前衛シャンソンと前衛ジャズの幸福な出会いにより生まれた本当に奇跡的なアルバムです。ブリジットとアレスキー、それからアート・アンサンブル・オブ・シカゴのそれぞれが固有の形で持っているしなやかな感性が、こんなにも調和してしまうなんて僕には奇跡としか思えない。当時、今より感性がずっと豊かだった時、このアルバムは、しょっちゅう聴いてはもったいないので出来るだけ聴くのをがまんしていた何枚かのアルバムの1枚でした(他には、バッハの"フーガの技法"とかベームのモーツァルトの"レクイエム"とかがあったような)。
若くして亡くなった評論家 間章さんがこのアルバムを支えている<何か>について、<過激なやさしさ>あるいは<はりつめた抒情>と書いていて(LPライナー・ノーツ)、このアルバムに関しこれ以上の的確な表現はないと思います。
アルバムの白眉は、冒頭の表題作でしょう。"これは全く ラジオのようなもの、音楽以外の何ものでもない"で始まるこの曲で示された音楽のあり方というのは、当時の僕にとって初めての経験であって、このしなやかさがとても貴重であると思われました。ブリジットの詩も感性に富んだものでとても好きですが、彼女の詩と音楽との調和という点では「私は26才」、「手紙」などでこれ以上は望めないという形で実現しています。
CDではボーナス・トラックが2曲追加されていますが、別音源なので最初はとても違和感がありました。こういう形の"おまけ"は、ないほうがいいと思うんだけど..... まあ、いいか。
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