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Milan Kundera(1929- )
ミラン・クンデラ

チェコスロバキアのブルノ市の生まれ。父は作曲家ヤナーチェックの高弟であったピアニストで、クンデラも幼いときから父にピアノを習い、10歳の頃から作曲を学んだ。プラハの音楽芸術大学映画学部(FAMU)に入学、21歳の時に共産党からの最初の除名処分を受けた。卒業後しばらく労働者あるいはジャズミュージシャンとして暮らし、その後FAMUで文学を講義するようになった。1953年に最初の詩集を出版、1969年に共産党から2回目の除名処分を受け、FAMUでの教職を追われ、作品はすべて禁書となった。1975年、フランスに移り、レンヌ大学の客員教授となり、1979年にはチェコの市民権を剥奪され、1980年にフランスの市民権を取得した。


Only a literary work that reveals an unknown fragment of human existence has a reason for being. To be a writer does not mean to preach a truth, it means to discover a truth.
人間存在の知られざる断片を明らかにする文学作品だけが存在理由を持つのです。作家であるということは真実を説くことではなく、真実を発見するということなのです。
/ミラン・クンデラ(インタビューより)

 

1.The Unbearable Lightness of Being/存在の耐えられない軽さ(1984) :原チェコ語
(英訳)難易度:☆☆☆  

The idea of eternal return is a mysterious one, and Nietzsche has often perplexed other philosophers with it: to think that everything recurs as we once experienced it, and that the recurrence itself recurs ad infinitum! What does this mad myth signify?
 Putting it negatively, the myth of eternal return states that a life which disappears once and for all, which does not return, is like a shadow, without weight, dead in advance, and whether it was horrible, beautiful, or sublime, its horror, sublimity, and beauty mean nothing.

 現代文学を代表する作品に数えられるこの小説の冒頭は、ニーチェの「永劫回帰」の思想に関する記述から始められています。この思想を否定的にとらえると、一度きりで消えてしまい戻ってくることのない生というものは、影のようで、重さのない死んだものであって、それが恐ろしくても、美しくても、崇高であっても、それらは無意味なのだ、と語り手(作者)は結論づけています。
 また一方では、ニーチェが「永劫回帰」の思想を"最大の重荷"と呼んだことから帰結するならば、逆に我々自身の生というのは"素晴らしい軽さ"として現れることが可能となると述べています。がしかし、本当に重さは悲しむべきことで、軽さは素晴らしいことなのか? 軽さと重さとではどちらが否定的で、どちらが肯定的なのか? 
 こうして多義性を持つ重さと軽さの対立が、この作品の主題として冒頭で提示され、直接的に、あるいは形を変えながら間接的に作品の中で繰り返し再現(変奏)されていきます。たとえばそれらは、愛と性的行為の関係であったり、キッチュ(kitsch:俗受けするもの)とそうでないもの、政治的なものと個人的なものとの連関であったりという風に。

 登場する主要人物は二組のカップルの四人だけで(強いて加えるならば、雌犬カレーニン)、プラハの有能な外科医で離婚歴のあるトマーシュと小さな町のウェイトレスだったテレザは偶然出会い、結婚し、女流画家のサビナとスイスの大学教授フランツとは愛人関係で、そしてサビナはフランツを知る以前からトマーシュとも愛人関係にありました。
 この小説の構造は、あたかもこの四人がそれぞれのパートを受け持ち、軽さと重さの主題と、様々なモチーフを互いに触発し合いながら演奏する弦楽四重奏曲のような趣があり、作中で人の生を音楽に模した表現を使ったり、ベートーヴェン晩年の弦楽四重奏曲が幾度も言及されているのも、作曲を学んだこともある作者にそういった意図があったことを窺わせます。

 1968年8月、ソビエトの戦車がチェコに侵攻し、束の間の自由を謳歌した「プラハの春」は終わりを告げます。トマーシュとテレザはスイスに移り住みますが、トマーシュの浮気に耐えられずテレザはプラハに戻り、トマーシュも彼女の後を追います。トマーシュは、68年の春に彼が新聞に投稿した手紙が党を批判しているとして当局より撤回を求められ、それを拒否したことから病院での地位を奪われ、窓拭きの仕事をして暮すこととなります。
 
 時間軸が行きつ戻りつする物語展開や、突然哲学的な論議が挿入されたり、アフォリズム(警句)の展覧のような章もあったりと、全体としてメタ小説的な重層構造を持っていますが、決して晦渋ではなく、それとは反対に作者の達観したユーモア(humour)が反映された"軽み"の感じられる作品です。
 
 7部からなるこの小説の最終章では、プラハから田舎の農場に逃れるように移ったトマーシュとテレザがようやくたどり着いた静かな日常と、二人の飼い犬カレーニンの死が描かれていて、余韻を残すラストの描写とともに、とくに胸を打つ部分です。

 田舎町のホテルのダンス・フロアで踊るトマーシュとテレザ。テレザはかつて二人が飛行機で嵐の雲を抜けたときに感じたのと同じ奇妙な幸福と、かなしさを経験していた。かなしさは二人にはもうどこにも行き場がないこと、幸福は二人が共にいること。幸福がかなしさの空間に満ちた。

On they danced to the strains of the piano and violin. Tereza leaned her head on Tomas's shoulder. Just as she had when they flew together in the airplane through the storm clouds. She was experiencing the same odd happiness and odd sadness as then. The sadness meant: we are at the last station. The happiness meant: we are together. The sadness was form, the happiness content. Happiness filled the space of sadness.
 
(関連音楽)弦楽四重奏曲第16番 作品135/ベートーヴェン
アルバン・ベルク SQ
 このベートーヴェン最後の弦楽四重奏曲の最終楽章は二つのモチーフにより構成され、ベートーヴェンは楽譜上にそれぞれの音符に対応した言葉を記入していて、それらは、"Muss es sein? そうでなければならないのか?"と、"Es muss sein! そうでなければならない!"でした。作中にはモチーフを示す譜面も挿入され、以下のエピソードが述べられています。
 トマーシュは、テレザを追ってプラハへ戻ることにし、勤務していたスイスの病院の院長に帰国の旨を伝えます。これを聞いて院長は気分を損ねますが、トマーシュが "Es muss sein!" と言うと、これを理解した大の音楽好きの院長は穏やかに微笑みながら "Muss es sein?" と節を付けて尋ね、トマーシュはもう一度 "Ja, es muss sein!" と答えたのでした。
 このエピソードに続けて作者は、ベートーヴェンは重さを肯定的なものとして捉えていたのだと付け加えています。

 この曲は、まとまった作品としてはベートヴェンの作曲した最後の作品で、死の直前に完成されています。4楽章からなり、全体として形式にとらわれない自由で闊達な印象で、この曲から迫る死を感じ取ることはできませんが、緩徐楽章の第3楽章では晩年の作特有の荘重な音楽が奏されています。上述の音楽と言葉が結びついた二つのモチーフにより有機的に構成された最終楽章は、いかにもベートーヴェンらしい構造の音楽となっています。
 
(映画)存在の耐えられない軽さ('88・米)
(監)フィリップ・カウフマン (演)ダニエル・デイ・ルイス、ジュリエット・ビノシュ
   
人生はわたしにはとても重いのに、あなたにはとても軽いのね。その軽さにとても耐えられないの。わたしは強くないから。

 これはソビエト軍の統制下に置かれたプラハからジュネーブに移ったものの、止まぬトマーシュの浮気に耐えかねてテレザが再びプラハに戻って行ったときの置手紙に書かれていた言葉です。
 原作は、偶然や(たとえばトマーシュとテレザの出会いのように)、外部要因(たとえばソビエトのチェコ侵攻のように)に左右され、やり直しのきかない一回性の人の生というのは耐えられないくらい軽いのではないかという命題の元に、哲学・政治・人間ドラマを総合した小説となっていましたが、映画では一人の男(トマーシュ)と彼をめぐる二人の女(テレザとサビナ)のラブ・ストーリーにその比重を移しています。結果として焦点を絞ったことで、原作とは別の次元の恋愛ドラマとして高く評価できる映画となっています。

 洗練さとは無縁の純真な田舎娘で、トマーシュのように愛と性とを別個のものとして割り切ることができず嫉妬に悩み、生来の鋭い感性を頼りに写真に道を見出そうとするテレザ(ビノシュ)、奔放で何より精神の自由を優先する画家サビナ(レナ・オリン)、そしてサビナ同様キッチュ(字幕では"通俗")を嫌い、束縛を嫌いながらもテレザへの愛を捨てなかったトマーシュ(デイ・ルイス)、彼ら三人の織りなすドラマから生が軽いなどとはとても思えません。テレザとサビナが二人きりで、サビナのアトリエで互いの裸体をカメラで撮り合いながら、心の絆を深めていくシーンが印象的でした。
 演出面では、ソビエト軍戦車のプラハへの侵攻や抗議する群衆をテレザが撮影するシーンではモノクロ画面となり、当時の実写映像も巧みに挿入され迫真性を高めていました。また、全篇に流れる四重奏曲やピアノ曲などの室内楽曲は、クンデラも傾倒したチェコの作曲家ヤナーチェックの作品でした。
 原作同様、ラストが美しく、感動的でした。

「トマーシュ、何を考えているの」
「どんなに自分が幸せかと」

 

(次回紹介予定)The Joke/冗談(1967)原チェコ語

Amazon.com.より
Book Description
All too often, this brilliant novel of thwarted love and revenge miscarried has been read for its political implications. Now, a quarter century after The Joke was first published and several years after the collapse of the Soviet-imposed Czechoslovak regime, it becomes easier to put such implications into perspective in favor of valuing the book (and all Kundera 's work) as what it truly is: great, stirring literature that sheds new light on the eternal themes of human existence.


参考Webページ
○ミラン・クンデラ関連出版リスト(洋書 和書
○ 参考資料
ミラン・クンデラ(Wikipedia)
・ミラン・クンデラと小説 /赤塚 若樹
  
・小説というオブリガート―ミラン・クンデラを読む/工藤 庸子
  
・ミラン・クンデラの思想 (平凡社選書) /西永 良成
  

主要作品リスト(英訳版)
○小説
  • Zert (The Joke)/冗談(1967)
  • Laughable Loves/微笑を誘う愛の物語(1970)
  • Life Is Elsewhere/生は彼方に(1973)
  • The Farewell Waltz(当初英訳タイトルでは"Party")/ 別れのワルツ(1976)
  • The Book of Laughter and Forgetting/笑いと忘却の書(1979)
  • The Unbearable Lightness of Being/存在の耐えられない軽さ(1984)
  • Immortality/不滅(1990)
  • La Lenteur (Slowness)/緩やかさ(1995)
  • Identity/ほんとうの私(1997)
  • Ignorance/無知(2000) 
○戯曲
  • The Owners of the Keys/鍵の所有者(1962)
  • The Blunder(1969)
  • Jacques et son maitre (Jacques and His Master)/ジャックとその主人(1981)
○詩
  • Man: A Broad Garden(1953)
  • The Last May(1955)
  • Monologues(1957)
○エッセイ・評論
  • About the Disputes of Inheritance(1955)
  • The Art of the Novel/小説の芸術(1960)
  • The Czech Deal(1968)
  • Radicalism and Exhibitionism(1969)
  • The Stolen West or the Tragedy of Central Europe/「誘拐された西欧、あるいは中央ヨーロッパの悲劇」(1983)
  • The Art of the Novel, essay in 7 parts/小説の精神(1985)
  • Testaments Betrayed, essay in 9 parts/裏切られた遺言(1993)

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