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Philip Roth(1933- )
フィリップ・ロス

現代アメリカ文学を代表する作家の一人。ニュージャージー州、ニューアークのユダヤ系アメリカ人の家庭に生まれた。シカゴ大学などで学び、卒業後'55年から'57年まで英語教師として働いた。中流ユダヤ人家族を描いた処女作品集の「さよならコロンバス」('59)で注目され、翌年全米図書賞を受賞した。その後、「ポートノイの不満」('69)がベストセラーとなり作家としての地位を築いた。'90年に'70年代から関係のあったイギリス人の女優 クレア・ブルーム(Claire Bloom)と結婚、その後離婚している。


1.The Human Stain/ヒューマン・ステイン(2000)
難易度:☆☆☆ '01年度ペン/フォクナー賞受賞作

It was in the summer of 1998 that my neighbor Coleman Silk ― who, before retiring two years earlier, had been a classics professor at nearby Athena College for some twenty-odd years as well as serving for sixteen more as the dean of faculty ― confided to me that, at the age of seventy-one, he was having an affair with a thirty-four-year-old cleaning woman who worked down at the college.
 
 作品冒頭の文章です。主人公のコールマンは、2年前まで著名な古典文学の教授として、米北東部ニューイングランドにあるアテナ・カレッジの学部長として辣腕を振るっていましたが、黒人学生への人種差別をしたと非難され辞職を強いられました。ことの起こりは、彼の講義に一度も姿を見せない二人の学生について、"Do they exist or are they spooks? 彼らは本当にいるのか、それとも「幽霊」なのかな?"と学生達に尋ねたことが発端でした。たまたまこの二人の学生が黒人で、"spook"には、"幽霊"という本来の意味の他に、俗語として黒人に対する差別用語でもあったことが彼を窮地に追い込んだのでした。
 この騒動の心労が原因で彼の妻が死んだ後、71歳のコールマンはカレッジで掃除婦として働く34歳のフォーニアと関係を持つようになります。フォーニアは文盲で、彼女には、父親とベトナム帰還兵だった別れた夫レスリーによる暴力、火事による幼い二人の子供の死という悲しい過去がありました。レスリーは離婚後もフォーニアに付きまとい、コールマンに対して憎しみを抱いていました。
 語り手のザッカーマンは作家で、近所に住むコールマンと知り合い、彼に興味を覚え取材するようになります。ザッカーマンは作者ロスの分身と言ってよく、この作品に先行する「American Pastoral」('97)、「I Married a Communist」('98)にも登場します。
 コールマンとフォーニアをめぐる現在の状況と並行して、コールマンの過去が語られますが、そこで驚くべき事実、コールマン自身黒人である(!)という自らのアイデンティティを隠し、ユダヤ人と偽って今まで生きてきたことが明らかにされます。このために彼は両親、兄弟と断絶し、妻と4人の子供たちにもその事実を告げていませんでした。
 コールマンの肌の色が黒人としては明るく、外観上は白人としても通るという事実がありましたが、彼が子供の時分から望んでいたのは、黒人とか白人とかという肌の色によるカテゴリーから脱して自由になりたい、自分自身でありたい、彼自身の人生を黒人に対する無知と憎悪に満ち、敵対する世の中により決定されずに、自らの決断により切り開きたい、ということでした。

All he'd ever wanted, from earliest childhood on, was to be free: not black, not even white ― just on his own and free. (中略)
The objective was for his fate to be determined not by the ignorant, hate-filled intentions of a hostile world but, to whatever degree humanly possible, by his own resolve. Why accept a life on any other terms?

 黒人でありながら黒人差別主義者のレッテルを貼られ、真実を告白できないというジレンマ、そして勢力争い、嫉妬、偏見、妄想が渦巻く学問現場、フォーニアの元夫レスリーが社会に適応できずにいる要因となっているベトナム戦争の後遺症、バイアグラ(性的不能治療薬)が可能とした老年の性など現代アメリカの縮図を描き出すロスの筆致はさすがだと思います。
 この作品はアンソニー・ホプキンスとニッコール・キッドマンの主演で映画化され、'03年に米公開予定(以下で紹介)となっていますが、きっといい映画になるのではないかと期待されます。


(映画)白いカラス/Human Stain(米・'03)
(監)ロバート・ベントン (演)アンソニー・ホプキンス、ニコール・キッドマン、ゲイリー・シニーズ

これは私の初恋でもないし、最高の恋でもない。でも、最後の恋なんだ。

 公開されたらなんとしても観なければと思っていましたが、期待を裏切らない、とてもいい映画でした。
 邦題の「白いカラス」は、なかなかよく考えたタイトルだと思います。昨今の傾向だと、原題そのものの「ヒューマン・ステイン」かなと思っていたので。もちろん”白いカラス”とは、黒人として生まれながら、親・兄弟との絆を絶ってまで白人と偽って生きてきたコールマンの白人・黒人どちらの社会にも真に属することができなかった孤独な生き様を指し示しているわけですが、もうひとつには、フォーニアが、ギフト・ショップの鳥かごで飼われているカラスの"プリンス"に時々会いに行っているというエピソードもからめています。プリンスは鳥かごから逃げ出したことがあったけど、飼われている間に人間の汚れ(stain)が染み付いた彼を他のカラスは受け入れず、結局プリンスは仲間に殺されそうになって戻って来ます。プリンスがそうだったように、コールマンもフォーニアも、社会での自らのアイデンティティが不確かで、真実を告白できる家族や友人もいませんでした。生まれ育った環境も年令もかけ離れた二人が激しく惹かれあったのは、互いのそうした孤独を直感的に感じ取ったからであったと思います。
 アンソニー・ホプキンスとニコール・キッドマン、この二人の組み合わせ以上の配役は望みようがなく、内容の地味さと、人種問題という日本では特殊なトピックが扱われているということで、国内では関心を集めることはないかもしれないけど、この二人の共演を観るだけでも充分に価値がある映画です。とくに、キッドマンの演技力には脱帽です。「めぐりあう時間たち」での知的で繊細なヴァージニア・ウルフ役に感激しましたが、この映画ではウルフとは全く違ったタイプの女性、悲惨な過去を背負い、官能的で、傷ついた野生動物のようなフォーニアを演じきっていて、ほんとにすごい女優です。フォーニアの言葉のきわどさも相当なものでしたが(字幕では穏当に訳されていました)、公開時に物議をかもすことはなかったんだろうか。
 原作では、コールマンとフォーニアの関係と並行して、フォーニアの夫レスリーのベトナム戦争による心的外傷(PTSD)とか、大学内の退廃ぶりなどが描かれていましたが、映画ではコールマンの過去と、現在の二人の愛に焦点を絞って描いていたのがよかった。映画化に当っては、語り手である作家ザッカ-マンも省いてしまったほうが、よりドラマティックになったのではないかと思いました。
 古傷を舐めあうようにしてお互いの全てを知った孤独な二人が、理解し合い、ついに真に愛し合うことができたのかどうか。その答えは、冒頭に置かれたシーン(時間的には最後となる)で、車を運転するコールマンの肩にもたれかかって眠るフォーニアの安心しきった表情から明らかでした。

(関連音楽)
コールマンの回顧シーンでは、彼が育ち、彼が捨て去った時代、1930〜1950年代を中心としたスタンダード・ソング、たとえば「Embraceable You」とか「Cry Me a River」などがバックに流されていました。コールマンとザッカーマンとのダンス・シーン(!)では「Cheek to Cheek」だったかな。
コールマンとフォーニアが行った教会のコンサートでは、シューベルトの弦楽五重奏曲が演奏されていました。
映像に即したオリジナル・サウンドトラックも、とてもよかった。



(次回紹介予定)The Dying Animal/ダイング・アニマル(2001)


(出版社 / 著者からの内容紹介)
愛と死、迫り来る老いと生への渇望を描く! 教え子と関係を持ち自分の年齢を強烈に意識する老齢の大学教授。些細なことで別れたが…。迫り来る老いと生への渇望。愛することと、生きることの根源を問うフィリップ・ロス驚愕の話題作!  映画「エレジー」の原作
 

参考Webサイト・作品リスト  
○ 関連出版リスト : amazon. com.(洋書和書
○ 参考資料
  ・フィリップ・ロス(Wikipedia)
  ・Philip Roth(Wikipedia 英語

○ 作品
  • Goodbye, Columbus and Five Short Stories/さようならコロンバス (1959) ;全米図書賞
  • Letting Go (1962)
  • When She Was Good/ルーシィの哀しみ(1967)
  • Portnoy's Complaint/ポートノイの不満(1969)
  • Our Gang/われらのギャング(1971)
  • The Breast/乳房になった男(1972)
  • The Great American Novel/素晴らしいアメリカ野球(1973)
  • My Life As a Man/男としての我が人生(1974)
  • Reading Myself and Others/素晴らしいアメリカ作家(1975) :essays
  • The Professor of Desire/欲望学教授(1977)
  • The Ghost Writer (1979)/ゴースト・ライター
  • Novotny's Pain (1980)
  • A Philip Roth Reader (1980)
  • Zuckerman Unbound (1981)/解き放たれたザッカーマン
  • The Anatomy Lesson (1983)/解剖学講義
  • The Plague Orgy/ Zuckerman Bound (1985)
  • The Counterlife (1986)/背信の日々 ;National Book Critics Circle Award
  • The Facts: A Novelist's Autobiography (1988)
  • Deception: A Novel (1990)/いつわり
  • Patrimony: A True Story (1991)/父の遺産 ;National Book Critics Circle Award
  • Operation Shylock: A Confession (1993)  ;PEN/Faulkner Award
  • Sabbath's Theater (1995) ;全米図書賞
  • American Pastoral (1997)  ;Pulitzer Prize
  • I Married a Communist (1998)
  • The Human Stain/ヒューマン・ステイン (2000) ;PEN/Faulkner Award
  • The Dying Animal(2001)/ダイング・アニマル
  • The Plot Against America (2004)
  • Everyman (2006)
  • Exit Ghost (2007)
  • The Humbling (2009)
  • Nemesis (2010)

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