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堀江敏幸(1964 -  )

岐阜県多治見市の生まれ。早大卒。東大大学院博士課程中退。2004年より明治大学理工学部教授、2007年に早稲田大学文学学術院教授に就任。1999年、フランス留学時代の体験をもとにしたエッセイ集「おぱらばん」(青土社刊)で三島由紀夫賞受賞。2001年「熊の敷石」で芥川賞、2003年「スタンス・ドット」(「雪沼とその周辺」所収)で川端康成文学賞を受賞、2006年「河岸忘日抄」で読売文学賞を受賞。


以下を紹介しています。クリックでリンクします。
■作品
雪沼とその周辺
いつか王子駅で
子午線を求めて
河岸忘日抄
彼女のいる背表紙
なずな
燃焼のための習作
(参考)パリの廃墟/ジャック・レダ

140文字紹介:Twitter投稿
あとは切手を、一枚貼るだけ(2019)小川洋子との共著
土左日記/紀貫之 堀江敏幸 新訳

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作品リスト
 

1.雪沼とその周辺(2003)
新潮文庫

 雪沼という架空の山あいの町に暮らす人々の日常を描写した、それぞれが独立した7つの作品からなる連作短篇集です。
 各話に登場するのは、廃業の日のボウリング場のオーナー、50半ばを過ぎて雪沼に身を落ち着けて料理教室を始めた小留知先生、10数年前に小学生の息子を亡くした書道教室を営む陽平と絹代さん夫婦、古いレコード店を引き継いだ蓮根さんを始めとする、いずれも中年から老年のごく普通の人たちです。
 彼らはこれまで生きてきた中で様々なことがあったにせよ、ここで描かれている静かな日常からは、各人がそうした過去と現在と、そしてそれらに連なる未来とを、あるがままに受け入れているようであり、そうした諦念ともいうべきものが醸(かも)しだしていると思われる、すがすがしさや温かさが連作全体を通して感じられます。

 冒頭の「スタンス・ドット」は、わずか5レーンのボウリング場の廃業の日のオーナーと、閉店間際に訪れた若い男女のカップルとの交流を描いた作品です。"スタンス・ドット"とは、ボウリングのアプローチを決めるために、立ち位置に付けられた目印のことです。
 オーナーの回想の中での、元プロボウラーのハイオクさんが、どんな形でピンが残されても立ち位置を変えなかったというエピソードは、この連作短篇集の登場人物にも通じるところがあるようで、人々が各人の生のスタンスを守って生きているという当たり前のことに(僕だってそうにちがいないから)、わけもなく感動を覚えます。生の実相に触れるということは、こういうことなんだろうか。

 陽平さんが書いて書道教室の壁に貼られた格言「墨は餓鬼に磨(す)らせ、筆は鬼に持たせよ」の直接意味するところは、「墨を磨るときにはなるべくやわらかくし、筆を使うときには力をこめて勢いよく書くのがよい」とのことですが、常には自然体でいるのがいいという行動指針をも意味しているようでした。いままで知らなかったけれど、なかなか含蓄のある言葉です。


2.いつか王子駅で(2001)
新潮文庫

 なるほど「のりしろ」か。私に最も欠落しているのは、おそらく心の「のりしろ」だろう。他者のために、仲間のために、そして自分自身のために余白を取っておく気づかいと辛抱強さが私にはない。


 小説は、都電荒川線の沿線に住む(私)と、印章彫りの正吉さんを始め、居酒屋の女将、古本屋、タクシーの運転手や大家である町工場の経営者と娘の咲ちゃんなど町の人たちとのふれ合いを主軸に、島村利正や安岡章太郎や徳田秋声などの文学作品談義をからめて、いつものフランスから東京、それも下町を舞台にした長篇ということで親しみやすく、そして情緒に富んでいて、とてもよかったです。書名については、原稿の督促があったときに、たまたまビル・エヴァンスの『Someday My Prince will Come/ いつか王子様が』を聴いていて、これにあやかったタイトルを仮題としたそうなんだけどエヴァンスが好きなのかな。

 大塚にあるメーカーでの打ち合わせが午前中にあったとき、家からの直行だったので、これはチャンス!と1時間ほど早めに着いて、荒川線に乗車してみました。都電荒川線は都内に残る唯一の路面電車路線で、早稲田―大塚駅前―王子駅前―町屋駅前―三ノ輪橋 の主要駅を結び全区間約50分ほどかかり、160円の均一料金で共通バスカードも使えます。専用軌道の区間でもちょっと広い道路との交差では、交差点の信号に従い、電車優先となっていないのがいかにも路面電車らしいところです。時間の制約があり今回乗車したのは、早稲田―大塚駅前―王子駅前―荒川遊園地の約35分ほどの区間です(全体の約7割)。朝の通勤・通学の時間帯ということもあり結構混んでいました(ダイヤの本数は結構あって、日中でも5-6分間隔で運行されている)。

.... 荒川線の特殊なのは、専用軌道が圧倒的にながく、しかもかなりのスピードをだすという一点にあるのではないかと思う。早稲田の駅の、薄汚れた流しの窓にカネヨンの容器がのぞいていたりする駐在所を横目に出発し、面影橋から汚水の流れ込む神田川沿いを走って、この川の水を使っていないことを祈りたい製薬会社を左に見つつ急なカーブを徐行するピットロードを抜けて明治通りと平行する専用軌道に入ると、荒川に住むまえこのあたりを徘徊していた時分、転入届の時機を逸して欠席裁判にかかり、罰金をくらったのであまりよい思い出のない出張所のある学習院下の坂道を千登世橋にむけてゆっくりのぼれば、雑司ヶ谷から東池袋の混雑を分け入って大塚に出る。

 堀江さんに特徴的なのであろう息の長い文章で、早稲田―大塚駅前までの約15分の区間を見事に描写しています。今回、早稲田駅の駐在所の薄汚れた流しの窓をチェックしなかったのは、つくづく悔やまれるところです。"かなりのスピード"といっても、僕が観察した限りでは、通常30km/h、ピークで40km/hくらいでした(運転手によっても違うと思います)。続く文章で王子駅までの区間をこれまた一気に描写しています。"しかし、荒川線の真骨頂は、庚申塚あたりから飛鳥山にかけて民家と接触せんばかりの、布団や毛布なんぞが遠慮なく干してある所有権の曖昧なフェンスに護られたながいホーム・ストレートにあり、...... " と続くこれまた息の長い文章もとてもいいんですが割愛します。
 (私)が気晴らしに自転車に乗って出かけた荒川遊園地(正式名称はあらかわ遊園)にも寄ってみました。都電の駅からは歩いて5分くらいで墨田川沿いにあり、入園料がなんと160円で、(私)も乗った観覧車やミニ鉄道などの料金が100円という安さ。僕が行ったときは9時の開園前だったので周囲は閑散としていたけど休みの日には家族連れで賑わうのでしょう。観覧車からは、隅田川をたどってレインボウ・ブリッジも見えるのではと思います。堀江さんも書いているようにささやかながらとても親密な感じする遊園地のようでした。
 
 ここへ来るのはもう何度目だろう。電車沿いに越してくるまえにも、あるときはひとりで、あるときは何人かの仲間とで、空が広々として過ごしやすいこのささやかな行楽施設へ遊びに来たことがあった。いい年をした大人がやってきても家族連れでなければたいして面白みはなさそうに見えるのだが、大がかりなアトラクションをずらりとそろえた本格的な遊園地などより、子どもたちが安心して遊ぶことのできる乗り物を用意したこういう空間のほうが親たちの表情も落ち着いていて、あたりの空気もやわらぐ。

おすすめの一冊です。


3.子午線を求めて(2000)
講談社文庫

 堀江さんの「現代詩手帖」への連載を軸にした散文集です。あとがきの中で堀江さんは、これらの散文が、"書き終えてみるまでは自分がなにをしようとしているのか、どこへ行き着こうとしているのか、まったくわからなかった"、と書いています。ジャック・レダがそうであるように、堀江さんもフィジカルな面だけでなく、思考の上でも自由な散歩者としての素質を持っているのだと思います。
 現在のグリニッジ子午線(経度の基準線)が使われる以前には、パリ天文台の上を通過するパリ子午線があって、この不可視の線に沿って、現代のオランダの芸術家ヤン・ディベッツが直径12インチの銅盤135枚を埋め込み、ジャック・レダが、これらの指標をたどる旅を『パリ子午線』(1996)と題された散文として刊行し、さらにレダに触発された堀江さんが彼のルートをたどるいきさつを書いたものが標題の散文です。
 堀江さんは「パリの廃墟」の翻訳を通じて、ジャック・レダと知己を得ていて、70歳に近いこの詩人とパリで会い、ともに散策に繰り出すことになります。パニョレ通りの古い駅舎を改造した店のテラスでワインを飲みながらの会話のなかで、翻訳中の「パリの廃墟」についての話題が出ます。

 あの本は、まだ勤めを持っていた時分、1ヶ月に2篇づつと決めて書いたもので、完成までに3年を要したとレダは言う。10年間で2千部しか売れなかったのに、ガリマール社の有名な≪ポエジー叢書≫に入ってからは1万部も売れた、この叢書ならなんでも揃えておこうという奇特な読者がいるからだと彼は笑うが、詩集の1万部は誇りを持っていい例外的な数字だろう。(「子午線を求めて」から)

 結局堀江さんが発見できた銅盤は数十個、かつてレダが見つけた120個以上に比べると"情けない成績"となりました。

 この散文の他には、ボンファンのクレー論と小説についての「空虚の輪郭」をはじめ、トラッサール、サヴィツカヤ、アルラン、ピュジャッド=ルノー....など残念ながら僕は名前も聞いたことのない多数のフランス語圏の作家たちの作品(おそらく日本ではほとんどが未翻訳)が紹介されています。とくに、郊外という視点からとらえたプリュドンやフランソワ・ボンなどのロマン・ノワール(犯罪小説)作家と、彼らが賞賛するセリーヌとの連関についての論考は本書の中心を占めるもので、郊外に思いを抱く堀江さんらしいものです。

 工場が民家に入り込み、あるいは工場と工場のあいだに民家が入り込み、煤けた路地と大雑把なブルヴァールが延び、墓地にしか木々が繁らず、どこにも中心のない場所、それがセリーヌの郊外なのである。(中略)
 「どうにでもなれ」と「なんとかしてくれ」のあいだで揺れるセリーヌの郊外は、ついにその間隙を埋めることのないまま、1970年代末から80年代初頭にかけて勢いを取り戻したあたらしい「闇」のなかに、遅ればせの継承者を見出すだろう。(「セリーヌとロマン・ノワールのための序章」から)



4.河岸忘日抄(2005)
新潮文庫

 ほぼ堀江さんの分身と思われる"彼"が、フランスのセーヌ川(たぶん)の河岸に繋留(けいりゅう)されている全長18m、幅4mほどの船を借り、時おり船を訪れる人間たち(郵便配達の男、近くに住む少女とか)や、彼に船を提供した裕福な老人などとの交渉を交えはするものの、ほとんど世捨て人のように、半ばなりゆきまかせ、つれづれなるままに暮す日常が描かれていきます。この作品に通常の小説のようなドラマ性を求めると、肩すかしをくらうことになるでしょう。

自分は、まだ待機していたい。待っていたい。
だがなにを待つのか? 幸福を? 自由を? なんのために? またなんの名において?


 思うに"待つ"という行為の意味するところがこの作品の主題なのではないか。彼は何のためにフランスまで来て、繋留している船に隠棲しているのか?
 彼が折に触れて思い浮かべるいくつかの小説の中で、とりわけ彼の心をとらえ、この長篇の言わば通奏低音として響いているのが、イタリア幻想文学の作家ブッツァーティ作の短篇「K」でした。
 この短篇の主人公は、少年のときに初めての海で、獲物を決して逃がさないという怪物サメ"K"に出会い、生涯をKから逃れることに費やし、やがて年老いて疲れた彼はKにその身をゆだねる為、ボートで海へ漕ぎ出します。やがてKが現われ彼に告げます。おれがお前を追いかけてきたのはお前を食うためでなく、海の王から託された贈りもの、それを持つ者に望む全てのものを与えるという、大きな真珠を渡すためだったと。
 堀江さんの小説の"彼"が、この河岸の船に暮しているのは、ブッツァーティの短篇の主人公同様、彼にとってのKから逃れることに倦み、留まることでKの方から彼を訪れるのを待っているのではないかとも思われます。
 彼にとってのKとは何なのか、それは今まで忙しい日常の中で見失ってしまった自分自身であることは確かなようです。いったい、ほんとうの自分とは、「私」とはなんなのか?
 彼はこの自らに課した禅の公案のような、ほとんど答えの得られそうにない問いを胸に抱きながら、待ちつづけることにより心の内に意識的な内爆を誘発させることを期待しつつ、同様な模索の跡を残している先人たち、たとえばタルコフスキー、チェーホフ、鴨長明、ショスタコーヴィチやら、年上の友人の枕木さんや、10年以上前に少女で死んだ妹のことを思い浮かべていきます。
 こうした小説の主題の流れだけとらえると、ある意味退屈な小説な印象を与えますが、たしかに表面的にはそうかもしれないけど、僕には"彼"の暗中模索がとても他人事とは思えなかったという意味でも、とても刺激的な作品でした。きっとまたいつか読み返すことになると思います。
 船に置いてあった351枚のLPレコードをめぐる挿話や、ガラパゴスの珈琲や、スグリのジャムを塗ったクレープや、彼の得意料理のオムレツのレシピは文句なしにおいしいです。


5.彼女のいる背表紙(2009)
マガジンハウス

 背表紙のむこうに、彼女がいる。逆に言えば、そこにしかいない。すぐ近くなのに遠く、遠いのにひどく身近な友人のように。花布のあたりにそっと指をかけて書棚からその本を引き抜き、頁を開けばいつでも会えるかと言うとじつはそうでもなくて、すんなり居場所がわかることもあれば、完全な思いちがいをしていて、この作品の、あの場面に出てきたはずだといくら読み進めても、淡い影すら見つからないことだって少なくない。しかし、ほんとうはそれでいいのである。背表紙のむこうに大切な女性がいると考えただけで、日々の暮らしの、無用のよろめきが正されるような気がするからだ。

 本書は堀江さんが、雑誌「クロワッサン」に連載した文章をまとめたもので、堀江さんが過去の書物のなかで知った印象深い女性たちとの再会を企てたものです。”再会を果たした女性たちは、国籍も、時代も、年齢もさまざまだ。” と書いているように、サガンの回想録から始まり、菅原孝標の娘の「更級日記」まで、収録された48篇で再会する女性たちはバラエティに富んでいます。トマス・ハーディ、マルグリット・デュラス、ヴァージニア・ウルフアイリス・マードックやトーベ・ヤンソン、佐多稲子など著名な作家の小説の女性たち、そして少なくとも僕には初耳だったロシア、モンゴル、タイ、中国などの海外や国内の作家の作品に登場する女性たちや、エミリ・ディキンスンやフランシス・ジャムの詩、さらにはキューリー夫人と娘イレーヌの間で交わされた手紙などが紹介されています。
 身の回りのさりげない事象を導入にして、背表紙のむこうの彼女たちとの邂逅を果たす堀江さんの語り口のうまさにも唸らされます。たとえば、学生時代に英文学の授業をさぼって名画座で二本立ての映画を観ていたら、その授業を終えた担当教授が隣の席に座り、そのときの映画「テス」の原作者であるトマス・ハーディの短篇を薦められます。それから何年か経ち、教授が急逝したことを知った堀江さんは、教授から薦められた短篇「アリシアの日記」が収録された本を図書館から借り出し、主人公のアリシアに出会うことになります。

 この本を読むまでは、今まで意識したことはなかったけれど、僕自身にとって、読書の動機のひとつが、本の中ですてきな女性たちに出会うためだったのだということはどうも確かなようです。本書で僕自身が近いうちに会いたくなった女性は、キャサリン・マンスフィールドの「園遊会」のローラ、小沼丹の推理小説「黒いハンカチ」の女性探偵、「更級日記」の著者など。そして、堀江さんにならって、僕も背表紙のむこうの彼女たちとの再会について、思いをめぐらせてみようと思います。たとえば、カーソン・マッカラーズの「心は孤独な狩人」のミックとか、川上弘美の「先生と鞄」のツキコさんとか、北村薫の「ターン」の真希さんとか、式子内親王とか・・・。
 本書の最後の文章は、そのまま僕の想いでもあります。

 彼女のいる背表紙は、背表紙のなかった時代の物語をもふくめて、これからもずっと、私のなかで増えつづけていくだろう。


6.なずな(2011)
集英社

 なずなの笑みは、彼女自身の世界だけをなごませるのではなく、この私の世界をもゆるませる。

 育児経験ゼロの中年男が、周囲の人たちに支えられながら赤ん坊と向き合い、奮闘する様子が暖かい筆致で描かれている長編小説です。育児の描写は育児書としても役にたつと思われるくらい具体的なので、とくに父親・母親予備軍の方々に一読をお奨めします。
 地方新聞の記者をしている菱山は40代半ばの独身ですが、弟夫婦の生れてまだ2ヶ月の女の子、なずなを預かることになります。弟が出張先のドイツで自動車事故に遭って入院、なずなの母はウィルス性の感染症で、こちらも入院となり、さらに双方の両親もそれぞれ事情があってというせっぱ詰まった状況だからでした。
 図らずもイクメンとなってしまった菱山は、なずなを介してそれまで未知だった人たちと知り合い、近所で開業している内科医のジンゴロ先生、先生の娘で離婚して医院の看護師をしている友栄さん、喫茶店「美津保」のママ、瑞穂さんなどのサポートを受けながら、ベビーカーになずなを乗せ、取材にも出かけるようになります。

 玄関に置いてあるベビーカーに彼女を乗せ、おむつの替えとウエットティッシュ、友栄さんに教えてもらった消毒ジェル、大小のタオル二枚を突っ込んだリュックを背負う。繰り返しだ。繰り返しが大切だ、と自分に言い聞かせる。繰り返しミルクを飲み、繰り返し便を出しているうちに、なずなは大きくなる。大人になって成長が打ち止めになった私も、地道に日々を繰り返していれば、きっとどこかにたどり着けるだろう。

 なずなは日々成長していきます。首がすわり、涙を流し、指を嘗め、笑うようになり、体重も6キロを超えるまでになります。
 菱山は、なずなを育てながら、擬似父子を応援してくれた人たちとの絆の大切さについて、新たな思いを抱くようになりますが、それは本書にこめた堀江さんのメッセージでもあるでしょう。

 血のつながった家族であろうとなかろうと、人は人とつながって生きていくしかない。


7.燃焼のための習作(2012)


 堀江さんは大好きな作家の一人ですが、中でも「河岸忘日抄」(2005)は一番好きな作品でした。この小説では、ある事情により、フランスの川の河岸に繋留(けいりゅう)されている全長18m、幅4mほどの船を借りて、つれづれなるままの暮らしをしていた主人公の"彼"が、枕木(まくらぎ)という日本に住む年上の友人と手紙を交わしていましたが、"彼"がアルバイト先で世話になり、かつて探偵事務所に勤めていたことがあるというこの年上の友人が、この最新長編小説のメイン・キャラクターとなっています。
 枕木は冴えない風采の51歳の独身。雑誌の編集や原稿書きをしていたこともあり、今は運河のある街の雑居ビルの4階の事務所兼住居で、便利屋のようなことをやっています。小説の場面は枕木の事務所の一室から動かず、登場人物は枕木の他には、助手として6年前から働いている30代半ばの郷子(きょうこ)さんと、事務所を訪れた依頼人の熊埜御堂(くまのみどう)氏の三人と、電話での会話相手のタクシー運転手の枝盛のみ。外では嵐が近づき、風雨がだんだんと激しくなっていく数時間の中で三人が交わす会話が主軸となっています。
 相談ごとがあり、なにかを依頼しにきたはずの熊埜御堂氏からは、断片的にしかそれらしい話が出ず、枕木もそれを促すことをせず、だから四方山話でスイッチバックのようにあっちこっちへ話が飛んだりして、なかなかその全容がはっきりしてきません。各人が繰り出す三者三様の話に寸断されながらも一貫して語られている主軸となる話題がいくつかあり、それらは、熊埜御堂氏の別れた妻子に関する依頼事項と、枕木と郷子さんが調査した「燃焼のための習作」が絡む、画家とお手伝いの女性との密やかな愛の話です。

 飲み屋のカウンターでもないのに、こんな会話のなにが自分を引き留めるのだろう、と熊埜御堂氏は胸のうちで不思議がっていた。地鳴りや地響きではなく嵐が静まるのを待っているだけで、こちらの境遇となんの関係もない話に耳を傾ける義務はどこにもないはずなのに。

 熊埜御堂氏が抱く感慨イコール読者のそれといえるのではないかと思いますが、会話主体の文章を目で追っていくにつれ、心地よい酩酊感ともいうべき境地になっていきます。人生経験を重ねた三人の呼吸を合わせたかのような会話に醸し出される、そこはかとない情感とユーモア、表現的には、会話の部分にカギ括弧(「 」)が使われていなくて、会話以外の地の文と混然となっていること、そして堀江さんの卓越した修辞力、そうしたことがあいまって会話の流れに身をゆだねる快感の要素となっているのではと思います。
 熊埜御堂氏だけでなく、枕木自身にとっても、この嵐の夜の会話は稀有のものでした。

 なにをしに来たのかわからなくなってしまったという熊埜御堂氏とおなじことが、いま枕木にも起きていた。いったい、自分は飽きもせず、ここでなにを聞き、なにを話しているのか。雨夜のなんとかにしては、色艶に欠ける。会話というものには流れがあるだけで中身はない、と枕木はつね日頃から考えていた。中身と呼ばれているのは、言葉に言葉を返し、沈黙を乗り越え、いっせいに声を出してまた黙ることを反復しているうちだんだん形になってくるもので、川だって運河だって、そんなふうにしてできあがったのである。見えたり見えなかったり、歩いているうちに光を照り返す水面が切れ切れに反射して、ひとつづきの流れの存在が察知できる。

 枕木と一緒にいると、なんだか自分ばかりがしゃべっているような気がしてくるという郷子さんと枕木とは、この先、男女の間柄としてもうまくやっていけそうな気がします。


(参考)パリの廃墟(1977)/ジャック・レダ 訳:堀江敏幸
みすず書房 '01年初版

この世の目的はたったひとつ、休むことなくみずからを輝かせることだ、そう、絶望のなかにおいてまで。

 ジャック・レダは、1929年生まれのフランスの詩人。ジャズ・ファンの彼は、2000枚以上のCDを所有し、そしてウディ・アレンの映画を愛し、熱狂的なケルアック・ファンでもあります。「パリの廃墟」が彼の散文による最初の作品とのことですが、詩と散文が融合したこの作品はどこから読んでもいいし、どこで本を閉じてもいい。文章から立ちのぼるイメージを反芻しながら読むのがふさわしく、一気に読んでしまうには、あまりにもったいない書物なのかもしれません。堀江さんによる翻訳もおそらくは原文の香りをそこなわないこれ以上は望めないものであると思います。
 彼はひたすらパリを歩きます。異端の散歩愛好者として。トゥルネル通りを、デヌエット通りを、メーヌ通りを、リュクサンブール公園を、コンコルド広場を、エトワール広場からアルマ橋を、舗石を敷きつめた埠頭を、ロン=ポワンの雑踏を.......

 それからまた、私は歩きはじめる。歩いている男に絶望は存在しない、ただ本当に歩いてさえいれば、そしてたえず振り返っては他人とつまらぬおしゃべりに興じ、同情し、目立とうとするのでなければ。

 小刻みに震える工事現場の蒼鉛色の泥のなかを、ひどく黒ずんだ鉄橋に通じる階段を、ベルヴィル通りの、すっかりならされた廃墟のなかを、水門と薄暗い暗渠が口を開けているほうへ、通りがかりに石のあいだで端々しい輝きを放つ、こぢんまりと密生する草々に手を触れながら彼は歩いていく、ルソーの彫像の裏のパンテオンに沿って......

 かくて私は歩みをつづける、ピチカートで。私は幸せなのだろうか? 悲しいのだろうか? なにかの謎に、意味にむかって歩いているのだろうか? あまり考えすぎないことにしよう。私はもはや、希望のごとく張りつめ、愛のごとく満ち足りた、あの基本和声のふるえにすぎないのだから。


140文字紹介:Twitter投稿
○あとは切手を、一枚貼るだけ(2019) 小川洋子との共著

大好きな作家二人のコラボによる14通の往復書簡からなる物語。
二人の間では、事前に全体の大まかな設定しか決めていなかった気がする。
互いの手紙に触発され、喚起された詩的イメージを小説という枠の中にコラージュして出来上がった珠玉作品。

私たちが交わしているのは、世界を成り立たせる、あらゆる事象たちの会話の一部分であり、誰一人すべてを読むことは叶わない壮大な叙事詩の、途中の1ページに出てくるわずかな数語です。
七通め/小川洋子

○土左日記(935頃)/紀貫之 堀江敏幸 新訳

貫之は当時最高の歌人で、国司として赴任していた土佐国から帰京する船旅を日記風に綴っています。

女性を装ってひらがなで書かれていて、堀江さんは今回大胆に加えた ”貫之による緒言” で「私は男にもなり、女にもなる」と語らせていて、まさにメタ小説。


参考Webサイト

 ○堀江敏幸 関連出版
 

主要作品リスト  

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