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福永武彦
玩草亭百花譜/画文集(1981)


・玩草亭 百花譜―福永武彦画文集〈上巻〉 (中公文庫)
・玩草亭百花譜―福永武彦画文集〈中巻〉 (中公文庫)
・玩草亭 百花譜―福永武彦画文集〈下巻〉 (中公文庫)

さて前宣伝ばかりしていて、それでは肝心の汝の趣味は何ぞやと聞かれると、これが草花の写生である。
/ 「草花を描く」(1979)



1975年8月から1979年7月に描かれた四季折々の草花のスケッチ帖(草花写生帖 16冊、草花同定帖 3冊、葉書大の用紙に描かれたもの 22葉)をまとめたもの。
構成は以下の通り。
信濃追分風物写生帖(1975)
草花写生(1976)
信濃追分草花写生帖(1977)
草花同定帖(1977)
色鉛筆による草花写生帖(1978)
草花スケッチ帖(1978)
信濃追分草花帳(1977)
草花写生帖(1979)
 
(写生帖の解説は文庫に掲載されたものの転記です。)

凝り性だったという福永さんの一面がうかがえる作品であると思います。
晩年の体調の悪い時期であったにもかかわらず、絵も、添えられた文章も不思議に明るいのは諦念によるものだろうか。


信濃追分風物写生帖(1975) 
11.0×8.5cm 68葉が収められている。それまではパステルや油絵を描いていたが、「手のひらに乗るほどの小さなスケッチブックに、黒インクのペンを用いて輪郭を取り、日本絵具で彩色」した最初の草花帖。

第1作「野あざみ」が出来たとき、
「おい、うちの批評家、これどうだい」
と上機嫌で見せられた。私が、第1作目からすばらしい出来ね、と応えると、
「なに、ペンと紙がいいからだよ」
と、はにかんでいた。

「あとがき」/ 福永貞子

 

草花写生(1976) 
14.2×9.5cm:22葉 22.0×15.4cm:4葉
1976年より草花の名を植物図鑑で調べて、学名を記入した。絵日記とも言うべき草花図鑑の始まり。
リュウノウギク(キク科)
Chrysanthemum Makinoi Matsum. et Nakai

昨年だか一昨年だか斯波さんに貰って植えた菊で名前が分らなかったが調べてみると龍脳菊らしい 満開になったら好い匂いがする 但しその匂いは葉から出ている
 
岡鹿之助さんにペン先を貰ってそれで描いたから我ながらうまい

 

信濃追分草花写生帖(1977)
17.5×10.5cm 
1977年よりカンソンのスケッチブックを使用。ニュートンの水彩絵具で彩色を施した草花40葉が4冊に収められている。
アサマフウロ
Geranium soboliferum Komarov

連日の雨で閉じこめられていたら今日の午後は少し晴れて来たので昼寝のあとで久しぶりに第二林道まで出かけてみた 
手で抱えられる程の野草を摘んでくたびれて戻って来た
雉子はいるがカンタンの声は殆ど聞かれずはや秋の気配



草花同定帖(1977)
12.5×8.9cm:66葉 17.5×10.5cm:5葉
1977年より草花の同定を学び野草の観察や分類に1日の大半の時間を費やして丹念に記録したスケッチ帖3冊。それまでの単なる写生ではなく、別の角度から野草に接して、造化の妙など、より深い興味をもって草花を友とした。
アキノウナギツカミ(タデ科)
Persicaria Sieboldii(Mlisn.)Ohki h.50-80cm

茎のとげでうなぎをつかめる故   

花柄は平滑、とげはない

葉は互生、基部が2裂して茎を抱く
下のほうのは1-2cmの柄がある

ウナギツカミ(花期5-6月)にむしろ似ているが両者の中間型がある
それにこの図のものはまだ若い



色鉛筆による草花写生帖(1978)
草花スケッチ帖(1978)
色鉛筆による草花写生帖 17.5×10.5cm:28葉
草花スケッチ帖 12.5×8.9cm:35葉
北里研究所付属病院入院前後のスケッチ帳2冊。色鉛筆を使用した写生のため「花の鮮やかさを出すのが難しい」と言いながら、自然の草花、又カボチャなども病の床の中で写生した。
ぼけの花
(3月30日北里研究所付属病院西573号室に入院せり
この日ぐらいより漸く絵を描く気分になる)
(既に半月を経たり)

成城の庭にて咲きしを病院にて写生

 

信濃追分草花帳(1977)
17.5×10.5cm
1977年秋より入院退院を繰り返して、体力の衰えを自覚せざるを得ない状態にあった。しかし、スケッチ帖の絵は次第に佳境に入り、見舞いに来られた方々の眼をも愉しませていた。草花40葉が4冊のスケッチ帖に収められている。
ニセアカシア・ハリエンジュ
Robinia Pseudacacia L.
六月はにせあかしあが見事だと聞いていたが高い梢に白い房が垂れ下がり甘い匂いが風に乗ってふりこぼれるのはまさに景観たるを失はない
十五日の晩に花のついた小枝を天ぷらにして食ってみたが美味言はんかたなし
胃病の身はたらふくといかないのが残念也 
食事のほかは毎日寝ているが匂いが部屋の中まで漂ふ



草花写生帖(1979)
17.5×10.5cm:29葉 12.5×8.5cm:10葉
最後の夢を託すかのように、情熱を傾け写生した最晩年の草花帖。
水彩絵具と色鉛筆の写生帖4冊に収められている。6月30日以降のスケッチは病の床の中で描き、学名が記入されていない。
「立葵」は絶筆となったスケッチ。このあと8月8日に胃の手術を受けたが、永年低血圧、低体温だっ た武彦が、8月12日に突然脳出血で意識を失い、13日に暁方天に召された。
立葵
亀田屋のおばあさんが渡辺さんにことづけてくれた

今日は午前中雨 その間に輸血
少し熱が出て胃がつっぱる
スケッチの間だけは それを忘れている

 

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