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福永武彦
風土/長編(1957/完成版)

風土 (P+D BOOKS)   
               
初出: 第1部第三章まで「方舟」('48年7/9月)、第4章「文学51」('51年5月)、第二部「文学51」('51年6〜8月)、省略版『風土』('52年7月 新潮社)、完全版『風土』('57年6月 東京創元社)

或る朝、わたくし等は出発する、脳漿は焔に燃え、
怨嗟と味にがい欲望とに心は重く、.........
「旅」/ボードレール
(小説のエピグラム)

どんなに他人を愛し、心から理解し得たと思い、同じ呼吸を呼吸し、同じ眼でものを見、同じ心でものを考えたとしても、人間はただこの自分の風土、この自分の孤独の中にしか住むことは出来ないのだ。この僕もどんなにか人を愛したいと思い、またどんなにか人を愛しただろう、..... しかし僕の人生は、結局、孤独というにすぎなかった。長い間夢を見て、夢の中で色んなことを学んだようにも思ったが、眼が覚めてみれば、確かなものはただ自分の孤独があるばかりだった。

 
 記念すべき処女長編小説で、福永作品の典型というべき、芸術家を主人公とした作品です。完成に10年をかけた作品であり、福永さんの並々ならぬ意欲が感じられます。全体は三部から成り、第一部と第三部が1939年の夏、間に挟まれた第二部がその16年前の夏に設定されています。

 1939年(昭和14年)の夏、まもなく40歳になる画家桂昌三は、海辺の別荘地で娘の道子と暮す三枝芳枝を訪ね、二人は16年ぶりに再会した。16年前の夏に、19歳だった芳枝は桂の親友だった外交官の三枝太郎のプロポーズを受け入れ、その後太郎の任地のパリで暮していたが、5年後の太郎の事故死により日本に帰って来ていたのだった。かつて芳枝を愛していた桂は、芳枝の愛を失ってから、純粋な芸術を求めて孤独に生きてきたが、自身の才能の限界に絶望していた。桂は、芳枝との愛の再生により、自らの芸術家としての再出発への道を見出そうとした。

 主人公である桂の内面を通して、伝統を持たない日本の風土の中で芸術家として生きることの苦悩、さらに福永作品のメインテーマと言っていい、愛の不可能性を描いています。
 桂は、かつて芳江への愛が断たれ絶望したときに、人は必ず死ぬ、自分はこれからはすべてを死から割り出して生きよう、死者の眼から物を見て生きようと決心します。しかし、桂が作り出すものは自分だけのもので、他とのつながりを持たないために、それは彼に真の生きがいを感じさせず、彼は孤独から創造するという自分の根本的な姿勢に行き詰まりを感じていて、それが彼に芳江との再会を促した動機であったようです。しかし16年振りに会った芳江は、彼に新たな未来を切り開いてくれるかつてのような輝かしい存在ではありませんでした。桂が芳江に求めたものは、かつてゴーギャンがタヒチに見出し、文明から逃れた彼に新しい創造の生命を呼び覚ました原始のイヴでしたが、桂が芳江に見たものは、過剰な自意識に疲れ、自然から離れた文明のイヴでした。
 そんな芳江は、今も華やかな娘時代の夢を追い求め、再会した桂との愛の可能性に賭け、自分の新たな生を生きようとします。

......あなたはいつだったか希望することは殆(ほとん)ど生きることだとおっしゃったじゃありませんか? もう一度希望することは出来ないのでしょうか?

 桂は、青年の時のようには芳江を愛することは出来ませんでしたが、二人でパリで暮しましょうという芳江の言葉に、芸術家としての再生の最後の希望を抱きます。

 パリ、それが最後の希望かも知れぬ(もし生きるならば.......)。もしパリへ行って僕の芸術が救われるならば、愛もまた救われるかも知れぬ。人間としての愛は、もう僕のように疲れ切った人間を再び生かすことは出来ないし、文明のイヴはもう決して救いではないだろう(そのことが、僕にはあまりにもよく分ってしまった)、恐らく人間にとって絶望に馴れすぎるほど不幸なことはないのだ、精神のバネが新しい愛に対してすっかりゆるんでしまっている。しかし芸術は、......芸術は? もし新しい環境で、新しい気持で仕事をすることが出来るならばこの行き詰まりから抜け出ることも或いは可能かも知れぬ。

 しかし、この夏の終わり、1939年9月1日、ナチス・ドイツはポーランド攻撃を開始、9月3日、英仏が参戦、第二次世界大戦が始まり、パリへの夢は潰(つい)えます。

 この作品では、桂と芳江との関係と対比させるように、将来作曲家になることを夢見る14歳の少年、久邇が同い年の芳江の娘の道子に寄せる淡い恋が描かれています。しかし、久邇と道子は、若い日の桂と芳江とはまったく別の肖像を持ち、たとえば久邇は、桂が自らの青春を振り返り、少年に向かって、君には未来があるからいいなあと語りかけますが、久邇は自分の未来を信じてはいない。
 
 こういうふうにして過ぎて行くのだろう。日が日に重なり、月が月に重なり、年が年に重なるうちに、いつの間にか大人になってしまうのだろう。未来....その言葉の中には、何か華々しく心をそそるものがある。 (中略) けれども僕には分っている、こうした空想は空想である間だけがいいのだということが。

 一方、道子は母とは違い、自立した精神と豊かな感受性を持ち、桂の孤独を真に理解することができたのは彼女ただ一人でした。そうした意味で、道子こそ、桂にとって原始のイヴとなりうる女性だったのではないだろうか。彼女が、父太郎が遺したゴーギャンの晩年の大作「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」の部分的な下絵と推定される油絵を自分のものとして、自室に飾っていたのは象徴的です。

 そうだ、あの人はもう生きる気がないのだわ、絵を描くことにも、愛することにも、もう何にも本気でやる気がない、あの人の眼は最初から生きようなんて気の全然ない眼だったのだ、深淵のように呼んでいる、桂さん、あの人はきっと死ぬ気なのだ、きっともうそう極(き)めてしまっているのだ、.......

 この小説の重要なモチーフとして、ゴーギャンの絵と並び、ベートーヴェンの「月光」ソナタが用いられています。この曲は小説中で2度弾かれます。最初は16年前、芳江により、そして2度目は桂が芳江と再会した年の夏に久邇によってですが、曲の流れに沿うように、各人の意識の流れが辿(たど)られていきます。

 16年前、芳江のしなやかな指が奏でる「月光」ソナタの第一楽章を聴きながら桂は思った ―

....... 天上から落ちてくる一条の光、それは月の光ではない、もっと神秘的な、もっと宇宙的な光が、暗い地上に射し込んで来る。それは一種の宇宙的な生意識なのだ、或る創造の意欲が宇宙の中に充満して、それが一条の光となって暗い地上に射し込んで来るように、.......すると地上の闇にも、仄(ほの)かな微光が、あるかなしかに漂い始める、.......そうした印象、しかも射し込む一条の光を中心に、同心円をえがいて次第にひろがって行くもの、ひろがりながら次第に沈んで行くもの、ひょっとするとこの生の意志は、もっと暗い、パセティックなものかもしれない、虚無、そして死、.......苦しみの中に射す慰めの光、絶望の中に射す仄かな希望、死の中に射す生、.......そうだ、これは人間が生まれる前の死の世界なのだ、あらゆるものの泯(ほろ)びた虚無の世界、そこに天上から爽やかに一条の光が射し込んで来る。

 そして今、久邇は同じ曲を弾きながら思う ―

 僕は最初にピアノに指をおろす時の気持が好きだ、と久邇は思う。初めに言葉ありき、その言葉とは音楽のことに違いない、右手がそっと拾って行く三連音符、それは風のそよぎ一つない死に絶えた世界に、しずかに忍び寄って来る仄明(ほのあか)りなのだ、ゆるやかに、ゆるやかに、音が音を呼び、それは少しづつひろがって行く、少しづつ育って行く、小さな波紋が次第に大きな波紋に育つように、右手の拾うしなやかな三連音符、そして降り注いで来る宇宙の光、桂さんがいつかおっしゃったように、死に絶えた世界に新しい生命が生まれようとしているのだ、青ざめた光が地上を覆い、ゆるやかに、ゆるやかに、充分の音量を保って、......

 日本の芸術家の苦悩をテーマにした本作品により、福永文学の実質的な出発(たびだち)がされたことは意義深いことであると思います。


(紹介予定)ゴーギャンの世界(1961) ゴーギャンの世界 (講談社文芸文庫) (1993年 初版)
毎日出版文化賞受賞
(Amazon comより)
 何故、35歳の富裕な株式仲介人ポール・ゴーギャンが突然、その職を投げ打って、画家をめざしたのか?“野蛮人”たらんとした文明人、傲岸と繊細、多くの矛盾、多くの謎を孕んで“悲劇”へと展開するゴーギャンの“世界”。著者の詩魂がゴーギャンの魂の孤独、純粋な情熱、内なる真実と交響する。文献を博渉し、若き日の“出遇”から深い愛情で育んだ第1級の評伝文学。毎日出版文化賞受賞。


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