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夢見る少年の昼と夜 初出: 「文学界」(1954 ・11) 僕ハオ母サンガ恋シイカラ、寂シイノジャナイ。....キット僕ガ子供ノセイナンダ。 |
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幼い頃に母をなくした太郎は父とお手伝いの3人暮らし。父の転勤のため転校を1週間後に控えた夏休みの1日が、太郎の意識の内面をたどりながら描かれています。小学校5年生の太郎は、忙しい父親がかまってくれないこともあり、寂しい内面を満たすために物語の世界に没入していて、今は夢中になっているギリシア神話の世界が太郎にとっての現実に影響を与えています。 太郎が今凝っているのはアルゴ船と金羊毛の話だ。その前はペルセウスだった。その前はピーターパンで、その前が古事記物語、その前が青い鳥、その前が千夜一夜、その前が小川未明とアンデルセン。いつでも現に読んでいる本の世界が、現実よりももっと現実的になるのだ。 思春期の入り口にいる太郎には、孤独の意識と呼応するように周囲の女性への強い関心が意識されていて、それは2年生の時の担任の青山先生には母性への憧憬としてであり、身近な存在である友達の姉の好子さんへは苛めてみたいという欲望、そして同級で美少女の愛ちゃんには、初恋といった風です。太郎の空想の神話の世界の中では彼女らは、サムソンを騙すダリラであったり、海岸の岩に裸で縛られたアンドロメダであったりして彼の心を騒がせます。太郎は、そんな自分を持て余していて、彼の心の中には成熟することに対する嫌悪感が芽生えているようです。 子供ハイツダッテ大人ノ言イナリニナラナキャナラナインダカラ詰ラナイ。ケレド僕ハ、キット十八デ死ヌダロウ。 なぜ十八歳ときめてしまったのか、太郎にも分らなかった。しかし死ぬことは少しも怖くはなかった。大人になるよりも、その方が何だか綺麗でさっぱりしているような気がした。 |
秋の嘆き 初出: 「明窓」(1954 ・11) 兄さん、兄さんはそれを知ったのね、知っていたのね、...... |
早苗の兄が死んでからもう10年が過ぎた。大学生だった兄が自殺した背景には何か不可解なものがあるようであり、早苗の母は、その事を知っているようであったが、死ぬまで早苗に打ち明けてはくれなかった。彼女との結婚を考えていた麻野から手紙が届き、そこには早苗の父の死にまで溯る暗い宿命のため、結婚できない旨が記されていた。 私にもこれからあと、毎晩のように不眠の夜があるだろう、と早苗は思った。不眠と、浅い眠りと、幻想と、悪夢とがあるだろう。私を相手にしてくれず、私と結婚しようという人もなくなるだろう。 でも私は生きる、と彼女は呟いた。 心のより所にする兄と母を既に亡くし、自らをも信じきれない孤独の極点に置かれた早苗の心象風景を描いています。 |
沼 初出: 「別冊文芸春秋」(1955 ・8) 夢でもいいから、どうしても島へ行ってみたかった。そこまで行けば大人になれるんだ。 |
母親に一人で行ってはいけないと言われていた沼に、子供は惹かれていた。沼には小さな島があり、ある日、知らない男から島へ渡してあげようと言われた子供は、普段父親からやさしくしてもらったことがない為か、思わず逃げ出してしまう。 なぜそんなに急に逃げ出したのだろう。やさしそうな小父ちゃんだった。もしあの時逃げ出さなかったなら、きっと島へ行けたのだ。島へ行ってたら、どんなに面白かっただろう。ひょっとしたら、僕はもうボクじゃなくなって、誰かほかの人になっていたかもしれない。あそこに行った人だけが、大人になれるのかもしれない。 子供の心の奥底にある思いは、大人になれば父親が愛してくれないという現実の悲しさから訣別できるのでは、ということなのだろう。そして独力で島にたどり着くことが、大人への通過儀礼として認識されているようだ。ある夜、両親が寝た後、子供は家を抜け出して沼へ向かい島へ渡ろうとする。 子供は島の上で一人だった。それを取り囲む沼の中で、一人で、少し顫(ふる)えながら、僕はもう大人だと考えていた。もう何も怖くはない。お父ちゃんだって怖くはない。 |
風景 初出: 「新潮」(1955 ・11) あんたはあたしが好きなんでしょう、それだけでいいじゃないの? |
私が療養所にいた頃、あまり病人じみたところのない、よく肥った、血色のいい青年の患者がいた。私は、彼が薬剤師であること、一人の女と暮らしその女が死んだことなどの乏しい材料から、彼の運命を思い描いた...... "彼は上田のある病院に薬剤師として赴任し、結核患者の女と知り合う。彼女は夫を戦争で亡くし不身持との評判であったが、彼は彼女と一緒に暮らすようになり、病状の進行と共に、死を口にするようになった彼女に同情し服毒心中を図った・・・・ " 私は、療養所を出てから10年後、上田に遊びに行った。城址公園を散策しながら彼のことを思い出し、そのころ私が彼の身の上について暗い風景を思い描いていたのは、すべて埒(らち)もないことだったと思う。 私の思い描いた風景はただ私一人の妄想だったかもしれないが、この城址(しろあと)の風景、このおだやかな、明るい、懐古的な風景と、それを見ながら彼の心に浮かんだあのささやかな願い、「どんなに平凡でもいい、僕はただ人並みの暮しがしてみたい、」といった願いだけは、彼にとって常に真実だったように思われてならない。 |
死神の馭者 初出: 「群像」(1956 ・2) お父さんは死神の馭者だ。みんなに死を配って歩くのだ。 |
僕の住むアパートの正面にある長屋に暮らすタクシーの運転手の一家の小学生の男の子と知り合うようになった僕は、彼を通じて一家の悲惨な生活を知るようになった。ある日、そば屋で一家の父親を見かけ、そば屋の亭主との話から、運転手が人を轢いたことがあるに違いないと想像をめぐらした僕は、その晩恐ろしい夢を見た。運転手が操縦する車に僕が乗っていて、夜の町を走らせているのだった。 ― 轢いた! ― 轢いた! 僕は車の恐るべきスピイドにも拘らず、道端に立ってこちらを指差している通行人の驚いた顔を一つ一つ見た。夜の町の暗さの中で、その顔の一つ一つは開いた口、ぎょっとした眼指(まなざし)、血の気の失せた表情を、鮮やかに見せていた。彼等は口々に叫んだ。その声までが僕の耳にはっきりと聞こえて来た。 ― あいつは死神の馭者だ! ― あいつは死神の馭者だ! ある日、男の子の弟が車に轢かれて死んでしまう。僕は熱病で寝込んでしまい、夢うつつの中で子供が父親に向かって甲高い声で責めるのを聞いたように思った。 ― お父さんは死神の馭者だ。みんなに死を配って歩くのだ。 父親はゆらりと立ち上がった。 ― 殺すの、僕も殺すの? よし僕はみんなに言ってやるぞ! 子供は逃げ出した。人通りの少ない夜の町の中へ一目散に駆け出した。小さな拳を握り締めたまま、息も継がずにひた走りに走った。父親は駐(と)めてあったタクシイに飛び乗ると、そのあとを追い掛け始めた。春の靄(もや)が燈火を滲ませているコンクリイトの夜道の上を、子供は飛礫(つぶて)のように飛び、車は黒い翼の鳥のように羽ばたいた。子供と車とは何処までも何処までも走り続けた。子供の悲鳴と、自動車のエンジンの唸りとが、夜の町を真一文字に引き裂いた・・・・・・。 ようやく熱が下がった僕は、運転手一家が夜逃げをしたことを知った。 運転手一家の悲惨な状況と並行して、僕が恋人の保母さんに振られてしまう話がユーモラスに語られ、対比されています。僕が熱にうなされて見る悪夢の真に迫る情景描写は福永さんならではのもの。 |
幻影 初出: 「文学界」(1956 ・2) 僕はそして自分の幻影を見たのだ。今までは僕は本当に生きて来たのか、僕は幻影の中を生きて来たのではないか。 |
私は、ある恋愛事件を男女双方の当事者から話を聞く機会があった。療養所で暮らすA子は、かつて東大を卒業して助手をしていたKと愛し合っていた。Kが応召され別れ、その後A子は病気になって療養所に入った。Kは復員後、一度だけ彼女の見舞いに来ただけで、その後、A子が毎日彼に宛てて手紙を書いていたにもかかわらず、二度と彼女に会おうとはしなかった。彼女の病状が絶望的な状態となった時、A子の友人の願いでようやくKはA子との面会を承諾した。しかし、Kには過去の幻影に生きるA子と、戦争で生死ぎりぎりの状況の中で幻影を棄てた自分とでは、状況があまりにも違ってしまっているがわかっていた。 ・・・私はあの薄暗かった戦争中の街々の風景を思い出していた。すると不意に、私の耳に「また会う日まで」の合唱が聞え出した。それは執拗に、いつまでも私の内部で響いていた。そして私はその声に揺(ゆす)られながら、最後まで一つの幻影を追って死んだ女と、自ら幻影を棄てて現実の中に生きた男と、果してどちらの方が幸福だったろうかと、いつまでも考えあぐねていた。 |
一時間の航海 初出: 「別冊文芸春秋」(1957 ・2) もしこの人が僕を愛し、僕を信頼し、どんな危険をも僕に任せてしまえば、この人は不安から救われる筈だ。もし僕を愛しさえしたら・・・・・・ |
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