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恩田 陸(1964 -  )

宮城県の生まれ。早稲田大学教育学部卒。91年に第3回日本ファンタジーノベル大賞最終候補作となった「六番目の小夜子」でデビューした。ミステリー、ファンタジー、ホラーなど様々なタイプの作品を精力的に発表している。2005年「夜のピクニック」で吉川英治文学新人賞、本屋大賞を、2006年「ユージニア」で日本推理作家協会賞を、2007年「中庭の出来事」で山本周五郎賞を受賞した。


世界は音楽に溢れている。
聴きなさい、塵。耳を澄ませなさい。世界に溢れている音楽を聴ける者だけが、自らの音楽をも産み出せるのだから。
/「蜜蜂と遠雷」

  

「図書室の海」以前の全作品と「ロミオとロミオは永遠に」、「ねじの回転」を読んでいますが、恩田作品を読んでいると、ホントにこの人は本を書くことが好きで、読むことが好きで、そして音楽や映画が好きなんだなあという感慨をしばしば抱きます。そうした恩田さんの思いが作品を介して伝わってくるのだろうけど、恩田さんは読者を幸福な気持にしてくれる数少ない作家の一人だと思います。
 
以下を紹介しています。クリックでリンクします。

■作品
三月は深き紅の淵を(1997)
光の帝国(1997)
月の裏側(2000)
麦の海に沈む果実(2000)
ライオンハート(2000)
黒と茶の幻想(2001)
木曜組曲(1999)
(映画)木曜組曲(2002)
夜のピクニック(2005)
蜜蜂と遠雷(2016)
(映画)蜜蜂と遠雷(2019)

関連Webサイト
作品リスト


1.三月は深き紅の淵を(1997)
講談社文庫

 『三月は深き紅の淵を』という幻の本をめぐる4つの中篇が収録されています。それらは、それぞれが "書かれなかった"、"すでに書かれた"、"書かれるであろう"、"書かれつつある"この本についての物語となっていて、その内容は、ミステリーとかファンタジーとかのジャンルにとらわれない、さまざまな要素が盛り込まれている、いかにも恩田さんらしい趣向を持った作品集となっています。
 個人的には、最初の『待っている人々』のミステリアスな雰囲気と、恩田さんの肉声が聞ける4作目の『回転木馬』が興味深かったけれど、他の2作品も捨てがたいところ(つまりみんないい)。
 本をめぐる物語ということで、旺盛かつ優れた読み手でもある恩田さんが言及する古今の本も多数に上ります。僕が読んでいるもの、読んでいないもの色々ですが、本好きにはどちらにしても楽しい。

「生まれて初めて開いた絵本から順番に、自分が今まで読んできた本を全部見られたらなあ、って思うことありませんか?」

 『回転木馬』では、作者(恩田さんと等身大と考えてもよいのでは)が、『三月は深き紅の淵を』という物語の構想を練り、その過程でいくつかの小説の芽が生まれ、消え、そしてついに一つのストーリーが立ち上がり、語られていく様に読者は立ち会うことになります。そしてこの物語が独立したもうひとつの長編として完成されたのが、『麦の海に沈む果実』ですが、これら二つの物語の結末は全く違ったものになっています。
 作者である"彼女"が、小説を書くことについての心情を吐露している文章があって、恩田ワールドの本質を垣間見るようでとても興味深いところです。

 彼女にとって、重要な、極めて個人的なテーマはずばり『ノスタルジア』である。あらゆる意味での懐かしさ。それは心地好く切ないものであると同時に、同じくらいの忌わしさにも満ちている。彼女は幼い頃から世界というものに対して漠然とした郷愁を抱いていた。郷愁という言葉が誤解を招くのならば、世界というものがぐるぐると大きな円を描いて、時間的にも空間的にも循環しているという感触である。デジャ・ブとはまた少し違うのだが、そういう感覚が幼年期の彼女をかなりの部分で支配していた。今ではそんな感覚が日常生活に占める割合は少なくなったものの、たまにそういう感覚がざぶんと押し寄せるとパニックに陥る。その感覚をなんとか目に見えるものにしようと、彼女はワープロを前に悪戦苦闘するのである。


2.光の帝国(1997)
集英社文庫

 僕たちは、無理やり生まれさせられたのでもなければ、間違って生まれてきたのでもない。それは、光があたっているということと同じように、やがては風が吹き始め、花が実をつけるのと同じように、そういうふうに、ずっとずっと前から決まっている決まりなのだ。
 僕たちは、草に頬ずりし、風に髪をまかせ、くだものをもいで食べ、星と夜明けを夢見ながらこの世界で暮らそう。そして、いつかこのまばゆい光の生まれたところに、みんなで手をつないで帰ろう。


 代々超能力を持つ常野一族を描いた10篇の短篇からなる連作短篇集です。"常野(とこの)"の名は、おそらく柳田国男の名著『遠野(とおの)物語』との連想から名づけられたのだと思いますが、遠野が東北にあったように、常野一族の出身も東北地方のようで、各人が様々な特異な能力を持っていますが、極めて温厚な、礼節を重んじる一族で、権力を持たず、群れず、常に在野にあれ、という平和主義者たちでした。
 この一族の能力はバラエティに富んでいて、並外れた記憶能力、予知、人の心を読む、長命、発火、見えないものを見る、空を飛ぶ...など様々です。いくつかの短篇は互いに関連していますが、多くは独立していて、おそらくはこれからも常野一族の物語は書き継がれ、恩田作品の根幹となるサーガ(大河小説)に発展していくのではないかと期待されます。
 超能力とは勿論無縁の自分だけど(サイコロをころがして一生懸命、念力を訓練した事もありました)、なぜか常野の地とその一族に懐かしさを感じました。
 この短篇集の中から、今後サーガの中心人物となるであろう亜希子が登場する「黒い塔」のストーリーを紹介してみます。この短篇は、亜希子が常野一族の一員となるイニシエーション(通過儀礼)の物語となっています。

 社会人の亜希子は毎夜の悪夢に悩まされていた。その夢とは、彼女が寒い風の吹く暗い空を飛び、てっぺんの球体が燃えている黒い木材を積み上げた黒い塔に向かって飛び込んでいくというものだった。病気の父の容体が悪化し、バスで故郷の秋田に帰ろうとする亜希子に、必死の形相の女性が近付き、「バスに乗らないで!」と叫んだ。そして彼女の乗ったバスは途中で崖崩れに巻きこまれてしまう.....

 この出来事の結果、亜希子は孤児だった彼女を育ててくれた両親に対する心のわだかまりを解き、自分が不思議な能力を持っている事、そして常野一族の存在と自分の出生の秘密を初めて知ることになります。

 自分が一人ではないこと、大きな営みの中に生かされていること。遥かな時間と人々の行為の積み重ねの上に自分が存在していること。自分という存在を無駄にはできないこと ―
 この流れはどこに行くのだろう。自分はどこまで流されていくのだろう。
 ふと、仕事の合間に亜希子は不安になる。ワープロの黒い画面を覗き込む。
 いつかその流れに恐怖を覚え、立ち止まることもあるだろう。どうすればいいのかと悩み、後ろばかり振り返る時もあるに違いない。その時は帰ればいい。みんなが待っている、あの広い世界。みんながかつて散って行った、そして今再び集まろうとしている野原 ― 懐かしい人々が待つ常野へと。



3.ライオンハート(2000)
新潮文庫

 魂は全てを凌駕する。時は常に我々の内側にある。
 命は未来の果実であり、過去への葦舟である。


 この作品は5つの短篇連作によるファンタジー・ラブ・ストーリーです。それぞれの短篇には、1枚づつ絵画が関連づけられていて、17世紀から20世紀に渡る様々な時代、場所でのつかの間の邂逅と別れを繰り返すエドワードとエリザベスの物語です。

 「分らない ― 分らないわ。でも、会いたいのよ。あなたもそうでしょう?私たちは何度も出会っている。結ばれることはない。でも、離れた瞬間から、会う瞬間を待ち続けている ― 生まれる前も、死んだあとも。理由なんて分らないわ ― でも、会いたかったのよ。そうじゃなくて?」

 なぜ彼らは、出会い、別れ、そして別離の瞬間から次の出会う瞬間を待ちつづけなければならないのか。答えもちゃんと用意されていますが、この小説を魅力あるものにしているのは、愛し合いながらも運命と時に翻弄される男女のめぐり会いと別れの場面という恋愛小説のエッセンスの凝縮で書かれているからだと思います。これらの場面の中では1932年のロンドン、雨のエアー・ポートでの少女エリザベスとの出会い、それに1871年のフランス、雨上がりの空に二重の虹がかかる農園の林檎の木での刹那の邂逅がとくに印象的でした。後者では、画家のジャン=フランソワ・ミレイが目撃し、風景画「春」を完成させたというエピソードが付加されています。

(関連音楽)
 作者によるあとがきによると、「ライオンハート」というタイトルは、ケイト・ブッシュのセカンド・アルバム('78年)のタイトルに由来するとの事。ケイト・ブッシュはデビュー・アルバム『天使と小悪魔』は持っていました。才能のある人ですが、ちょっとエキセントリックなところがついていけない感じでした。ピーター・ガブリエルの傑作アルバム『So』の「Don't give up」という曲で、デュエットとして参加していて、これはとても好きな曲です。

 恩田さんは、あとがきで "この小説はロバート・ネイサンの「ジェニーの肖像」への個人的なオマージュである" とも書いています。この作品はジェニファー・ジョーンズとジョゼフ・コットンの主演で映画化され、『聖なる春』/久世光彦 の中でも言及されていて、見たいと思いつつまだ探しあぐねています。

 中学1年のとき、本郷の映画館で観た「ジェニーの肖像」という映画があった。目の粗い画布の上に焼きつけられたような、ぼんやりと懐かしい画面の映画だった。私は祖父といっしょだった。暗い映画館の客席で、私は祖父に気づかれないように、咳(せき)に誤魔化しながら泣いた。何度も、泣いた。
『聖なる春』/久世光彦


 この小説の構成は、各章の扉に掲げられた絵に続いて、それぞれに短い"プロムナード"が置かれていて、これはムソルグスキーのピアノ組曲『展覧会の絵』の趣向に倣(なら)ったものです。ピアノ独奏でも演奏される機会の多い曲ですが、ラヴェルによるオーケストラへの編曲版も有名です。さらにまたキース・エマーソンにより編曲、演奏されたロック版(『展覧会の絵』/EL&P '71)により、一層ポピュラーな曲となりました。


So '86
Peter Gabriel


展覧会の絵
ベルマンによるピアノ独奏とカラヤン指揮のオーケストラ演奏がカップリングされている


4.月の裏側(2000)
幻冬舎文庫

・・・・・さながら水に浮いた灰色の棺(ひつぎ)である。
『おもひで』/ 北原白秋

木立の間に細い月が懸(かか)って梢や枝を影絵のように黝(くろず)ませていたから、河はただ河明りによってそれと知られるだけだった。
廃市』/ 福永武彦

あんたはいっつも、月の裏側に行ってるみたいにたそがれてるわ。
『不安な童話』/ 恩田陸

There's someone in my head but it's not me
And if the cloud bursts, thunder in your ear
You shout and no one seems to hear
『Dark Side of the Moon 狂気』/ Pink Floyd


 箭納倉(やなくら)という掘割が町中を縦横に走っている九州の地方都市が舞台となっていて、ストーリーの展開は作品の中でも言及されているSF侵略テーマの古典『盗まれた街 The Body Snatchers(1955)』/ジャック・フィニィ を思い起こさせます。

 箭納倉では老人が行方不明となる事件が相次いで起きていた。彼らはしばらくして戻って来るが、失踪している間の記憶をなくしていた。事件の異常さに気づいた元大学教授の三隅は、かつての教え子の多聞を呼び寄せ、三隅の娘で多聞の後輩だった藍子、地方紙の記者の高安とともに真相を究明しようとする。
 
 白秋だって、福永だって、みんな気付いていた。その断片を、我々に向かって自分の作品の中でメッセージにして送っていたんです。

 文学者がいきなり登場するのも面白い趣向ですが、白秋は箭納倉のモデルと思われる柳川出身の詩人。福永武彦は『廃市』で水郷の町の旧家の二人の娘をめぐるロマンを描いています。
 話の展開は『盗まれた街』に近いけど、これは果して侵略なのか、もしかしたら進化なのではないか。この疑問に対して恩田さんは答えてはいないけど、どうも後者のような気がしてなりません。表向き『盗まれた街』の路線を標榜しているこの作品は、実は『ブラッド・ミュージック』(1985)/グレッグ・ベア や『幼年期の終わり』(1953)/A.C.クラーク に近い意図で書かれたのではないか。そんな作者の仕掛けが感じられました。

 我々は『ひとつ』になりたがっているのかもしれない。もしくは、無意識のうちに、あまりにも人間という生物の戦略の収拾がつかなくなったのに気付いていて、もう一度『ひとつ』に戻ろうとしているのかもしれない。(郷土史研究家 小林が三隅に語った言葉)

 メイン・ストーリーとは関係のないところで印象に残ったのは、三隅と多聞が文学しりとりをする場面で、活字中毒の人には面白い趣向かもしれない。続けるのは結構大変のような気がするけど。ちなみにここでは以下のように続けています。このしりとりで4ページくらい費やしている。本当に面白い作家です。

 廃市 ― しろばんば ― 薔薇の名前 ― 永訣の朝 ― さらばモスクワ愚連隊 ― 怒りの葡萄 ― うたかたの日々 ― 美女と野獣 ― 宇治拾遺物語 ― 林檎の樹 (ここでいったん中断し、あとで藍子が加わり、また再開している) ― キリマンジャロの雪 ― 飢餓海峡 ― 海と毒薬 ― クリスマス・キャロル ― ルバイヤット(詩の形式?) ― 遠い声 遠い部屋 ― 山と古寺風物誌 ― 潮騒 ― 石の花 ― 長い坂(山本周五郎) ― 風の又三郎 ― 生まれ出ずる悩み ― みだれ髪 ― 乱れたベッド(サガン)― ドリトル先生航海記 ― きけわだつみのこえ ― エマ ― マノン・レスコー ― 金色夜叉 ― 山の音 ― トニオ・クレーゲル

 多くの書名、作家名、曲名、アーティスト名(井上陽水、越路吹雪、そして佐良直美まで!)やらが登場する小説で、本筋でないところでも楽しめます。印象に残った言葉をいくつか挙げてみます。

 真実は男のものだが、真理は女の中にしかない。男はそれを求めて右往左往するだけだ。

 世界には二種類の"真"があって、客観的に把握できる"真実"と直感でしか捉えることができない"真理"とで、後者は男には無縁ということなのかな。気になります。そういえば『不安な童話』には、こんな一節もありました。本当かなあ。

 女どうしは一瞬の視線で互いの体調や近況を読み取る。選ぶ口紅や鏡を見る目付きで、服の脱ぎ方や流しに置かれたカップの位置で。

(関連音楽)
 タイトル『月の裏側』には、"The Dark Side of the Moon"という英語の副題が付いていて、この言葉は無意識を意味するということと、おそらく恩田さんの念頭にあったのは、ピンク・フロイドの傑作アルバム『狂気 Dark Side of the Moon』でしょう。『ライオンハート』のケイト・ブッシュといい、恩田さん(1964年生まれ)は、'70年代ロックが好きなんじゃないのかな。
 ロックだけでなく、古いジャズもお好きなようで『クレオパトラの夢』とか『ミンガス・アット・カーネギーホール』なども登場します。
 
ジャズ喫茶から払い下げてもらったという煙草の匂いの染み付いたソファは、中から『クレオパトラの夢』が流れてきた。


5.麦の海に沈む果実(2000)
講談社文庫

不思議国に幼子らは横たわり
夢見つつ日々をすごし
夢見つつ夏幾歳(いくとせ)

変わらず流れを漂うごとくにくだり ―
金色にきらめく輝きのなかにいつまでも ―
人生、それは夢にすぎぬのか?
/『鏡の国のアリス』(柳瀬尚紀 訳)
 
わたしが少女であったころ、わたしたちは灰色の海に浮かぶ果実だった。
わたしが少年であったころ、わたしたちは幕間のような暗い波間に声もなく漂っていた。
/『麦の海に沈む果実』
 
「三月のお茶会へようこそ」
/『三月は深き紅の淵を』
 
 恩田さんの作品では、ある限定され閉ざされたた空間・場所、たとえば学園あるいは地方の小都市の中でのミステリアスな事件や出来事が物語られる場合が多いようですが、この作品でも舞台が湿原に囲まれ外界から孤立した陸の孤島「青の丘」にある全寮制の学園となっています。

 主人公の理瀬(14歳)がこの学園に来たのは2月の最後の日だった。「3月の国」と呼ばれるこの学園には「もしここに3月以外に入ってくるものがあれば、そいつがこの学校を破滅に導くだろう」という言い伝えがあった。
 この言い伝えを裏付けるかのように、理瀬の周囲では事件が起こり、生徒がひとりまたひとり消されていった。
 この学園では、生徒は「ファミリー」と呼ばれる男女6人づつから構成される小グループに必ず属さなければならなかったが、理瀬の属するグループのメンバーには、大秀才の聖、指揮者を目指している寛、鋭い瞳が印象的な黎二と理瀬のルームメイトで役者を目指している憂理らがいた。それから理瀬に惹かれる作曲家志望のヨハン、そしてこの「3月の国」を統治する謎に満ちた校長。これらの主要人物がからむ事件とともに、理瀬が来る前に失踪した麗子が残していった『三月は深き紅の淵を』というタイトルの本の存在がさらに謎を深めていく。
 
 少女は膝の上から文庫本が落ちそうになっているのに気付き、慌てて取り上げた。『鏡の国のアリス』。寄宿舎の自分の部屋に最初に持ち込める本はなぜか五冊と決まっているらしかった。彼女はその本を選ぶのに一日をかけたが、それでも何度か夜中に目が覚めてしまい、自分の選択が正しかったどうか悩んだ。少女は『不思議の国のアリス』よりも『鏡の国のアリス』のほうが好きだった。兎を追って暗い穴に飛び込むよりも、部屋の中の鏡をじっと睨み付けていると鏡が溶け始めるという導入部の方が気に入っていたのだ。

 
 この小説の序章に書かれた文章ですが、作品全体が『アリス』を念頭に置いて書かれたのではないかと思われます。不思議の「3月の国」に迷い込んだ理瀬⇔アリス、校長(彼は女装して女王にもなる)⇔カードの女王、校長の主催するお茶会、ガーデン・パーティー、カードゲーム、鏡 ....恩田さんが仕掛けた共通項は、まだまだあるのかもしれません。そして『鏡の国のアリス』では、アリスは最後に女王になりますが、「3月の国」のアリス(理瀬)は果して....

 鏡のない宮殿。おのれの姿を鏡の中に直視する者だけが世界を手に入れることができる ― それが男であれ、女であれ。

 登場する生徒達はみな頭が良くて清潔で、繊細。これは恩田さんの学園を舞台にした作品では特徴的なことなのかもしれません。本格ミステリーのような謎解きよりも、現代の語り部というべき恩田さんの紡ぐ物語を楽しむ作品ではないかなと思います。
 『アリス』に二つの物語があったように、結末は、中篇『回転木馬』の中で語られるものとは異なっていますが、アリスの物語がそうだったようにいずれも一人の少女により夢見られた物語の変奏であると考えてもいいのではないかと思います。どちらの結末を選ぶかは読者にゆだねられているといったところなんでしょう。

Which do you think it was?
みなさんは、どっちだったと思います?
/『鏡の国のアリス』



6.黒と茶の幻想(2001)
講談社文庫 上・下

森は生きている、というのは嘘だ。
いや、嘘というよりも、正しくない、と言うべきだろう。
森は死者でいっぱいだ。森を見た瞬間に押し寄せる何やらざわざわした感触は、死者たちの呟きなのだ。
 (中略)
そう、これが四部作の幕開けを告げる第一部の始まり。
この第一部のタイトルを、デューク・エリントンの名曲から取ってこう名付けよう。「黒と茶の幻想」と。
さあ。
この書き出しは、どうだろう?
/「回転木馬」より(「三月は深き虹の淵を」所収)
 

 この作品は、「三月は深き虹の淵を」の中で書き始めることを予告された四部作からなる長編「三月は深き虹の淵を」の第一部の小説ということになります。600ページを超える大部なミステリー、とは言っても本格ミステリーとは一味も二味も違う恩田さんの特色が発揮された作品で、個人的には、いつまでも終わらずに続いて欲しいと思ったくらいで、恩田作品中のベストランクの作品でした。でも読む人の好みにより、間違いなく評価が正反対に分かれる作品でしょう。
 彰彦(あきひこ)、蒔生(まきお)、利枝子、そして節子の四人は学生時代の友人で、卒業後10数年が経ち、40代を目前にした彼らは、彰彦の企画でY島(屋久島のこと)への"美しい謎"を解く"非日常の旅"に出ます。"美しい謎"とは、彰彦の考えるミステリーとは何なのか。

 それは、ズバリ『過去』である。『過去』の中にこそ本物のミステリーがあるのだ。時間に、記憶に、街角に、蔵の隅に、音もなく埋もれていくものの中に『美しい謎』がある。

 過去の謎を太古の森を歩きながら解くという状況は、安楽椅子探偵ミステリーの範疇に入るものでしょう。提示された"美しい謎"のいくらかは解決され、残りのいくつかは結局解らしきものが与えられません。でも読み進むうちに謎の解決は、この物語の本筋ではないのではないかと思い始めます。太古の森という非日常空間に置かれ、"美しい謎"を介して過去の自分の姿に立ち戻り、心の中でわだかまっていた過去を整理し、吐露し、未来への新たなスタート台に立つ四人の姿に共感を覚えました。
 四人は恩田作品の常連である地方の進学校の出身者で、ある意味で常識の枠を超えない優等生達。見目麗しい美男子の彰彦は、再三にわたり女性達から"恐ろしく性格が悪い"と言われているけど、"えー、どこが性格が悪いの"とツッコミを入れたくなるくらいのバランス感覚を持っています。恩田さんの作品には、アクの強いやつとか、本当に悪いやつというのはめったに出てこないんですね。このあたりは"癒し系ミステリー"の系譜である北村薫や加納朋子作品に通じるところがあります。
 ほとんどが四人の間で交わされる会話で成り立っている小説ですが、"美しい謎"以外にも実に様々なことが語られていて、中には"愛の証明"などというテーマもあって、40に間近い連中が普通話題にすることじゃないなと思いつつ、これも彼らを囲む太古の森のなせる仕業なのかなと納得したりします。今まで見た映画で一番何が好き? というのもあって、これは映画好きの恩田さんならではのもの。クールな美人といった印象を与える利枝子はルル―シュの「男と女」(なるほど)、彰彦が「小さな恋のメロディ」(やっぱり性格悪いわけない)、実は一番性格が悪そうな蒔生は、長谷川和彦監督作品で沢田研二が主演した「太陽を盗んだ男」(なんとなくわかる)、明るく前向きな課長職の節子は「タクシー・ドライバー」と「ディア・ハンター」で迷っている。

「こりゃまた意外だな。社会派か」
「でも節子がロバート・デ・ニーロを好きなの分かるような気がするわ」
「鬱屈したのが好きなんだな。自分が鬱屈してないからだろ」
「うるさいわねー。やっぱ『タクシー・ドライバー』かなあ」
「なんで『タクシー・ドライバー』にしたの」
蒔生が尋ねる。節子はちょっと考えてから答えた。
「『タクシー・ドライバー』の方が匂いがあるからかな」
「ふうん」


 こういう会話を楽しめるかどうかが、この作品の評価に大きく関わってくるのではないかな。
 10数年後の50代となった彼らの再会はどんなだろう。それぞれが自分の森を歩き、遠い道の先で再び懐かしい仲間に出会う日を、首を長くして待ちたいと思います。


7.木曜組曲(1999)
徳間文庫

「今日という今日は」
 絵里子が頬杖をつく。
「― 物書きという商売がつくづく嫌になったわ」
「でも、また明日になれば書くでしょう」 
 静子が煙を吹き出しながら乾いた声で続ける。
「うん。たぶんね」


 長編本格ミステリーです。登場人物は、4年前に謎の薬物死を遂げた著名女流作家、重松時子に縁の深い5人の女性のみ。彼女らは毎年、時子の命日に彼女の住まいだったうぐいす館に時子を偲ぶために集まっていたが、今年は差出人不明の花束が届いたのを発端に、いつもの年とは違った波乱含みの展開となった。4年前の時子の死は、本当に自殺だったのか、それともこの5人の中に真犯人がいるのだろうか。
 ほとんど全篇が、うぐいす館の客間での3日間の会話から成り立っていて、恐らくは一幕物の舞台劇をイメージして書かれた作品なのでしょう。本格ミステリーの醍醐味と、全員が物書きという女性達の会話の妙が楽しめる作品となっています。
 以下は登場人物と、集いに饗された食べ物などの紹介です。

○ 登場人物  1:時子との関係、2:稼業、3:特徴、4:語録 となっています。(  )内は映画で演じている女優
・重松時子(浅丘ルリ子)
  1. 本人。4年前にうぐいす館で謎の死を遂げた。
  2. 耽美的でペダンティックな作風の小説を書く天才肌のベストセラー作家
  3. 華やかで饒舌、カリスマ的な求心力を持つが、創作に行き詰まっていた。
  4. 死人に口なし
・綾部えい子(加藤登紀子)
  1. 時子が新人の時からの編集者
  2. 老舗出版社の文芸部長の肩書きを持ち、時子の死後もうぐいす館に住んでいる。
  3. 一見世話好き、料理好きのおおらかなおばさんだが、根っからの編集者  
  4. 時子を殺した真犯人は代作がバレそうになったあたしだったことにしていただいてけっこうよ   
・重松静子(原田美枝子)
  1. 時子の異母姉妹
  2. 美術館関係の小さな出版プロダクションを経営、業界では名文家として知られている。
  3. 40代半ば 美人だが、見た目に反して怜悧(れいり)でタフなリアリスト
  4. ― あたしよ あたしが時子姉さんを殺したんだわ   
・塩谷絵里子(鈴木京香)
  1. 静子の母の妹の娘。時子とは血のつながりがない。
  2. 大学の講師をしながらノンフィクションのライターをしている。
  3. 35歳 スレンダーな身体 ヘビー・スモーカー はた目には無愛想で淡々としているが、本人は情緒不安定と自覚
  4. ― 分ったわ、順番に話す   
・林田尚美(富田靖子)
  1. 時子の弟の娘(時子の姪)
  2. 主婦でありながらサスペンス色の強い小説を書く売れっ子作家。
  3. 上品で自己主張のなさそうなお嬢様タイプだが、実は神経質で気性が激しい   
  4. ええ、そうよ。あの日、あたしはあの部屋にいたわ 
・杉本つかさ(西田尚美)
  1. 尚美の異母姉妹(時子の姪)
  2. 歯科技工士をしながら純文学を書いている。
  3. すらりと背が高く、鼻筋の通った小造りの顔 真っ赤なカーリーヘア 辛辣(しんらつ)
  4. あたし ― あたしが、時子さんに毒を?
○冬の三日間の集いに饗された食べ物、飲み物など
  • ホウレン草のキッシュ
  • 真鯛のカルパッチョ
  • 牡蠣(かき)の豆鼓(とうち)蒸し
  • 海苔(のり)と切り干し大根の胡麻酢サラダ
  • ブロッコリーと木綿豆腐のあんかけ
  • ポトフ
  • カリカリのトースト
  • クラム・チャウダー
  • 冷たいトマトと玉葱(たまねぎ)に、温かいヒジキのドレッシングをかけたサラダ
  • 鯛すき鍋
  • スパゲッティ・ミートソース
  • パンケーキ
  • 赤坂「しろたえ」のチーズ・ケーキ
  • アイスクリーム(抹茶、バニラ、チョコ)
  • グレープフルーツとキウイ
  • オードブル(ピザなど)
  • ゴードン・ジン: ジュニパー・ベリーとコリアンダーが香味づけの主体となっているロンドン・ドライ・ジン
  • ドン・ペリニオン: モエ・シャンドン社の高級ブランドのシャンパン
  • 多量のワイン(ブランド不明)
  • 多量のビール(ブランド不明)
  • 濃い紅茶と濃いコーヒー
  • 緑茶
  • 多量の煙草(ブランド不明)
(映画)木曜組曲(2002)
(監)篠原哲雄 (演)鈴木京香(絵里子)、原田美枝子(静子)、西田尚美(つかさ)、富田靖子(尚美)、浅丘ルリ子(時子)、加藤登紀子(えい子)

 これほどのキャスティングだったら、僕ならどんな脚本でもきっと満足してしまうだろう。ましてや恩田さんの原作にほぼ忠実だから(あのくらいの違いはあったほうがいいと思う)、これはもううれしくないわけはないのだけど、ぜいたくを言わせてもらうなら、この配役での舞台を観られたら最高だろうな。恩田さんも舞台劇的効果を意図して書いたのではないかと思うし。この映画を撮った篠原さんも舞台向きの作品であることを充分理解した上で、だからこそカメラワークに徹底的にこだわり、映像化のメリットを何とか出そうとしていたようだけど、少々その辺がうるさく感じたことも確かで、いっそ開き直って小細工なしで、セリフと女優で魅せる映画にしてもよかったのではないだろうかと、ふと思ったりします。
 その女優陣の中では浅丘ルリ子の時子は、さすがの存在感でピタリときまっていました。原田美枝子は、もう25年以上前になってしまったけど、傑作「青春の殺人者」('76)での演技に接して以来のファンで、当時からとても雰囲気のある女優さんだったけど、浅丘ルリ子と並んで、この映画での要(かなめ)的な存在でした。女優さんそれぞれが自分をことさらに主張せず、自然に演じていながら大人の女性の魅力を存分に発揮しているのがよかった。


8.夜のピクニック(2005)
新潮文庫

並んで一緒に歩く。ただそれだけのことなのに、不思議だね。たったそれだけのことがこんなに難しく、こんなに凄いことだったなんて。


 貴子が通う北高では、秋に全校生徒参加の歩行祭が行なわれます。この恒例行事は、朝8時から翌朝の8時まで、80kmの距離をただひたすら歩くというもので、夜中の2時間の仮眠を挟んで、前半がクラス毎にそろって歩く団体歩行、後半が各人勝手に歩く自由歩行となっています。
 この歩行祭が高校生活最後のイベントとなる3年生の貴子は、この機会に自分にとって大きなひとつの賭けをします。歩行祭が終わるまでの間に、あることをやりとげられるかどうか、彼女にとって卒業前の最後の賭けなのでした。

 掛け値なしの青春小説です。甘酸っぱくて、切なくて、ほろ苦い。
 登場人物は、恩田作品でおなじみの、県下有数の進学校の、聡明で、分をわきまえた可愛い女子生徒たちとハンサムな男子生徒たちなので、安心して彼らと一緒にこの型破りのイベントを楽しむことができます。
@貴子の”賭け”とか、犯人探し(他校の生徒を妊娠させた奴は誰だ?)とかもありますが、全篇のほとんどが歩行の描写と、歩きながらの友人同士の会話で占められています。その会話の内容のほとんどが、誰さんが誰君を、あるいは誰君が誰さんを好きというようなもので、女の子はともかく(よく知らないけど)、男子はほんとにそうなのかなあという気がしたけど、当時の自分の年からあまりに遠く隔たりすぎて覚えていません。
 ただ、貴子の異母兄弟の融(とおる)が抱く女の子への思いに、たぶん自分もそうだったんだろうなという気がします。

 融は未完成の少女たちが苦手だった。ふわふわしていて、サッと表情が変わったり、絡みつくような目をしたり、恨めしい素振りをしたり。その青臭さが魅力であるのは認めるものの、あんなふにゃふにゃしたものに手を出したりしたら、大変な目に遭うのではないかという不安の方が大きかったのだ。
 つきあうのならば、俺も大人になって、相手もきちんと輪郭のある大人の女がいい。あんな不定形の人間に振り回されるのは嫌だ。


 全校生徒全員が80kmなんて、ちょっと現実離れ過ぎると思っていたら、ほんとに実施している高校があるそうで、びっくりしました。80kmというと、身近なところでは、神田川全区間25km(三鷹の井の頭池から両国の隅田川まで)の3倍強ということで、これは半端でないと思う。正直ゾッとします。
 恩田さんも経験者に取材されたのだと思いますが、長距離ウォーキングのノウハウも開示されていて、とても参考になりました。たとえば、1時間ごとに10分の小休憩をとり、その間は靴と靴下を脱いで足を乾かすこと、マメができそうなところには早めに絆創膏(ばんそうこう)を貼っておくこととか。

 貴子たちの世代から約20才年上の中年男女4人(学生時代の友人)が、屋久島(たぶん)に"非日常の旅"に出かける「黒と茶の幻想」(2001)も全篇のほとんどが脈略のない会話で占められていましたが、世代が近い分、「夜のピクニック」よりも共感度は高かったと思います。

(参考)
第1回本屋大賞受賞作品「博士の愛した数字」紹介ページ

9.蜜蜂と遠雷(2016)

世界は音楽に溢れている。
聴きなさい、塵。耳を澄ませなさい。世界に溢れている音楽を聴ける者だけが、自らの音楽をも産み出せるのだから。


芳ヶ江国際ピアノコンクール。 自宅に楽器を持たない少年・風間塵16歳。 かつて天才少女としてデビューしながら突然の母の死以来、弾けなくなった栄伝亜夜20歳。 楽器店勤務のサラリーマン・高島明石28歳。 完璧な技術と音楽性の優勝候補マサル19歳。 天才たちによる、競争という名の自らとの闘い。 その火蓋が切られた。

(映画)蜜蜂と遠雷(2019)

原作ではそれほど劇的なストーリー展開がなく、映画化はちょっとどうかなと思っていたけど杞憂でした。
よかったのは、小説のエピソードを整理して亜夜に焦点を絞った演出、松岡茉優さんの魅力全開と松坂桃李、斉藤由貴さん他の脇役陣の存在感、そして何より音楽の力なんだろうな。

映画「蜜蜂と遠雷」の曲で、僕が大好きな女性ピアニストのCDを紹介。
マサルが本選で弾いたプロコフィエフの協奏曲はアルゲリッチ、亜夜が母と連弾したショパン「雨だれ」はピリス、塵と連弾したドビュッシー「月の光」は田部京子さん。亜夜まるごとなら河村尚子さん「 plays 栄伝亜夜」。

映画「蜜蜂と遠雷」で亜夜のピアノを担当した河村尚子さんの言葉「自然体で演奏して、それで感覚的に弾くっていう亜夜の音楽のありかたがすごく私に似ているなと思った」(10/4 NHK・Eテレ「らららクラシック」)
僕は2009年のリサイタルで聴いて以来、河村さんの意志的でまっすぐな演奏が大好きです。

(NHK BS 放映)特別編「蜜蜂と遠雷」若きピアニストたちの18日
昨年秋の第10回浜松国際ピアノコンクールのドキュメンタリー。
初参加の19歳の牛田智大君(大きくなったなあ!)に密着取材して、予選・本選の模様を追っています。
優勝は逃したけど、恩師中村紘子さんとの約束を果たせてよかったね ♪


参考Webサイト
恩田陸 関連出版リスト


主要作品リスト  
  • 六番目の小夜子(1992)
  • 球形の季節(1994)
  • 不安な童話(1994)
  • 三月は深き紅の淵を(1997)
  • 光の帝国(1997)
  • 象と耳鳴り(1999)
  • 木曜組曲(1999)
  • 月の裏側(2000)
  • ネバーランド(2000)
  • 麦の海に沈む果実(2000)
  • puzzle [パズル](2000)
  • ライオンハート(2000)
  • 上と外(2001)
  • MAZE [めいず](2001)
  • ドミノ(2001)
  • 黒と茶の幻想(2001)
  • 図書室の海(2002)
  • 劫尽童女(2002)
  • ロミオとロミオは永遠に(2002)
  • ねじの回転(2002)
  • 蛇行する川のほとり 1(2002)
  • 蛇行する川のほとり 2(2003)
  • 蛇行する川のほとり 3(2003)
  • まひるの月を追いかけて(2003)
  • クレオパトラの夢(2003)
  • 黄昏の百合の骨(2004)
  • 禁じられた楽園(2004)
  • Q&A(2004)
  • 夜のピクニック(2004)
  • 夏の名残りの薔薇(2004)
  • ユージニア(2005)
  • 蒲公英草紙 常野物語(2005)
  • ネクロポリス(2005)
  • エンドゲーム 常野物語(2006)
  • チョコレートコスモス(2006)
  • 中庭の出来事(2006)
  • 朝日のようにさわやかに(2007)
  • 木洩れ日に泳ぐ魚(2007)
  • いのちのパレード(2007)
  • 不連続の世界(2008)
  • きのうの世界(2008)
  • ブラザー・サン シスター・ムーン(2009)
  • 訪問者(2009)
  • 六月の夜と昼のあわいに(2009)
  • 私の家では何も起こらない(2010)
  • 夢違(2011)
  • 私と踊って(2012)
  • 夜の底は柔らかな幻(2013)
  • 雪月花黙示録(2013)
  • かがみのなか(2014)
  • EPITAPH 東京(2015)
  • ブラック・ベルベット(2015)
  • 消滅 VANISHING POINT(2015)
  • タマゴマジック(2016)
  • 蜜蜂と遠雷(2016)
  • 七月に流れる花(2016)
  • 八月は冷たい城(2016)
  • 終りなき夜に生れつく(2017)
  • 失われた地図(2017)
  • 錆びた太陽(2017)
  • おともだちできた?(2017)
  • 祝祭と予感(2019)
  • 歩道橋シネマ(2019)
  • ドミノin上海(2020)
  • スキマワラシ(2020)
  • 灰の劇場(2021)
  • 薔薇のなかの蛇(2021)

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