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湯本香樹実(1959 -  )

東京生まれ。東京音楽大学作曲科卒業。在学中よりオペラの台本を書き始める。卒業後はラジオドラマなどを執筆、「かもめの駅から」(文化庁芸術作品賞受賞)、相米慎二演出、三枝成彰作曲のオペラ「千の記憶の物語」の台本執筆等を手掛けた。'92年に発表した小説「夏の庭 The Friends」で児童文学者協会新人賞、児童文芸賞を受賞した。さらに、映画化・舞台化されたほか、十数ヵ国で翻訳出版され、海外でもボストン・グローブ=ホーン・ブック賞、ミルドレッド・バチェルダー賞等を受賞した。2009年、絵本「くまとやまねこ」(酒井駒子画)で、講談社出版文化賞絵本賞を受賞


湯本さんは、自分の心情に一番近いところにいる作家ではないかと思っています。
以下を紹介しています。クリックでリンクします。
■作品
夏の庭 The Friends(1992)
(映画)夏の庭(1994)
ポプラの秋(1997)
ボーイズ・イン・ザ・シネマ(1995)
(映画コーナーでも紹介中
西日の町(2002)
岸辺の旅(2010)
関連Webサイト
作品リスト


1.夏の庭 The Friends(1992)
新潮文庫

 死んでもいい、と思えるほどのなにかを、いつかぼくはできるのだろうか。たとえやりとげることはできなくても、そんななにかを見つけたいとぼくは思った。そうでなくちゃ、なんのために生きてるんだ。

 太陽の光の七つの色。それはいつもは見えないけれど、たった一筋の水の流れによってその姿を現す。光はもともとあったのに、その色は隠れていたのだ。たぶん、この世界には隠れているもの、見えないものがいっぱいあるんだろう。そうしてそれは、ほんのちょっとしたことで、姿を現してくれるものもあれば、偉人伝に出てくる科学者や冒険家たちのたどったような、長くてつらい道のりの果てに、ようやく出会うことのできるものもあるにちがいない。ぼくが見つけるのを待っているなにかが、今もどこかにひっそりと隠れているのだろうか。

 とても好きな作品です。今回読み返し、新たな感動を覚えました。10カ国以上で刊行されて数々の賞を受賞し、映画化、舞台化もされていて、近年の児童文学の大きな収穫というだけにとどまらない魅力を持った作品です。
 6年生の男子3人組(語り手のひょろっとした"僕"とデブの山下君と、すぐキレる河辺君、彼らのそれぞれの個性が見事に描かれているのもこの作品の魅力のひとつ)が、小学生最後の夏休みに経験する出来事、そして彼らにとってこの出来事は、少年時代に別れを告げるイニシエーションというべきものとなります。

 山下君が祖母の葬儀に参列し、その模様を二人に話していた。そして彼らはあらためて自分たちにとって死というものが、観念的で現実感をともなわないものであることに気づく。「死ぬってどういうことなんだろう」、興味津々の彼らは、近所のあばら家に住む一人暮らしのおじいさんを見張って、その死を見届けようということになります。監視を続ける彼らに、やがておじいさんが気づき、彼らとの交流が始まります。

 もしかしたら、歳(とし)をとるのは楽しいことなのかもしれない 。歳をとればとるほど、思い出はふえるはずなのだから。そしていつかその持ち主があとかたもなく消えてしまっても、思い出は空気のなかを漂い、雨に溶け、土に染みこんで、生き続けるとしたら……いろんなところを漂いながら、また別のだれかの心に、ちょっとしのびこんでみたりするかもしれない 。初めて来たところなのに、来たことがあると感じることがあったりするのは、そんなだれかの思い出の、いたずらなんじゃないだろうか。 

 リアルな"死"を見極めようとした彼らが、おじいさんとの交流を通じて感得したものは、リアルな"生"だったのだと思います。彼らそれぞれの家庭も問題を抱えていることがうかがえますが、"死"によって照らし出された"生きる"というレベルから、彼らなりの今までとは違った見方、生き方ができるようになったのでは、と感じました。

映画)夏の庭(1994)
(監)相米慎二 (演)三国連太郎、戸田菜穂 '94年度キネマ旬報 日本映画第5位

 『夏の庭』は相米さんがいなかったら、決して書くことはなかったものなので、その相米さんがこんな映画を作ってくれて、ほんとうにうれしい。「少年たちと老人の出会い」という決められた事柄を外から攻めるのではなく、そこにある心の過程を大切に描いている。人の生死を越えて残る、夏の日々の、家の、庭の記憶が、見終わった後、静かに心を浸すような映画だ。
「ボーイズ・イン・ザ・シネマ」/湯本香樹実


 相米慎二は、「セーラー服と機関銃」('81年)、「台風クラブ」('85年)などの作品で知られる現代日本映画を代表する監督のひとりです(惜しくも '01年にがんで亡くなってしまった。まだ50代の若さでした)。重いテーマを軽やかに、そして鮮やかな情景描写で原作の雰囲気を再現しています。三国連太郎が子供たちの人生の師(弱さを含めての)にぴったりの配役。子供が出る映画というのは、難しいものだけど、3人組もよくやっているという印象で、始めのうちは、くせのあるヤツだなあと思っていた河辺君にもだんだんと親近感を感じてくるのがいい。
 全編に流れるギターデュオのBGMも軽やかで作品のイメージに沿ったもの。
 前半の快調さに比べると、後半が急ぎすぎてやや空回り気味のようなのが惜しいところかな。


2.ポプラの秋(1997
新潮文庫 文庫書き下ろし

 きっとまた、いい日が来る。だって私、まだ生きてるんだから。

 ふと顔をあげると、ポプラの木は今も紛れもなくそこに立っていた。午後の陽射(ひざし)を浴びながら、金色の葉をかすかに鳴らして。それは過去でも未来でも夢でもまやかしでもなく、あまりにもくっきりと現実そのものだったので、私は瞬間、頭のなかが真っ白になってしまう。ポプラの木は、行き場がないなんてことは考えない。今いるところにいるだけだ。そして私も、今、ここにいる。
 
 主人公の私(千秋)は、6歳のときに父を事故で亡くしたあとの3年ほど、母と二人でアパート「ポプラ荘」に住んでいたが、そこで世話になった大家のおばあさんの葬儀に向かいながら、18年前のその頃のことを思い出していた。
 千秋は神経質で弱い子供だった。転校した公立の小学校になじめず、過度の緊張のために発熱したが、なかなか下がらず、働き始めた母の苦労をみかねた大家のおばあさんが昼間千秋を預かることになった。気むずかしそうだったおばあさんにようやくなじんできたときに、おばあさんはまだ父の死にとらわれている千秋に「あたしは、あの世の郵便屋。あたしが死んであっちへ行く時に、あんたがお父さんに書いた手紙を運んであげる」と言った。
 そして千秋は毎日、父への手紙を書いて、おばあさんに渡すようになります。父が死んだ直後、母がショックで茫然とし虚ろな状態となってしまったため、千秋は自分の深い悲しみを表わす機会を失って内に秘めてしまい、そのために神経が衰弱してしまっていたようです。たくさんの手紙を父に書くことによって気持ちが整理されていくのか、彼女は少しづつ感情を取り戻していきます。

最初の手紙はこうだ。

おとうさん、おげんきですか。わたしはげんきです。さようなら。

三通目まで、私は同じ文面を繰り返した。


 だんだんと手紙は長くなっていきます。
 『夏の庭』のおじいさんもなかなかの人物だったけど、このおばあさんもいい勝負です。その他ポプラ荘の隣人達、爽やかな女性佐々木さん、タクシーの運転手の西岡さんと息子の4年生のオサムくんも皆いい人たちでした。
 そして18年後、物語はまだ終っていなかったのでした。


3.ボーイズ・イン・ザ・シネマ(1995)
キネマ旬報社

キネマ旬報誌に「やかまし村へいちごを摘みに」のタイトルで2年間に渡り連載された、子どもが登場する映画作品についてのエッセイをまとめたものです。
 この作品は、印象に残った映画についての解説、感想という通常のエッセイの枠を超えて、湯本さんはそれぞれの映画への思いを綴った文章を通して、自分が子どもの頃に経験したこと、感じていたことを振り返りながら、それらの現在の自分の心の中での位置付けを確認するといった作業を試みているようです。
 たとえばミズカトモユちゃんという想像の中の友だちのこと。

 子供の頃、ミズカトモユちゃんという友だちがいた。ミズカトモユちゃんというのは、私の名前を逆さ読みした、想像の中の存在で、私にとって自分のほんとうの姿だった。大人や友だちに自分の気持ちをうまく伝えられない時、私はいつも彼女に話しかけた。行き場のない思いや、カタチにならない言葉はすべて、ミズカトモユちゃんに吸い込まれ、心のなかのその姿をだんだんくっきりとさせていった。あの頃、私は周囲に対してかなりかたくなな子ではあったけれど、心の鏡のなかに「自分」というものを探していたような気がする。

 それから、秘密を埋めるために掘りはじめた穴のこと、死ぬということを確かめたくて死んだ犬を埋めた庭の土を掘り返そうとしたこと、フランダースの犬のように死ねたらいいと夢見ていたこと、春が嫌いだと思い始めた幼稚園の頃のこと、「○○したら死ぬ」という遊びに熱中したこと、スカートめくりの思い出、幼稚園に入って磔刑のキリスト像をみてショックを受けたこと、ふとん蒸しされて頭がボーっとした中で垣間見た黄色い花がどこまでも続く美しい花畑のことなど....。
 「どうして子どもの出てくるものを書くのか」と人に問われ、自身でもよくわからなかった湯本さんは、答えに困りながらも、そのひとつの理由として、どちらかというと真面目でおとなしい子だったから、「生きられなかった自分」に出会いたいという願望があるのかもしれないということ、もうひとつは、「記憶」に興味があるからだろうと考えます。子どもの時の記憶というものが、そのまま記憶の底に眠らせている時、本人も知らないうちにひそかに内部で成長し続けていて、それが人を養うものであると同時に、場合によっては自分を傷つける凶器となったりするのではないだろうかと。
 
 自分の記憶を一生懸命にさかのぼり、そこで子どもの頃の自分と出会い、現在の自分を形作っている心の姿勢のルーツを、おぼろげながらでも見定めることができたなら、ときおり浮かび上がってくる不定形な不安感とか、いら立ちを和らげるきっかけが掴めるのではないか、という思いは僕にもあります。そして、きっとそれらは生きること、死ぬことの意味付けに関わっていることに違いないとも思うし、湯本さんが少女の頃からずっと持ち続けてきて、その作品の根底に流れているものと同質のものに違いないと考えています。

 映画のコーナーの「ボーイズ・イン・ザ・シネマ」のページで、エッセイに取り上げられている映画の中から以下の作品を紹介しています。
  • ギルバート・グレイブ
  • プロヴァンス物語 マルセルの夏
  • エル・スール
  • シベールの日曜日
  • スタンド・バイ・ミー
  • 日曜日のピュ
  • ピアノ・レッスン
  • 秘密の花園
  • 愛すれど心さびしく

4.西日の町(2002
文春文庫
 てこじいが母と僕の住むアパートにやってきたのは昭和四十五年の春、僕が十歳のときのことだ。その日、学校から戻った僕は、扉の前にへたりこんだ見知らぬ男を見つけるやいなや、
 「てこじい?」
 と声をかけたのだった。

 
てこじいは、僕の祖父で(つまりは母の父で)、ずっと行方がわからなかったのが、突然、浮浪者のようななりで、母と僕とが二人で暮すアパートの部屋に転がり込んできたのだった。てこじいは、母には口もきかず、夜は横にならずに、膝を抱えたまま眠った。
 母は父と別れてから、僕を連れて、西へ西へと転々と移り住み、ようやく北九州のKという町に落ち着いたところだった。
 てこじいは、若いときからがんこで、荒っぽい生活をして、祖母や母に苦労をかけ続けたことを母から聞かされていて、そんなてこじいに接する母の態度は、戸惑っているようにも、辛く当たっているようにも、気遣っているようにも思えた。
 ある日てこじいは、電車でも三、四十分かかる遠くの海岸に歩いて行き、アカガイをたくさん獲って来た。心身ともに弱っていた母のためだった。
 そのときのアカガイは、大学の教師となった僕の教授室の机の上に、いまでもほこりをかぶって置いてある。
 あのころ母が抱えていたかなしみや、てこじいの母を思いやる気持が、小さかった僕には見えなかった。

 西日の当たる部屋で、遠い南の島での暮らしを夢見ながらつつましく暮す母と僕、叔父から聞いた気丈な少女時代の母の面影、チャンネルのダイヤルが空回りする白黒テレビなど、読み終わった後に、心にじわじわと効いてくる小説でした。


5.岸辺の旅(2010)
文春文庫

 あの頃、時間はひとつづきの一本の棒のようなものだった。それが今はどうだろう、いろいろな時間がそっくりそのまま、別々に存在している。そう私には感じられる。優介と暮らしていた時間、優介がいなくなってからの時間、まだ優介と会う前の時間・・・・・・いや私の生れるよりもずっと前の時間も、死んだあとの時間もぜんぶ含めて、今の今、何ひとつ損なわれてなどいないのだ。不思議な幸福感が胸に押し寄せる。まるで一足飛びに未来に来てしまったみたいな気がする。想像さえしなかった、広々した、これ以上どこへも行けない未来に。

 私が夜中に台所でしらたまを作っていると、3年前に失踪した夫、優介が薄暗がりに立っていた。しらたまは優介の好物だった。彼は3年前に海で死んだらしい。ここまで来るのに3年かかったと言う。顎にさわると髭でざらざらする。翌朝、私は優介と、彼が帰ってきた道を逆にたどる旅に出ます。

 私は優介の背中を見つめて歩いている。彼の声は低いが、耳に直接話しかけられているみたいにちゃんと聞こえる。私たちは歩いた、国道の脇の灰色の歩道を、金色に実る稲穂の間のあぜ道を、海辺の町の坂道を、見知らぬ恰好の屋根が点在する丘の町を、きらめく海が山と同じ高さに見える峠の道を。どこに行くのかはわからない。どこに行っても、どこでどうなってもかまわない・・・・・・と、そう思う気持ちにも、目の前の景色が移り変わるような流れがある。必死だったり、夢見るようだったり、他人事(ひとごと)みたいだったり、さばさばしていたり。流れのなかで、私はただ足を動かすしかない。

 
二人は、彼が失踪しているときに働いていた新聞店、中華料理店、タバコ農家で住み込みで仕事を手伝いながら滞在し、その土地に暮らす人々と、ひとときのあいだ触れ合いながら旅を続けます。優介によれば、新聞店の主人も彼と同じ死んだ人であり、「死者は断絶している、生者が断絶しているように」と言い、「それなら死者と生者は繋がっているの?」と訊くと「そうのぞむなら」と答えます。
 処女作「夏の庭」以来、湯本さんは少年、少女のみずみずしい感性で捉えた生と死を描いてきたように思います。死は生の向こう側にあり、見たり触れることができないけれど、死という現実に照らし出されることによってこそ生の輝きがあるのだということ。ところが、この小説では生と死の境があいまいとなり、生者の私と死者である優介の現実の交流が描かれています。愛する人の死をテーマにした切ない小説でありながら、読みながら幸福感や懐かしさに包まれるのは、死者は本当には死んでいなくて、生きている者にとっては、真の意味で生き続けているのだということを気づかさせてくれるからではないかと思います。

(関連音楽)

ある日、私は中華料理店のピアノを弾きます。

 椅子に座ると、手は自然とこの音色にふさわしい曲を選んだ。ショパンの夜想曲第19番。物憂い旋律と緩やかな川の流れのようなアルペジオのむこう側から、やがてピアノ教師の声が聞こえてくる。「自分の音をよく聴きなさい。好きでも嫌いでも、あなたの音があなたなのです」・・・・・・それから、父の声が聞こえてくる。「瑞希、瑞希、こっちにおいで。ちょっとこれを見てごらんよ」・・・・・・母が笑っている。「おかあさんねえ、今だから言うけどあんたは結婚しないんじゃないかって心配だった」・・・・・・みんな、死んでしまった人ばかりだ。弾きながら、私は彼らに問いかけている。ホ短調の旋律に乗って、私の問いがむこう岸へと流れてゆく。おとうさん、おかあさん、先生。もう一度、会えますか……



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