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Truman Capote(1924 -1984 )
トルーマン・カポーティ 


ニューオリンズ生まれ。南部の各地を転々として育つ。引越しの多い生活のため、ほとんど学校に行かず、独学同様に勉強した。両親は子供の時に離婚し、母親に育てられた。彼女は後年自殺している。17歳で「ニューヨーカー」誌のスタッフになり、23歳で出世作「遠い声、遠い部屋」を発表し、若き天才作家として注目を浴びた。1作ごとに華やかな話題をふりまき映画にまで出演し、ノーマン・メイラーとともに作家としては珍しくゴシップの欄の常連になるなど、公私の両面で活躍した。


トルーマン・カポーティの文章のように繊細で、うつろいやすく、傷つきやすく、そして美しい四月のはじめの日々。
「ダンス・ダンス・ダンス」/村上春樹

8歳のころから書きはじめた。書くことは、いつも私にとりついて離れなかった。これこそ、自分のすべきことだと単純に信じ込んでいた。
/ トルーマン・カポーティ

 

1.Breakfast at Tiffany's /ティファニーで朝食を(1958)
難易度:☆☆☆

 表題作の中篇と、3つの短篇から構成されています。表題作はニューヨークを舞台に、その天衣無縫さにより男たちを手玉にとって、上流階級からマフィアの世界まで軽やかに泳ぎ回る女性ホリー・ゴライトリーの生き様を描いています。語り手である私(駆け出しの作家)もまた彼女に翻弄されるが、本気で憎めないのは彼女の魅力の故なのだろう。映画でヘップバーンが、ギターの弾き語りで主題曲である"ムーン・リバー"を歌う場面があるけど、本の中では次のように書かれています。

Also, she had a cat and she played the guitar. On days when the sun was strong, she would wash her hair, and together with the cat, a red tiger-striped tom, sit out on the fire escape thumbing a guitar while her hair dried.  Whenever I heard the music, I would go stand quietly by my window.  She played very well, and sometimes sang too.  Sang in the hoarse, breaking tones of a boy's adolescent voice.  She knew all the show hits, Cole Porter and Kurt Weill; especially she liked the songs from Oklahoma!, which were new that summer and everywhere.  But there were moments when she played songs that made you wonder where she learned them, where indeed she came from. Harsh-tender wandering tunes with words that smacked of pineywoods or prairie.  One went: Don't wanna sleep, Don't wanna die, just wanna go a-travellin' through the pastures of the sky; and this one seemed to gratify her the most, for often she continued it long after her hair had dried, after sun had gone and there were lighted windows in the dusk.

 彼女は猫を飼っていて、そしてギターも弾いた。陽射しの強い日には彼女は髪を洗い、赤毛のトラ縞の猫と非常階段に坐って、髪の毛が乾くまでの間、ギターを爪弾いていた。私は、彼女のギターが聞こえると、いつでもそっと窓際に立っていたものだ。彼女はギターをとても上手く弾き、時々歌うこともあった。それは声変わりの少年のような、しわがれたハスキーボイスだった。彼女はコール・ポーターとかクルト・ワイルとかのヒット曲をみんな知っていた。とくに、ミュージカル「オクラホマ」の中の歌が好きだった。(以下略・試訳)

 確かに名文家ですね。一緒に収録されている短篇の中では、語り手の"私"が小さい時、一緒に暮らしていた親類の老女とクリスマスを祝うためにあれこれ準備する話"A Christmas Memory"が、絶品。ノスタルジーに満ち、かつ繊細で、初期のカポーティの特徴が良い形で出ている作品だと思います。これ以前の作品の中で"The Grass Harp / 草の竪琴"が同様の感触を持った佳作です。

○「クリスマスの思い出 A Christmas Memory」/ トルーマン・カポーティ(文藝春秋 '90初版 村上春樹:訳、山本容子:銅版画)
 
 山本さんの銅版画(20作品所収)も、翻訳であることを感じさせない村上さんの訳も素晴らしいと思います。

 この短篇はカポーティの散文のある種の頂点を記録していると言っても、おそらく差し支えないだろう。カポーティの文章的才気をあますところなく発揮した淀みのない、美しい、歌うがごとき文体である。 
本文ノートより(以下同様)/ 村上春樹



訳文と原文を対比してみたいと思います。どこでもよいのだけれど、まずは冒頭の部分から ;

 11月も終りに近い朝を思い浮かべてほしい。今から20年以上昔の、冬の到来を告げる朝のことだ。広々とした古い田舎家の、台所のことを考えてみてほしい。黒々とした大きな料理用ストーブがまず目につく。大きな丸いテーブルと、暖炉の姿も見える。暖炉の前には、揺り椅子がふたつ並んでいる。暖炉はまさに今日から、この季節お馴染みの轟音を勢いよく轟かせ始めたばかりだ。
 白い髪を短く刈り込んだ女が、台所の窓の前に立っている。彼女はテニス・シューズを履き、夏物みたいなキャラコの服の上に、くたっとしたグレイのセーターを着ている。小柄で元気いっぱいで、まるで雌のチャボみたいな感じだ。でもかわいそうに、若い頃に長患いをしたせいで、背中の上の方がすっかり曲がってしまっている。顔だちはなかなか人目を引く。リンカーンに似ていると言えなくもない。ちょうどああいう具合にきゅっと頬がそげているのだ。そしてその肌は太陽と風に焼かれて染まっている。でも顔だちそのものは繊細と言ってもいい。骨格もどことなく優美だ。瞳はシェリー酒色で、見るからに内気そうである。「ねえ、ごらんよ!」と彼女は叫ぶ。その息は窓を曇らせる。「フルーツケーキの季節が来たよ!」
IMAGINE a morning in late November. A coming of winter morning more than twenty years ago. Consider the kitchen of a spreading old house in a country town. A great black stove is its main feature; but there is also a big round table and a fireplace with two rocking chairs placed in front of it. Just today the fireplace commenced its seasonal roar.
A woman with shorn white hair is standing at the kitchen window. She is wearing tennis shoes and a shapeless grey sweater over a summery calico dress. She is small and sprightly, like a bantam hen; but, due to a long youthful illness, her shoulders are pitifully hunched. Her face is remarkable - not unlike Lincoln's, craggy like that, and tinted by sun and wind; but it is delicate too, finely boned, and her eyes are sherry-coloured and timid. 'Oh my,' she exclaims, her breath smoking the windowpane, 'it's fruitcake weather!'


 スックおばあさんと少年バディー(おそらくはカポーティ自身)は、毎年のクリスマスに、ケーキを友人たちの為に焼き、クリスマスツリーを切り出し、飾り付け、そしてプレゼントの交換をしていた。そんなふたりが最後にともに過ごしたクリスマスの情景を描いた作品です。

 ここに描かれているのは完璧なイノセンスの姿である。そのイノセンスは無垢な少年としてのバディー、世間からは外れてしまった童女のような60歳のスック、そして犬のクイーニーという三者によって形成されたサークルの中にひっそりと維持されている。彼ら三人(二人と一匹)は誰もが弱者であり、貧しく、孤立している。しかし、彼らには世界の美しさや、人の抱く自然な情愛や、生の本来の輝きを理解することができる。そしてそのような美しさや暖かさや輝きが頂点に達して、何の曇りもなく結晶するのが、このクリスマスの季節なのだ。

 村上さんは続けて、"そのようなイノセンスは、多かれ少なかれ誰の少年期、少女期にもあるものだろうと思う。"と書いていますが、この作品に感動する根底には、子供の時の自分がもっていたであろう、そしてもうそこからは遠く隔たってしまったイノセンスへの憧憬があるのではと思います。

 クリスマス・イブの午後に、僕らはなんとか5セントを工面し、肉屋に行って恒例のクイーニーのための贈り物を買う。ちゃんとかじることのできる上等の牛の骨だ。その骨は漫画新聞に包んで木のずっと上のほうの、銀の星の近くに載せておく。クイーニーは骨がそこにあることを知っている。彼女はツリーの足元にうずくまって、感に堪えかねるというようなうっとりした目でじっと上を見ている。寝る時間になっても彼女はがんとしてそこから腰をあげようとはしない。僕の興奮ぶりだってクイーニーに負けない。僕は布団を蹴りあげ、枕をひっくりかえす。まるで暑くて寝苦しい夏の夜みたいに。どこかで雄鶏がときの声をあげる。でもそれは何かの間違いだ。太陽はまだ世界の裏側にあるのだから。

Christmas Eve afternoon we scrape together a nickel and go to the butcher's to buy Queenie's traditional gift, a good gnawable beef bone. The bone, wrapped in funny paper, is placed high in the tree near the silver star. Queenie knows it's there. She squats at the foot of the tree staring up in a trance of greed: when bedtime arrives she refuses to budge. Her excitement is equalled by my own. I kick the covers and turn my pillow as though it were a scorching summer's night. Somewhere a rooster crows: falsely, for the sun is still on the other side of the world.


(映画)ティファニーで朝食を(米・1961)
(監)ブレーク・エドワーズ (音)ヘンリー・マンシーニ (演)オードリー・ヘップバーン、ジョージ・ペパード

 ニューヨークの風景は実に美しく、ジョージ・ペパードの着こなしも見事。最初から最後まで黒人が全く登場しないという不思議なニューヨーク映画である。
「映画をめぐる冒険」/ 村上春樹


 カポーティはこの映画に激怒したとのことだけど、彼にしてみれば、自由人であるはずのホリー・ゴライトリーを、ハッピーエンドとするために特定の男にくっつけてしまうというのは、原作の意図を踏みにじったものと考えたとしても無理のないことだとは思うけど、原作とは関係のない作品として考えれば、品の良いロマンティック・コメディとしては、まあ良い出来なのでは、と思います。個人的には、ヘップバーンの魅力を生かしきっていないのではないかというもどかしさを感じるんですが......。


2.In Cold Blood /冷血(1966)
難易度:☆☆

 ノンフィクション・ノベルという新しいジャンルを切り開いたとされる作品で、約50ヶ国で出版され米国だけで500万部位売れたという大ベストセラーです。ノンフィクション・ノベルとはカポーティの言葉によれば、"フィクションの技術を駆使した物語風の構成でありながら中身は完全に事実という形式"であり、この形式で成功作とは、"著者の存在をまったく感じさせないものであるべき"と述べています。そして、この小説の題材は、1959年11月にカンザス州ホルコムで起きたペリーとディックという二人の若者による裕福な農場主クラターの一家4人の強盗殺人事件です。

Until one morning in mid-November of 1959, few Americans ― in fact, few Kansans ― had ever heard of Holcomb.  Like the waters of the river, like the motorists on the highway, and like the yellow trains streaking down the Santa Fe tracks, drama, in the shape of exceptional happenings, had never stopped there.  The inhabitants of the village, numbering two hundred and seventy, were satisfied that this should be so, quite content to exist inside ordinary life ― to work, to hunt, to watch television, to attend school socials, choir practice, meeting of the 4-H Club.  But then, in the earliest hours of that morning in November, a Sunday morning, certain foreign sounds impinged on the normal nightly Holcomb noises ― on the keening hysteria of coyotes, the dry scrape of scuttling tumbleweed, the racing, receding wail of locomotive whistles.  At the time not a soul in sleeping Holcomb heard them ― four shotgun blasts that, all told, ended six human lives. But afterward the townspeople, theretofore sufficiently unfearful of each other to seldom trouble to lock their doors, found fantasy re-creating them over and again ― those somber explosions that stimulated fires of mistrust in the glare of which many old neighbors viewed each other strangely, and as strangers.

 カポーティは、現地取材と逮捕後の犯人たちとの面会等に基づく膨大な資料を駆使して、この小説を書き上げましたが、二人の犯罪者の中で特に、不幸な生育環境で育ったペリー・スミスに自身を重ね合わせ共感を持ったようです。ペリーの繊細さと残虐性の両面を併せ持った特異なキャラクターの内面を、カポーティは客観性を保ちながら描写することに成功していると思います。ペリーとディックは1959年12月に逮捕され、1965年4月に死刑に処せられました。ペリーの最後の言葉は、

"It would be meaningless to apologize for what I did.  Even inappropriate.  But I do.  I apologize." 



3.Music for Chameleons /カメレオンのための音楽(1980)
難易度:☆☆

 本書は以下のような3つのパートから構成されています。 パート1:表題作を含む6つの短篇、パート2:「冷血」同様、犯罪を扱ったノンフィクション・ノベル「手彫りの棺」、パート3:会話形式による人物素描のような7つの作品
 パート1の中では"A Lamp in a Window"が、ちょっとブラックな味わいで面白いし、パート3の中ではマリリン・モンローとの交友を綴った"Beautiful Child"がなんといっても興味深い。共通の知人の葬儀に出席したカポーティとマリリンは、彼女の気まぐれによりフェリーの桟橋まで来てしまう。その間、二人の間でかわされる会話は、ほとんど知人のゴシップに終始しています。日暮れの桟橋で、マリリンがカポーティに、「『マリリン・モンローって本当はどんなだったの』と聞かれたら何て答えるの?」と尋ね、カポーティが答える個所から:
 
MARILYN : Remember, I said if anybody ever asked you what I was like, what Marilyn Monroe was really like ― well, how would you answer them? ( Her tone was teaseful, mocking, yet earnest, too : she wanted an honest reply ) I bet you'd tell them I was a slob. A banana split.
CAPOTE : Of course. But I'd also say ...
 ( The light was leaving. She seemed to fade with it, blend with the sky and clouds, recede beyond them. I wanted to lift my voice louder than the seagulls' cries and call her back : Marilyn! Marilyn, why did everything have to turn out the way it did? Why does life have to be so fucking rotten? )
CAPOTE : I'd say ...
MARILYN : I can't hear you.
CAPOTE : I'd say you are a beautiful child.

"a beautiful child"というのは言い得て妙ですね。この作品を読むと、マリリン・モンローという人の危うさ(もろさ)が伝わってきて、彼女が自殺したのは不自然ではないという気になります。
 

4.Answered Prayers /叶えられた祈り(1987・未完)
難易度:☆☆☆

 カポーティ未完の遺作で、生前雑誌に発表された3つの章を収録しています。カポーティは上流階級に魅せられ、彼の天才的とも言われる話術により社交界の中枢に入り込み寵児となります。社交界に取材したこの作品により、彼はアメリカのプルーストになると公言していましたが、結局は未完のゴシップ小説を生み出すだけの結果となりました。しかも、小説の内容に激怒した社交界からは追放同然となり、結果としてこの作品が晩年の酒とドラッグに溺れる生活へのきっかけとなったとも言えます。この本は今回初めて読んだのだけど、語り手である"私"(駆け出しの作家で、ホモセクシャルでもあるということでカポーティ本人といってもよい)によって暴かれる上流階級のゴシップ話が、いまいちぴんとこないので正直言ってあまり面白くありませんでした。知っている有名人もゴシップの俎上に載っていて、サリンジャーについてふたりの夫人が話す場面(まあたいしたゴシップではないけど)からの引用:

Mrs. Matthau said: "Remember the Salinger thing?"
"Salinger?"
"A perfect Day for Banana Fish. That Salinger. Umn huh. You Don't remember about him?"
Mrs. Cooper pondered, pouted; no, she didn't.
"It was while we were still at Brearley," said Mrs. Matthau. "Before Oona met Orson. She had a mysterious beau, this Jewish boy with a Park Avenue mother, Jerry Salinger. He wanted to be a writer, and he wrote Oona letters ten pages long while he was overseas in the army. Sort of love-letter essays, very tender, tenderer than God. Which is a bit too tender. Oona used to read them to me, and when she asked what I thought, I said it seemed to me he must be a boy who cries very easily; but what she wanted to know was whether I thought he was brilliant and talented or really just silly, and I said both, he's both, and years later when I read Catcher in the Rye and realized the author was Oona's Jerry, I was still inclined to that opinion."
"I never heard a strange story about Salinger," Mrs. Cooper confided.
"I've never heard anything about him that wasn't strange. He's certainly not your normal everyday Jewish boy from Park Avenue."

(参考)トルーマン・カポーティ /ジョージ・プリンプトン(1997)
新潮社

 本書は、カポーティの生涯を、彼を知る人々(親戚、友人、知人など170人以上)にインタビューし、得られた証言で描き出す"オーラル・バイオグラフィ(聞き書きによる伝記)"であり、「早熟の天才、ホモセクシャルで、アル中で、ヤク中の」カポーティのその誕生から死までの波乱の人生を窺うことが出来ます。
 愛情のうすい母親に育てられたためか(母親は「子供の顔を見るのがいやで子供を部屋に閉じ込めた」という)、終生彼は、周囲の人間の愛情、そして名声に飢えていたようです。この意味で、1966年に彼が主催したプラザ・ホテルでの大パーティーが恐らく彼の生涯の頂点であり、1976年に「叶えられた祈り」の中の一章が発表されたことによる上流階級からの絶縁が彼に与えたダメージは又、想像以上に大きかったものと考えられます。
 三人の有名人へのインタビューより;

ローレン・バコール(女優でハンフリー・ボガードの妻)
 私は『百万長者と結婚する方法』を撮影していて、それが終わったあと、ロンドンでボギーとおちあった。トルーマンのことは彼から聞いていたわ。「やつに会ったら、最初はとても実在の人間とは思えない。しばらくいっしょにいてやつのことが少しわかったら、今度はポケットに入れて家につれて帰りたくなる」。そのあとトルーマンがカリフォルニアに来て、やっと会えた。家に訪ねてきたの。あのかすかな声で「ハロー・ディア」と。周りの人間はすぐに感染してしまう。あの信じられない頭脳とウィットにね。私たちは強い友情を築きあげた。彼はボギーを崇拝していたわ。この世でまったく似たところのない二人組みといえばボガートとトルーマンでしょうね。

ノーマン・メイラー(作家)
 あの当時の彼について私が言えるのは、われわれの世代の誰にもましてよい文章を書いたということだ。詩を感じとるすばらしい耳を持っていた。すばらしい心、とはいかなかったがね。一分間たりとも壮大な思想にかかずらうことがあったかどうか。書くものには詩情があふれていたが、詩人のように考えるわけではなかった。詩人に特有のメタファーのセンスを追求するだけの集中力がなかった。だが、彼は時代と場所に関するセンスはあった。たとえば『ティファニーで朝食を』は、ある意味で取るに足りない本だ。その一方で、一時期のニューヨークを知りたいと思うなら、あれにまさる本はない。その意味で、多少フィッツジェラルドに通じるところがある。順位をつけるとすれば、私ならトルーマンをフィッツジェラルドよりやや下に置くね。だが、ほぼ同類だ。

カート・ヴォネガット(作家)
 彼は他の作家の悪口ばかり言っていた。私のこともどこかでこきおろしていたにちがいない。どんな名前をあげても彼はくさした。ジェームズ・ジョーンズもだめ。アップダイクも認めていなかったようだ。ヴィダルにはハナもひっかけず、屁みたいな存在だと言っていた。

ノーマン・メイラーのカポーティ評が、とても的を得ているのではないかと思います。


参考Webサイト・検索
○ 関連出版リスト : amazon. com.(洋書翻訳本
○ 主要作品リスト

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