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L.M. Montgomery(1874 - 1942)
L.M.モンゴメリ


カナダのプリンスエドワード島のクリフトンに生まれた。大学卒業後、島の学校で教師を務め、36歳で教会牧師と結婚した。1908年に出版した処女長編小説「赤毛のアン」は、世界的ベストセラーとなり、約40ヶ国語に翻訳されている。「赤毛のアン」シリーズを含め生涯に約20冊の小説と短編集を執筆した。

 
以下を紹介しています。

1.Anne of Green Gables/赤毛のアン (1908)
難易度:☆☆

カナダ東海岸のプリンス・エドワード島を舞台とした、孤児の少女、アン・シャーリーが主人公のシリーズの第一作で、モンゴメリにとって処女長編となる本作品は、11歳のアンが、グリーン・ゲイブルズに住むマシューとマリラという、50〜60歳代の独身兄妹に引き取られてからの5年間を描いています。自然に恵まれた環境の中で、マシューとマリラの愛情を受けながら、"腹心の友"ダイアナとの友情を育み、ギルバートとの確執など、さまざまな出来事を通して、生き生きとした聡明な少女に成長したアンは、優秀な成績で学校を卒業します。

 マシューとマリラが孤児院から引き取ろうとしたのは、農場の手伝いとなる男の子でしたが、手違いから駅でマシューを待っていたのは赤毛の女の子、アンでした。
 シャイで優しい兄のマシューは、会ってすぐにアンを気に入りますが、厳格なマリラのほうは、アンが自分たちにとって何の役にも立たないと、少女を孤児院に返そうとします。しかしマシューは、アンに何かしてもらうのではなく、逆に二人がアンに何かしてあげられるのではないかと反対します。そして、アンに接してその魅力に気づいたマリラも、結局、彼女を受け入れることに同意します。

 この物語の魅力の第一は、恵まれない環境で育ちながら卑屈にならず、まっすぐで天真爛漫、空想が大好きでいつも夢見がちな感激屋という、アンの個性的なキャラクターでしょう。こうしたキャラクターは、マンガやアニメに登場するヒロインの一典型とも言えますが、その原型のいくらかはアンに負っているのかもしれません。
 以下は、アンがグリーン・ゲイブルズに着き、初対面のマリラに名前を聞かれて、"アン"という名がロマンチックでないと感じている彼女が、「あたしをコーデリアと呼んでください」と頼む場面からの引用ですが、空想のおもむくままにしゃべりまくるアンに、マリラがあきれている様子が描かれています。

"Will you please call me Cordelia?" she said eagerly.
"Call you Cordelia! Is that your name?"
"No-o-o, it's not exactly my name, but I would love to be called Cordelia. It's such a perfectly elegant name."
"I don't know what on earth you mean. If Cordelia isn't your name, what is?"
"Anne Shirley," reluctantly faltered forth the owner of that name, "but oh, please do call me Cordelia. It can't matter much to you what you call me if I'm only going to be here a little while, can it? And Anne is such an unromantic name."
"Unromantic fiddlesticks!" said the unsympathetic Marilla. "Anne is a real good plain sensible name. You've no need to be ashamed of it."
"Oh, I'm not ashamed of it," explained Anne, "only I like Cordelia better. I've always imagined that my name was Cordelia ― at least, I always have of late years. When I was young I used to imagine it was Geraldine, but I like Cordelia better now. But if you call me Anne please call me Anne spelled with ane.”
"What difference does it make how it's spelled?" asked Marilla with another rusty smile as she picked up the teapot.
"Oh, it makes such a difference. It looks so much nicer. When you hear a name pronounced can't you always see it in your mind, just as if it was printed out? I can; and A-n-n looks dreadful, but A-n-n-e looks so much more disitinguished. If you'll only call me Anne spelled with ane I shall try to reconcile myself to not being called Cordelia."

 久しぶりに読み返し、アンを巡るエピソードを楽しく読みましたが、今回は自分と世代的に近いマシューとマリラの心情にも寄り添うことができました。世間とは没交渉気味に暮らしてきたマシューとマリラですが、アンがやって来てからは静かな日常が一変し、お騒がせなアンの言動に一喜一憂することになります。子育ての経験の全くない二人にとって、突然、アンのような風変わりな女の子と向き合わなければならなくなったことへのとまどいは大きかった半面、ピュアな少女の心に触れることによる感動と、そして何よりも、愛するものを得た深い喜びがありました。
 マシューの死に悲嘆するアンにマリラが寄り添い、アンに抱いていた深い愛情を初めて吐露する場面が感動的です。

"We've got each other, Anne. I don't know what I'd do if you weren't here ― if you'd never come. Oh, Anne, I know I've been kind of strict and harsh with you maybe ― but you mustn't think I didn't love you as well as Matthew did, for all that. I want to tell you now when I can. It's never been easy for me to say things out of my heart, but at times like this it's easier. I love you as dear as if you were my own flesh and blood and you've been my joy and comfort ever since you came to Green Gables."

 赤毛のアン・シリーズの翻訳の草分けで、もっともポピュラーに読まれている村岡花子訳(新潮文庫)では、マリラのこの告白の場面を省き、要約で済ませていました。物語のクライマックスともいえる場面が省略されているのは実に不思議ですが、この点について、関連本「東大の教室で『赤毛のアン』を読む」/山本史郎 の中で考察されています。
 村岡訳には、この個所に限らず所々に省略個所があるとのことで、村岡さんは1968年に亡くなっていますが、2008年に出版された改訂・補訳版(新潮文庫)では、上記の個所が訳されているとのことです。
 

(映画・アニメ)赤毛のアン

○映画「赤毛のアン」特別版(1985)
(監)ケヴィン・サリヴァン (演)ミーガン・フォローズ(アン)、コリーン・デューハースト(マリラ)、リチャード・ファーンズワース(マシュー)
 元々は、テレビ・シリーズとして作られ、日本ではそのダイジェスト版が1986年に劇場公開されましたが、この特別版は劇場公開の際にカットされた部分を復活・編集したものです。原作の舞台となったプリンスエドワード島でロケが行われ、その豊かな自然の描写が美しく、また原作をほぼ忠実に再現した演出が適切で、3時間余りの長丁場を全く飽きさせない魅力を持った映像化作品です。冒頭に、原作にはないグリーン・ゲイブルズに来る前にいた孤児院や、3組の双子の面倒を見ていたハモンドさん一家での描写が付け加えられています。
 配役もこれ以上は望めないくらいすばらしく、アンを演じたミーガン・フォローズはオーディションで選ばれたそうですが、アンになりきった演技はイメージ通りでした。映画のアンは、原作のアンほどには饒舌でないのがちょっと違いますが、映像が主体なので、これはやむを得ないでしょう。小説を読んでいる人にとっては感動ものでしょうし、読んでいなくても、文句なしに楽しめる良質の作品だと思います。

○テレビアニメ「赤毛のアン」世界名作劇場・完結版(1979)
(監)高畑勲 (脚本)千葉茂樹 (声)山田栄子ほか (配給)三鷹の森ジブリ美術館
 1979年1月〜12月にフジテレビ系の「世界名作劇場」で放映されたテレビアニメ(全50話)を、約1時間半の枠に編集したDVDで、アンがグリーンゲイブルズに来てからの1年間(11〜12歳)と、15歳から16歳のエピソードを抽出したダイジェスト版です。テレビアニメは、モンゴメリの原作を、忠実に映像化した作品として高い評価を受け、厚生省児童福祉文化賞を受賞しています。宮崎駿が作画スタッフとして参加しましたが、「アンは嫌いだ。後はよろしく」と述べて『ルパン三世 カリオストロの城』へと去っていったとのこと(Wikipediaによる)。たぶん、出来過ぎのアンがお気に召さなかったのでしょう。
 小説や映画版と比較すると、やや情緒過多、メロドラマチックな印象を受けました。とくに、マリラがずいぶんと優しく感じられます。中間部分が編集でカットされていることもあり、ギルバートとのエピソードは、石盤での殴打事件のみとなっていました。
 2010年7月には、テレビシリーズの第1話〜第6話を再編集した劇場版映画『赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道』が公開されていて、こちらのほうが作品としてまとまっているのではないかと想像されます。レンタルが出てきたら、こちらもチェックしてみたい。


「赤毛のアン」関連著作
○赤毛のアンに隠されたシェイクスピア(2001)/松本侑子 

 本書の著者である松本さんの本業は小説家ですが、自身で「赤毛のアン」を翻訳・出版しています。松本さんが初めて「赤毛のアン」を原書で読んだ際、文中に古い言葉づかいの、詩のような、芝居の台詞のような、劇的な文章やしゃれた言い回しがたくさん出てくることに気がつきます。そして、それらが過去の文学作品の一節を引用したしたものではないか、と気づき、その出典探しに、"本業の小説書きもなげうって熱中した"成果が本書にまとめられています。

 この本に取りあげた名詩は、アンとモンゴメリが愛し、好んで口ずさんだ作品ばかりだ。そこには、人生の歓びと哀しみ、死の苦しみ、恋するときめき、生きるすばらしさが、劇的に、豊かに描かれている。『アン』の知的な楽しみを初めて発見して、きっと驚かれるに違いない。
 あなたも、『赤毛のアン』の迷宮へどうぞ、そして謎ときの知的興奮をお楽しみください。(まえがき より)


 シェイクスピア劇からの引用が最も多くて、「ロミオとジュリエット」や「ハムレット」などから少なくとも9ケ所あり、それらがすべて紹介されています。そのほかにも英米文学やスコットランド文学からの多くの引用が見つかり、本書にはテニスン、ブロウニング、バイロンやワーズワースの詩、キャロルの「不思議の国のアリス」などからの引用例と、引用調査にまつわる苦労話、さらに、「アン」に出てくる英米文学ゆかりの地を訪ねた取材旅行の模様が紹介されています。児童文学の枠に収まりきれない「赤毛のアン」の奥深さを実感でき、アンのファンや、英米文学に関心のある人にとって、とても興味深い本です。
 著者には、本書以外に、「誰も知らない『赤毛のアン』 背景を探る」や、「赤毛のアンへの旅〜秘められた愛と謎」などのアン関連本があります。さらなる深みに、どっぷりはまりたい方は読んでみたらいかがでしょう。


○「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法(2008)/茂木健一郎

 茂木さんは、マスコミにも多く登場する脳科学者ですが、意外にも、青春時代の愛読書が「赤毛のアン」だったそうです。アンには小学5年生の時に出会い、高校の時には、原書でシリーズを全部読破しています。大学生の頃にはファンクラブに入っていて、さらに大学院の時には、プリンス・エドワード島まで行ってしまったということなので、筋金入りのファンと言っていいでしょう。2008年は、「赤毛のアン」出版から100周年に当たることから、茂木さんは、大きな影響を受けたこの小説について、もう一度考え直してみたいとの意図で読み直し、まとめたのが本書(文庫オリジナル)です。

 何よりも感じたのは、『赤毛のアン』がたいへん深い人間洞察に基づいた作品であるということである。人として生きる上で、いかに「真摯な自分」を貫くか。偶然の出会いを、どのように活かすか。今までの世界観を変えるような出来事を受け入れ、自分自身を変えるためにどうすれば良いのか。人間の個性というものを、いかにして育み、尊重するか。そして、何よりも、欠点だらけの自分の人生を愛するためには、何をすれば良いのか。つまりは、ひとりの人間として「幸福になる方法」が、この作品には書かれていたのである。

 アンには、周囲の人間を幸福にする才能があることは確かだと思いますが、茂木さんは「赤毛のアン」に学んだこととして以下の項目を挙げ、それぞれについて、幸福に生きることとの関連を述べています。
 ・想像の余地のある人生
 ・帰るべき家があるということ
 ・運命の相手に出会うということ
 ・大人になるということ
 ・運命を受け入れるということ
 ・幸福の花を見つけるということ

 たとえば、"想像の余地 scope for imagination"という言葉は、アンの口癖のようなもので、茂木さんが「赤毛のアン」の中で、いちばん好きな言葉であるとのこと。
 以下は、マシューが駅にアンを迎えに行き、一緒に馬車でグリーン・ゲイブルズに向う道すがらの会話からの引用です(訳は本書による)。

"Isn't it splendid to think of all the things there are to find out about? It just makes me feel glad to be alive ― it's such an interesting world. It wouldn't be half so interesting if we knew all about everything, would it? There'd be no scope for imagination then, would there?"
「知りたいことがいっぱいあるって、すてきだと思わない? 生きてることがうれしくなっちゃう ― こんなにおもしろい世界に生きているんですもの。なにからなにまですっかりわかっていたら、半分もおもしろくないんじゃないかしら。想像の広がる余地が、全然なくなっちゃうもの」

 アンのユニークな個性を特徴づける奔放な想像力は、実は疎外や欠乏から生まれたのであり、想像力によって彼女は苛酷な環境を耐えることができたのだと、茂木さんは考察しています。一方で、「想像力の広がる余地」は、未来への希望に満ちた、人生を明るく彩るためのものであるのだと。

 アンは、この二つの「想像力」を、きちんと使い分けています。そして、その両方が人生において必要であることを理解している。「想像力」というものは、人が生きていく上で、それがつらい現実だろうと美しい現実だろうと、どちらにしろ必要なものであるということを自覚しているのです。
 この小説は、人が想像することの大切さを、アンの口を借りて高らかに宣言した小説でもあるのです。

 ほかの項目についても、脳科学者である茂木さんならではの視点で捉えた「赤毛のアン」の根本に迫っていて、目からうろこ的に啓発される点が多々ありました。

 モンゴメリには、アン・シリーズのほかに、エミリーを主人公とする3部作がありますが、茂木さんによると、カナダや欧米では、アンよりはエミリーの方が人気があるそうです。物語のプロットは「アン」と似ていて、アンと同じく孤児になった少女エミリーが(!)、これも未婚で初老のおばさんの家に引き取られ(!!)、プロの作家を目指して成長していく物語で、アンの世界の明るさとは180°異なる世界(!!!)らしい。
 モンゴメリは、エミリーについて、「アンは私の事だと言った人たちは全く間違っていました。でも、私をエミリーと同一人物であると書くのであれば、その人たちはいくつかの点では当たっています」と述べ、「この本が今まで書いた中で最高です」とも評している(Wikipediaより)とのことで、興味深々、エミリー・シリーズも近いうちに読んでみるつもりです。


○東大の教室で『赤毛のアン』を読む(2008)/山本史郎
  
 2006年度の東大教養学部1年生を対象とした「文学入門」の授業を元に書かれた本で、「作者の意図」を読み解くことがいかに重要かということが主テーマとなっています。
 全9章から成っていて、その中で「赤毛のアン」に関する部分は3章あり、そのほかの章で主題として取り上げられている作品は、トールキンの「ホビット」、「高慢と偏見」/ジェイン・オースティン、「大いなる遺産」/チャールズ・ディケンズ、「ジェイン・エア」/シャーロット・ブロンテ などです。

 山本さんが、教材として「赤毛のアン」を取り上げたのは、自身でもこの小説を翻訳しているからだと思いますが、本書では、"『赤毛のアン』の謎"として、以下の2点について、検討を行っています。
 ・村岡花子は、なぜ「マリラの告白」を訳さなかったのか?(翻訳者の意図を読み取るテーマ)
 ・モンゴメリーは、なぜ「マリラの告白」をカットしなかったのか?(作者の意図を読み取るテーマ)

 「マリラの告白」は、作品紹介で引用した部分で、小説後半のクライマックスとなる個所です。
 村岡さんは「赤毛のアン」の翻訳(新潮文庫)の草分けで、長い間、この小説の定番として読まれています。なお、2008年の改訂版で、省略されていた「マリラの告白」の訳が追加されました。
 上に挙げた2つの謎に対する山本さんの見解は以下の通りです。
 ・村岡さんが「マリラの告白」を略したわけ:翻訳されたマリラの"おっかないおばあさん"という人物類型が固定的だったため、いまさら人柄が変わってしまったようなセリフをしゃべらせることが、できなくなってしまった。
 ・モンゴメリーが「マリラの告白」をカットしなかったわけ:「赤毛のアン」は、マリラが精神的に大きく成長する物語であり(つまり人物類型が固定的でない)、告白自体が、マリラの人柄の変化を意味している。

 山本さんは、上に述べた作者と翻訳者の意図の違いにより、村岡訳の「赤毛のアン」を読んで、日本の読者の心に残る作品イメージと、モンゴメリーの原作を読んで英米の読者が抱くイメージとの間には、かなり大きなずれがあるのではないかと示唆しています。

 「赤毛のアン」を含め、本書に取り上げられた5作品に共通するものとして、物語の大きな枠組みとして「目ざめ(自己発見)のパターン」をもとにして書かれていて、それはアメリカ文学ともフランス文学ともドイツ文学ともロシア文学とも違う、イギリス文学(とくに19世紀)の特徴であるという指摘は興味深かった。
 本文には、小説からの原文の引用は勿論ですが、先生と生徒の対話や、実際の授業で配布されたチェックシートも挿入されていて、授業の臨場感を味わうことができます。ただ、基本的には学生向けの講義内容なので、読んでいてやや観念的だなと感じる点があるのは否めませんでした。


主要作品リスト
○ L.M. モンゴメリ 関連出版リスト: 洋書和書
○ 参考資料
 ・L.M. モンゴメリ(Wikipedia)
 ・L.M. Montgomery(Wikipedia 英語)
 ・アン・ブックス

○ 主要小説作品
  • Anne of Green Gables/赤毛のアン (1908) アン・シリーズ
  • Anne of Avonlea/アンの青春(1909) アン・シリーズ
  • Kilmeny of the Orchard/果樹園のセレナーデ (1910)
  • The Story Girl/ストーリー・ガール(1911)
  • The Golden Road/ストーリー・ガール2 (1913) ストーリー・ガール・シリーズ
  • Anne of the Island /アンの愛情(1915) アン・シリーズ
  • Anne's House of Dreams/アンの夢の家 (1917) アン・シリーズ
  • Rainbow Valley/虹の谷のアン (1919) アン・シリーズ
  • Rilla of Ingleside/アンの娘リラ (1921)
  • Emily of New Moon /可愛いエミリー(1923) エミリー・シリーズ
  • Emily Climbs/エミリーはのぼる (1925) エミリー・シリーズ
  • The Blue Castle/青い城 (1926)
  • Emily's Quest/エミリーの求めるもの (1927) エミリー・シリーズ
  • Magic for Marigold/マリー・ゴールドの魔法 (1929)
  • A Tangled Web/もつれた蜘蛛の巣 (1931)
  • Pat of Silver Bush/銀の森のパット (1933)
  • Mistress Pat (1935) (sequel to Pat of Silver Bush)
  • Anne of Windy Poplars(Willows)/アンの幸福 (1936) アン・シリーズ
  • Jane of Lantern Hill/丘の家のジェーン (1937)
  • Anne of Ingleside/炉辺荘のアン (1939) アン・シリーズ
  • Short story collectionsChronicles of Avonlea/アンの友達 (1912)
  • Further Chronicles of Avonlea/アンをめぐる人々 (1920)

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