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4.Auggie Wren's Christmas Story/オーギー・レンのクリスマス・ストーリー(1990)・短篇 | |||
難易度:☆☆ 翻訳夜話/村上春樹・柴田元幸 共著(文春新書 '00初版) この作品は1990年のクリスマス・シーズンにオースターがニューヨーク・タイムズの依頼で書いた短篇です。 ニューヨーク・タイムズの編集者にクリスマスの朝に載せる短篇を依頼され、安請け合いして弱りきっていた作家である僕が、ブルックリンにある葉巻ショップの店員で、顔見知りのオーギーに打ち明けたところ、彼が経験したクリスマスにまつわる実話を披露してくれた。それはある夏、万引きした少年を追ったオーギーが、少年が逃げる途中で落とした財布を拾い、クリスマスにそれを少年の家に届ける話だった。 メインのこのクリスマス・ストーリーもなかなかいいんですが、この出来事で手に入れた高級カメラを使ってオーギーが撮った4000枚もの写真が貼られたアルバムのエピソードが、より印象的でした。その写真とは、オーギーが毎日1枚づつ、過去12年間にわたって、同じ時間に、同じ街角を、同じアングルで撮ったものだった。オーギーからアルバムを見せられ、すべてがほとんど同じ写真の繰り返しに当惑しながらページをめくる僕にオーギーは言った。「ゆっくり見ないと意味はつかめないよ」。 そしてゆっくりと、ていねいにアルバムをめくっていると、そこにさまざまな人生の瞬間が写しこまれていることが見えてきて、僕は夢中になってしまう。
確かにただものではないですね、オーギーという男は。天性の詩人か、あるいは哲学者なんじゃないかな。ここで引用されているシェークスピアの一節は、「マクベス」からのものです。 |
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(映画) スモーク/Smoke(1995) | |||
(監)ウェイン・ワン (脚)ポール・オースター (演)ハーヴェイ・カイテル、 ウィリアム・ハート ブルックリンに住んで15年になるけど大好きなんだ。地球上でもっとも民主的で寛容な場所のひとつに違いないよ。あらゆる人種、宗教、経済的階級の人が住んでいて、みんなが大体うまくいっている。この国の風潮を考えれば、これは奇蹟と呼んでいいんじゃないかな。 / ポール・オースター ロバート・アルトマンの「ショート・カッツ」は、カーヴァーの9つの短篇とひとつの詩をアルトマン流に料理してみせた映画でしたが、これはオースターの短篇「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」を含み、この作品に登場するブルックリンの街角にあるタバコ店を舞台にした、やはり様々なエピソードが詰まった映画で、オースター自身が脚本を書いています。そして「ショート・カッツ」に比べると、こちらのほうがずっと暖かい感触のドラマとなっていて、オースター自身の脚本ではあるけど、オリジナルの短篇を含めた彼の小説作品から受けるイメージとは、だいぶ趣が違うのが面白いと思いました。でも本質的にオースターは、この映画でみられるように、生を肯定的にとらえている作家なのではという気がしています。 短篇同様、オーギーのアルバムのエピソードが一番印象的だったけど、映画ではその中の1枚の写真に僕(映画ではポール)の亡き妻の生前の姿が写っていて、ポールが感極まって泣く場面がありました。こんなふうに1枚の写真によって、ずっと抑えていた感情が解放されて、癒されることもあるのだと思います。 オースター得意(?)の"偶然"も、ポールが語る雪山での父と息子の奇跡的な再会のエピソードで健在でした。最後に今度はオーギーが語るエピソードが、"クリスマス・ストーリー"でしたが、彼の語りだけを撮った場面とラストのせりふなし、モノクロ画像の演出が凝っていました。この映画では、なんといってもオーギーを演じたハーヴェイ・カイテルの味のある演技がいいですね。虚と実とが交錯し、嘘が間違っているとは必ずしも限らないし、そして真実がいつも正しいとは限らないのが人の世のありかただから肩肘張らずにがんばろうよ、という感じなんだろうな。 タバコ店が舞台だからということも勿論あるんだろうけど、皆やたらタバコやら葉巻をふかしていて、ちょっと煙が目にしみる映画でもありました。 |
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5.The Red Notebook/トゥルー・ストーリーズ(2002) | |||
難易度:☆☆ 副題に"True Stories"とあるように、オースター自身が実際に体験したり彼の周辺で見聞きした偶然の一致とか、奇妙な符合とかいった"えー、ほんとなの"というようなエピソードについて書かれたエッセイが4篇収録されています。 これらの多くの"本当の話"を読むと、オースターの小説に登場する奇蹟に近い偶然が、まんざら荒唐無稽とも思えなくなってきます。僕はオースターの"偶然"を、彼が作品に寓話あるいは神話としてのイメージを与える手段なのかなと考えていたけど、オースター自身は、単に偶然を起こり得るべき現象として捉えているのではないかという気がしてきました。 収録されている4篇は、1992年から2000年に"New Yorker"などの雑誌に発表されたものです。 ・The Red Notebook(1992): "Granta"に発表。 最も長く、本書全体の半分以上を占めています。オースターが作家として認められる以前である1970年代の苦難の時代の出来事についての記述もあり興味深い。 1973年、オースターとL(74年に結婚した前妻)はフランス南部の農場の家の管理人の仕事をしていた。一番近い小さな村から2kmも離れた場所で二人きりで暮らし、金が尽き、最後に残った食物となったタマネギを料理してオニオン・パイを作ろうとしてオーブンで黒焦げにしてしまった後、1時間も経たぬ間に知り合いの写真家が突然車で立ち寄り、救われた話など13篇。
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6.The Book of Illusions/幻影の書(2002) | |||
難易度:☆☆ Everyone thought he was dead. When my book about his films was published in 1988, Hector Mann had not been heard from in almost sixty years. Except for a handful of historians and old-time movie buffs, few people seemed to know that he had ever existed. Double or Nothing, the last of the twelve two-reel comedies he made at the end of the silent era, was released on November 23, 1928. Two months later, without saying good-bye to any of his friends or associates, without leaving behind a letter or informing anyone of his plans, he walked out of his rented house on North Orange Drive and was never seen again. 冒頭の文章からの引用です。ヘクター・マンはサイレント映画時代に活躍した喜劇俳優でしたが、1928年に最後の出演作「Double or Nothing」が公開された2ヵ月後、誰にも告げず家を出たきりその後の消息が全く途絶え、誰もが彼は死んだと思っていました。そしてそれから60年後の1988年に、語り手の私が彼の映画についての本を出版したことが、この物語の発端となっています。 語り手の"私"の名はデイヴィッド・ジンマー、オースターの傑作長編「ムーン・パレス」で主人公マーコ・フォグの友人として登場した人物で、1988年時点で41歳になっています。バーモントの大学で教えていたジンマーは、3年前に飛行機事故で妻と二人の息子を亡くし、悲嘆を酒で紛らす日々を送っていましたが、偶然テレビで見たヘクターの映画に興味を覚えた彼は、悲しみを忘れる為、すべてを投げ出して世界中に四散したヘクターの映画フィルムの調査にのめり込み、本としてまとめたのでした。それは彼にとって、一種の自己治療行為であったことは間違いないと思います。 本の出版後3ヶ月経った時、ジンマーの元にニューメキシコ州の消印の1通の手紙が届きます。フリーダという女性が差出人のその手紙にはヘクターが生きていて、彼に会いたがっていると書いてありました。疑心暗鬼と家族の事故以来、飛行機に乗れなくなったジンマーは躊躇(ちゅうちょ)しますが、ある晩アルマと名のる女性が訪ねて来ます。突然現れた未知の人物に対しジンマーは怒りを爆発させます。アルマは彼に自分がフリーダの使いであり、ヘクターが危篤で、残された時間が少ないことを告げます。ヘクターの遺言は、彼の死後直ちに残された全てのフィルムを焼却することでした。 Who the fuck are you? I asked. You don't know me, she answered, but you know the person who sent me. That's not good enough. Tell me who you are, or I'll call the cops. My name is Alma Grund. I've been waiting here for over five hours, Mr. Zimmer, and I need talk to you. And who's the person who sent you? Frieda Spelling. Hector's in bad shape. She wants you to know that, and she wanted me to tell you that there isn't much time. なぜヘクターが突然人々の前から姿を消さなければならなかったのか、その後の60年間をどのように生きてきたのか、アルマが語るヘクターの数奇な人生の変転と彷徨はジンマーの想像を超えたものでしたが、絶望の果てに幾度も自殺を試みようとしたヘクターに、ジンマーは自身の姿を重ね合わせヘクターに深い共感を覚え、彼が自主製作したプライベート・フィルムを観ることを切望し、アルマとニューメキシコに向かいます。 絶望と再生という「ムーン・パレス」や「最後の物たちの国で」とも共通したテーマが扱われていて、作品の持つトーンもこれらの作品と同質のもので、読み終えた時にカタルシスをもたらす作品でした。 オースターの映画への関心の深さが窺える作品でもありますが、小説の中ではとくに2作のヘクターの映画について詳しく述べられていて、それらは彼の11作目のサイレント映画「ミスター・ノーバディ」と、プライベート・フィルム「マーティン・フロストの霊的生活」で、それぞれが独立した短篇とみなせるほどの内容となっています。あるいはいずれ映画化されることになるのかもしれません。 (関連作家など) 多くの作家、映画監督、画家の名前が言及されていますが、小説の内容に関わっているものには以下がありました。 ○ シャトーブリアン 19世紀のフランスの小説家で、王政復古期のフランス外相として政治家としても活躍した。妻子を失ったジンマーは、現実からの逃避手段として彼の回想記「墓の彼方からの回想」の翻訳に没頭します。 ○ ナサニエル・ホーソン(1804−1864) 米作家で、代表作には「緋文字」(1850)がある。アルマは映画カメラマンの父と女優の母を持つ美しい女性ですが、彼女の顔の左側には生まれつきの大きなあざがありました。彼女は14歳の時にホーソンの短篇「Birthmark/あざ」を繰り返し読み、あざを自分の一部として受け入れることができるようになったとジンマーに語ります。 You have no idea what that story did to me. I kept reading it, kept thinking about it, and little by little I began to see myself as I was. Other people carried their humanity inside them, but I wore mine on my face. That was the difference between me and everyone else. (中略) There was no use in trying to get rid of it. It was the central fact of my life, and to wish it away would have been like asking to destroy myself. |
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7. Oracle Night/オラクル・ナイト(2003) | |||
難易度:☆☆ 作家であるシドニー・オーアが、大病から回復し退院して間もなかった20年前(1982年)当時の出来事を振り返り、一人称で語られる物語です。主要な登場人物は、彼の妻のグレイス、二人の共通の友人で著名な作家のトラウズ、トラウズの息子でドラッグ中毒のジョンなどです。主軸のストーリーは、現実世界でのシドニーの周囲の人間関係を巡って展開されますが、もう一方でシドニーが謎めいた文房具店で偶然手に入れた青い表紙のノートに書き進めていた彼の小説のストーリーも並行して語られています。さらには、この小説の中にもう一つの小説「Oracle Night(神託の夜)」も登場し、全体が重層的な小説構造となっています。 シドニーが当時書き進めていた小説は、ハードボイルド小説の創始者とも言えるダシール・ハメットの代表作「マルタの鷹」の中のエピソードに触発されたもので、主人公はニューヨークの出版社に勤務する既婚の編集者ニック・ボーエンです。彼が朝出社すると、彼の机の上に小説「Oracle Night」の原稿が届けられていました。この小説は、1920年代から30年代にかけて人気があった女性作家の未発表原稿で、未来を予知できる男を主人公にした小説でした。ある夜、ニックが所用で外出し舗道を歩いているときに、アパートの11階から落ちてきた石灰岩の彫刻が彼の頭をかすめて足元に落下します。九死に一生を得たこの出来事をきっかけに、彼は今までの生活(仕事、妻)を捨て、全く新たな生活を始めることを決意し、その場でタクシーを拾って空港に向かい、カンサスシティへの便に搭乗します。 The stone was meant to kill him. He left his apartment tonight for no other reason than to run into that stone, and if he's managed to escape with his life, it can only mean that a new life has been given to him ― that his old life is finished, than every moment of his past now belongs to someone else. A taxi rounds the corner and comes down the street in his direction. Nick raises his hand. The taxi stops, and Nick climbs in. Where to? the driver asks. Nick has no idea, and so he speaks the first word that enters his head. The airport, he says. シドニーの周囲では、友人トラウズの体の不調と彼の息子ジョンとの関わり、妻のミステリアスな行動、そして文房具店の主人であるMr.チャンとの出会い、再会などが描かれていきます。 ストーリーを読み進むに従い、次第にシドニーの書いている小説世界が現実と関わりを持ってくるようなミステリアスな展開が予感され、最後にストーリーがどこへ行く着くのか(あるいはどこにも行き着かないのか)興味津々です。 シドニーとトラウズとの会話で、シドニーが「想像と現実とは一線を画すもので、それらの間に何のつながりもないよ」と言うと、トラウズは「思考、言葉は現実なんだ、時に我々は物事が起きる前に知ることができる。現在に生きながらも未来は絶えず我々の内部に生起している。作家が書くのは未来に起こることを先取りしているのだ」と彼の考えを語ります。 'Thoughts are real,' he said. 'Words are real. Everything human is real, and sometimes we know things before they happen, even if we aren't aware of it. We live in the present, but the future is inside us at every moment. Maybe that's what writing is all about, Sid. Not recording events from the past, but making things happen in the future.' こうしたトラウズの言葉(オースターの思想でもあるのかもしれない)を反映して、この作品における小説の重層構造が設定されているようです。 現代の文学作品において、このような小説の入れ子構造は珍しくなく、ジョン・アーヴィングの「The World According to Garp/ガープの世界」(1978)、マーガレット・アトウッドの「The Blind Assassin/昏き目の暗殺者」(2000)、A.S.バイアットの「Possession: A Romance/抱擁」(1990)などが例として思い浮かびます。いずれも傑作といってよい作品ですが、「Oracle Night」では、これらの作品のようには入れ子構造がねらいどおりの機能を果たしているとは言えないようです。 前作「The Book of Illusions」(2002)までの作品で典型的だった、とことん絶望の底に突き落とされた主人公たちが、最後にようやく絶望から再生へのほのかな兆(きざし)を感じとるに至るといった展開とは逆の「Oracle Night」のハッピーエンド風のストーリーが、オースターの作風の変化を示すものであるのか気にかかります。 |
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8. Winter Journal/冬の日誌(2012) | |||
63歳の現在から過去を回想する自伝的作品。 「君」という二人称による語りで、小さい頃からの記憶、21回の転居、恋愛遍歴など断片的なエピソードの数々を非時系列的に積み重ねている。 過剰とも思える緻密な描写により、過去を客観視しようとしているようだ。 古きよき日々などに用はない。ふとノスタルジックな気分に陥って、人生をいまより善くしてくれると思えたものが失われたことをつい嘆いてしまうたび、君は自分に、ちょっと待て、よく考えろ、いまを見るのと同じ目でじっくりあのころを見てみるんだ、と言い聞かせる。 |
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9. Report from the Interior/内面からの報告書(2013) | |||
前作「冬の日誌」(2012)と対を成し、小さい頃の思い出、少年の時に観た映画、元妻宛ての当時の手紙について、フォトアルバムで構成されている。 「冬の日誌」と本作による過去の再検証が、自伝的要素を含む最新長編「4321」(2017)執筆に不可欠だったのだろう。 外見は変わっても、君はまだかつての君なのだ ― たとえもう同じ人物ではなくても。 君の目的はあくまで、君の若き精神のありようをたどり、君を抽出して眺め、君の少年時代の内的地理を探ることだが、君は決して孤立して生きていたわけではない。 |
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10. 4321(2017)未翻訳 | |||
難易度:☆☆ 著者と同じ1947年に、ユダヤ系米国人として生まれたアーチーの青年期に至る成長過程を緻密に描いた大作。 重層的な構成の読み応えのある小説で、先行する自伝的作品同様、叙述の緻密さが際立っています。 ベトナム戦争、大学紛争、公民権運動など混迷の1960年代に青春を送った主人公が直面する葛藤や悩み(家族・恋愛・性・進路など)を追体験でき感銘深かった。" 70代を迎えたオースターにとって集大成的な作品であり、彼が重視する偶然が人生に及ぼす作用の表現には、特異な小説構造が必要だったと思われます。 彼は作品に寄せる強い思いを語っています。 いままで書いてきた作品はすべてこの作品にたどり着くためだったと述べている。 I feel I've waited my whole life to write this book. I've been building up to it all these years." |
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(次回紹介予定)The Music of Chance/偶然の音楽(1990) | |||
莫大な遺産が転がり込んだジム・ナッシュはすべてを投げ出し、やましいぐらいに楽しみながら、あてもなく全米を彷徨った。傷だらけのギャンブラーを"拾う"まで.......。シュールな、うたかたの日々に味わう高揚と失意。リアルな寓話空間で遭遇する他者と自分。オースター的な、余りにもオースター的な世界が凝縮された傑作長篇。 (宣伝コピーより) |
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■参考Webサイト | |||
○ ポール・オースター 関連出版リスト :洋書、和書 ○ 参考資料 ・ポール・オースター(Wikipedia) ・Paul Auster(Wikipedia 英語) ・ポール・オースター (現代作家ガイド) ・ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち ・柴田元幸ハイブ・リット |
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■主要作品リスト | |||
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