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西行(1118−1190)
 
俗名佐藤義清(のりきよ)、代々武勇のほまれある家に生まれ、兵法に通じ、射術に練達し、鳥羽上皇の北面の武士として仕えたが、23歳の時に突然、出家遁世した。出家してからは、高野、吉野に隠れ、また出でて諸国を遍歴した。東は遠く陸奥に至り、西は中国、四国、九州に及んで、その足跡は全国に亙った。晩年は伊勢にあること数年、京に上って洛東隻林寺のあたりに庵を結び、後に河内に在って世を去った。(『山家集』解説より)
 

現代人は、とかく目的がないと生きて行けないといい、目的を持つことが美徳のように思われているが、目的を持たぬことこそ隠者の精神というものだ。視点が定まらないから、いつもふらふらしてとりとめがない。ふらふらしながら、柳の枝が風になびくように、心は少しも動じてはいない。業平も、西行も、そういう孤独な道を歩んだ。

桜の花を友としたのと同じ心で、西行は、ひとり居の寂しさを愛した。吉野山へ入った後の歌は、一段と風格を高めたようであるが、それは自分自身を深く見つめる暇と余裕を持ったからであろう。人間は孤独に徹した時、はじめて物が見えて来る、人を愛することができる、誰がいったか忘れてしまったが、それはほんとうのことだと思う。
『西行』/ 白洲正子


風になびく富士の煙の空に消えて行方も知らぬわが思ひかな

煙(けぶり):当時の富士山は活火山だった

願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ


(参考資料)

好きな歌を取り上げてみました。解釈は、『西行』/安田章生 によります。

心から心にものを思はせて身を苦しむるわが身なりけり

春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり

捨てたれど隠れて住まぬ人になればなほ世にあるに似たるなりけり

行方なく月に心の澄み澄みて果はいかにかならんとすらん
(月の光に対しているわが心は、行方(ゆくえ)もわからず澄みに澄んで、その果てはどうなっていくのであろうか)

ともすれば月すむ空にあくがるる心のはてを知るよしもがな

さびしさに堪へたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里
(冬の山里で自分と同じようにさびしさに堪えている人が他にもおればいいのにと望んでいる。もしおれば庵を並べて共に堪えようというのである)

われのみぞわが心をばいとほしむあはれむひとのなきにつけても
(自分をあわれんでくれる人がないにつけても、恋に苦しんでいるわが心を、ただひとり自分だけがいとおしく思うことだ)

心なき身にもあわれはしられけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ
鴫(しぎ)

牡鹿なく小倉の山の裾ちかみただひとりすむわが心かな

さまざまのあはれをこめて梢ふく風に秋知るみ山べの里

あばれたる草の庵のさびしさは風よりほかにとふ人ぞなき

あはれいかに草葉の露のこぼるらむ秋風たちぬ宮城野の原
(秋風の吹き始めた日、かつてみちのくに旅した際に、その萩をめでた宮城野をおもいやって、そこではどのように草葉の露がこぼれていることだろう)

常よりは心ぼそくぞおもゆる旅の空にて年の暮れぬる

深き山にすみける月を見ざりせば思ひ出もなきわが身ならまし
(深き山の中である深仙に澄んでいる月を見なかったならば、思い出もないわが身であろう)

とにかくに厭はまほしき世なれども君が住むにもひかれぬるかな
(出家前の心境を詠んだもの。あれこれと厭いたいと思うこの世であるが、君が住んでいるので心を惹かれることだ)

おもかげの忘らるまじき別れかな名残りをひとの月にとどめて
(おもかげが忘れられないような別れだ、名残りをそのひとは月にとどめて)

雲はれて身にうれへなき人のみぞさやかに月の影は見るべき
(迷いの雲が晴れて、身に憂いのない人だけが、さやかに月の光を見ることができるのだ)

はかなくて過ぎにしかたを思ふにも今もさこそは朝顔の露
(はかなく過ぎた年月をふりかえるにつけても、すべての存在は朝顔の花の上におく露のようにはかない)


○ 参考資料
西行 関連出版リスト(Amazon)
西行(Wikipedia)


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