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マルグリッド・ユルスナール(1903 - 1987)

ベルギーのブリュッセルの名家の生まれ。生後まもなく母を失い、主として父や家庭教師から教育を受けた。早くから古代ギリシア・ローマの古典に親しみ、ジッドの影響を受けながら26歳から小説を書き始める。該博な知識を基礎に、哲学的考察に富んだ歴史小説を残した。1951年に「ハドリアヌス帝の回想」によりフェミナ賞を受賞、その後「黒の過程」により再度フェミナ賞を受賞し、作家としてゆるぎない地位を確立した。女性で初のアカデミー・フランセーズ会員となった。


「人のこころを生ぜんたいの大きさにひろげ給うおん者に、うけいれられんことを」
(ユルスナールの墓碑銘)/「黒の過程」のゼノンの言葉(訳:須賀敦子)



以下を紹介しています。クリックでリンクします。
■作品 関連Webサイト
作品リスト


1.ハドリアヌス帝の回想(1951)
ユルスナール・セレクション(1) 白水社 '01年初版

 この本はわたしひとりのために推敲を重ねた膨大な作品の凝縮である。
 「作者による覚書」/ ユルスナール


 
ユルスナール円熟期の代表作です。ハドリアヌス帝はローマ五賢帝のひとりで、20年余りの長きにわたりローマ皇帝の地位にありました(在位:117年−138年)。この作品は、有能な軍人、行政者であり、旅と芸術と美少年を愛した帝が、60歳となり心臓の病のため近づいた自らの死を自覚し、皇位継承者として選んだマルクス・アウレリウスへの語りかけという体裁をとっています。従って、全編がハドリアヌス帝の一人称による語りということになりますが、ユルスナールは「作者による覚書」の中で、この作品を"ひとつの声による肖像"であると書いています。

 
ひとつの声による肖像。わたしが『ハドリアヌス帝の回想』を一人称で書くことにしたのは、できるかぎり、たとえ私自身であれ、すべての媒介なしにすませるためである。ハドリアヌスはわたしよりももっと確実に、もっと微妙に、己(おの)が生涯を語りえた。

 読み始めると、まず膨大なデータと綿密な考証により、ハドリアヌス帝という古代に生きたひとりの人間の稀有な生涯を再現してみせたユルスナールの圧倒的な力量に驚かされます。そして、読み進むにつれ、ハドリアヌス帝が自分と同じ生身の人間として文章の中から立ち現れ、彼が語る自由への希求、ギリシアへの憧れ、美少年アンティノウスへの愛と喪失、そして死への畏れと受容とを、共感をもって受けとめるに至ります。
 
 死を自覚したハドリアヌスの述懐から;

 人生はわたしに多くのものを与えた、少なくともわたしは人生から多くのものを得ることができた。今この時、幸福な時期と同じように、ただしまったく反対の理由から、生はもはやわたしに与えるべき何ものももたぬように見える。とはいえ生から学びとるものがもはや何も残っていないとは断言できぬ。わたしは人生のひそかな教訓に最後まで耳傾けるであろう。一生のあいだ、わたしは自分の肉体の知恵に信頼をおいてきた。この友が与えてくれる感覚感動のかずかずを、識別しつつ味わうよう努めてきた。それゆえ最後の感覚をもまた味わうべきなのだ。わたしは自分のために用意されている臨終の苦悶をもはや拒まぬ。

 この著作では、詩人でもある多田智満子さんの見事な翻訳も高く評価されるべきものです。まさに"心理小説と歴史的瞑想との異様に美しい融合"(訳者あとがきより)というほかないユルスナールの練りに練られ、彫琢された文章を、そのまま自然な日本語に移すことは並大抵の事ではなかったと想像されます。そして、たしかに多田智満子さんの詩から感得される知性、明晰さは、ユルスナールの文体と感応するところであり、そうした意味でもこの本は作者と訳者の二人の女性の幸福な出会いの結果であったのだと思わずにはいられません。

雲に兆(きざし)がある
ひびわれた骨に兆がある
喪神に向かっていそぐな心よ
すべて美しいものは風に描かれてある


(「映像U」より(詩集『闘技場』(1960)から)/多田智満子)


2.とどめの一撃(1939年)
ユルスナール・セレクション(3) アレクシス・とどめの一撃・夢の貨幣 を収録(白水社)
『とどめの一撃』(岩波文庫)('01年9月に復刊された)も入手可能です。

『とどめの一撃』は、第1次世界大戦とロシア革命の動乱を背景に、実話に基づいて書かれた三人の男女が織りなす愛憎の物語で、フランスの女流作家ユルスナール(1903−1987)が30代の時に発表した比較的初期の作品で、彼女は序文の中で、この小説の中心主題について以下のように述べています。

 『とどめの一撃』の中心主題は、なによりもまず、同じ窮地に立たされ、同じ危険にさらされたこれら三人に見られる種族の共通性であり、運命の連帯性なのだ。なかでもエリックとソフィーは、自分自身の極限まで行き着こうとする一徹さと情熱的な趣味によって似通っている。(岩崎 力訳・岩波文庫)

 共に貴族階級に属しているエリックと彼の親友であるコンラートは、反ボルシェヴィキ闘争の志願兵として従軍し、かつて少年時代を共に過ごしたバルト海沿岸のクラトヴィツにある館に滞在します。ふたりを迎えたのはコンラートの姉のソフィーでした。久しぶりに出会ったエリックをソフィーは一途に愛するようになりますが、貴族的な自尊心の強さから、互いに求め合いながら二人の感情は屈折し、戦時の混乱した状況の中で、行き場のない情念は悲劇的な結末を導く事になります。

 事の成り行きで滑稽だったのは、まさに、彼女が愛したのは、冷淡さと拒否という私の特質のせいだったということだ。今の彼女が死ぬほど見たいと思っている光を、会ったばかりのころ私の目のなかに認めていたら、彼女はおじけをふるってはねつけたにちがいない。

 愛と憎しみの中で明らかになる微妙で複雑な人間心理が、冷徹なほどに描写されています。しかし、エリックの一人称の語りということで、彼が述べている事が必ずしも真実を言い当てているわけではない事を、読者は銘記しなければいけないと、作者自ら序文の中で述べていて、エリックのソフィーに対する愛が、ここで語られている以上のものであったかも知れないこと、それとエリックの語りからはうかがうことのできない彼のコンラートに対する愛の可能性を示唆しています。
 さらにユルスナールにこの小説を書かせた理由のひとつは、三人に内在する高貴さであり、また彼女にとって精神の高貴さとは、"利害打算の完全な不在"であると述べています。
 残念ながらユルスナールの文章は翻訳を通じて知るだけですが、それでもなおはっきりと感じとれる入念に彫琢され引き締まった文体は、彼女が厳しく希求するこうした精神の高貴さの反映であると思われます。代表作である『ハドリアヌス帝の回想』を読み終えて、いっそうその感を強くしました。
 

3.青の物語(1995):短篇
ユルスナール・セレクション(4)  流れる水のように・東方綺譚・火・青の物語 を収録(白水社)

 人間は美についてずっと前から考えているというのに、美とは伝達不可能なものであることが理解できなかった、などということがあってよいのだろうか。そして生命を持つものが互に奥底までわかりあえないのは、物同士の場合と同じであることを理解できなかった、などということが。
/『初めての夜』


 ユルスナールが亡くなったとき残された未刊の若い頃の作品3篇(『青の物語』、『初めての夜』、『呪い』)が収録されていて、彼女の死後にまとめられ出版されたもので、その辺の事情について巻末の「解題」に書かれています。それによると、いずれの作品も1927年(24歳)から1930年(27歳)の間に書かれていて、3篇のうち『青の物語』だけが生前、未発表であり、日の目を見なかった3部作の第1作として構想されていたこと、そして『初めての夜』が彼女の父が書いた短篇をユルスナールが手を入れて発表した作品であるとのことです。

「青の物語」:"青"のイメージを基調にした詩的で幻想的な作品で、3篇の中では一番気に入りました。中世の地中海を背景に、サファイアを捜し求め、船で運ぶ商人たちの物語を、"青"のイメージで追ってみました。

 ヨーロッパから来た商人たちは、甲板にすわっていた。青い海を前に見ながら、灰色の布をたっぷり当てて繕った帆の投げかける藍色の影の中にいた。 
 
 水先案内人の青い顎  表面に青みがかった筋が走っている大きな敷石  影の青さの微妙なトーン  セイレーンの尾のように青い空  ケンタウロスの青くて毛足の短い尻のふくらみ  青い匂いのする煙  青い空の名  青い指  

 青味を帯びた黒い髪が、鬢(びん)から肩へと流れている。淡い空色の目は、二粒の涙を通して世界を見ていた。そして口は、青い痣でしかなかった。

 ラヴェンダーの青紫色をした平織地の服  遠くに連なる青い丘  青い玄武岩のどっしりした二本の柱  青い肺を満たしていた空気  熟した無花果の青い表皮  青い煙  水平線に見える山々のような青さ  サファイアの美しい青  青いガラスの首飾り  寒さで青くなった体  青いガラスの玉 

 だが彼は、ぼろにくるまれたこの女の膝に頭をのせた。そして安心して眠りについた。女の見ることのできない右目が、しかし奇蹟のように青かったのである。


4.黒の過程(1968)
岩崎力訳 白水社 ユルスナール・セレクション(2)

 1510年に生まれ、医師であり錬金術師であり哲学者であったゼノンの生涯を描いた作品です。ゼノンはユルスナールが創造した架空の人物ですが、作者の覚書によると、同時代に実在した複数の人物像を反映しているようです。ゼノンが生きた16世紀は政治、宗教、科学における激動の時代であり、レオナルド・ダ・ヴィンチが死んだとき彼は9歳であり、コペルニクスの没年には33歳、ルターの没年には36歳、ガリレオ・ガリレイの生後5年目に世を去ったことになります。なお、表題の"黒の過程"とは、錬金術の過程の中で物質が分離し溶解する段階で、化金石を実現するのにもっとも困難とされる段階を意味する言葉です。

 小説は、20歳のゼノンが4歳年下の従兄弟、アンリ=マクシミリアンとパリへの街道で偶然出会う場面から始まります。ふたりとも故郷の町、ブリュージュをそれぞれの志を胸に抱いて後にしてきたのでした。マクシミリアンは快活な男で、富裕な商人の後継ぎとしての未来を捨て、イタリアで軍隊での立身を期し、一方のゼノンは私生児として生まれ、聖職者につくべき人間として育てられますが、神学校を飛び出し、レオンの修道院の院長に錬金術の教えを請うため巡礼の旅に出たのでした。

 ― ぼくはいま十六だ、アンリ=マクシミリアンが言った。あと十五年たてば、ぼくがアレクサンドロスにも負けない人物になったのが、ただの偶然だったかどうかわかるだろう。三十年後には、亡きカエサルほどの価値ある人間かどうかがわかるだろう。毛織物通りのあの店で、このぼくがシーツを測りながら一生過ごすというのか? とにかく人間であることが大事なんだ。
 ― ぼくは二十歳だ、とゼノンは計算した。すべてがうまくいったとして、この頭がどくろになるまでに、ぼくはまだ五十年勉強できるわけだ。プルタルコスでも読んで、栄光だの英雄だのに興奮するがいい、アンリ。ぼくにとって大事なのは人間以上のものになることなんだ。


 相反する気性を持ったふたりの若者はやがて四辻に至り、アンリ=マクシミリアンは大街道を、ゼノンは細い道を選び、おのおの別の生の道程を歩むことになります。
 ゼノンの足跡を辿りながらストーリーが展開していきますが、アンリ=マクシミリアンを含めたゼノンの周辺の人物、母イルゾンドや、父の死後、母の結婚相手となった富裕な商人のシモン、ゼノンの異父妹マルタについても照明が当てられています。シモンは再洗礼派と呼ばれる異端のキリスト教団に属し、この教団がドイツの小都市ミュンスターを占拠してたてこもり、最後には教会の軍隊に虐殺、処刑された史実(1537年)を小説の中に取り込んでいます。
 ゼノンもまた自身の著書がカトリックの教義に反する異端書であるとして異端審問所に追われる身となり、名を変え修道院に潜む生活を強いられることになります。

 ユルスナールの緻密な文体、綿密な考証により、宗教改革、反宗教改革に揺れ、異端者たちは容赦なく火刑に処せられ、錬金術と近代科学の黎明とが共存した16世紀のヨーロッパに生きた人々のリアルな生に触れることができることがなにより印象深い作品です。人間以上のものになることを望み、医術、錬金術、機械の考案、哲学というように、情よりは知を志向し、同性愛者でもあったゼノンはユルスナールの分身といってもいい存在であったようです。

 夜、眠れぬままにわたしは、生きることの疲れを休めるために同じベッドに横たわっているゼノンに(手を差し伸べる)ような印象を持ったことが何度あるだろう。わたしはあの手をよく知っている。灰褐色の、とても強く、長く、あまり肉のついていない、へらのような指、ぎりぎりまで短く切った、かなり青白い大きな爪、骨ばった手首、多くの皺が刻まれ、かなりくぼみの大きな手のひら。その手の握力も、正確な温かさの度合いもわたしは知っている。
/「黒の過程」のメモ帳から


○ 「黒の過程」登場人物 家系図
 当初、登場人物を把握するのに苦労したので、家系図を作って整理してみました。

紹介予定(参考)ユルスナールの靴(1996)/須賀敦子

内容(「BOOK」データベースより)
今世紀フランスを代表する作家ユルスナールに魅せられた筆者が、作家と作中人物の精神の遍歴を自らの生きた軌跡と重ね、パリ、アレキサンドリア、ローマ、アテネ、そして作家終焉の地マウント・デザート島へと記憶の断片を紡いでゆく。世の流れに逆らうことによって文章を熟成させていったひとりの女性への深い共感、共にことばで生きるものの迷いと悲しみを静謐な筆致で綴った生前最後の著作。

 きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と。(プロローグより)


参考Webサイト
ユルスナール関連出版リスト
○ 参考資料
ユルスナール(Wikipedia)
 

主要作品リスト(  )内は英翻訳タイトル
  • Alexis Ou Le Traite Du Vain Combat/アレクシス、あるいは空しい戦いについて (1929)
  • La Nouvelle Eurydice (1931)
  • Pindere (1932)
  • Le Denier Du Reve(A Coin in Nine Hands)/夢の貨幣(1934)
  • La Mort Conduit L'attelage (1934)
  • Feux(Fires) /火(1936)  短篇集
  • Les Songes Et Les Sorts (1938)
  • Nouvelles Orientales(Oriental Tales)/東方綺譚(1938) 短篇集
  • Le Coup De Grace(Coup De Grace)/とどめの一撃(1939)
  • Memoires D'hadrien(Memoirs of Hadrian)/ハドリアヌス帝の回想(1951)
  • Electre Ou La Chute Des Marques (1954)
  • Les Charites D'alcippe (1956)
  • Constantin Cavafy (1958)
  • Sous Benefice D'inventaire (1962)
  • Fleuve Profond / Sombre Riviere Les Negro Spirituals (1964)
  • Alexis (1965)
  • L'oeuvre Au Noir(The Abyss / Zeno Of Brueges)/黒の過程(1968)
  • Yes, Peut-Etre, Shaga, (1969)
  • Theatre (1971)
  • Souvenirs(Pieux Dear Departed: A Memoir) (1974)
  • Archives Du Nord(Northern Archives)(1977)
  • Le Labyrinthe Du Monde(1974-84)
  • Mishima Ou La Vision Vide(Mishima: A Vision Of The Void)/三島あるいは空虚のヴィジョン(1980)
  • Anna, Soror...(Anna Soror) (1981)
  • Comme L'eau Qui Coule/流れる水のように(1982) :短篇集
  • Archives du Nord/ le Labyrinthe du Monde Vol. 1 (1982)
  • Le cerveau noir de Piranese(Dark Brain Of Piranesi And Other Essays/ピラネージの黒い脳髄(1984)
  • Le Temps, Ce Grand Sculpteur (That Mighty Sculptor, Time)/時、この偉大なる彫刻家(1984):エッセイ
  • la Petite Sirene/ le Dialogue Dans le Marecage (Theatre Vol. 1 Rendre a Cesar)(1987)
  • Conte bleu(A Blue Tale And Other Stories)/青の物語 (1995): 短篇集
  • Dreams And Destinies (1999)

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