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Virginia Woolf(1882 - 1941)
ヴァージニア・ウルフ


ロンドンの生まれ。父は著名な文芸批評家レズリー・スティーヴン。1912年に文明批評家のレナード・ウルフと結婚し、夫妻でホガース出版社を経営し、自身の作品の他、キャサリン・マンスフィールドやE.M.フォスターなどの作品を出版した。当初文芸批評を書いていたウルフは1915年に処女作「船出」を出版、代表作の「ダロウェイ夫人」や「燈台へ」など「意識の流れ」の手法を用いた作品を発表し、20世紀文学を代表する作家の一人となった。1941年入水自殺した。


そこで、これがウルフの問題点なのです。彼女は詩人であって、しかもできるだけ小説に近いものを書こうとしているのです。
 
「フォースター評論集」より/E.M.フォースター
(岩波文庫 '96初版)


1.Mrs. Dalloway/ダロウェイ夫人(1925)
難易度:☆☆☆

Mrs. Dalloway said she would buy the flowers herself.
For Lucy had her work cut out for her. The doors would be taken off their hinges; Rumpelmayer's men were coming. And then, thought Clarissa Dalloway, what a morning--fresh as if issued to children on a beach.
 What a lark! What a plunge! For so it had always seemed to her, when, with a little squeak of the hinges, which she could hear now, she had burst open the French windows and plunged at Bourton into the open air.

 "ダロウェイ夫人は、私が花を買ってくるわ、と言った。" から始まる小説の冒頭の文章です。花はこの日の夕刻ダロウェイ夫人が自宅で開く夜会を飾るものでした。
 客観的な事実としては、第一次大戦が終わってから5年後の1923年の6月13日のロンドンの朝から晩までの一日の出来事が描かれていますが、51歳のダロウェイ夫人の意識は青春時代を過ごしたイングランド中部の町ブアトン(Bourton)での人生のターニング・ポイントとなった30数年前、彼女が18歳だった夏の出来事に絶えず立ち返っていきます。その夏、クラリッサ(後のダロウェイ夫人)の暮す屋敷には、彼女の恋人で性急な愛を求めるピーター・ウォルシュ、クラリッサがほのかな同性愛的感情を抱く奔放な女友達のサリー・シートン、そして後年、国家議員となりクラリッサの夫となるリチャード・ダロウェイが集り、結局クラリッサは堅実で頼りがいのあるリチャードを選びピーターの求婚を退ける結果となりました。

 ウェストミンスターにある自宅を出てセント・ジェームズ公園を歩きながらピーターとの別れについて考えるダロウェイ夫人。彼と結婚しなかったのは正しかったのだ。
 ブアトンの屋敷の小さな庭の噴水のそばでの口論に至ったとき、彼とは別れるしかなかったのだ。さもなければ二人とも駄目になっただろう。夫人はそう確信していたけれど、何年もの間、心臓にささった矢のように悲しみと嘆きとを抱いてきたのだった。

So she would still find herself arguing in St. James's Park, still making out that she had been right--and she had too--not to marry him.
 (中略) ...and when it came to that scene in the little garden by the fountain, she had to break with him or they would have been destroyed, both of them ruined, she was convinced; though she had borne about with her for years like an arrow sticking in her heart the grief, the anguish; ...(以下略)
She had reached the Park gates. She stood for a moment, looking at the omnibuses in Piccadilly.

 破局後は一度も会うことのなかった二人でしたが、この日およそ30年ぶりに夫人はインドから帰国したピーターと再会することになります。
 この小説には、ダロウェイ夫人の周囲の出来事とは別のサブ・ストーリーがあって、そこでは第一次世界大戦に従軍し、間近で盟友の死を体験し神経症となり、治療の為に妻に連れられロンドンの医師を訪れる青年、セプティマス・ウォレン・スミスの彼にとっては生涯最後となる一日が並行して描写されています。ダロウェイ夫人は、セプティマスと出会うことはありませんが、夜会に出席した医師から彼の死の顛末を聞き、そのことが夫人の意識に死についての想念を浮かび上がらせることになります。シンプルな生活を楽しみ、夜会を何より楽しみ、生活を愛していると考える夫人は、一方では神を信じることができず、セプティマスの死に対して共感を覚えるのでした。
 
 日常の生活の流れの中で失われていく大事なものを彼は死によって護(まも)ったのだ。死は挑戦なのだ。死は事物の本質と通い合おうとする試みなのだ。しかし人々はその中心に至ることが不可能であることを感じる。それは不可解に逃れ、近づいても離れ、歓喜は色褪せ、人は孤独だった。しかし死の内には抱擁がある。

A thing there was that mattered; a thing, wreathed about with chatter, defaced, obscured in her own life, let drop every day in corruption, lies, chatter. This he had preserved. Death was defiance. Death was an attempt to communicate; people feeling the impossibility of reaching the centre which, mystically, evaded them; closeness drew apart; rapture faded, one was alone. There was an embrace in death.

 ウルフは当初、ダロウェイ夫人の死によって小説を終わらせるプランであったとのことであり、セプティマスの死は夫人の身代わりという意味合いがあるようです。死への共感の表現とともに後年のウルフの自死を連想させます。
 「意識の流れ」の小説技法を駆使した代表的作品として知られている小説ですが、登場人物たちの現在から過去へ、そしてまた現在へと絶えず移りゆく意識の流れを詩的で精妙な文体で描写することにより、1923年の6月の一日をかけがえのない"永遠の一日"として留めることができた傑作だと思います。ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」(1922)により創造された1904年6月16日のダブリンの一日がそうであったように。またダロウェイ夫人の造形は、ウルフ自身をそのまま投影している部分が多いように感じられ、間接的にウルフの内面を窺えるという点でも興味深い作品です。
 
(映画)ダロウェイ夫人/Mrs. Dalloway('97・米/英/和蘭)
(監)マルレーン・ゴリス (演)ヴァネッサ・レッドグレイブ、ルパート・グレイブス
 
 原作の"意識の流れ"という小説的技法の映像化という難題を、1923年のロンドンと1890年代のブアトンのシーンのカットバックと、登場人物のモノローグの多用によりさほど不自然さを感じさせることなく可能な範囲内で忠実に映画化し、さらに原作の持つ詩的な情緒をもうまく再現したオランダの女性監督マルレーン・ゴリスの力量は高く評価できるものです。さすがに原作で夫人が死について観想するような個所については、あっさりと処理されているので、原作よりはずっとすっきりしてわかりやすくなっています。
 ダロウェイ夫人役のヴァネッサ・レッドグレイブがなんともすばらしい演技でしたが、クラリッサ(若き日のダロウェイ夫人)を演じたナターシャ・マッケルホーンを始めとした共演者たちも皆よかった。
 当時の服装やロンドンの情景などの見どころもあり(当時の2階建てバスも走っていた)、ジェイムズ・アイヴォリー監督によるE.M.フォースターの映画化作品などとともにイギリスファンにはうれしい映画です。
 

(参考)The Hours めぐりあう時間たち(1998)/Michael Cunningham マイケル・カニンガム
'99 ピューリッツァー賞、'99 ペン・フォクナー賞受賞作品 難易度:☆☆☆

 カニンガムは1952年、オハイオ州シンシナチに生まれ、現在はニューヨークに住み、「Hours」は彼の4作目の出版作品ということですが、これは「ダロウェイ夫人」へのオマージュともパロディともとれる作品です。「The Hous」の書名自体、ウルフが当初「ダロウェイ夫人」のタイトルとして考えていたものです。
 小説には時を超えた三人の女性の一日が並行して描かれています。
 1923年、ロンドン郊外の自宅で「ダロウェイ夫人」を構想し、執筆中のヴァージニア・ウルフ、そして1949年のロサンゼルス、夫の誕生日に3歳の息子リッチーとバースデー・ケーキ作りをする若い主婦ローラ・ブラウン、さらに現代のニューヨーク、"ダロウェイ夫人"のあだ名を持つ52歳のクラリッサは、かつての恋人、作家で詩人のリチャードの文学賞受賞を祝うパーティーを開こうとしていた。リチャードは末期のエイズに冒されていました。この6月の晴れた朝、クラリッサはパーティーを飾る花を買いに出かけます。
 以下は、"Mrs. Dalloway"の章の冒頭の文章で、ウルフの小説のそれと呼応しています。

There are still the flowers to buy. Clarissa feigns exasperation (though she loves doing errands like this), leaves Sally cleaning the bathroom, and runs out, promising to be back in half an hour.
It is New York City. It is the end of the twentieth century. the vestibule door opens onto a June morning so fine and scrubbed Clarissa pauses at the threshold as she would at the edge of a pool, watching the turquoise water lapping at the tiles, the liquid nets of sun wavering in the blue depths.

 同性の恋人サリーと長年一緒に暮らしている現代のダロウェイ夫人、クラリッサをめぐる章では、ウルフの小説のエピソードをバラバラにして、現代アメリカという器の中でかき混ぜ、再構築したような風で、原作との符合やズレ具合いが絶妙で楽しめ、おまけにヴァネッサ・レッドグレイブ(映画「ダロウェイ夫人」の夫人役)やメリル・ストリープ(映画「めぐりあう時間たち」でのクラリッサ役)の名も登場し、思わずにやりとさせられます。
 小説中のウルフは、迫りくる自らの狂気の予感に怯え、二人目の子どもを身ごもっている一見幸福そうな主婦ローラは胸の内に充たされない空虚を抱き、夫も子どもも何もかも捨てて飛び出してしまいたい衝動にかられています。夫や子どもの世話をしたり、ケーキを作ったりして、家族に愛されるだけではこの空虚を埋めることはできない、「ダロウェイ夫人」を生み出したヴァージニア・ウルフのように素晴らしい何かを作り出したい......。そして3歳のリッチーだけがそんな母親の心の揺れを感じとっていたようでした。
 一方クラリッサは、時を超えた女性達の魂の交感を通じ、そして原作のダロウェイ夫人がそうだったように身近の死に触発され、自らの生について思いをめぐらすことになります。どんな生を生きようと、結局遅かれ早かれ皆死んでしまう。でも、

 でも、そこには慰めがある。それは、困難や予想に反して人生の所々には私たちの生が突然ぱっと開けたり、思っていたことすべてが叶(かな)えられる時があるから。そうしたすばらしい時の後には前よりもっと陰うつで、つらい時間が続くことを子供たちのほかは皆知っているけど(ひょっとすると子供たちでさえ知っているのかもしれない)、それでもなお私たちは街を、朝を愛する。そしてそういったすばらしい時を何よりも少しでも多く得たいと望むのだわ。

There's just this for consolation: an hour here or there when our lives seem, against all odds and expectations, to burst open and give us everything we've ever imagined, though everyone but children (and perhaps even they) knows these hours will inevitably be followed by others, far darker and more difficult. Still, we cherish the city, the morning; we hope, more than anything, formore.


(映画)めぐりあう時間たち/The Hours(2002)
(監)スティーブン・ダルドリー (演)メリル・ストリープ、ジュリアン・ムーア、ニコール・キッドマン
2002年度 アカデミー賞 主演女優賞(ニコール・キッドマン)他を受賞

"Always the love, always the hours."

 異なった時間の中で生きる三人の女性たちの、それぞれにとって重要な意味を持つにいたる一日の時間の流れを、あざやかに映像化しています。
 新しい小説「ダロウェイ夫人」を書き始めるヴァージニア、愛するものに別れを告げ、誰のものでもない自分のための未来の時間へ新たな一歩を踏み出そうとする主婦ローラと、編集者クラリッサ。
 三人が生きる時間が、時代を超えて共感し合うさまを描き出した演出がすばらしく、ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア、メルリ・ストリープらの傑出した演技にも支えられて、この映画は原作とは別の独自の魅力を持った作品となっています。ミニマル音楽の代表的作曲家フィリップ・グラスによるオリジナル・スコアも、とぎれない時の流れ、感情の流れに調和したもので、全体が、あたかも生と死と時とを主題とする交響詩のようにも感じられました。

 三つの時代それぞれのエピソードに、死が密接に関わっていますが、かといって全体としては決してペシミスティックなトーンではなく、ヴァージニアが小説中の人物をなぜ死なせるのかと夫に問われた際の答え、「生を際立たせるために必要なの」のように、生ある限り、時間が流れている限り、そこには自らの意思で、未来の生を選び取る可能性(自由)があることを示唆しているのだと思います。たとえ選択した未来が愛、自由ばかりではなく、死であったとしても。

(追記)
三人の生が、”ダロウェイ夫人”を核として、さまざまな事象において時を超えて呼応し合っていますが、それぞれのエピソードの共通項をピック・アップしてみました(一部分です)。

ダロウェイ夫人: 作者、読者、ニックネーム
花束: 死んだ小鳥の為に、誕生日の為に、パーティーの為に
口づけ: 姉と、隣人と、恋人と
見つめるもの: 少女、男の子、娘
訪れるもの: 姉の家族、隣人、愛した男の恋人と母
病んでいるもの: ヴァージニア、キティ、リチャード
捨て去られるもの: バースデイ・ケーキ、パーティーの料理、命
生まれつつあるもの: 小説、子供、自分の為に生きる未来
流れゆくもの: 川の水、人・車、時間


(次回紹介予定)To the Lighthouse燈台へ(1927)

内容(「BOOK」データベースより)

 哲学教授夫妻とその子どもたちが過ごす夏の休暇、燈台に行く話が出るが結局行くことができない。スコットランドの島を舞台に、別荘での一日を、それぞれの登場人物の意識を通して語られる内面のドラマ。ウルフの代表作であり、20世紀文学の傑作。


参考Webサイト
○ヴァージニア・ウルフ 関連出版リスト : amazon. com.(洋書翻訳本


主要作品リスト  
・The Voyage out/船出(1915)
・Night and Day/夜と昼(1919)
・Monday or Tuesday/月曜日か火曜日(1921) :短篇集
・Jacob's Room/ジェイコブの部屋(1922)
Mrs. Dalloway/ ダロウェイ夫人(1925)
・The Common Reader(1925) :評論集
・To the Lighthouse/ 灯台へ(1927)
・Orland/オーランドー(1928)
・A Room of One's Own/ 私一人の部屋(1929):エッセイ
・The Waves/ 波(1931)
・Flush/フラッシュ(1933)
・The Years/歳月(1937)
・Three Guineas/3ギニー(1938) :評論
・Roger Fry: A Biography(1940) :評論
・Between the Act/幕間(1941)
・The Death of the Moth(1942) :評論集
・A Haunted House/幽霊屋敷(1943) :短篇集
・The Moment and Other Essays(1947) :評論集
・The Captain's Death Bed and Other Essays(1950) :評論集
・A Writer's Diary/ある作家の日記(1953) edited by Leonard Woolf
 

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