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児童文学の名作をペーパーバックで

これからペーパーバックを読んでみようという人にとって、比較的やさしい英語で書かれた児童文学から取りかかってみるというのも、効果的な方法の一つだと思います。でもそれだけにとどまらず、児童文学の名作は大人が読んでも充分に面白く、子供のときとは別の視点からもう一度、かつて親しんだ本を読み返すことも意義のあることなのではないかと思います。


沈黙。物音ひとつ聞こえない夜。そういう情景を想像しただけで胃が固くこわばってしまう。「不思議の国のアリス」に出てくる気違い帽子屋のお茶会の方がずっとましだった。
「ダンス・ダンス・ダンス」/村上春樹


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ハリー・ポッター・シリーズはこちら、赤毛のアンはこちらで紹介中です。
The Secret Garden 秘密の花園(1909)/Fraces Eliza Burnett フランシス・エリザ・バーネット
(映画)秘密の花園 The Secret Garden(米・1993)
Charlie and the Chocolate Factory チョコレート工場の秘密(1964)/ Roald Dahl ロアルド・ダール
(映画)夢のチョコレート工場 Willy Wonka & the Chocolate Factory(米・1971)
Matilda マチルダはちいさな大天才(1988)/ Roald Dahl ロアルド・ダール: ロアルド・ダールのページで紹介
Tom's Midnight Garden トムは真夜中の庭で(1958)/ Philippa Pearce フィリッパ・ピアス
Little Women 若草物語(1868)/ Louisa May Alcott ルイザ・メイ・オルコット
(映画)若草物語 Little Women(米・1933/1949/1994)
Howl's Moving Castle 魔法使いハウルと火の悪魔(1986)/ Diana Wynne Jones ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
・(アニメ映画)ハウルの動く城(日・2004)
Peter Pan(Peter and Wendy) ピーター・パン(1911)/J.M. Barrie ジェイムズ・バリ
・(アニメ映画)ピーターパン Peter Pan(米・1953)
・(関連映画)フック Hook(米・1991)
 

The Secret Garden 秘密の花園(1909)/Fraces Eliza Burnett フランシス・エリザ・バーネット
  難易度:☆☆  

英国統治下のインドで両親と贅沢に暮していた10歳のメアリーだったが、両親がコレラで急死し、ヨークシャーの屋敷に住む一度も会ったことのない伯父の元に預けられます。仕事に、パーティーに忙しかったメアリーの両親は娘に無関心で、インド人の召使いにかしずかれて育った彼女は、わがままで、"つむじ曲がりのメアリー"とあだ名されるくらい意地っ張りだった。
やがてメアリーは、屋敷に二つの秘密があることに気づく。それらは、この10年間誰も入ったことのない鍵のかかった秘密の花園と、もうひとつは、時々屋敷の中で聞こえる泣き声だった。

メアリーが、秘密の花園の鍵を手に入れて、初めて花園の中に足を踏み入れたときの描写から(第9章);
メアリーは、いつでも好きなときに来れる自分だけの世界を見つけたように感じます。ただ花園のばらが枯れているのではないかと心配でした。「もし花園がみんな生きているのだったら、どんなにか素敵なのに! そしたら何千本ものばらが一面に茂るのに!」

 "How still it is!" she whispered. "How still!"
 Then she waited a moment and listened at the stillness. The robin, who had flown to his treetop, was still as all the rest. He did not even flutter his wings; he sat without stirring, and looked at Mary.
 "No wonder it is still," she whispered again. "I am the first person who has spoken in here for ten years."
 She moved away from the door, stepping as softly as if she were afraid of awakening some one. She was glad that there was grass under her feet and that her steps made no sounds. She walked under one of the fairy-like gray arches between the trees and looked up at the sprays and tendrils which formed them. "I wonder if they are all quite dead," she said. "Is it all a quite dead garden? I wish it wasn't."
 If she had been Ben Weatherstaff (*) she could have told whether the wood was alive by looking at it, but she could only see that there were only gray or brown sprays and branches and none showed any signs of even a tiny leaf-bud anywhere.
 But she was inside the wonderful garden and she could come through the door under the ivy any time and she felt as if she had found a world all her own.
 The sun was shining inside the four walls and the high arch of blue sky over this particular piece of Misselthwaite seemed even more brilliant and soft than it was over the moor. The robin flew down from his tree-top and hopped about or flew after her from one bush to another. He chirped a good deal and had a very busy air, as if he were showing her things. Everything was strange and silent and she seemed to be hundreds of miles away from any one, but somehow she did not feel lonely at all. All that troubled her was her wish that she knew whether all the roses were dead, or if perhaps some of them had lived and might put out leaves and buds as the weather got warmer. She did not want it to be a quite dead garden. If it were a quite alive garden, how wonderful it would be, and what thousands of roses would grow on every side!
(*) Ben Weatherstaff : 屋敷の庭師

 荒れた庭を再生させるため、メアリーは一生懸命に庭の手入れをするようになります。そしてメイドのマーサの弟ディコンと、彼女と同い年のいとこで病弱のコリンも仲間に加わり、メアリーは生まれて初めて人を好きになったり、好かれたりする経験を持つことになります。
 バーネットの「小公子」や「小公女」は小さい頃に読んだ記憶があるけど、「秘密の花園」は今回初めて読みました。文句なしに面白かった。児童向けというジャンルにとどまらない傑作だと思います。メアリーのキャラクターが、素直で、明るくて、優しいといった、いわゆる優等生的でないのが、なによりいい。だからこそ、同じようにつむじ曲がりのコリンの心を開くことができたのだろう。それと思ったのは、子どもの心身の健康には(大人もそうかもしれないけど)、自然との触れ合いが大切なんだろうな、ということ。
 
病弱なコリンが、秘密の花園で、自分で作った丈夫になる魔法の呪文を唱える場面 ;

"Then I will chant," he said. And he began, looking like a strange boy spirit.
"The sun is shining--the sun is shining. That is the Magic.
The flowers are growing--the roots are stirring. That is the Magic.
Being alive is the Magic--being strong is the Magic.
The Magic is in me--the Magic is in me. It is in me--it is in me. It's in every one of us. It's in Ben Weatherstaff's back. Magic! Magic! Come and help!"
 

(映画)秘密の花園/ The Secret Garden(1993 米)
(監)アニエシュカ・ホランド (演)ケイト・メイバリー、ヘイドン・プラウス、マギー・スミス

 私は、子どもの頃に好きだった場所を今もよく夢に見るし、その風景が自分の心をかたち作っているのだという実感を持っている。この映画の中に現れる、庭や荒地の姿は、日本とはまるでちがう風土であるはずなのだけれど、なぜか私の記憶の風景と触れ合うものがあった。
ボーイズ・イン・ザ・シネマ」/湯本香樹実


 製作総指揮をコッポラがとったそうですが、映像がとても見事な映画です。広壮な叔父の屋敷、だけど主人であるメアリーの叔父の心を反映しているかのように荒れ果てた部屋、ヨークシャーの広大な自然、そして秘密の花園の季節の変化など、原作のイメージを損なうことなく描写されていて、映像だけでも一見の価値があると思います。屋敷に来た当初は、不器量で、プライドが高く、意地っ張りのメアリーは、映画では性格、外見ともに小説から受ける印象よりは、ずいぶんと可愛くなっているようでした。若いメイドのマーサ、メイド長のメドロック夫人(マギー・スミス)、コリン(ヘイドン・プラウス)などの脇役陣もとてもすばらしかった。それに優しい音楽もよかった。悪役の登場しない、万人におすすめの癒しの映画です。

My uncle learned to laugh and I learned to cry. The secret garden always opens now.
叔父様は笑うことを知り、わたしは泣くことを知った。今では秘密の花園はいつも開いている。


Charlie and the Chocolate Factory チョコレート工場の秘密(1964)/ Roald Dahl ロアルド・ダール
  難易度:☆ 

初めての強烈な読書体験といえば、ロアルド・ダールの「チョコレート工場の秘密」である。文字通り、夕飯を食べるのも忘れて読み耽った。
三月は深き紅の淵を」/恩田陸


 チャーリーの家族は両親と祖父母が4人の全員で7人で、狭い家に住み、食べるのがやっとというくらい貧しくて、チャーリーの大好物のチョコレートも誕生日の日だけしか食べられないくらいでした。でも貧しくてもみんなで仲良く暮していたんです。
 チョコレートが何よりも好きなチャーリーにとって辛かったのは、この町には、実際チャーリーの家から見えるんだけど、世界一大きくて、有名なワンカ氏のチョコレート工場があって、その半マイル(800m)四方の空気が溶けたチョコレートのふくよかな甘い香りに満ちていたからなんだ。ちょっと想像してごらんよ。

 In the town itself, actually within sight of the house in which Charlie lived, there was an ENORMOUS CHOCOLATE FACTORY!
 Just imagine that!
 And it wasn't simply an ordinary enormous chocolate factory, either. It was the largest and most famous in the whole world! It was WONKA'S FACTORY, owned by a man called Mr Willy Wonka, the greatest inventor and maker of chocolates that there has ever been. And what a tremendous, marvellous place it was! It had huge iron gates leading into it, and a high wall surrounding it, and smoke belching from its chimneys, and strange whizzing sounds coming from deep inside it. And outside the walls, for half a mile around in every direction, the air was scented with the heavy rich smell of melting chocolate!

 ワンカ氏の工場からはチョコレートが続々と出荷されるけど、誰もワンカ氏も工場で働く人間も見た者はいませんでした。
 ある日、ワンカ氏がこの秘密工場に5人の子供と保護者を招待し、自身で案内した上、帰りのお土産に一生分のお菓子をプレゼントするとのニュースが全世界をかけめぐり、金色の招待券が入っているワンカチョコを引き当てようと、世界中が大騒ぎとなります。
 招待券を引き当てたのは、大金持ちのわがまま娘、大食いしん坊の太っちょ少年、ガム大好き少女、TVに夢中のハードボイルド・ボーイ、それに貧しくても清く正しいチャーリー君でした。彼らがワンカ氏の案内で工場の中でみた驚くべき秘密の数々......

 大人が読んでも充分面白いけど、小学生低学年くらいの子供には絶対うけると思います。不思議なお菓子や何やらがいろいろと出てきて、あっ!というびっくりの連続で、特徴のあるキャラクターぞろいで、リズムがあって歌もあって、語り口が絶妙で、ついでにちょっとダールらしい毒もあったりして... 夢中になること間違いなし。
 
ウンパ・ルンパ達(何?)の歌もなかなか痛烈ですが、とくにテレビについて歌っている個所はここだけ大文字で強調されています。

IT ROTS THE SENSES IN THE HEAD! 
IT KILLS IMAGINATION DEAD!
IT CLOGS AND CLUTTERS UP THE MIND!
IT MAKES A CHILD SO DULL AND BLIND
HE CAN NO LONGER UNDERSTAND
A FANTASY, A FAIRYLAND!
HIS BRAIN BECOMES AS SOFT AS CHEESE!
HIS POWER OF THINKING RUST AND FREEZE!
HE CANNOT THINK ― HE ONLY SEES!
テレビは五感をダメにするのさ!
そいつは想像力をぶっ殺す!
そいつは心を鈍らせ乱す!
そいつは子どもをぼんやりにし目をくらます
もうファンタジーや妖精の国のことがわからなくなってしまう!
脳みそがチーズみたいにふにゃふにゃになってしまう!
思考力がにぶって、働かなくなってしまう!
もう考える事ができなくなって ― ただ見てるだけ!

(試訳)

こうした思いはダール自身の本音なんだろうし、児童向けの本を書こうという動機にもなっているのではないかと思います。少なくてもこの本を読んでいる間だけはテレビを見ようなんていう気にはなれないだろうけど。

ロアルド・ダールの紹介ページで、「Mtilda/マチルダはちいさな大天才」を紹介しています。
 
(映画)夢のチョコレート工場/ Willy Wonka & the Chocolate Factory(1971 米)
(監)メル・スチュワート (脚)ロアルド・ダール (演)ジーン・ワイルダー、ジャック・アルバートン、ピーター・オストラム、ロイ・キニア

  原作の面白さには及ばないけれど、楽しい作品です。ミュージカル仕立てとなっていて、歌詞は原作のものとは違っていますが、ウンパ・ルンパ達の歌が聴けるのはうれしい。
 ダール自身が脚本を書いていますが、映画では原作とは少々趣を変えたアプローチをしてみようと思ったのではないか。ワンカ氏を演じたジーン・ワイルダーの個性にもよるけど、シュール度、ブラック度が原作よりきつくなっていて、セットもいささか貧弱だったりして、全体として低予算B級SF映画的になっているのは、当初から意図したことだと思います。特撮を駆使して大娯楽作品にリメイクしても、面白いと思うのだけど。


 ■Tom's Midnight Garden トムは真夜中の庭で(1958)/ Philippa Pearce フィリッパ・ピアス
    
 この作品は大人が読んで充分楽しめる児童文学の名作で、イギリスで最も権威のある児童文学賞であるカーネギー賞を受賞しています。
 弟のピーターがはしかに罹(かか)ったため、感染しないようトムは叔父夫婦の家に預けられます。真夜中、階下の大時計があるはずのない13時を打つのを聞いたトムはベッドを抜け出し、裏口の戸を開けると、目の前には月の光に照らされた美しい庭が広がっていました。広い芝生、花壇、もみやイチイの木が茂り、大きな温室がありました。

.... : a great lawn where flower-beds bloomed; a towering fir-tree, and thick, beetle-browed yews that humped their shapes down two sides of the lawn; on the third side, to the right, a greenhouse almost the size of a real house; from each corner of the lawn, a path that twisted away to some other depth of garden, with other trees.
(fir-tree:もみの木  yew:イチイの木 beetle-browed:太く突き出た)
 
 昼間はゴミ箱やら車が置かれた殺風景な空き地が、真夜中には美しい庭園に変わる事を知ったトムは、毎晩庭を訪れるようになります。そしてそこでハティという幼い女の子と友達となり、一緒に遊ぶようになります。毎夜トムが訪れる度に、庭の季節は移りゆき、ハティも成長していくようでした。そしてトムが庭にいる間、庭の外の世界では時が少しも進んでいないことにも気づきます。
 「僕は永遠にだって庭にいることができるんだ。今晩にだって試してみることができるんだ。ほんの2,3日とか2,3週間、たぶん1年だって。そして飽きたら、その時にはいつだって戻って来れるんだ。」
 
 'I could stay in the garden for ever,' Tom told the kitchen clock, and laughed for joy; and then shivered a little, because 'for ever' sounded long and lonely. 'But, anyway,' he reasoned, 'tonight I could try it out: I could stay just a few days or a few weeks or a year perhaps; but if I get tired of it' ― he really meant, if he grew homesick ― 'well, then, I can always come back.
 
 まず、トムやハティの心の動きと行動とが実に生き生きと描写されているのに驚かされます。児童文学作品でも、実在感のある子供たちに出会うことはなかなか得がたいのだけど、トムやハティや弟のピーターは、その稀有な例だと思います。それから、四季折々の庭の描写が素晴らしいことも特筆すべきでしょう。自然の息づかいが聞こえてきそうなほど。
 幼かった日々をありありと夢見ることができる人はそれだけで幸せなんだろうと思います。過去を夢見ているとき、遠い思い出に耽(ふけ)っているとき、大時計の振り子に刻まれた言葉"Time No Longer"が示すように、時間はもはや存在しないのではないか。時が経過し、子どもから大人へと成長することにより失ってしまうものへの悲しみ、そしてまた老いるということは、思い出を蓄積していくということでもあるのだと気づかされました。さわやかな感動を得たい方におすすめの作品です。
 
(関連音楽)
トムとハティが樹上の家を作って遊んでいる時、ハティはアイルランドのトラディショナル・ソング「モリー・マローンのバラード」を口ずさんでいました。
 
Hatty, as she worked, was singing to herself from hymns and songs and ballads. Now she was singing the end of the ballad of Sweet Molly Malone:

Her ghost wheels her barrow
Through streets broad and narrow,
Singing, 'Cockles and Mussels,
Alive - alive-oh!'

モリーの幽霊が手押し車を引く
広い通りを、狭い路地を通って、
「新鮮なトリ貝にカラス貝はいかが!」
And Hatty continued to hum and murmur, under her breath, the refrain: 'Alive - alive-oh! Alive - alive-oh!'

かわいいモリー・マローンはダブリンの魚屋の娘。高熱で死んでしまったけれど、彼女の幽霊が手押し車を引いて貝を売り歩く。
この歌はダブリンの街を象徴する歌として知られていて、スポーツイベントの際にも歌われたりするらしい。
 

Little Women 若草物語(1868)/ Louisa May Alcott ルイザ・メイ・オルコット
難易度:☆☆ 

 オルコット(1832−1888)の自伝的要素の濃い作品です。父親が南北戦争の従軍牧師として戦地に赴き、家には母と四人の娘たち(おだやかで美しい長女メグ、作家志望でお転婆の次女のジョー、病身で音楽が好きな超内気な三女メグ、気どりやの末っ子エミリー)が残されます。物語はクリスマス・イブの場面から始まりますが、このときメグが16歳、ジョーが15歳、ベスが13歳、エーミーは12歳でした。
 130年も前の理想的な家庭像を描いた作品ということで、随所に出てくる説教調の個所など微苦笑ものだけど(レトロ的で結構おもしろいという面もあり)、この作品の最大の魅力はなんといっても4人姉妹の個性が鮮やかに描き分けられていることだと思います。それぞれ性格の弱点を持ちながらも、それらを克服しようと成長し、がんばっている姿は感動を誘います。中でもオルコット自身の反映であるジョーはとりわけ魅力的に描かれていて、まだ女性の地位の低かった当時の状況(女性参政権がなかった)の中で、社会に抑圧されず自由に生きようとする女性の原型として、その後の多くの少女物語に姿を変え登場することになります。

 エーミーとジョーが言い合いをしているのを、メグがジョーに大きいのだから行儀よくしなさいと姉らしくたしなめ、これに対しジョーが自分は大人になんかなりたくない、遊びも仕事も男の子のようにやりたい、男の子でなかったのがくやしい、父と戦争に行って一緒に戦いたいのに、などと反発する場面 ;

 "Really, girls, you are both to be blamed," said Meg, beginning to lecture in her elder-sisterly fashion."You are old enough to leave off boyish tricks, and to behave better, Josephine. It didn't matter so much when you were a little girl, but now you are so tall, and turn up your hair, you should remember that you are a young lady."

 "I'm not! And if turning up my hair makes me one, I'll wear it in two tails till I'm twenty," cried Jo, pulling off her net, and shaking down a chestnut mane. "I hate to think I've got to grow up, and be Miss March, and wear long gowns, and look as prim as a China Aster! It's bad enough to be a girl, anyway, when I like boy's games and work and manners! I can't get over my disappointment in not being a boy. And it's worse than ever now, for I'm dying to go and fight with Papa. And I can only stay home and knit, like a poky old woman!"

 ジョーの大望は、なにかすごくすばらしいことをすることだったが、それが何なのかは彼女にもまだわからず、それをいつか時が教えてくれるのにまかせていた。そして一方では、ジョーの最大の悩みの種は好きなだけ読んだり、走ったり、馬に乗ったりすることができないということだった。ジョーの短気で、辛らつで、落ち着きのない性分は彼女をいつも窮地に追い込み、彼女の生活はこっけいさと哀しさとの間を行ったり来たりの連続だった。

 Jo's ambition was to do something very splendid. What it was, she had no idea as yet, but left it for time to tell her, and meanwhile, found her greatest affliction in the fact that she couldn't read, run, and ride as much as she liked. A quick temper, sharp tongue, and restless spirit were always getting her into scrapes, and her life was a series of ups and downs, which were both comic and pathetic.

 物語では、隣の裕福なローレンス家の15歳のローリー少年や彼の祖父との交流、パーティー、父とベスの病気、メグの婚約などのエピソードと姉妹の成長ぶりが語られていきますが、僕はジョーよりは、儚(はかな)げなベスに惹かれました。きっとこの思いはローリーの祖父がベスに抱いた感情に近いのだろう。
 「若草物語」は、その後オルコットにより「続若草物語」(1869)、「第三若草物語」(1871)、「第四若草物語」(1886)と書き継がれています。
 

(映画) 若草物語/ Little Women(1994、1949、1933 米)
過去に5回ほど映画化されているようです。以下に紹介する3作品はいずれも原作に沿ったストーリー展開で、それぞれ映画化として成功していると思います。
製作年・監督・配役 コメント
'94年・米作品
(監)ジリアン・アームストロング
(演)ウィノナ・ライダー(ジョー)、トリニ・アルバラード(メグ)、クレア・デーンズ(ベス)、キルスティン・ダンスト(幼いエーミー)

 舞台は南北戦争当時だけど、姉妹たちの感情は現代の我々に近く描かれているようで、ウィノナ・ライダーの今風に自意識過剰気味のジョーも過去のジョー達みたいなお転婆ぶり発揮とはいかないようです。
 とはいっても、やはり紹介している3作品のうちで、一番しっくり合ったのはこの映画でした。4人姉妹それぞれが好演しているし(アカデミー主演女優賞にノミネートされたウィノナ・ライダーと幼いエーミーを演じたキルスティン・ダンストがとりわけ光っていた)、無理なく感情移入が出来ました。
 雪景色など、四季折々を描写した映像がとても美しいのも特筆すべきで、誰にも薦められる映画です。
'49年・米作品
(監)マービン・ルロイ 
(演)ジューン・アリスン(ジョー)、ジャネット・リー(メグ)、エリザベス・テイラー(エーミー)、マーガレット・オブライエン(ベス)
 ジョー役のジューン・アリスンもハスキーな声で男っぽくて、なかなかの好演ですが、やはりエーミー役のエリザベス・テーラーが目立っています。エーミーは原作では末っ子ですが、この映画では3女に設定されていて、これも多分リズに合わせた為なのではないかと思われます。
'33年・米作品(白黒)
(監)ジョージ・キューカー
(演)キャサリン・ヘップバーン(ジョー)、フランシス・ディー(メグ)、ジーン・パーカー(ベス)

 キャサリン・ヘップバーン演ずるジョーは、取り上げた映画の中では最も原作のイメージに近いと思います。彼女の舞台で鍛え上げた演技は他を圧するものがあり、さすがです。公開当時、大ヒットしたということもなるほどと思われます。

Howl's Moving Castle 魔法使いハウルと火の悪魔(1986)/ Diana Wynne Jones ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
難易度:☆☆ 

 アニメ映画「ハウルの動く城」(2004)の原作です。

 In the land of Ingary, where such things as seven-league boots and cloaks of invisibility really exist, it is quite a misfortune to be born the eldest of three. Everyone knows you are the one who will fail first, and worst, if the three of you set out to seek your fortunes.

 インガリー国には、7リーグ(約34km)を一駈けの靴とか、着ると姿が見えなくなるコートとが、ほんとにあるんです。そして、この国で三人姉妹のいちばん上に生まれることは、ものすごく運の悪いことでした。三人姉妹のそれぞれが幸運を掴(つか)もうとすると、最初に、それもひどくしくじるのは、いつだって長女だってことを、誰もが認めていたんです。(試訳)

 物語の冒頭の文章ですが、インガリー国で帽子屋を営むハッター家の三人姉妹の長女がソフィーでした。
 父親の死後、18歳のソフィーの二人の妹たちは、それぞれ魔法使いの弟子になったり、パン屋に就職したりで、家を出ますが、長女のソフィーは家に残り、義母の帽子屋の手伝いをしていました。ある日、店に現れた荒地の魔女により90歳の老婆にされてしまったソフィーは、家を出て荒野をさまよっているときにハウルの動く城に出会って転がり込み、掃除婦として居座ってしまいます。
 魔法使いハウルは、若い女の子の心を吸い取ってしまうとインガリーの人たちから恐れられていましたが、ソフィーが知ったハウルは、魔法の腕前は確かだけど、それ以外は女の子を追い回すことしか能のない、臆病で自己中心的な若者でした。
 城には、ハウルとの契約により城から離れられない火の悪魔、カルシファーと、孤児でハウルの弟子のマイケルがいました。カルシファーは、ソフィーに、ハウルとカルシファーの契約の秘密を見破れば、ソフィーにかけられた魔女の魔法を解いてやると持ちかけます。

 "How about making a bargain with me? I'll break your spell if you agree to break this contract I'm under."
 Sophie looked warily at the demon's thin blue face. It had a distinctly cunning look as it made this proposal. Everything she had read showed the extreme danger of making a bargain with a demon. And there was no doubt that this one did look extraordinarily evil. Those long purple teeth. "Are you sure you're being quite honest?" she said.
 "Not completely," admitted the demon. "But do you want to stay like that till you die? That spell has shortened your life by sixty years, if I am any judge of such things."

 アニメでもそうだったけど、ソフィーとカルシファーのやりとりが、とても面白かった。

 ソフィーは、老婆にされる前は、おとなしく、強く自己主張することもなく、"長女だからしかたがないんだわ It comes of being the eldest, you just can't win."と、自分の未来を半ばあきらめていましたが、老婆にされてからは、開き直ってだろうけど、それまでとはがらりと変わって、途端に口うるさくなり、そして行動的で生き生きとして、ハウルの城を半ば取り仕切ってしまうくらい大活躍する様子がとても楽しい。映画のソフィーばあさんより、ずっとタフな感じでした。
 ラストは、あれよあれよという感じのジェットコースター的な大団円となって、あっけなく終わってしまい、やや強引な感じが否めませんでしたが、でも万事メデタシメデタシでよかった。
 ストーリー的には、ハウルが生まれ育ったところの世界と、インガリーとの関係について気になりましたが、この種明かしは続編の方でされるのかな。
 
(アニメ映画)ハウルの動く城(2004)
(監督・脚本)宮崎駿 (原作)「魔法使いハウルと火の悪魔 Howl's Moving Castle(1986)/ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
(音)久石譲 (声)倍賞千恵子(ソフィー)、木村拓哉(ハウル)、美輪明弘(荒地の魔女)、我修院達也(カルシファー)、神木隆之介(マルクル)

 待ってて 私、きっと行くから。 未来で待ってて

 物語の枠組みは原作とほぼ同じでしたが、内容はあくまで宮崎アニメでした。
 原作との対比でまず気づくのは、ハウルの性格付けの違いで、原作でのハウルは、かわいい女の子をくどくのに夢中で、老婆になったソフィーが城に居付いたのにも、なかなか気づかないという、心ここにあらずの自己中心的で臆病な若者という面が強調されていたけど(ある意味で核心なんですが)、アニメではハウルが女の子に夢中になるということはなく、最初からソフィーを守るという意志を持っていたように思えたし、相当のナルシストではあったけど、臆病という面でも、戦うのが嫌だったのであって、決して怖がりではなかった。
 原作では、主題として組み込まれていなかった家族愛が、アニメでは強調されていました。家族といっても、ここで描かれている家族は血のつながらない擬似家族で、ハウル、マルクルは孤児だったし、ソフィーの父母も死んでしまっている。さらに、カルシファー、カブ、ヒン、魔女まで加わっての大家族が、老婆のソフィーを核にして次第に出来上がっていく過程が描かれていて、守るべき人がいて、愛する人がいれば、それこそが家族なんだという直截なメッセージが心を強く打ちました。
 あっというまの大団円は原作譲りで、後々まで余韻を残すということでは同じだったなと思いました。

 千尋にしても、もののけ姫にしても、過去の宮崎アニメでは、すべてメデタシメデタシというエンディングではなかったけど(たとえば、千尋は冒険の記憶をなくしてしまう)、ハウルについては完璧なハッピーエンディングになっていて、もちろん原作に沿ったストーリー展開だからなんだろうけど、おそらくは企画の段階から、今回は徹底してエンターテイメントでいこうという宮崎監督の意図があったのだと思います。こういう志向は、個人的には大歓迎で、宮崎アニメの定番である乗り物(今回はなんといってもハウルの城)、空中散歩、街・風景描写を含め、無条件で楽しめました。ハウルのイケメンぶりも特筆すべきで、少女コミックのヒーローそのままのキャラクターづくりでしたが、あのイメージを損なわないためには、まったく無名の声優か、あるいは見目麗しい俳優を起用する必要があったのでしょう。そういった意味でもキムタクはよかったと思う。
 
(付録)FAQ(よくある質問) 独断と偏見による回答集(ネタバレ注意)
 
Q1:場面で、ソフィーがおばあさんになったり、元の少女に戻ったりするのはどうしてでしょうか?
(回答)魔法が解けていないので、見た目はもちろんおばあさんですが、ソフィーのそのときそのときの心の内面の変化をアニメ的に表現したものでしょう。たとえば寝ているときは、夢の中では少女の姿に戻っているので少女の寝顔だったんですね。
 
Q2:おしまいにソフィーは、もとの女の子にちゃんともどったの?
(回答)ソフィーは、カルシファーとのやくそくをまもったので、ちゃんともどったたはずですよ。
 
Q3:「未来で待ってて」とはどういう意味なのだ?
(回答)ソフィーが過去にタイムスリップして、まだ少年だったハウルとカルシファーとの契約の秘密を知るという映画のハイライト・シーンでの言葉したが、ハウルの秘密を知ったソフィーは、自分が現在(過去においては未来)に戻ってカルシファーとの契約を成就することにより、カルシファーをハウルから解放させることだけでなく、ハウルに心を取り戻させることができると確信したんですね。この辺は原作を読むとよくわかりますが、原作と違って、青年ハウルには心がない、ということがアニメでは希薄なのでわかりにくいんだと思います。
 
Q4:ハウルは、ソフィーが魔法でおばあさんにさせられていたのを、いつ知ったのかしら?
(回答)冒頭でのソフィーとの出会い(原作にはないエピソード)は偶然ではなく、ハウルがソフィーを探していた結果だったのではないかと思っています。ハウルは、彼が小さい時にカルシファーと出合った、まさにその時に忽然と現われ、消えた不思議な少女と、彼女の残した言葉のことを忘れているはずがなく、その後もずっと探していて、この日ようやく探し当てたのではないか。それにハウルは腕のたつ魔法使いだから、ソフィーが老婆にさせられたということも、かなり早い時期にわかっていたのではないかと思いますよ。
 

Peter Pan(Peter and Wendy) ピーター・パン(1911)/J.M. Barrie ジェイムズ・バリ
   難易度:☆☆ 

 初め舞台劇として上演され大成功をおさめ、後にバリ自身により小説化されたファンタジーです。「ピーター・パン」物語の誕生のいきさつについては、映画「ネバーランド」で描かれていました。

 I don't want to be a man.
 No one is going to catch me and make me a man.
 僕は大人になんかなりたくない。
 だれも僕をつかまえて大人にすることはできないんだ。

 ロンドンに住むダーリング家の姉弟、長女のウェンディと兄弟のジョンとマイケルの三人の子供は、妖精ティンカー・ベルをお伴(とも)に窓から入ってきた永遠の少年、ピーター・パンに誘われて夢の国、ネバーランドに飛び立ちます。目指す方角は、"Second to the right, and straight on till morning. 二つ目の角を右に曲がって、それから朝までまっすぐ"。
 ネバーランドは、さんご礁の海に囲まれた島で、妖精、人魚、インディアン、海賊船、猛獣それに迷子の少年たちがいました。ネバーランドで冒険を楽しんでいた子供たちでしたが、ピーターに恨みを抱く海賊船のフック船長に誘拐され、救いに駆けつけたピーターはフックと決闘となります。

 誰もがあらすじくらいは知っている有名なファンタジーですが、小さい頃に絵本やディズニーのアニメ映画で接しただけで、原作を読んだのは今回が初めてでした。もともとの舞台作品が子供を対象に書かれたわけではないのと同様に、小説も大人が読んで充分楽しめる内容となっています。
 興味深いのはなんといっても大人になることを拒否したピーターのキャラクターですが、ピーター自身の言葉によれば、彼は生まれた日に家から逃げ出して長いこと妖精たちと一緒にいたんだとのことで、なぜ逃げたかというと父親と母親が自分が大人になったらなんになるのか話しているのを聞いて、いつまでも子どもでいて楽しいことをしていたいからとのことでした。彼の子供っぽさを示す特徴として、気まぐれ、うぬぼれ、でまかせを言う、向こう見ず、忘れっぽい、性的なことへの無知・無関心、全部乳歯、文字を読み書きできない、などが挙げられます。
 ピーター・パンが少年でありつづけようとする限り、彼はネバーランドで、いつまでも"ごっこあそび make-believe"を続けることでしか自分の居場所を見つけることができないのだと思います。

 ピーターと対照的なのが、早く大人になりたいと願う少女ウェンディで、彼女はネバーランドでの"ごっこあそび"の中でも、"お母さんごっこ"の母親役を果たすことに大きな喜びを感じていました。ネバーランドから戻ったウェンディは、その後何年かは春になるとピーターが迎えにきて一緒にネバーランドに行きますが、やがてピーターはやって来なくなります。これはピーターが忘れたからというよりも、ウェンディのほうが成長してピーターを思い出さなくなっていったためではないかと思います。
 やきもち焼きで、上品とはいえないティンカー・ベルも憎めないキャラクターで魅力ですが、妖精は子どもが彼らの存在を信じることにより生き続けることができ、ピーターがウェンディの妖精についての質問に「最初に生まれた赤ん坊が、初めて笑うとね、その笑い声が細かいかけらに砕けて、みんなそこらじゅうに跳ね回って、それが妖精の誕生なんだ」と答えていたのが印象的でした。

 ... , and he told her about the beginning of fairies.
 "You see, Wendy, when the first baby laughed for the first time, its laugh broke into a thousand pieces, and they all went skipping about, and that was the beginning of fairies."

 フック船長がパブリック・スクール出のエリートのなれの果てのスタイリストだったり、妖精ティンカー・ベルがウェンディに猛烈に嫉妬して"You silly ass."などと悪態をついたり、ダーリング家の極めて有能な乳母がニューファウンドランド犬のナナだったのは一家の苦しい財政事情のためだったり、子供たちがネバーランドへ行ってしまった後、ダーリング氏が大いに反省してナナの犬小屋に入ってしまったことなど、アニメでは描かれていなかったところも楽しめました。

(参考)
映画「ネバーランド」('04・米)紹介
  
・「ピーターパン・シンドローム」(1983)/ダン・カイリー
 大人になりたくない(なれない)現代のピーター・パン人間の心理分析と、彼らへの処方、周囲の対応などについて述べられています。ピーター・パン人間判定テストもあり、やってみたけど、PPS(Peter Pan Syndrome)には該当しませんでした(全然かすりもしなかったのはつまらない)。ウェンディに自分の母親になってくれと頼んでいたフック船長もPPSであるに違いない。

(アニメ映画)ピーターパン Peter Pan(米・1953)
(監)ハミルトン・ラスク (製作)ウォルト・ディズニー

 ジェイムズ・バリの原作よりこのアニメ作品ほうが「ピーター・パン」物語のスタンダードとして、このファンタジーのイメージを作り上げていると言って間違いないでしょう。観ていて50年も前に作られたということをほとんど感じさせないのは、さすが傑作アニメです。50年代という時代を唯一感じさせるのは、ノスタルジックな想いに誘う主題歌や挿入歌で、原作にも海賊の歌が掲げられていましたが、アニメでは他にもフック船長も歌う「海賊勧誘の歌」とかウェンディの歌う「お母さんの歌」もあり楽しかった。
 ストーリー展開の上で原作と異なる点が結構ありますが、もっとも大きな違いは、アニメでは子どもたちのネバーランドでの冒険が実時間にしてたった数時間の出来事で、子どもたちは両親がパーティーから帰宅する前にベッドに戻っていたのに対して、原作では子どもたちのネバーランド滞在期間は長く(夢の島では時が速く進むということもあるけれど)、その間彼らの父親のダーリング氏は犬小屋暮らしを始め、世間の評判になるくらいでした。
 それとアニメは子どもを対象にして作られているので、原作が持つイギリス中流階級に対する風刺や、ピーターの呈するピーターパン症候群(PPS)の典型的症状とか、海賊との戦いのワイルドな描写は除かれていますが、これは仕方がないでしょう。

(関連映画)フック Hook(米・1991)
(監)スティーブン・スピルバーグ
(演)ダスティン・ホフマン(フック)、 ロビン・ウィリアムズ(ピーター)、ジュリア・ロバーツ(ティンカー・ベル)

 子どものままでいることをやめたピーター・パンが、ウェンディの孫のモイラと結婚して二人の子供を持つ父親となりますが、企業弁護士である彼は携帯電話を片時も離せないワーカホリック(仕事中毒)となり家族を顧みる余裕もなかった、という設定は秀逸で笑えます。
 宿敵フック船長に子どもたちを誘拐されたピーターは、ティンカー・ベルに運ばれて(もう飛ぶことができないので)ネバーランドに向かい、フックと対決することになります。ぜい肉がつき、高所恐怖症のピーターに幻滅したフックは、ピーターに3日間の猶予を与え、決闘で積年の恨みの決着をつけることになります。後の展開は大体想像できて、ストーリーもそのように進むことになります。
 豪華スターによる贅沢な映画作りは、さすがスピルバーグ作品というべきで、彼自身子ども心を持っているので楽しんで作っているのが観ている側にも伝わってきます。ただ内輪で楽しみすぎたのか、冗長になっている感があるのが惜しかったと思います。ジュリア・ロバーツの中性的なティンクもよかったです。


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