(おそれ)があっても、それが本当の生きかたじゃないだろうか。孤独はそういうふうにして鍛えられ成長して行くのじゃないだろうかね。

春日さんは、汐見の藤木に対する感情は、誰でも経験する麻疹(はしか)のようなものであり、過渡的なものであると言い、愛することでどうして相手を傷つけたりするのか、という汐見の問に対しては、次のように答えている。
君が本当に成長し、君の孤独が真に靱いものになれば、君はじぶんをも他人をも傷つけなくなるのだ。自分が傷つくような愛しかたはまだ若いのだ。
さらに汐見の「春日さんはそういうことはないんですか?」の問いかけに対し、「僕? 僕だって傷ついているよ、そう見えないかい?」と言わせているのは、これが当時の福永さんの心境でもあったのではないか。



第二の手帳

あなたは夢を見ている人なのよ。

藤木が死んだ後も汐見は時折、藤木家を訪れ、次第に妹の千枝子を愛するようになる。千枝子も彼を愛しているが、汐見が彼女の兄を愛した時と同様に、観念としての愛を自分に投影していることに気づき、また神を信じない汐見への愛と、神への愛が共存できないと信じ、彼から遠ざかろうとする。
 
・藤木千枝子のプロフィール:藤木忍の妹で、20歳の数学科の女子大生。際立って美しくはなかったが、その瞳はいつも澄んでいて、そこに知的な光を宿していた。性質が明るく、無邪気で、ほとんど快活といってもいい位。熱心なキリスト教信者であり、無教会キリスト教の集会に参加していた。

・千枝子への愛の行方 :
―だってあなたの言う千枝ちゃんは、あなたの頭の中にだけ住んでいる人よ、このあたしのことじゃない。
生身のあるがままの自分を愛してほしいと願う千枝子は、キリスト教への信仰と汐見への愛との間で悩み、いったんは彼から離れようとするが、信濃路で汐見と再会した時、汐見との愛に自らを賭けようと決心する。
―どうしても神を信じないのね? と訊いた。
―信じない。
―じゃ何を信じるの?
―何も信じない。
―何も信じないの? あたしも信じてくれないの?
―君?・・・・・・君は信じるよ、君だけは。
―でも、でも人間の心なんて儚(はかな)いものよ、神の愛は変らないけれど、人間の愛には終りがあるのよ。
―そうかもしれない。しかし僕は君を選んだのだ。だから、君を愛しているこの僕の心だけは、信じたいのだ。僕が選んだのは君だけだ。
―そう、とかすかに頷いた。

そんな彼女の精神を賭けた愛を汐見は受けとめることができなかった。千枝子が自らを賭けた愛を犠牲にするほどまでに、そして自分自身の千枝子に対する情熱の焔を吹き消すほどまでに汐見の中の孤独は深かったということなのか。

・信仰について:無教会主義のキリスト教徒である千枝子との間で、信仰をめぐる会話が10ページ近くも続く場面があり、後年、受洗することになる福永さんにとって、当時から信仰が重要な問題であったことが想像されます。ここでの論点は、やはり孤独と信仰についてであり、人間の自由の最後の砦としての孤独を、神は許さないであろうし、それ故に信仰をもつことができないと言う汐見の考えかたでしょう。
―僕は孤独な自分だけの信仰を持っていた、と僕はゆっくり言った。しかしそれは、信仰ではないと人から言われた。孤独と信仰とは両立しないと言われたんだ。 (中略)
僕はイエスの生き方にも、その教義にも、同感した。しかし自分が耐えがたく孤独で、しかもこの孤独を棄ててまで神に縋(すが)ることは僕には出来なかった。・・・・・ 人間は弱いからしばしば躓(つまず)く。しかし僕は自分の責任に於いて躓きたかったのだ。僕は神よりは自分の孤独を選んだのだ。外の暗黒(くらき)にいることの方が、寧(むし)ろ人間的だと思った。
―それでも、孤独だからこそ神を求めるのじゃなくて?
―普通にはそうなんだろうね、孤独というのは弱いこと、人間の無力、人間の悲惨を示すものなんだろうね。しかし僕はそれを靭(つよ)いもの、僕自身を支える最後の砦というふうに考えた。傲慢なんだろうね、恐らくは。けれども僕は、人間の無力は人間の責任で、神に頭を下げてまで自分の自由を売り渡したくはなかった。

信仰をもつことが、果たして本当に、人間(個人)としての自由を束縛することになるのかということが、ポイントとなるのではないでしょうか。

・戦争と自己:結局、千枝子との愛の可能性は、汐見の召集により完全に断ち切られることになる。汐見が戦争に抱いていた嫌悪あるいは恐怖は、第一に、生理的な死への怖れ、そして第二には、人を殺すことへの怖れだった。
戦争が始まり、いつ兵隊に取られるかも分らない危険が重苦しい空気のように立罩(たちこ)めて来るにつれて、僕の精神はやみがたく次の一点に集注した、―如何にして武器を執(と)ることに自分を納得させるか。そして自我は、絶えず意識の上に次のような問答を繰り返した、―殺せるか、死ぬか。

・ショパンについて:千枝子と行ったショパンのピアノ協奏曲第1番のコンサートの帰り道、汐見が話すショパン観は、当時の福永さんのそれを代弁しているものと考えていいと思います。なかなか通なんですね。
―ショパンは、どこのPhrase(フレーズ)を取ってみてもみんなショパン的なんだね。そりゃどんな音楽だって、モツァルトはモツァルト的、シューマンはシューマン的なのは当たり前の話だけど、特にショパンの場合には、あの夢見るような旋律が、実に個性的な美しさを持って、すみずみにまで鏤(ちりば)められているのだ。真に独創的なものは、それが繰り返して現れて来るように見える時でも、決して同じものじゃない。細部は微妙に違っていて、ところによっては大胆不敵な手法も使ってあるが、それがまた実にショパン的なんだ。だからほんの一フレーズだけ聞かされても、ショパンのものなら決して他の音楽家のものと間違えるはずがない、と思うよ。
―随分通なのね、と少し皮肉そうに言った。





汐見さんはこのわたくしを愛したのではなくて、わたくしを通して或る永遠なものを、或る純潔なものを、或る女性的なものを、愛したのではないかという疑いでございます。
 
 
"私"は、汐見の残した2冊のノートを千枝子に読ませるべきか判断がつきかね、彼女に汐見のこと、それからノートの内容について詳しく書いた手紙を送った。しばらくたって届いた千枝子からの返事は、細かいペン字で書かれた長いものだった。
 

・千枝子の心象風景
千枝子は女子大を卒業後、汐見の後輩の石井と結婚し、子供も生まれていた。彼女にとって、汐見のサナトリウムでの死の知らせは、思いもかけぬことだった。過去を振り返り、汐見との愛についての認識を、彼女は手紙に書き記している。

 その頃わたくしが漠然と感じ、今いっそうはっきりと感じますことは、塩見さんはこのわたくしを愛したのではなくて、わたくしを通して或る永遠なものを、或る純潔なものを、或る女性的なものを、愛したのではないかという疑いでございます。或る永遠なものとは、あの方が遂に信じようとなさらなかった神、或る純潔なものとはわたくしの兄、或る女性的なものとは恐らくゲーテの久遠の女性のようなあの方の理想の人だったのでございましょう。その中でもわたくしは、汐見さんがわたくしの兄を見た眼でわたくしを見、わたくしを見ながら兄のことを考えているのを、折に付けて感じないわけには参りませんでした。わたくしは兄を心から愛しておりました。兄は本当に純潔な、美しい魂を持っていた人でした。兄は若く死にました。しかし汐見さんの心の中では、兄はいつでも生きていたのでございます。

 わたくしは汐見さんを愛する時、その陰にある兄を感じ、亡くなった兄を憎みました。憎む、というのは容易ならぬ言葉ですが、わたくしはわたくしの気持ちを飾りたくはございません。汐見さんもわたくしも、兄の、今はもうこの世にない人の、影響の下に生きておりました。それが恐らく、わたくしを汐見さんから引き離し、石井の申出に応じさせた原因の一つでもございましょう。
 

作者のコメント

作者の手から離れた作品は、作者の意図とは切り離して鑑賞されるべきとは思いますが、参考までに掲載します。
  
『友情の中の愛』('55年12月)より 随筆集「遠くのこだま」所収
 友情というものは、恋愛とは対照的なものと考えられているし、また恋愛へ移行する前提的な精神作用とも考えられている。つまり、同性の間に感じられる愛―同性愛という意味ではない―と異性の間に感じられる愛とを、二つの別個のものとして見るか、或いは前者を後者へ至る一つの道程として見るかである。しかしその何れの場合にも、そこには愛があり、愛の本質には変わりがないだろう。
 僕は「草の花」という小説を書いて、その中にこの二つの現象を併置したが、その何れも、内に潜む純粋な愛を抽出してみようと思ったからである。あの小説の中で、同性に対する愛が異性に対するそれよりも、鋭くかつ豊穣に描かれているからといって、僕が友情を恋愛よりも特に重んじているわけではない。僕の書いた友情は特殊のケースだし、それはあらゆる場合に当てはまるとは限らない。
 しかし僕は今でも、十代の終りごろに人の経験する友情、殆ど異性への愛と同じ情熱と苦悩とが、プラトニックであるだけに一層純粋な観念として体験される友情に、深い意義を覚えている。愛というものはすべてエゴの働きだが、このような友情は無償の行為というに等しい。この殆ど無意味とも思われる愛、相手が同性であるだけに一種の疚(やま)しさと心苦しさとを感じ、その愛の充足がどのようになされるのか、それさえも定かではないような愛の中で、人は自分の魂の位置を測定する。つまり愛するということは自分の魂を見詰めることであり、それは異性への愛の場合と少しも変らない。


『失われた青春』('54年2月)より 随筆集「遠くのこだま」所収
 僕の今度書いた長篇「草の花」も、一つの失われた青春の物語だが、書いている間、僕はその青春を生きていた。僕は自分の青春をも、また架空の青春をも、それをもう一度生きようとは思わないが、振り返って、それが失われたとも思わない。魂が成長する時に、それは外界からの如何なる圧迫にも拘らず、成長するのである。
 僕はサナトリウムに7年ばかりいて、その間に、多くの年少の友人たちが病気に苦しむのを見た。病気の過酷さや、経済的な悪条件や、愛情の頼みがたさによって、彼らは失われた青春を生きていた。他人の空しい言葉など何にもならないところで、彼らは自分の青春を孤独なままに築いて行くほかはなかった。しかしそれもまた青春なのだ。希望の多い華やかな日々を送っている青年たちと較べて、これらの不幸な歪められた青春もやはり生きるに値するものだ。彼らが生き残って過去を振り返った時に、たとえ失われた青春でもそこに一人一人に固有の意味があったと、彼らは気がつくだろう。そして人生とは、常に何ものかを失いつつ生きて行くことだと知るだろう。


『中村真一郎との対談』('71年4月)より 対談集「小説の愉しみ」所収
中村 君が「草の花」を書いたのは、いつだっけ。
福永 サナトリウムを出た年に書いた。夏休みから書き始めたから、卒業論文みたいなものだな。書いていてどうもうまくいかないから、初めと終りにわくを作ることにしてね。君はやはり油屋で「夜半楽」を書いてたろ。
中村 ということは、つまり堀さんがなくなった年だな。
福永 堀さんの全集の計画があって、それでひと夏油屋にいたから、そこで書きはじめて、ちょうどその年のクリスマスごろに書き上げたんだ。僕の小説の中では、あれは例外的に自伝的だな。
中村 全然知らないや、あの中に書かれていること。きみに関しては、ぼくの知らない非常に大きな部分があって、そしてある部分で、きみと親しくつきあっていた、という気がするね。
福永 事件は、みんなウソさ。和船なんか漕げないし、泳ぎもできないしね。だけど、人だけは使った。高等学校の弓術部の写真があれば、この人がこのモデルというように、だいたい、言えるよ。まあ、二人合わせて一人にしたものもあるけど。
 けっきょく、ゲーテじゃないけれども、小説っていうのは、二十歳ぐらいまでに考えたことを、だんだんに刈り取っていくことじゃなかろうか。そういう意味じゃ、青春というか、もっと幼年時代までさかのぼってもいいが、幼年から青春までの間の一番大事なことが、根だけはずっとあって、まあ途中で立ち枯れるのもあるけど、その根から育ったのを上手に刈り取ったものが作品ということになるんじゃないかね。

 

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