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立原道造 (1914−1939) 

東京生まれ。東京帝大建築学科卒業後、建築事務所に勤務。一高在学中に堀辰雄を知り、1934年、「四季」の創刊に参加。1937年に14行詩10篇を収めた第1詩集「萓草に寄す」を刊行。以後「暁と夕の歌」を上梓し、「優しき歌」などを構想するうちに、1939年、病気のためわずか24歳で生涯を終えた。
     


いくつかの好きな作品を紹介します。 

詩集「萓草に寄す」(1937)より
 ・またある夜に
 ・のちのおもひに

詩集「暁と夕の詩」(1937)より
 ・失なはれた夜に
 ・眠りのほとりに

詩集「優しき歌 T」より
 ・憩らひ
 ・薄明
 ・ひとり林に・・・・・・

詩集「優しき歌 U」より
 ・夢のあと
 ・夢みたものは・・・・・・
 
拾遺詩篇より
 ・ゆふすげびと
 ・麦藁帽子

草稿詩篇より
 ・黄昏に
 ・夜 泉のほとりに
 ・風詩

関連Web・参考資料
 

詩集「萓草に寄す」より

またある夜に

私らはたたずむであらう 霧のなかに
霧は山の沖にながれ 月のおもを
投箭のやうにかすめ 私らをつつむであらう
灰の帷のやうに

私らは別れるであらう 知ることもなしに
知られることもなく あの出会った
雲のように 私らは忘れるであらう
水脈のように

その道は銀の道 私らは行くであらう
ひとりはなれ・・・・・・ (ひとりはひとりを
夕ぐれになぜ待つことをおぼえたか)

私らは二たび逢はぬであらう 昔おもふ
月のかがみはあのよるをうつしてゐると
私らはただそれをくりかへすであらう

 
のちのおもひに

夢はいつもかへつて行った 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しずまりかへつた午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
― そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた・・・・・・

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう


詩集「暁と夕の詩」(1937)より

失なはれた夜に

灼けた瞳が 灼けてゐた
青い眸でも 茶色の瞳でも
なかつた きらきらしては
僕の心を つきさした

泣かさうとでもいふやうに
しかし 泣かしはしなかつた
きらきら 僕を撫でてゐた
甘つたれた僕の心を嘗めてゐた

灼けた瞳は 動かなかつた
青い眸でも 茶色の瞳でも
あるかのやうに いつまでも

灼けた瞳は しづかであつた!
太陽や香のいい草のことなど忘れてしまひ
ただかなしげに きらきら きらきら 灼けてゐた


眠りのほとりに

沈黙は 青い雪のやうに
やさしく 私を襲ひ・・・・・・
私は 射とめられた小さい野獣のやうに
眠りのなかに 身をたふす やがて身動きもなしに

ふたたび ささやく 失はれたしらべが
春の浮雲と 小鳥と 花と 影とを 呼びかへす
しかし それらはすでに私のものではない
あの日 手をたれて歩いたひとりぼつちの私の姿さへ

私は 夜に あかりをともし きらきらした眠るまへの
そのあかりのそばで それらを溶かすのみであらう
夢のうちに 夢よりもたよりなく―

影に住み そして時間が私になくなるとき
追憶はふたたび 嘆息のやうに 沈黙よりもかすかな
言葉たちをうたはせるであらう


詩集「優しき歌 T」より

憩らひ
      
風は或るとき流れて行つた
絵のやうな うすい緑のなかを、
ひとつのたつたひとつの人の言葉を
はこんで行くと 人は誰でもうけとつた

ありがたうと ほほゑみながら。
開きかけた花のあひだに
色をかへない青い空に
鐘の歌に溢れ 風は澄んでゐた、

気づかはしげな恥らひが、
そのまはりを かろい翼で
にほひながら 羽ばたいてゐた・・・・・・

何もかも あやまちはなかつた
みな 猟人も盗人もゐなかつた   
ひろい風と光の万物の世界であつた。

猟人(かりうど)


薄明

音楽がよくきこえる
だれも聞いてゐないのに
ちひさなフーガが 花のあひだを
草の葉のあひだを 染めてながれる

窓をひらいて 窓にもたれればいい
土の上に影があるのを 眺めればいい
ああ 何もかも美しい! 私の身体の
外に 私を囲んで暖かく香よくにほふひと

私は ささやく おまへにまた一度
― はかなさよ ああ このひとときとともにとどまれ
うつろふものよ 美しさとともに滅びゆけ!

やまない音楽のなかなのに
小鳥も果実も高い空で眠りに就き
影は長く 消えてしまふ ― そして 別れる

香(かをり)、果実(このみ)


ひとり林に・・・・・・

だれも 見てゐないのに
咲いてゐる 花と花
だれも きいてゐないのに
啼いてゐる 鳥と鳥

通りおくれた雲が 梢の
空たかく ながされて行く
青い青いあそこには 風が
さやさや すぎるのだらう

草の葉には 草の葉のかげ
うごかないそれの ふかみには
てんたうむしが ねむつてゐる

うたふやうな沈黙に ひたり
私の胸は 溢れる泉! かたく
脈打つひびきが時を すすめる
 
沈黙(しじま)
 

詩集「優しき歌 U」より


夢のあと

≪おまへの 心は
わからなくなつた
≪私の こころは
わからなくなつた

かけた月が 空のなかばに
かかつてゐる 梢のあひだに ―
いつか 風が やんでゐる
蚊の鳴く声が かすかにきこえる

それは そのまま 過ぎるだらう!
私らのまはりの この しづかな夜

きつといつかは (あれはむかしのことだつた)と
私らの こころが おもひかへすだけならば!・・・・・・

≪おまへの心は わからなくなつた
≪ 私のこころは わからなくなつた


夢みたものは・・・・・・

夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊ををどつてゐる

告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたつてゐる

夢みたものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と


拾遺詩篇より


ゆふすげびと

かなしみではなかつた日のながれる雲の下に
僕はあなたの口にする言葉をおぼえた、
それはひとつの花の名であつた
それは黄いろの淡いあはい花だつた、

僕はなんにも知つてはゐなかつた
なにかを知りたく うつとりしてゐた、
そしてときどき思ふのだが 一体なにを
だれを待つてゐるのだらうかと。

昨日の風は鳴つてゐた、 林を透いた青空に
かうばしい さびしい光のまんなかに
あの叢に咲いてゐた、 さうしてけふもその花は

思ひなしだか 悔ゐのやうに ― 。
しかし僕は老いすぎた 若い身空で
あなたを悔ゐなく去らせたほどに!

叢(くさむら)


麦藁帽子

八月の金と緑の微風のなかで
眼に沁みる爽やかな麦藁帽子は
黄いろな 淡い 花々のやうだ
甘いにほひと光とに満ちて
それらの花が 咲きそろふとき
蝶よりも 小鳥らよりも
もつと優しい愛の心が挨拶する


草稿詩篇より


黄昏に

すべては 徒労だつた と
告げる光のなかで 私は また
おまへの名を 言はねばならない
たそがれに

信じられたものは 美しかつた
だが傷ついた いくつかの
風景 それらは すでに
とほくに のこされるばかりだらう

私は 身を 木の幹に凭せてゐる
おまへは だまつて 背を向けてゐる
夕陽のなかに 鳩が 飛んでゐる

私らは 別れよう・・・・・・別れることが
私らの めぐりあひであつた あの日のやうに
いまも また雲が空の高くを ながれてゐる


夜 泉のほとりに

言葉には いつか意味がなく・・・・・・
たれこめたうすやみのなかで
おまへの白い顔が いつまで
ほほゑんでゐることが出来たのだらう?

夜 ざはめいてゐる 水のほとり
おまへの賢い耳は 聞きわける
あのチロチロとひとつの水がうたふのを
葉ずれや ながれの 囁きのみだれから

私らは いつまでも だまつて
ただひとつの あたらしい言葉が
深い意味と歓びとを告げるのを待つ

どこかとほくで 啼いてゐる 鳥
私らは 星の光の方に 眼を投げてゐる
あちらから すべての声が来るやうに


風詩

丘の南のちひさい家で
私は生きてゐた!
花のやうに 星のやうに 光のなかで
歌のやうに
 

参考
立原道造 関連出版リスト(Amazon)
立原道造(Wikipedia)
 

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