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塔 初出: 「高原」(1946・8) 僕は愛によって孤独を医す代りに、愛によって恐怖を知った。僕は今にして初めて、僕の生が如何に悲しい矛盾に充ちていたかを暁ったのだ。そして未来は......。 |
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いつの頃からか草原に立っていた塔の中に入った僕は、そこにある7つの部屋を巡ることになる。それらの部屋の中では僕の願望は、ひとつとして充たされぬものはなかった。 第1の部屋:僕はまず世界の民に命令する至高の王としての自分を見出した。 第2の部屋:未知の風物に開く大きな窓を持っていた。僕は古いアラビアの物語にある魔法の馬、魔術師の絨毯を持ったよりも、一層速かにこの窓から世界の隅々にまで行った。 第3の部屋:僕の望むままに世界の富があった。 第4の部屋:僕は神学、天文学、哲学を極め、あらゆる人間の学を通って動物、植物、鉱物の学をも修めた。 第5の部屋:僕は友の愛していた少女を得て、部屋の中で、香水よりも花々よりも新鮮な果実よりもなお香しい彼女の香気のうちに生きた。 第6の部屋:僕の生の全てである彼女の愛を全的に所有するために、僕は友と対決した。 第7の部屋:そこは部屋ではなく銃眼のある壁に囲まれた狭い望楼だった。天井の代りに、輝く星座をちりばめた夜の空が塔の上に懸っていた。 著者が27歳の時に発表された最初の小説作品であり、選び抜かれた言葉によって凝縮、構築された文章には、作者の意気込みが感じられるようです。かなり観念的な作品で、いかなる栄華も、知識も、そして愛ですら生の倦怠を救うことは出来ないという基調を読み取ることが可能ですが、それだけではなく、無垢であった幼い日への憧憬がこめられているように思われます。 僕たちにとって、やがて展開すべき生の諸相はなんという光彩と希望とに充ちていたことだろう。生は僕たちの幼い頭脳に未来の体験の種子を投げた。僕たちはまだ何ものをも知らず、生は塔のように未知だった。 |
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雨 初出: 「近代文学」(1947・11) 不安なのはこの雨の音だ。それが何がなしに心の奥底に滓(おり)のように淀んでいる。 |
雨の日、僕はアパートでルル子が来るのを待っている。ルル子は喫茶店で働いていて、戦争の後闇屋(ブローカー)をやっている僕と、頼りない相棒の昌二が偶然店に入って知るようになった女だ。モーションをかけて、やっと今日アパートに来る手はずとなったのにまだ来ない。昌二は、闇屋をやめてふるさとへ帰ると急に言い出すし、おまけに嫌いな雨が降っているし。それにしてもルル子は変わった女だ。雨の日が好きだなんて。「......雨の降る日は何だかぞくぞくしてね。どうしてかしら。子供の頃からそうなのよ。雨の中を跣足(はだし)でお庭を歩き廻るのが大好きだった。濡れた芝生、苔でぬるぬるした石、泉水の中にも足を突っ込んだ。ママに叱られるのよ、着物が濡れるって。何だいこんな着物なんか、それで今度は裸で飛び出してやった......。」 窓の外はもう夜だ。ルル子は一体どうしたんだろう。 語り手である僕の心の底にある滓は、雨のためではなく心の不安(ルル子を、昌二を失うことに対する)であることに僕はやがて気づく。全編を覆う雨のイメージ、ルル子の持つ退嬰的な雰囲気、そして僕と昌二の闇屋稼業、これらにより戦後間もない東京の刹那的な空気が感じ取れます。 「わたしももう疲れているのよ。昌二さんじゃないけど。都会には何の平和もないわ。物価は高いし、男は鵜の目鷹の目で女を狙っているし、御免なさい、あなたの悪口じゃないんだけど、新しい刺戟は多いけど楽じゃないわねえ。.....」 戦争直後も今も状況は何も変わっていないという事か。 |
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めたもるふぉおず 初 : 「綜合分化」(1947・11) そうだ、これが僕の求めていた奇蹟なのだ。僕もまた動物になろう、彼は嬉しげにそう呟いた。どんな動物でもいい、人間でないことのなかに幸福があるのだ。 |
立花文平は3年の軍隊生活を送り終戦後、北海道の銀行で働いていた。彼には銀行の内部が牢屋のように思われ、同僚も、いやな上司も自分も含めみんな檻の中の動物のように感じられた。心を許せるのは下宿屋の強欲婆さんの養女である「ウサちゃん」こと伊佐子だけだった。ある日、銀行でいわれのない嫌疑を受け激昂した文平は上司を殴った。そのとき変化が起こり、彼の目の前で周囲の人間が動物に変貌してしまった。恐怖に襲われた文平は下宿に逃げ帰り、伊佐子の介抱で眠りにつくが、目覚めると伊佐子もウサギに変身していた。 軍隊生活で、またサラリーマンとして銀行で働く中で一切のものに幻滅した文平は考える...... 人間は何のために生きているのだろうか。文平が考えているのはそのことだった。何のために生きているのだろうか。 僕の周囲にいる人たちは、誰も封建的な、人間の自由というものを持ち合わせていない、言わば獣のような人たちだ。彼らは皆、動物的な情熱を持っている。 彼は自分の中にも、他人の中にも人間を発見し得なかった。そして人間はどこにもいない、どこに行っても同じことだ、という絶望が、彼をいつまでもこの土地にとどめていた。万にひとつの奇蹟を彼は信じることが出来なかった。 そして周囲の重圧が彼の内面を変化させ、奇蹟が起こった。 |
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河 初出: 「人間」(1948・3) この河の向こうにはきっと素晴らしい世界があるだろう。もっと生きがいのある、もっと華やかな世界があるだろう。僕は落日の眩しい対岸の空を見詰めながら、そう考えていた。 |
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母親が僕を生んですぐ亡くなり、そのあと父親は僕を田舎にずっと預けたままでいたが、不意に現れ僕を引き取って一緒に暮らすようになった。父親と二人きりの心の浮き立つような生活を空想していたが父親の心は固く閉ざされ僕は言いようのない孤独を感じた。父は、僕が母の面影を持っているために、僕を見るたびつらくなると言い、また別れて暮らしてくれと頼んだ。 読んでいると胸の痛くなるような哀しい小説です。愛を拒絶されることがいかにつらいことであるか。ましてや子供にとって。 僕の愛する人は誰もいない。そして誰も僕を愛してはくれない。僕はそう呟いていた。僕の魂は愛に餓えながら、愛は魂から欠け落ちてしまっていた。 救いがあるのは、過去に生きている父とは違い、少年である僕にはまだ未来が信じられること。 美しい、生きていることは美しい、と僕は思った。僕はそれを何とかして父親に言いたかった。こうした落日の風景の中にいてさえも、人は心を苦しめずにはいられないのだろうか。 数日の後、僕は父親の忠告の通りにただひとり河を渡り、世の中に、生きている者だけが生きている世の中に、旅立った。 |
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遠方のパトス 初 : 「近代文学」(1953・1) 僕たちにはもう愛することなんか出来ないだろう、と彼は思った。僕たちはみんななくしてしまった。 |
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戦後まだ間もない夏に、学生である沢はアルバイトの翻訳のため、友人と山中湖にある寮に来ていた。5年前にここで彼らの友人の吉住が湖で入水自殺していた。戦争で人を殺すより自分を殺す方がいいと言っていた吉住は、弥生を愛していたが彼女の愛を得ることが出来ずに死んでしまった。沢も弥生を愛していて、アメリカに留学するという彼女から会いたいとの手紙を受け取る。 戦争で死んでいった友人たちや自死した吉住を思う時、沢は愛することの無力感を拭い去ることが出来ない。それは吉住の愛を拒否することで彼を死に追いやってしまったと自分を責めている弥生にとっても同様だった。 あの人は火のように燃えた、そして自らを燃やし尽くした、愛するというのはそういうこと、私は自らを燃やさなかった、愛するというのは賭ける事、わたしは自らを賭けなかった、....... 孤独を抱えながらも、自らの孤独を賭けてまで愛することが出来なかった二人。 |
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時計 初出: 「新潮」(1953・4) あの人が生きるか、私が生きるか、そのどちらかでなければならなかった。 |
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病院に勤務する薬剤師の由美のもとに、かつて彼女が愛した小名木から、アナウンサーである彼が出演するラジオ番組を聞いてくれとのはがきが届く。由美はラジオを聞くため喫茶店に入るが腕時計がとまっていたため放送を聞くことが出来なかった。彼女は、以前小名木から別れて欲しいと言われた時に、彼を毒殺しようとして果たせなかったことを思い出し、とまってしまった時計と自分を重ね合わせ、自分が生き続ける意味を見出せなくなっていった。 小名木から別れ話を切り出された時、そして小名木を殺すことができなかった時に由美の心の時計はとまってしまっていたのだろう。腕時計がとまっているのに気づいた時、彼女はそのことをはっきりと認識した。 狂った時計ととまった時計とは、役に立たないという点では同じなのだ。わたしという時計が狂った時刻をしか示さない以上、それはもうない方がいいのだ。 彼女は時計を壁に投げつけ、時計と自分の再生の可能性を絶ってしまう。 |
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水中花 初出: 「新潮」(1954・6) 夢の中にいるということと、夢をみるということは違うのね、と彼女は言った。 |
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僕は山の手にある友人の青木の家で彼の妹の八千代に出会う。彼女は僕を見て、僕をかつての恋人江口と取り違えてしまう。彼女は、江口と会っているときに愛する祖母を亡くし、その後、戦争で江口を亡くしたことから精神を病み、自分の夢の世界の中で生きていた。彼女を愛し始めていた僕は、青木に頼まれ、江口に扮して彼女の罪業感を取り除こうとするが......。 彼女が夢から覚めた時、彼女には現実と向き合うだけの力がなかった。彼女は誰かを愛し、誰かに愛されていなければ、その意識の支えがなければ、生きて行けなかった。愛してくれる人を新しく待つ勇気さえあれば。 コップの水にひたされて、色美しい形に開く水中花のように、すべての記憶がその隅々まで花開いた。それは美しいがしかしもろいものだった。狂気という水の中でしか、本来、花開くべきものではなかったのだ。 |
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