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1973年のジャズ喫茶探訪 この店では音楽がかかっています。もしあなたがジャズファンでなかったら、この音量はかなり不快なものになるでしょう。しかし逆にあなたがもし熱烈なジャズファンであるなら、この音量は物足りないことでしょう。 「夜のくもざる」/村上春樹 1973年、そんな年が存在するなんて考えたこともなかった。そう思うと何故か無性におかしくなった。 「1973年のピンボール」/同上 以下を紹介しています。 ・1973年の僕とジャズ ・1973年のジャズ喫茶探訪録 ・「東京ジャズ喫茶物語」/アドリブ |
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■1973年の僕とジャズ | ||||||
僕がいちばんジャズを一生懸命勉強したのは70年代の前半で、教室はジャズ喫茶だった。 当時は店内会話禁止の正統派ジャズ喫茶が都内にまだたくさんあり、ひまがあるときもないときもジャズ喫茶の半分壊れかかったソファーに座って、まずいコーヒーと煙草と読書(ほとんど漫画だったような気が)で、何時間もねばっていた。ともかく膨大な量のジャズアルバムを聴き流していたような気がする。このころ好んで聴いていたのは、現在のピアノ中心、スタンダード中心とはまるで異なり、管中心でそれも晩年のコルトレーン、アーチー・シェップ、ドルフィー、アイラーなどの前衛ジャズとロック導入のマイルスらの電化ジャズだった。 大学の近くにはジャズ喫茶は無くて、総武線に乗って水道橋にあった「コンボ」と「響」に、よく行った。このふたつの店は歩いて5分くらいの近さにあったけど雰囲気はまったく違っていて、「コンボ」は小さくて、かつきれいとはとてもいえなくて(つまりきたない)、店の中が暗いのでなんとかいられるが明るかったら誰も入らないのではという感じ。マスターは30代で奥さんとやっていた。「響」のほうは明るくておしゃれな感じで女性客もちらほらおり、マスターの大木さんは業界の著名人だった。それでも「コンボ」の雰囲気のほうが好きだったので、まず「コンボ」に入り、気が向けばそのあと「響」へ行き、帰りは神保町の古本屋街をひやかして御茶ノ水から帰るというのがパターンだった。 そのほかに、この時期印象に残っているジャズ喫茶を挙げてみると、門前仲町の「タカノ」、新宿の「DIG」、「木馬」、渋谷の「音楽館」、「Gineus」、吉祥寺の「Meg」、「Funky」、「A&F」などがあり、 「Meg」、「A&F」は現在でも正統派ジャズ喫茶としてがんばっている(「A&F」はその後惜しくも閉店しました)。 (70年代前半のジャズ) この時期の主役は、やはり帝王マイルスだった。69年に録音されたロックを導入した「ビッチェズ・ブリュー」が70年代前半のジャズシーンを決定づけ、75年の日本公演での「アガルタ」、「パンゲア」まで突っ走ることになる。そして75年を境に6年間、演奏活動を休止してしまう。 マイルスバンドの卒業生たちも大活躍した時期で、まずウェイン・ショーターとジョー・ザビヌルが70年にウェザー・リポートを結成し、またチック・コリアが72年にフュージョンの先駆的作品「Return to Forever」を発表、ハービー・ハンコックも73年に「Head Hunters」を発表し、ブラック・ファンクブームを創出、キース・ジャレットは73年に3枚組のピアノ・ソロの傑作である「Solo Concert」、また75年に「ケルン コンサート」を実況録音している。
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■1973年のジャズ喫茶探訪録 | ||||||
学生時代に書き溜めた雑記帳から、当時のジャズ・スポットへの探訪の記録(この色の部分、ほとんどは初回訪問時)をピックアップしました。現在から振り返った感想なども付け加えてみました。 〇珈琲園(小岩) 僕が生まれて最初に入った記念すべきジャズ喫茶だ。内部はジャズ喫茶には珍しく、なかなかこぎれいにできていて、ウエイトレスも結構美人ぞろいである。結果として雰囲気は上の部に入るということである。また、そのサウンドも聴きやすい音で良かったが、悪く言えばジャズ的な音ではないとも言える。コーヒー1杯、160円。伝票には、店に入ったときの時刻が記録されていて、壁には2時間過ぎたら飲み物を追加してくださいと書いてある。ウエイトレスが、うろちょろしすぎる。ウエイトレスは一人でたくさんだ。今、何がかかっているかが全然わからない。これは僕みたいな勉強家にとって非常に残念だ。それにかける曲がいつも片寄っている。行く度に「レフト・アローン」がかかった。以上を総合すると、B'といったところだ。 外観はほとんど純喫茶で、僕のように気弱な初心者にとって入りやすかったのが利点でした。今だったら美人ウエイトレスがうろちょろするのは大歓迎なんだけど... 〇NARU(お茶の水) 2番目に入った店。学生街の駅前という場所柄、非常に混んでいる。内部も雑然としている。コーヒー1杯200円は高すぎる。ここも何がかかっているかわからない。同じくB'。 コーヒー1杯200円は、一般の喫茶店よりは高かったはずだけど、今は昔... という感じです。この店では定期的にライブもやっていて、その後川崎遼(g)のグループの演奏を聴きました。プロのジャズギター・プレイヤーの生演奏は初めてで、感動ものでした。
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■東京ジャズ喫茶物語(1989) |
本書は'70年前後から'75年頃に存在していたジャズ喫茶を対象に、その頃ジャズを聴いていた人たち10人が取材をしてまとめたもので、僕にとって、ほとんど一度は行ったことのある店ばかりであるのと、取材者が僕と同世代であり、彼らの過去と現在とがジャズとのかかわりを通して語られていることなど、すごく身近に感じられる本です。 Vol.5 神保町編の「響」、 Vol.6 吉祥寺編の「ファンキー」、「メグ」、 Vol.8 新宿編の「DIG」、 Vol.10 小岩編の「珈琲園」などお世話になった店が取材されていて、とても懐かしかった。 吉祥寺編の取材者が、高校2年の時にはじめて「ファンキー」に入った時の回想 : 「店内に入って、まずその音の大きさに驚いた。スピーカーがやたら大きな音をたてて震え、座った椅子も小刻みに揺れ動いている。僕は、心臓がドキドキと共振しているようで”大丈夫かな”と、不安になって周りを見ると、リズムに合わせて頭を振り乱した男がいる。陶酔しきったその表情に圧倒され、今度は後ろを眺めると、何やら行者めいて瞑想しているひげ面の男、音のシャワーの中で黙々と読書に励む男などがいました。薄暗く、タバコの煙の立ち込めた、不健全きわまりない空間に思えた」 当時のジャズ喫茶の雰囲気を、的確にとらえた描写であると思います。黙々と読書に励んでいたのが私です(漫画だけど)。この排他性が最大の魅力だったんではないかなあ。 次は、新宿「DIG」のウェイトレスさんの回想から : 「いつも来るお客さんが、あるとき、ビリー・ホリディをリクエストするの。ふだんは、コルトレーンやフリージャズなんかリクエストする人なのにね。すると、わたしはピピーときて、アレだなとおもう。失恋ね。だいたい、失恋すると、いつもビリー・ホリディをリクエストする人が多かった。だから、ビリー・ホリディが鳴っていると、誰か失恋したんだなって思ったりした」 いい話ですね。何となく分る気がするけど、ビリー・ホリディをリクエストしていたのは私ではありません。 もう一人、吉祥寺の駅構内にあった松和書店(本当に小さい店だったけど、ジャズ関係の本が沢山ありました)の松崎店長のコメント('89年当時): 「ジャズというのは、時代を通して見られてしまい、純粋な音楽としてとらえられたということは少ないと思うんです。今ですよ、ほんとに、純粋な音楽としてとらえられているのは。長い間、ファンで、本屋をやりジャズの雑誌や本を売っていて、実感としてありますね」 同感です。 HOME l PROFILE l 海外作家 | 国内作家 l ジャズ l ピアノ音楽 l ポップス他 l 現代音楽 l 美術館 l 映画 l 散歩 l 雑記 l TWITTER |