PAPERBACK GUIDE

 Thomas Hardy(1840 - 1928)
  トマス・ハーディ
 

 イングランド南部ドーセットシア州の小村で石工の長男として生まれた。16歳の時、教会建築家に弟子入りし、彼は長年の間建築の製図の仕事にたずさわり、その合間に詩作に励んでいた。1871年に自費出版した最初の小説『荒療治』は経済的には失敗したが、これによりハーディは作家として独立する自信を得、1874年には結婚し、文筆に専念することとなった。1885年に自ら設計した家を郷里のドーチェスターに建て、そこを永住の地とした。彼の代表作である『ダーバーヴィル家のテス』および『日陰者ジュード』に対する無理解による非難のため、これ以降小説の創作を絶ち、詩作に専念した。
 


ジョセフ・コンラッドとトマス・ハーディのひそかなコレクションは花瓶の汚れた水をたっぷりとかぶっていた。
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」/ 村上春樹


ハーディの与えてくれたものはある時代のある場所における人生の単なる写しではない。それは力強い想像力と深い詩的天才と高尚で仁慈な魂に映じた世界と人間の運命の幻影である。
「トマス・ハーディ論」/ ヴァージニア・ウルフ


Let me repeat that a novel is an impression, not an argument; and there the matter must rest.
「ダーバーヴィル家のテス」序文より/ トマス・ハーディ

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1. Tess of the D'Urbervilles/ テス(1891)
  難易度:☆☆☆

 副題として"A Pure Woman"と掲げられているように、"清純な"女性テスが苛酷な運命に翻弄され悲劇的な結末を迎えるまでを描いたハーディの最もポピュラーな作品です。内容的にハーディのペシミスティックな(悲観的な)世界観を小説化したように感じられますが、結末は悲劇的であっても、最後まで心の清純さを保ち、苦難に遭っても自らの道を切り開こうとしたテスは、結果としてたまたま不運に傾いてしまったけど決して盲目的な運命の前に屈したわけではないということは銘記しておくべきではないかと思うし、運命・宿命に抗いながら生きざるを得ない人間の生のあり方をリアルに示しているという点において、シェイクスピアの作品を始めとする悲劇の名作のひとつとして数えられる作品だと思います。詩人だったハーディの詩的で格調高い文章も作品を一層魅力的なものにしています。

 貧しいテスの父は、自分が名門ダーバーヴィルの子孫であると聞かされ、酒に溺れ働かなくなる。テスは母親に言われ、親戚と思われるダーバーヴィルを名乗る家で働くが、この家の息子アレックに処女を奪われ妊娠し村に帰ってきます。生まれた子供はまもなく死に、テスは農園で乳しぼりとして働くようになり、そこで牧師の息子エンジェルと会い、愛し合うようになり、彼に自分の過去を告げることが出来ないまま結婚することになります。

 テスがダーバーヴィルの名がいやだと言ったのに対し、エンジェルが結婚して自分の名を名乗ればいいのだからと重ねて求婚し、テスがついにそれを受け入れる場面から。テスは内心の不安を隠せずすすり泣くが、エンジェルにはもちろん何故なのかわからない。;
 
 "Now, then, Mistress Teresa d'Urberville, I have you. Take my name, and so you will escape yours! The secret is out, so why should you any longer refuse me?"
 "If it is sure to make you happy to have me as your wife, and you feel that you do wish to marry me, very, very much ―"
 "I do, dearest, of course!"
 "I mean, that it is only your wanting me very much and being hardly able to keep alive without me, whatever my offences, that would make me feel I ought to say I will."
 "You will ― you do say it, I know! You will be mine forever and ever."
 He clasped her close and kissed her.
 "Yes!"
 She had no sooner said it than she burst into a dry, hard sobbing, so violent that it seemed to rend her. Tess was not a hysterical girl by any means, and he was surprised.
 "Why do you cry, dearest?"
 "I can't tell ― quite! ― I am so glad to think ― of being yours, and making you happy!"
 "But this does not seem very much like gladness, my Tessy!"
 "I mean ― I cry because I have broken down in my vow! I said I would die unmarred!"
 "But if you love me, you would like me to be your husband?"
 "Yes, yes, yes! But oh, I sometimes wish I had never been born!"

 その後のテスの告白に端を発して、物語は破局に向かって進むことになります。テスとエンジェルの逃避行の終着点となったストーン・ヘンジ(古代の巨石遺跡)で、テスの死んだ後でも会えるかしらという問いにエンジェルは答えず、テスは嘆き、そして眠りに落ちてしまう。そしてストーン・ヘンジに夜明けが訪れる。

 "Tell me now, Angel, do you think we shall meet again after we are dead? I want to know."
 He kissed her to avoid a reply at such a time.
 "Oh, Angel ― I fear that means no!" said she with a suppressed sob. "And I wanted so to see you again ― so much, so much! What ― not even you and I, Angel, who love each other so well?"
 Like a greater than himself, to the critical question at the critical time he did not answer; and they were again silent. In a minute or two her breathing became more regular, her clasp of his hand relaxed, and she fell asleep.
 The band of silver paleness along the east horizon made even the distant parts of the Great Plain appear dark and near; and the whole enormous landscape bore that impress of reserve, taciturnity, and hesitation which is usual just before day. The eastward pillars and their architraves stood up blackly against the light, and the great flame-shaped Sun-stone beyond them, and the Stone of Sacrifice midway. Presently the night wind died out, and the quivering little pools in the cup-like hollows of the stones lay still.

 
(映画) テス/ Tess(1979 英・仏)
 (監)ロマン・ポランスキー
 (演)ナスターシャ・キンスキー(テス)、ピーター・ファース(エンジェル)、レイ・ローソン(アレック)

 この映画を観終わると、ナスターシャ・キンスキーほどテスを演ずるのにふさわしい女優は他にいないに違いない、という思いを強く抱くことになります。美しく、どんな逆境においてもピュアな心を持ち続ける意志を秘めた女性テスと女優ナスターシャ・キンスキーとは、イメージ的に重なり合う部分が多くあるということだと思います。
 ポランスキーは、この映画のタイトル・バックに"シャロンへ"という献辞を入れています。1969年にチャールズ・マンソンを教祖と崇める狂信者達に惨殺された彼の妻、女優シャロン・テートが演じたいと望んでいたというテスを映像化するにあたってのポランスキーのアプローチは、原作に寄り添った重厚とも言えるもので、"鬼才"と呼ばれるポランスキーにとって、この映画はシャロンへの鎮魂であるとともに、ハーディの小説が示す世界観に対する彼の全面的な共感の表明であったのではないかという気がします。原作の自然描写も素晴らしいものですが、ウェセックスの自然とそこに暮らす人々の生活を捉えたカメラワークが見事なのもこの映画の見どころとなっています。なかでもラストのストーン・ヘンジの夜明けのシーンが印象的でした。

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2. 詩「The Darkling Thrush」/ 夕闇に鳴く鶫(つぐみ)
   詩集「Poems of the Past and the Present(1901)より
難易度:☆☆☆☆
  イギリス名詩選 平井正穂 編(岩波文庫 '90初版)

 岩波文庫の解説によると、この詩は"19世紀の終焉に際し、重苦しいさまざまな思いに閉ざされていた"ハーディの心象を映しているようです。

The Darkling Thrush

I leant upon a coppice gate
  When Frost was spectre-gray,
And Winter's dregs made desolate
  The weakening eye of day.
The tangled bine-stems scored the sky
  Like strings of broken lyres,
And all mankind that haunted nigh
  Had sought their household fires.

The land's sharp features seemed to be
  The Century's corpse outleant,
His crypt the cloudy canopy,
  The wind his death-lament.
The ancient pulse of germ and birth
  Was shrunken hard and dry,
And every spirit upon earth
  Seemed fervourless as I.

At once a voice arose among
  The bleak twigs overhead
In a full-hearted evensong
  Of joy illimited ;
An aged thrush, frail, gaunt, and small,
  In blast-beruffled plume,
Had chosen thus to fling his soul
  Upon the growing gloom.

So little cause for carolings
  Of such ecstatic sound
Was written on terrestrial things
  Afar or nigh around,
That I could think there trembled through
  His happy good-night air
Some blessed Hope, whereof he knew
  And I was unaware.

夕闇に鳴く鶫(つぐみ)

私は、雑木林へ通じる枝折戸(しおりど)に凭(よ)りかかっていた、―
  灰色の「寒気」が亡霊のようにあたりに漂い、
「冬」のどろどろした佇(たたず)まいが、暮れなずむ夕日を
  不気味なものにしていた。
冬空を背にして浮かび上がった蔓(つる)の小枝は、
  竪琴の切れた絃のように縺(もつ)れ合っていた。
今まであたりを出歩いていた人という人はみな、
  暖炉の火を求めて家の中に入ってしまっていた。

この荒涼殺伐な光景は、今まさに去ろうとする
  この「世紀」の空しく横たわる遺骸、
どんよりとした冬空はその納骨堂、
  吹きすさぶ風はその死を悼む悲歌、とも思われた。
遠く過ぎ去った春の日の生々躍動の活力は、
  今見るかげもなく衰え果て、枯渇し、
地上の生きとし生けるものに生色なく、
  そのさまは私の姿さながらであった。

すると、突如として、頭上の寂しげな小枝の間から、
  一羽の鳥の鳴き声が迸(ほとばし)り出、響きわたった。
無限の喜びに溢れた夕べの讃歌を
  心ゆくばかり叫んでいる歌声だったのだ。
痩せ、老いさらばえた鶫が一羽、
  羽毛が烈しい風に煽(あお)られているのも意に介さず、
迫りくる夕闇に向かい、ただ必死に、この時とばかり、
  自分の魂をたたきつけていたのだ。

かくも歓喜に酔いしれた歌声を、
  この老いたる鳥に促すようなものは、
見わたす限り、地上のいかなるものにも
  見つけることはできなかった。
私は思った、― この嬉々たる夜曲の調べのうちに
  脈々と生きているのは、
この鳥が知り、私にはついぞ無縁ともいえる、
  「希望」という、あの幸福な思いではないのか、と。



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3. Jude the Obscure/ 日陰者ジュード(1895)
  難易度:☆☆☆
 「テス」は苛酷な運命に翻弄される清純なヒロインを描いた小説でしたが、「日陰者ジュード」では恵まれない環境の中で学問への志を抱く主人公の青年ジュードが、やはり世間の因襲の壁に阻まれ自滅していく姿を描いています。悲劇的な結末を持った小説ですが、ハーディによる登場人物や自然・都市の描写はすばらしいものがあり、そうした面での読みごたえがあります。また作中に古典や当時の小説、詩の引用も多く挿入されていて、これらに関する知識があると、より興味深く読むことができると思います。

 学問都市クライストミンスター(オックスフォードの仮名)から25kmほど離れた寒村メアリグリーンに大叔母と暮す孤児のジュードは、いつの日かクライストミンスターの大学に学び、学者になるという夢を抱き、独学でラテン語やギリシア語を学んでいました。しかし彼が19歳の時に養豚業者の娘アラベラの計略にはまり彼女と結婚しますが、結局うまくいかず、アラベラは彼を捨てオーストラリアに移住してしまいます。
 22歳になったジュードは長年の念願であったクライストミンスターに行き、石工として働きながら独学で勉強を続けます。この町で従姉妹のスーに会ったジュードは彼女を愛しますが、スーはメアリグリーン出身の教師で彼女よりずっと年上のフィロットソンと婚約してしまいます。しかし、スーの結婚も初めからうまくゆかず、夫と別れた彼女とジュードは一緒に暮し始めますが、結婚制度に疑問を感じるスーはジュードとの結婚を承知しませんでした。
 スーは制度としての結婚が二人の愛を損ねてしまうという確信を抱いていました。この確信は彼女自身やジュードの不幸な結婚だけでなく、彼らの両親の不和の記憶も影響していたようです。
 夫と妻という関係でなく、それぞれが自由な意志を持った愛する者同士として暮したい。そのためには結婚という制度がもたらす恩恵など必要ない、というのがスーの思いでした。

 ‘I have just the same dread lest an iron contract should extinguish your tenderness for me, and mine for you, as it did between our unfortunate parents. (中略)
 I think I would much rather go on living always as lovers, as we are living now, and only meeting by day. It is so much sweeter for the woman at least, and when she is sure of the man. (中略)
 I think I should begin to be afraid of you, Jude, the moment you had contracted to cherish me under a Government stamp, and I was licensed to be loved on the premises by you ― Ugh, how horrible and sordid! (中略)
 Fewer women like marriage than you suppose, only they enter into it for the dignity it is assumed to confer, and the social advantages it gains them sometimes ― a dignity and an advantage that I am quite willing to do without.’

 知的なスーを愛するジュードは彼女に結婚を強いることはしませんでしたが、世間の二人を見る目は冷たく、苛酷な運命が次から次へと二人を襲うことになります。

 この小説が世間の無理解な非難を浴びたことから、ハーディは二度と小説を書くことはなく、以後詩作に専念することになりました。非難の多くはこの作品に盛り込まれた因習的な制度としての結婚への疑問、批判に対するものであったと考えられます。
 同棲し、子供を持ちながらあえて結婚という法的手続きをせず暮らすことの難しさは、100年後の今日でもあるのだと思いますが、当時のイギリスでは、同棲しながら結婚を拒否することは教会の権威の否定にもつながることであり、その重圧は現在とは比べものにならないものだったのだと思います。
 しかしながら、せっかく強い意志を持った魅力的な女性、スーを創造したのだから、結果的に因習に屈服した形の悲劇に終わらせるのではなく、苦難に耐えて家族で生きていく未来を示唆した結末としてもらいたかった。
 結局、最後にジュードが慨歎したように、二人の考え方は時代より50年進んでいたということなのだろう。

 As for Sue and me when we were at our own best, long ago ― when our minds were clear, and our love of truth fearless ― the time was not ripe for us! Our ideas were fifty years too soon to be any good to us. And so the resistance they met with brought reaction in her, and recklessness and ruin on me!  
(映画) 日陰のふたり/Jude(1996 英)
 (監)マイケル・ウィンターボトム (音)エイドリアン・ジョンストン 
 (演)クリストファー・エクルトン(ジュード)、ケイト・ウィンスレット(スー)、レイチェル・グリフィス(アラベラ)
 (映画6シーン/IMDb

 「たとえこの世が滅んでも僕らは夫婦だ!」 

 ジュードの少年時代のエピソードからラストに至るまで、原作に沿ってていねいに作られているので、ストーリーを知りたいという方には最適な映画です。もちろん単にそれだけでなく、当時の街並みや蒸気機関車などの交通機関や暮らしぶりなども映像化されており、エセックス地方の自然描写とともに楽しむことができます。重くて暗い内容なので、手放しでおすすめしにくい原作であり、映画ですが、どちらもとてもいい作品だと思います。

 演技陣では、知的で当時としては進歩的な考え方を持った女性、スーを演じたケイト・ウィンスレット(当時21歳)がなんといっても素晴らしかった。ウィンスレットは、映画「アイリス」で知的女流作家として知られた若き日のアイリス・マードックを演じて見事でしたが、こういったタイプの女性のイメージにピッタリのようです。
 ジュードに結果として不幸をもたらした女性アラベラも単なる悪女ではなく、貧しさから這い上がろうとするしたたかで生命力あふれる女性として描かれていて、その人物造形は納得できるものでした。
 音楽を担当したエイドリアン・ジョンストンは、アイルランド出身のバンドの元メンバーだそうで、ケルト民謡とバロックを中心とした音楽が19世紀末の雰囲気を醸成していました。クライストミンスターでのパレードのシーンでは、バッハのマタイ受難曲が流れていたのが印象的でした。




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 ○ 関連出版リスト : amazon. com.(洋書翻訳本

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 ○ 作品
  • Desperate Remedies / 荒療治(1871)
  • Under the Greenwood Tree / 緑の木陰(1872)
  • A Pair of Blue Eyes / 青いひとみ(1873)
  • Far from the Madding Crowd / 遥か狂乱の群を離れて(1874)
  • The Return of the Native/ 帰郷(1878)
  • The Trumpet Major/ ラッパ長(1880)
  • A Laodicean/ 冷淡な人(1881)
  • Two on a Tower/ 搭上の二人(1882)
  • The Mayor of Casterbridge/ カスターブリッジの市長(1886)
  • Wessex Tales/ ウェセックス物語・短篇集(1888)
  • The Woodlanders/ 森林地の人々(1887)
  • A Group of Noble Dames/ 一群の淑女・短篇集(1891)
  • Tess of the D'Urbervilles/ テス 又は ダーバーヴィル家のテス(1891)
  • Life's Little Ironies ・短篇集(1894)
  • Jude the Obscure/ 日陰者ジュード(1895)
  • Wessex Poems/ ウェセックス詩集(1898)
  • Poems of the Past and the Present/ 過去と現在の詩集(1901)
  • The Dynasts/ 覇者・詩劇(1903-08)
  • Time's Laughing Stocks / 時の笑い草・詩集(1909)
  • Satires of Circumstance/ 境遇の風刺詩(1914)
  • Moments of Vision/ 幻の瞬間・詩集(1917)
  • The Famous Tragedy of the Queen of Cornwall ・劇(1923)
  • Human Shows/ 人間の見世物・詩集(1925)
  • Winter Words/ 冬の言葉・詩集(1928)




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