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稲葉真弓(1950 -  )

愛知県の生まれ。1973年「蒼い影の痛みを」で女流新人賞を受賞。「琥珀の町」で1990年下半期芥川賞候補となり本格的に作家活動を開始、1992年『エンドレス・ワルツ』で女流文学賞、1995年「声の娼婦」で平林たい子文学賞、2008年、短篇小説「海松」で川端康成文学賞受賞。2010年、短篇集『海松』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2011年、『半島へ』で谷崎潤一郎賞受賞。
 
 
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■作品
  ・海松
  ・半島へ
関連Webサイト・検索
作品リスト 
  

1.海松(2009)
 新潮社
 「海松」には4つの短篇が収録されていて、川端康成文学賞を受賞した表題作と「光の沼」は、著者が三重県の志摩半島の湾に近い傾斜地の土地を買って建てた家での生活を描写した作品で、「半島へ」と繋がっています。残りの2編はそれぞれ独立した作品となっています。

○短篇「海松(みる)」、「光の沼」 
 1996年の5月に、たまたま家族で志摩半島に旅行に行ったとき、偶然タクシーで通りがかった湾沿いの山の中の斜面の草叢の中をオスの雉(キジ)が歩いているのを見た私は、タクシーを待たせて、斜面の先がどうなっているかを見に行きます。
 
 雉の背後は、びっしりと生い茂った五月のシダと、斜面の北側に広がる広大な竹林。獰猛な緑が、樹木の下、目に入る空間のすべてを覆い尽くしていた。人の腰丈ほどもある巨大なシダにも驚かされたが、斜面を風が吹きすぎるたびに茎をくねらせて白い葉裏を見せるさまが、いかにも奔放で伸びやかだった。竹林の下には小さな沼が点在し、暗みを帯びた水面に晴れ渡った真っ青の空が映っていた。
 いまならそれが、この近辺の山の中ならどこにでも点在する、さして珍しくない風景であることがわかる。しかしそのとき私は、海の方角から吹き上がってくる風や、草叢をぽつねんと歩く雉、風に吹かれるシダや竹のそよぎを、ずっと以前から探していたもの、他の何かとは絶対に置き換えのきかない唯一無二の贈り物だと感じたのだ。おおげさな言い方になるかもしれないが、それは、まぎれもなく”光背を持つ”風景だった。


 旅行後まもなく、私はその土地を買い、20坪弱の家を建て、東京のマンションとの間を、猫を連れて行き来する二重生活を送るようになります。当時、40代の私は都心のマンションで一人暮らしを始めて20年が経ち、周囲にたくさんいた友人たちとも生き別れ、死に別れしていました。
 それから10年近くが経ち、私は半島の家に来ると、枯れ枝を燃やし、大根を煮、フユイチゴを摘んでジャムを作り、干潟を歩き、人気のない山道をただ歩き、流れ星を見、ベランダに防腐剤を塗り、ここでは野生を取り戻す猫の帰りを待ちます。

 2000年。半島と東京を行き来するようになって4年近く経ったとき、斜面に生い茂ったシダや笹竹を草刈鎌で刈っていた私は、繁みの中に隠された小道を発見し、さらに刈っていった先に沼地を見出します。ここは元は田んぼだった所が原野に戻ったのでした。
 2006年の夏。その沼に数百匹のヒメボタルが明滅する光の群舞に、ぼう然と見とれながら、私は、30代、40代で死んでいった多くの友人たちに思いをはせます。

 この光は、沼にそっと横たえた幻の友人たちにも、きっと見えるはずだ。木彫のような顔を水に浮かべて、ホタルの飛翔を追う彼らの目を私は思い浮かべる。どこに焦点を結んでいるのか、ただ遠いところに視線を預けていた彼らの、その焦点の中心に、愛らしい光を点す無数のホタルを乗せてやりたい。

「海松」では、ヴァージニア・ウルフの長編「灯台へ」が言及されていますが、「灯台へ」がそうだったように、この短篇の大きなテーマの一つが、"時の流れ"であることは確かだと思います。二つの短篇が、単なる身辺雑記的な小品の枠を超えて強く心に響くのは、時の流れの中で、生と死とが通奏低音として深く鳴り響いているからに違いない。

2.半島へ(2011)
 講談社
 
 作者が自分で言うのもなんだけれど『半島へ』に満ちる自然は美しい。自然の移ろいに身を任せ、私はこの小説をほぼ二年がかりで書いた。書いている間中、海辺の風や光に抱かれていた。小説のなかの時間と同化していた。そんなことを思い出しているうち、すぐ傍らに死があるから「いまの瞬間」をこのうえなく美しく感じたのだろうし、書いている幸福感を感じることができたのだという思いがこみあげてきた。大災害ではなくても、ひとはいつだって死とむきあって(無意識にしろ)生きている。だから、「いまここにあること」の尊さが輝くのだと。

 本書は、短篇「海松」、「光の沼」に続く、志摩半島での私の生活を描いた作品です。
 半島と東京の間を、年に数回行き来していた私は、半年か1年になるかわからないが、しばらく半島で暮らしてみようと、春分が過ぎた頃、東京での仕事を整理して、半島の家にやってきます。連れは11歳のオス猫だけ。
 いままで滞在期間が短かったために、出会わなかったり、親しくならなかった隣人達(みな私と同じ移住者)との交流が、大きな部分を占めているのが、前作と異なっています。彼らは60代後半から80代にかけての高齢者で、リタイア後にこの地に来た人ばかり。庭で四季折々の野菜や果物を作り、体調がよければゴルフや町のプールに行き、あとはひっそりと家の中で過ごす。中には越智さん夫妻のように脱サラして東京からやってきた養蜂家や、設計技術者として定年まで勤めたあと、夫婦で移り住み、工房で自然染めや織りをしている橘さん夫婦らがいました。
 半島の精妙な季節の移ろいは、四季・月単位ではなく、二十四節気の区切り(2/4の立春から1/20の大寒まで)で感知され、私は日記の代わりに二十四節気のカレンダーに、一日の作業などを小さな文字で書き込んでいきます。

 「海松」同様、この作品にも死の気配が漂っています。私が繰り返し想起する若くして自死した親友の奈々子や、昔別れた恋人の死をはじめ、若くして逝った多くの友人たちのこと、そして近くの山林で発見された女性の白骨死体など、半島に溢れる自然の獰猛ともいえる生とコントラストをなしています。
 1年弱、私は半島で幸福で穏やかな日々を過ごし、その間ろくに仕事もしないで食べて眠り、おしゃべりをし、海べりを歩き、森を徘徊しました。そして60歳の誕生日を迎えた私は、これまでずっとあいまいにしていた思いに決着をつけ、東京のマンションを引き払って、半島で暮らすことを決意します。それは死者との訣別をも意味していたでしょう。

奈々子、これでいいかな。あなたの”生き急ぎ”とは違う速度を、私は見つけたいの。東京のスピードとは違う、私にふさわしい速度をね。

若いころ聞いたフランソワーズ・アルディの「もう森へなんか行かない」が、私の脳裏に湧きます。

♪私の青春はいってしまう。だからもう森へなんかいかない。

 そう、率直に認めよう。私の青春は終わってしまった。だからもう森へなんか行かないだろうと思っていた。しかし、いまは違う。私は、これからもあの森に行くだろう。ヤシャブシと杉と松と雑木たちが、海風や朝の光と一緒にいるあの森へ。秋には極彩色のキノコが林立する。靖子さんが「アマチュア画家」の顔で歩き、みつばちたちが通り抜ける私たちの森。ときに得体のしれぬ海のものが上ってくる、ふわふわの腐葉土の道。あの道をこれからも、私だけに見える海のものたちと一緒にゆっくりと歩こう。人知れず森に帰ってきた女が、ふっと明るい顔で笑う日もあるだろう。
 

参考Webサイト

稲葉真弓 関連出版

主要作品リスト  
  • ホテル・ザンビア(1981)
  • 夜明けの桃 詩集(1991)
  • 琥珀の町(1991)
  • エンドレス・ワルツ(1992)
  • 抱かれる(1993)
  • 自殺者たち 一日一死 下川耿史共編著(1994)
  • 月よりも遠い場所 私のmovie paradise(1995)
  • 繭は緑(1995)
  • 声の娼婦(1995)
  • 森の時代(1996)
  • ガラスの愛(1997)
  • 猫に満ちる日(1998)
  • 水の中のザクロ(1999)
  • ミーのいない朝(1999)
  • ガーデン・ガーデン(2000)
  • 母音の川 詩集(2002)
  • 花響(2002)
  • 午後の蜜箱(2003)
  • 風変りな魚たちへの挽歌(2003)
  • 私がそこに還るまで(2004)
  • 環流(2005)
  • さよならのポスト(2005)
  • 砂の肖像(2007)
  • 藍の満干(2008)
  • 海松(2009)
  • 千年の恋人たち(2010)
  • 半島へ(2011)

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