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好きな作家紹介 
アントニオ・タブッキ(1943 - )
Antonio Tabucchi

イタリアの作家。ピサの生まれ。小説家として知られるまでは、ポルトガルの二十世紀最大の詩人フェルナンド・ペソアの紹介者として著名だった。「供述によるとペレイラは・・・・」(1994)により、イタリアの権威ある文学賞であるカンピエッロ賞とスーパー・ヴィアレッジョ賞を同時受賞した。


以下を紹介しています。クリックでリンクします。

■作品 関連Webサイト
作品リスト


1.インド夜想曲(1984)
'93初版 須賀敦子 訳

『夜熟睡しない人間は多かれ少なかれ罪を犯している。彼らはなにをするのか。夜を現存させているのだ。』
/ モリス・ブランショ (巻頭に掲げられた言葉)

『人間のからだは、もしかすると、ただの見せかけかも知れない。それは、われわれの実質を隠し、われわれの光、あるいは影を厚く覆っている。』
/ ヴィクトル・ユーゴ 


 冒頭に置かれた"はじめに"で、"これは、不眠の本であるだけでなく、旅の本である"こと、また"≪影≫の探求である"ことが表明されていますが、この作品はイタリア人である主人公がシャヴィエルという失踪した友達を捜しながら、インド国内をボンベイ(現在はムンヴァイと改名されている)からマドラスを経てゴアに至る旅をする物語であり、全体が12の章(エピソード)から構成されています。

 見るという純粋行為のなかには、かならずサディスムがある、と言ったのは誰だったろうか。思い出そうとしたが、名がうかばないままに、この言葉のなかにはなにか真実があるのを僕は感じていた。それで、僕はますます貪欲にあたりを眺めたが、自分本人はどこかわからないが他の場所にいて、見ているのは二つの目にすぎないという意識がつめたく冴えていた。

 この作品の中で、探索者である「僕」は、探索されるシャヴィエルの人物像に比べると存在感が希薄となっていて、それは探索者として、また旅のガイドとして"見ること"に徹しようとする「僕」の姿勢によるものなんだろうと考えられますが、読み進むうちに、現実の世界と「僕」の目に映った世界にずれが生じてくるような感覚にとらわれ、もしかしたら熟睡できずに半睡のなかで「僕」が見ている「《影》の探求」の夢に付き合わされているのではないかという思いを抱きました。
 この作品がもつ幻想的な雰囲気を不自然と感ずることなく受容できるのは、インドという聖と俗、過去と現在、富と貧困とが混沌の中に共存している世界を背景にしているからなのでしょう。
 12のエピソードの中ではマドラスからゴアへ向かう夜行長距離バスの停留所での「僕」とジャイナ教の予言者の兄を持つ少年との会話がとくに心に残りました。「あなたは、もうひとりの人である」と言われ、「それはだれだろう?」と尋ねる「僕」に、「それはなんでもいい、マーヤ―にすぎないから」と少年は答えます。  

「マーヤーってなんだい」
「この世の仮のすがたです」と少年はこたえた。「でもそれは、幻影にすぎないのです。大事なのは、アトマンだけです」それから、少年は兄に相談し、確信に満ちて言った。
「大事なのはアトマンです」
「それじゃ、アトマンってなんだ」
僕の無智に少年はにっこりした。「The soul. 個人のたましいです」


 「僕」にとって"≪影≫の探求"とは、幻影にすぎない自分自身の発見にほかならなかったようです。

(映画)インド夜想曲(仏・'89)
(監)アラン・コルノー (演)ジャン=ユーグ・アングラード '89 モントリオール映画国際特別賞

 私は夜の鳥になった。/ フェルナンド・ペソア

 原作におおむね沿った映画化作品です。主人公を演ずる俳優も適役だし、なによりインドという国の生の雰囲気が観る側に伝わってくるのがとてもいいです。これも原作の"旅の本でもある"という視点をうまく映像化できたためなんでしょう。バックに流れるシューベルトの弦楽五重奏曲の第2楽章の冒頭部分、まさに音楽が生成する瞬間に立ち会っているようなこの部分が、映画の雰囲気に調和していました。
 僕も通算して約6ヶ月くらいのインド体験があって(仕事です)、映画の様々な場面で、インドのにおいが立ちのぼってくるのを感じました。そのうちのいくつかを書いてみます(引用は、詞を除き原作から);
  • ボンベイのタクシーのエピソード(第1章) 
     映画の最初のシーンでタクシーの運転手が話すあのインド英語。ヒンズーなまりなんだろうけど、あの調子で機関銃のように話されると、戦意を喪失してしまいます(インドは日常でもディベートする場面が多々発生するところです)。   
  • 病院の山と積まれたカルテ(第2章) 
     奥の壁ぎわには、洗い場と思われる大きなセメントの水槽があって、その中には書類がいっぱいつまっていた。水槽のそばには長いテーブルがあったが、その上にも書類は積まれていた。医者はたちあがって、部屋の奥に行った。片足をひきずっているようだった。彼はテーブルの上の書類をかきわけて、また探しはじめた。遠目には、ノートの紙と茶色の包装紙を切ったもののようだった。 
     体調を崩したことはありますが、幸い入院したことはありません。そういえば、海外担当の営業部員でインドへ2回行って、2回とも当地の病院に入院した男がいました。映画の中の病院のカルテの山は、官庁での風景と同じ。その外観からは想像し難い、暗くて今にも内部崩壊しそうな建物の中の役人の机の上には、あまり紙質のよくない書類をひもで束ねたのがたくさん積んであって、話をしている間にも同じような書類の束が運ばれてくる。まさか今も同じということはないだろうけど....。
  • ヒンドゥー教の神様(第2章)
     「わたしの名はガネシュです」と彼は言った。「象の顔をした快活な神様とおなじです」
     インド人の約8割がヒンドゥー教徒で、ガネシャは象の姿をした繁栄と学問の神様でとても人気があります、ヒンズーの神々は、このほか比較的知られているシヴァとかクリシュナの他に、まだまだたくさんあって、ケバい彩色の肖像画をそこここで見ることができます。滞印中は音楽の女神サラスヴァティーとか富の女神ラクシュミーを近しく感じておりました。  
  • 夜のバス(第7章) 
     眠りこけた村をたまさか通りすぎる他はなにもない平野をよこぎって、バスは走っていた。やがて道はのぼり坂になったが、いくつかのヘア・ピン・カーブを曲がるたびに、僕は運転手の屈託のなさに少々へきえきした。しかし、そのあとは、また、物音ひとつしないインドの夜にすっぽりとつつまれてまっすぐな広い道路をバスはひたすら走った。
      夜のバスが僕をのせて走る 広い窓もただの黒い壁だ
    なにもかもが闇の中に ただ夜のバスだけが矢のように走る
    ("夜のバス"より アルバム『センチメンタル』収録/井上陽水
    )    
     陽水の歌の"矢のように走る"という詞そのままに、飛ばしまくる神風ドライバー。そのせいか道端に捨ててある事故車の多くが正面衝突、谷に落ちている車も珍しくない。デカン高原に位置するバンガロールまでの夜行バスに乗ったことがあって、唯一の外国人に敬意を表してかドライバーのすぐ後ろに席をとってくれたのでよく見えた哲人の風貌の彼のハンドルとギアさばきは芸術的で、眠るどころではなかった。
     多くのインドの人たちと個人的に親しく付き合ってみて、人種、宗教、環境とかが違っても、人間としての基本的な思いは同じなんだなあとしみじみ感じました。僕がイメージするインドというところは、神秘的でも幻想的でもなくて、とことん現実に立脚した猥雑さとあくの強さが半端でなくて、その辺がまた面白いところなので、体力に自信があって、好奇心の旺盛な方にはおすすめです。


2.フェルナンド・ペソア最後の三日間(1995)
青土社 '97年初版

 ペソアに心酔し、最大の紹介者でもあったタブッキが、ペソアが47歳で亡くなる最後の3日間を再構成してみせた作品です。
 ペソアはそれぞれ独立した人格をもった70を超える異名を創造し、それらの名前(人格)のもとに作品を書くという稀有な方法論をとった作家ですが、このタブッキの小説では、死の床にあるペソアをこれら異名者たちが別れに訪れ、創造者であるペソアと話を交わすという設定になっています。
 登場する異名者たちは、前衛派の詩人、ニヒリストであるアルヴァロ・デ・カンポス、ペソアとその異名たちすべての師であり、一見哀愁を帯びた純情な詩を書いたアルベルト・カエイロ、感覚主義者で唯物論者、古典的な詩人だったリカルド・レイス、リスボンの繊維の輸出入会社で会計助手として勤務し、『不穏の書』を著したベルナルド・ソアーレス、そして哲学者で精神病院で生涯を終えたアントニオ・モーラらでした。

きみはほんとうに誰かを愛したことがあるのかい? ペソアがささやいた。
ほんとうに人を愛したことはある、小声でカンポスは応えた。
だったらきみを許そう、ペソアは言った。ぼくはきみを許すよ、きみは生涯愛したのは理論だけじゃないかと思っていたからね。

 3日目の夜、最後の日に訪れたアントニオ・モーラにペソアは別れの言葉を語ります。

 わたしは無限の空間の奥底に、オリオンの偽造者を見ましたし、わたしはこの人間の足で南十字の上を歩きましたし、光る流星のように終わりのない夜を、想像力の間惑星空間を、欲望と不安を横断してきました。そしてわたしは男、女、老人、少女でした、西洋のいくつもの首都の大通りの群集であり、わたしたちがその落着きと思慮深さをうらやむ東洋の平静なブッダでした。わたしは自分自身であり、また他人、わたしがなり得たすべての他人でした。

 本書は、"もしかしたら人が死ぬのは充分に夢を見ないからかもしれません" と書いたペソアにタブッキが捧げた"夢の書"であると思います。

(参考)不穏の書、断章(未完)/フェルナンド・ペソア
思潮社 '00年初版 澤田直 訳

 『不穏の書』はリスボン在住の会計助手、ベルナルド・ソアレスの手記という体裁をとった、ポルトガルの詩人ペソア(1888−1935)の未刊の散文集で、死後に残された夥しい量の遺稿から編集された長短さまざまな520の断片からなり、この日本語版はそのうちの10分の1くらいを訳出したものです。内容的には、日常に取材したエッセイ風のものから哲学的論考、文学論まで多岐にわたっています。
 『断章』は、ペソアが書き残した言葉から訳者が好きな99の一節を選び出したものです。
 ペソアは今世紀ポルトガル最大の詩人というだけでなく、20世紀を代表する作家の一人として考えられていて、タブッキが傾倒し、彼の作品『インド夜想曲』、『レクイエム』、『フェルナンド・ペソア最後の三日間』にも登場しています。この本に取り上げられた彼の文章の断片から、天性の詩人の感性に触れることができます。

― 『断章』より ―

私は自分自身の旅人
そよ風のなかに音楽を聞く
私のさまよえる魂も
ひとつの旅の音楽

あらゆる真の感動は、知性にとっては嘘だ。感動は知性の手から逃れてしまうから。

私はおそらく、この地上ではいかなる使命も担っていないのだ。

人生を遠くから眺めること。けっしてそれを問い質してはならない。

愛は永遠の無垢
唯一の無垢 それは考えないこと

ただ夢だけが永遠で美しい。それなのに、なぜあいもかわらず語り続けているのか。


― 『不穏の書』より ―
 画布(キャンバス)に描かれたすべてを次から次へと消して、新しい夜明けごとに感情の永遠の処女として毎回新たな自分を見出す事 ― これが、これだけが存在するに値するもの、所有するに値するものだ。不完全な自分から、完全な自分になるために。

 私たちを取りかこんでいるすべてのものは、私たちの一部になり、肉体や命の感覚自体のなかに染み込んでいる。大きな蜘蛛の吐き出す糸が私たちを巧妙にすぐ近くにあるものに結びつけてしまい、私たちを風に揺らす緩慢な死の軽い寝床のなかで揺する。すべては私たちで、私たちはすべてだ。しかし、それがなんの役に立とうか。すべては無なのだから。太陽の光線、一片の雲 ― その影だけが雲の通過を私たちに告げる ― 、そよぐ微風、風のやんだ後の静寂、あれこれの顔、遠くの声、談笑、そして夜。意味もなく、星たちの砕けた象形文字が浮かび上がる。

 人生を生きよ。人生によって生きられるな。
 真理にあっても誤謬にあっても、快楽にあっても倦怠にあっても、本当の自分自身であれ。それは夢みることによってしか到達できない。なぜなら現実生活は、世間の生活は、自分自身に属しているどころか、他人のものであるからだ。だから、人生を夢で置き換え、完璧に夢みることのみに腐心せよ。生まれることから死ぬことに至るまで、現実生活のどんな行為も、本当に行動しているのは自分ではない。動かされているのだ。生きているのではなく、生きられているのだ。
 他人の目に、不条理なスフィンクスになれ。音をたてずに扉を閉め、象牙の塔に閉じこもるのだ。そして、この象牙の塔とは自分自身のことだ。
 もし誰かがそんなことはすべて嘘で不条理だと言っても、信じるな。しかし、私が言うことも信じるな。なにも信じてはいけないのだから。



3. レクイエム(1992)
白水uブックス '99年初版 鈴木昭裕 訳

 タブッキは、この小説をポルトガル語で書いていて、その理由について "母語イタリア語では自分にはレクイエムを書き得なかった、だから別の言語、愛情と内省の場となるような言語が必要だった"と述べています。
 主人公の旅人である「わたし」が、ある詩人(名前は明かされないがペソアのこと)との待ち合わせの時間までの半日あまり、7月のリスボンの町を彷徨い、死んでしまった友人や恋人、若き日の父親と出会うという幻想的な作品で、やはり幻想的な『インド夜想曲』が自分自身の発見の物語であったように、ここでは主人公は自身の過去と向き合い、過去の自分への"鎮魂曲(レクイエム)"を奏でています。

 一日の終わりに、わたしは詩人に会うことができ、レストランで一緒に食事をすることになります。メニューは「破滅の恋風」スープに、「フェルナン・メンデス・ピント」サラダ、ハタの「海洋哀史風」、舌平目の「インテルセクシオニスタ風」、ガフェイラ沼のうなぎの「いるか風」に干鱈の「愚弄と中傷風」など。
 詩人に向かってわたしは語ります。

 ぼくはあなたに関する仮説を立てるのに自分の人生をついやしてきたんです。だが、いまはそれにも疲れてしまった。それがぼくの言いたいことです。

 あなたのことは世界じゅうが誉め讃えています。あなたを必要としているのはぼくの方です。でもいまは、そんな必要にすがるのはよそうと思っている、つまりは、そういうことです。

 あなたといるとぼくは不安でたまらない、そう、それなんだ、あなたはぼくを不安におとしいれるんです。

 
 タブッキは、この後次第にペソアから離れていくことになりますが、この作品は自身を浄化し新たな出発をするために、なさねばならないペソアとの痛み(受難)を伴う訣別の予感を表明したものであるとも考えられます。

 農園は静寂につつまれていた。気持ちのいいそよ風が吹き、桑の樹の葉叢(むら)をそよがせていた。こんばんは、いや、さよなら、か。だれに、なにに、わたしはさよならを告げているのだろう? 自分でもよくわからなかった。ただ、声に出してそう言いたかった。みんな、さよなら。そして、おやすみ。もう一度、そう繰り返した。そして、わたしは頭をうしろに反らせ、月を見上げた。


(次回紹介)逆さまゲーム(1981)
白水uブックス '98年初版 須賀敦子 訳

内容(「BOOK」データベースより)
本書は、現代イタリア文学の旗手アントニオ・タブッキが、見事に「逆さまゲーム」でありながら、頭脳的なゲームにおわることなく、ふかい人間的な感動をともなう世界をノスタルジックに描く。

 

参考Webサイト
アントニオ・タブッキ
○ 参考資料
 ・アントニオ・タブッキ(Wikipedia)
 ・フェルナンド・ペソア(Wikipedia)
 ・ユリイカ1998年1月号 特集=アントニオ・タブッキ
 

主要作品リスト
  • Piazza d'Italia /イタリア広場(1975)
  • Il piccolo naviglio /小さな運河(1978)
  • Il gioco del rovescio /逆さまゲーム(1981):短篇集
  • Donna di Porto Pim /島とクジラと女をめぐる断片(1983):短篇集
  • Notturno indiano /インド夜想曲(1984)
  • Piccoli equivoci senza importanza (1985)
  • Il filo dell'orizzonte/遠い地平線(1986)
  • I volatili del Beato Angelico/ペアト・アンジェリコの翼あるもの(1987): 掌編集
  • I dialoghi mancati (1988)
  • Un baule pieno di gente: scritti su Fernando Pessoa (1990):ノンフィクション
  • Requiem/レクイエム(1992)
  • Sostiene Pereira /供述によるとペレイラは・・・・(1994)
  • Gli ultimi tre giorni di Fernando Pessoa /フェルナンド・ペソア最後の三日間(1995)
  • Sogni di sogni /夢のなかの夢(1992): 短篇集
  • La testa perduta di Damasceno Monteiro/ダマセーノ・モンテイロの失われた首(1997)
  • Gli zingari e il Rinascimento(1999):ルポルタージュ
  • Ena poukamiso gemato likedes(Una camicia piena di macchie. Conversazioni di A.T. con Anteos Chrysostomidis)(1999)
  • Si sta facendo sempre piu tardi. Romanzo in forma di lettere(2001)
  • Autobiografie altrui. Poetiche a posteriori(2003)
  • Tristano muore. Una vita(2004)

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