PAPERBACK GUIDE 

William Somerset Maugham(1874-1965)
ウィリアム・サマセット・モーム

 4人兄弟の末っ子としてパリで生まれた。父は在仏イギリス大使館の顧問弁護士、母もパリで育ったイギリス人だった。8歳の時に母を、10歳の時に父を亡くし孤児となったモームは、南イングランドで牧師をしていた叔父夫婦に引き取られた。1887年にキングズ・スクールに入学するが、生来の虚弱体質と吃音癖のためなじめなかった。1882年にロンドンの聖トマス病院の付属医学校に入学、この時すでに作家として自立することを考えていたモームは講義にはあまり出席しなかった。作家としてモームが注目されたのは、長篇「月と六ペンス」がベストセラーとなった後であった。第一次大戦中にイギリスの諜報部に勤務した経験を元にした多くの短篇も発表している。


「新しいものは読まないの?」
「サマセット・モームならときどき読むね」
「サマセット・モームを新しい作家だなんていう人今どきあまりいないわよ」
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」/村上春樹



ある小説が楽しみを与えてくれないようであったら、その小説はあなたに与えてくれるものを何一つ持っていないのである。
/「世界の十大小説

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 1. The Moon and Sixpence/月と六ペンス(1919)
   難易度:☆☆

 画家ポール・ゴーギャン(1848−1903)をモデルとして、芸術への情熱の為に、全てを投げ打ち、自らの信じる道を突き進んだ天才画家の肖像を描き出しています。主人公の画家、チャールズ・ストリックランドの生涯は、ゴーギャンの生の軌跡と表面上一致しているところもありますが、この作品は伝記ではなく、あくまでフィクションです。

 チャールズ・ストリックランドは、英国に住む40才の株式仲買人だった。彼は妻と二人の子供がある家庭人であったが、妻子を置いてパリに突然出奔した彼から妻宛てに別れたいとの手紙が届き、夫の女性関係を疑った夫人に頼まれた私(小説の語り手)は、チャールズを彼が一人で暮していたパリの安ホテルに訪ね真意を聞いた。チャールズは、パリで絵を勉強し画家になるのだと言い、妻や子供のことは何の未練もなく、二度と家族の元には戻らないと言った。
 5年後、チャールズの才能をただ一人認めていたオランダ人の画家ダーク・ストローヴは重病で倒れたチャールズの看病をするよう妻のブランシュに頼むが、チャールズを恐れる彼女は断った。しかし結局夫の熱意に負けたブランシュはチャールズを看病し、やがて献身的な看護により回復したチャールズと関係を持つようになり、いたたまれなくなったストローヴは家を出てしまった。その後ブランシュもチャールズに捨てられ自殺してしまう。
 チャールズは放浪の末、タヒチ島に渡り現地人の娘と結婚し、絵の制作に全霊を注ぐが、ライ病に冒されてしまう。動くことが出来なくなった彼が死の間際まで小屋の壁に描いた絵は、彼の遺言により娘の手で小屋とともに燃やされた。


 夫人の依頼によりパリまでチャールズを説得しに来た私が発した、"40才になってから絵を始めてもものにならないでしょう"という言葉に、チャールズは、"自分は描かずにはいられないんだ。水に落ちた人間が、どんな風に泳ぐかなど考えずにがむしゃらに助かろうとするのと同じことだ"と答えます。

 'I tell you I've got to paint. I can't help myself. When a man falls into the water it doesn't matter how he swims, well or badly: he's got to get out or else he'll drown.'
 There was real passion in his voice, and in spite of myself I was impressed. I seemed to feel in him some vehement power that was struggling within him; it gave me the sensation of something very strong, overmastering, that held him, as it were, against his will. I could not understand. He seemed really possessed of a devil, and I felt that it might suddenly turn and rend him.

 語り手である"私"が感じたように、チャールズには美というデーモンが取り憑いたのでした。彼は絵を描くこと以外の一切に何の価値を見出せず、結果として徹底したエゴイストとならざるを得なかったわけです。
 もう一人登場する画家、ダーク・ストローヴは、チャールズの天才を見抜く眼識はあるものの、彼自身、自分には芸術家としての才能がないことを悟っています。彼が深く愛する妻のブランシュに語った、"美とは何ともすばらしい、不思議なもので、芸術家が自らの魂の苦悩を通して、世界の混沌から創造するものなんだ Beauty is something wonderful and strange that the artist fashions out of the chaos of the world in the torment of his soul." という言葉が、自らの意志を超えた内なるデーモンに突き動かされ、美の表現者としての運命をたどらざるを得なかったチャールズの歓喜と悲劇とを示していました。
 芸術至上主義のチャールズには感情移入し難い面があり、彼よりも人間的な優しさや弱さを持つ画家ストローヴや彼の妻、そしてチャールズの妻に親近感を抱きました。

 (参考)
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 2. 世界の十大小説/Ten Novels and Their Authors(1954)
 岩波文庫(上)(下)巻

 モームが選んだ十大小説は以下に挙げる通りですが、モームは10篇それぞれを紹介する前置きとして、「小説とは何か」の章を設けていて、その中で彼自身の小説についての考え方を述べています。すぐれた小説の備える特質について以下の点を挙げています。
  • 主題は広範囲にわたって興味を起こすものでなければならない。
  • 主題はいつになっても興味が失われないものでなければならない。
  • ストーリーは、首尾一貫して説得力を持つものでなければならない。
  • 作者は自分の作り出す作中人物を個性の目をもって眺めねばならないし、作中人物の行動はそれぞれの性格に由来するものでなければならない。
  • 文章は分りやすく、文体はぴったり内容に合うものでなければならない。
  • 小説は楽しくなければならない。
 これらの中で、"楽しくなければならない"というのが最も大切な特質で、これに欠けているようでは、他にどんな長所があろうと何の用もなさない、と書いていて、いかにもモームだなといった感じを受けます。さらに、読者に与える楽しみが知的なものであればあるほど、それだけその作品はすぐれていることになる、とも述べています。

 プルーストの「失われた時を求めて」を十大小説のリストに加えなかったのは、端的に言えば冗長であるからということのようです。モームはこの作品を認めていないわけではなくて、彼自身熱狂的なプルースト崇拝者で、今までに3度読み返したと書いています。
 各章では、それぞれの作品についてだけでなく、作家のプロフィール紹介にも多くのページが割かれています(作品の評価よりずっと分量が多い)。また作品の賞賛だけでなく、共感し得ない点などについても遠慮せず述べているところが同業者の目によるシビアな評価として面白い。極めつけは次のような言葉。

 キーツ(1795−1821)が年若くして死に、ワーズワース(1770-1850)が長く生きすぎたのは、イギリス文学にとって一つの不幸であるが.....


 (モームの選んだ十大小説) 
  1. 「トム・ジョーンズ」/ヘンリー・フィールディング
    モーム自身がこの作品を高く評価しているのかどうか、いまいちよく分らない書きっぷりでした。
      
  2. 高慢と偏見」/ジェイン・オースティン
     概していって『高慢と偏見』は、あらゆる小説の中でもっとも申し分のない小説であると思う。

     オースティンどのの作品にもこれといって大した事件は起こらない。それでいて、あるページを読み終わると、さて次に何が起こるのだろうかと、急いでページを繰らずにはいられない。ところが、ページを繰ってみても、やはり何も大したことは起こらない。だが、それでいて、またもやページを繰らずにはいられないのだ。
     モームは、「説きふせられて(説得)」をオースティンの6篇の小説の中でもっとも完璧なものとみなしています。
      
  3. 「赤と黒」/スタンダール
     モームはこの小説について、芸術品として見ると、恐ろしく不完全な作品であるとし、最後には支離滅裂の状態に陥ってしまうと述べています。不完全さと小説の魅力とは別物らしい。
     一つには小説という手段が最初から不十分であるため、また一つには小説を書く人間そのものに足りない点が多々あるため、小説で完全なといえるのは、一つとしてない。「赤と黒」は重大な欠陥があるにもかかわらず、きわめて偉大な書物で、これを読むことは得がたい一つの経験なのである。
      
  4. 「ゴリオ爺さん」/バルザック
     モームは、あらゆる偉大な小説家の中でバルザックが最も偉大であり、躊躇(ちゅうちょ)なく天才と呼びたいただ一人の小説家であるとバルザックをべた褒めです。モームと作風が合っているのだろうか。僕はバルザックの小説は「知られざる傑作」(「人間喜劇」からの6短篇を収録)しか読んでいないので分りませんが、モームが引用している「人間喜劇」の執筆意図を読むと、たしかにモームとの共通性があるようです。
     この作品を読むと、「人間は善でもなければ悪でもなく、本能と性癖とを生まれながら持っている。社会はこの人間を、ルソーの主張とは違って、腐敗堕落させるどころか、完全にし、進歩向上させる。だが、その一方、利己心は人間の持つ悪しき傾向を極度にまで発達させる」という、バルザックが「人間喜劇」を通して明らかにしようと意図した原理を具体的に知ることができる。
       
  5. 「デイヴィッド・コパーフィールド」/チャールズ・ディケンズ
     近代の小説、たとえばジョージ・エリオットの小説と比べると、ディケンズはあまりに無邪気で、まるで子供の小説なのだ、と書いている一方では、この作品の登場人物の生き生きとした、説得ある描写を賞賛しています。
     「デイヴィッド・コパーフィールド」は、人生について自由奔放な空想を働かせた、ある時は賑(にぎ)やかで、ある時は哀れ深い作品で、活発な想像力と暖かな感情の持ち主が、その過去の思い出と願望充足とから作りあげたものである。
      
  6. 「ボヴァリー夫人」/フローベール
     「ボヴァリー夫人」を悲劇というより、不幸なめぐり合わせ物語として捉えています。また作中人物のリアルな描写、細部までの正確な描写がこの小説の"強烈な"現実感を与えるのだと述べています。
      
  7. 「モウビー・ディック(白鯨)」/ハーマン・メルヴィル
     この小説を評価して、"陰鬱な交響楽とも言うべき、異様な、しかし力強い作品"という一言はなるほどと頷けます。そして、構成上の欠陥はあるもののこの作品を偉大なものとしているのは、邪悪で巨大なエイハブ船長を創造したことだということにも同感です。
       
  8. 嵐が丘」/エミリー・ブロンテ
     同時代の他の小説とは全く関係を持たない例外的な作品であるとし、
      出来映えは非常に悪く、同時に非常にすぐれてもいる。醜く忌わしい。だが同時に美しくもある。恐ろしい、読む人を苦しみ悩ませる、力強い、情熱に満ちた書物。
     恋愛の苦しみ、法悦感、残酷さが、これほど力強く描き出されている小説を、私はほかに一つも思い出すことができない。
     と断じています。モームは、他のどんな小説とも比較できないこの作品をあえて比較するならば、エル・グレコの描いた偉大な絵だけだろうとこの章を結んでいて、グレコの絵が好きだったモームの、ある意味で強く反発しながらも「嵐が丘」の魅力に抗せない心情を想像させられます。
     右の絵は、グレコの風景画「トレド風景」で、モームが挙げている絵ではありませんが、小説「嵐が丘」のイメージに近いのではないかと思います(画像クリックで拡大画像にリンクします)。
     
  9. 「カラマーゾフの兄弟」/ドストエフスキー
     ドストエフスキーを世界の最もすぐれた小説家の一人にしているあの驚くべき独創性は、彼の中にある善ではなく、悪から生まれ出ているのである。
     これまでに書かれた最大の小説の一つであるにはちがいなく、とくにその激しさと力強さによって、他の小説類とは判然と区別できる独特の地位を保ち、その感動的な二つの例として、「嵐が丘」と「モウビー・ディック」とがあげられる、あの数こそ少ないが、驚くべき一群の小説の中にあって、その第1位を占める作品なのである。
     学生のときにドストエフスキーの全作品を読んで以来、「罪と罰」と「カラマーゾフの兄弟」は3度読み返しています。ドストエフスキーの小説世界に示される愛、喜び、悲しみ、憎悪など人間として抱く感情の過剰性が自分をとらえ続けているのだろうと思います。よくわからないけどすごくて、少しでもそのわけを知りたくて繰り返し読んでいるということもありそうです。
      
  10. 「戦争と平和」/トルストイ
     モームはこの作品を、あらゆる小説の中で最も偉大な小説であり、散文で書かれた虚構の物語で、この小説ほど真に叙事詩の名に値する作品を、他に思い出すことはできないとも書いています。
     小説を読む喜びとか興奮とか、まさに"絵にも書けない面白さ"というものが、この作品や「アンナ・カレーニナ」にはありました。その比類のない面白さの大きな要因は、モームも挙げているように、登場人物たち(「戦争と平和」では、およそ500人にのぼるとのこと)のリアルな人間像を描き分けることのできたトルストイの卓越した描写力によるものだと思います。とくに「戦争と平和」では、魅力的な女性、ナターシャを創造したことか。どちらも、もう一度じっくり読んでみたい小説です。

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(次回紹介予定)Of Human Bondage/人間の絆(1915)






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 ○ 主要作品
  • Liza of Lambeth/ラムベスのライザ(1897)
  • Orientations(1899)
  • Mrs. Craddock(1902)
  • A Man of Honour(1903) 戯曲
  • The Bishop’s Apron(1906)
  • The Magician/魔術師(1908)
  • Penelope(1909)
  • Lady Frederick(1912)
  • Jack Straw(1912)
  • Mrs. Dot(1912)
  • Of Human Bondage/人間の絆(1915) 長編 
  • The Moon and Sixpence/月と六ペンス(1919) 長編
  • The Circle(1921) 戯曲
  • Sadie Thompson(1921)
  • The Trembling of a Leaf(1921) 短篇集 短篇「雨」を収録
  • East of Suez(1922
  • On Chinese Screen(1922)
  • Our Betters(1923) 戯曲
  • The Painted Veil(1925)
  • The Constant Wife(1925) 戯曲
  • The Casuarina Tree/キャジュアライナ樹(1926) 短篇集
  • The Letter(1927)
  • The Sacred Flame(1928)
  • Ashenden/アシェンデン(1928) 短篇集 
  • The Breadwinner(1930)
  • Cakes and Ale/お菓子と麦酒(1930)
  • First Person Singular(1931)
  • Collected Plays(1931-1934)
  • The Narrow Corner(1932)
  • For Services Rented(1932)
  • Collected Plays(1933)
  • Sheppey(1933)
  • Ah King/アーキン(1933)
  • Cosmopolitans/コスモポリタン(1936)  短篇集
  • The Theatre/劇場(1937)
  • The Summing Up/要約すると(1938)
  • Christmas Holiday(1939)
  • The Mixture as Before(1940)
  • Up at the Villa/女ごころ(丘の上の別荘)(1941) 短篇集
  • Strictly Personal(1941)
  • The Hour Before the Dawn(1942)
  • The Razor’s Edge/剃刀の刃(1944)
  • Then and Now(1946)
  • Creatures of Circumstances(1947)
  • Catalina(1948)
  • A Writer’s Notebook/作家の手帳(1949
  • The Complete Short Stories(1951)
  • The Vagrant Mood(1952)
  • Selected Novels/読書案内(1953)
  • Ten Novels and Their Authors/世界の十大小説(1954)
  • Far and Wide(1955)
  • Best Short Stories(1957)
  • Points of View(1958)
  • Looking Back(1962)
  • Selected Prefaces and Introductions(1963)
  • Seventeen Lost Stories(1969)



 
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